ひら、ひら。
こぼれた、日が、陽が、おどる、ような。
その啼き声。まだ何も知らないのに、凍えて冷たい私の身体を、透明な刃で、切り裂いてくるのです。
ああ、尊い。
これは、尊い。
わぁん、わぁぁ、と啼くのは何も知らなくて、怖いからなのでしょう。
「ぅ、ぁ
――、あぁぁあ!」
柱に寄りかかり、すがる当てのない爪を立てながら。全てを知る私が流すには、あまりにもきれいな涙でした。
「こぎつねまる!」
しろくて、まるい、声。同じように、ころころとしたからだ。子ども特有の、触れれば壊れそうな、それ。
「三日月。あまり忙しくては」
いけない、と言う先に、小さな体はびたんと地面に伏せられた。なにもそう砂利の多いところで転ばなくてもよいものを。しかしすべては終わった後で、次に聞こえたのは雛のようにぴゃいぴゃいと泣く声でした。抱き上げ、土を、尖る石を、細かい砂を払えば、白い肌ににじむ赤。これは痛そうだと、すぐに濡れ縁から屋敷へと。近いのは洗い場でしたから、すぐに傷口を水に曝します。
「い、いたい・・・・・・! いやだっ! うぅうう」
問答無用。小さくきれいにそろった歯が腕に食い込みますが、それですら弱弱しく話にならない。
「さあもう少し我慢です」
消毒液を探します。■■によると薬品にも使用期限があるそうなのですが、この際利く利かぬ関わらず、気休めでも構いません。きゅぽ、と蓋を開け脱脂綿に吸い込ませると、そっと傷口に当てます。小さな手をぎゅっと握りしめ、目の端から涙を浮かべた三日月は、それでも逃げないだけ良いでしょう。
「しばらくは家で遊びましょう」
「それではつまらん」
「この間しゃぎすぎて、いらぬ傷を作ったばかりというのに」
ぺちん、と強めに絆創膏を張ると、癖の悪い脚が脛を蹴ってきました。ああこれは痛い。弁慶の泣き所、ということは■■も泣くのでしょうか。痛みにうずくまっていると、「すまん、痛かったか」とまるい声。すぐにくしゃくしゃと頭を撫でられ、ぱたぱたと走っていく音。愛しみと悪戯の切り替わりが早いのは、さてどちらに似たか。
「三日月」
呼んでも返事がない。今度は隠れ鬼か、とあたりを見渡せば、黒い影が揺れ始めます。放っておくと、また三日月は彼らと遊び始めるでしょう。あまり「吸われる」のは良くない。良くないのですが、この屋敷に私と二人というのもさぞかし暇なのでしょう。仕方の無い範囲であれば、影と遊ぶのもよし。としているのですが、できれば私の目の在るうちにとどめておいてほしいのです。
「三日月、何処に」
空の端に光る青い太陽は、あの山の淵から日の入りをしようとしています。今日五度目の入りは、一瞬紫に光ったかと思えば、またごうごうと耳の裏の血潮のような音を出して昇ってきます。影たちはその時うねり、建物の影に入ったかと思えばまた顔を出して、当てもなく彷徨うのです。一つの影の腕が、ふそり、私の肘を撫でます。
「止しなさい、これはあなた方には余る恩恵でしょう」
ぬももも、と腕が波打ち、「これは失敬」とばかりに身を引きます。どうせあの色の太陽が次の色に変わるころに忘れるので、また手を伸ばしてくるのでしょう。忘れっぽいのは、実に困ったことで。三日月と遊ぶのもいい加減に止してはくれぬのですから。
「三日月。三日月や」
東淵の角を曲がり、逆さ階段を下りて、熊耳の瓦の上へと昇りつめ、ようやく小さな影を見つけました。
「遅い」
「なにをおっしゃいますか。この間日の入り七つを越えて見つけた時にはべそをかいていたでしょう」
「言うな」
「泣かねばよいのです」
三日月の涙は際限を知りません。一度泣き始めたら眠るまで泣き止みません。泣くと影が寄ってくるのでいけない。余程おいしいのか、虫のように吸いにやってくるので。三日月の涙にどれほどの価値があるのか、考えたことはありませんが
――それを抜きにしても、男として強く育ってほしいと願うのは老婆心切でもありますまい。
「ふぁ」
小さな口を大きく大きく開けて、とろんとした目をこちらに向けてきました。
「ん」
腕を広げ、私の動きを待っています。強く強く、育ってほしいという私の想いと、そのけだるげに伏せられた目の月に見つめられると従ってしまう身体と、どちらが本意なのか時々わからなくなります。小さな体を抱き上げて、寝床へと向かいます。この世界には夜がやってこないので、三日月が眠った時が夜です。布団に入り、横たわり、次に三日月が目を覚ますまでその身体を抱いて眠るのです。睡眠時間はまちまちです。そもそも正確な時間の経過を、ここでは知ることができません。
目覚めた時、太陽は深緑の色をしていました。これは良いです。目に優しい光源はそれだけで癒しでしょう。寂れた大地も少しは、5月の朝のように瑞々しく映え
――うとうと、障子の影を見ていると、腕の中にあったぬくもりが消えていることに気が付きました。
「三日月?」
部屋にはいないと気配で察知し、廊下に出てみます。縁の下から影がうようよと出てきて、切っ先のような形で方向を指します。ふん、と鼻を鳴らして追い払うと、どこか悲し気に姿を霧散させて消えました。
あちらは、確か。台所だったでしょうか。食事を必要としないので、長らく立ち寄っていませんでした。嫌な予感がして、早足で覗いてみれば。
「あなや」
一瞬、泥にまみれているのかと思えば、鼻の奥に渦巻く匂いでそれがなにかを理解しました。たしか「ここあ」という飲み物をつくる粉だと、■■■が言っていたのを思い出しました。短刀たちが好んで飲んでいたのを見て、一口いただいたことがありますが・・・・・・あれはいささか甘すぎる気がします。ともあれ、その原料となる粉を三日月は頭からかぶっていたのです。
「あの、その、これはだな」
砂糖も混じっている粉はところどころ体温で溶けて、着物にも付着しているようでした。色のおかしい空間でも、それが黒に近い茶色だとはっきりわかりました。汚れはどれだけ洗っても取れないので、また新しい着物をどこからか引っ張り出さなくてはいけないのは確かです。さて悪戯にはもう怒り慣れていますし、三日月も怒られ慣れていますから、今はいかにしてこの汚れを広めずに済ませるかを考えなければいけません。
「三日月、腕を上に」
ばんざい、とした三日月の腰ひもを解き、着物と袴を一旦取り払います。指先でつまみあげ、すぐそこの外に通じる勝手口から粉をはたきました。
「そのまま。そのままですよ」
ばんざいをしたままのはだかんぼうになった三日月を抱き上げます。温泉が機能していて、これほどありがたいと思ったことはありません。
「あ」
流石にずっと手を上にあげているのは辛抱できなかったのでしょう。髪の毛にべたりとまとわりついたが最後、細かく滑らかな毛質は濡れねずみへと変わりました。
「もう、よろしいです。どうせ私も入るのですから」
半ばのあきらめと、三日月だけが風呂に入るのは効率の悪いのと。この幼子はまだ、手足が短く体を隅々まで洗うことがかないません。
「すまん」
おや珍しい。三日月から謝罪がでるとは。次の言葉を待ちましたが、まだうまく言葉に出せないことのようで。そうしているうちに風呂場についたので、さっさと湯を浴びて茶色であろう溶けた粉を落としにかかろうとした時でした。
「なんだ、これは・・・・・・」
三日月が目をまんまるに見開いています。口元についたそれを舐めたのでしょう。
「口の中、味が、する?」
「そうでしょうね」
ここで三日月が口にしたものといえば、水と、私の腕と、こけて口の中が切れた時に飲み込んだ血くらいのものですから。そうした食物、しいては、一つの味覚にこだわった趣向品を口にするのは初めてになります。
「それは、『あまい』味です」
「あまい?」
「そうです。あまい、です」
「なぜ小狐丸は知っているんだ?」
この、普段は子どもなのに時々真を突いてくるような質問は、まこと「らしいと言えばらしい」のですが。
「さては、これを隠していたのは貴殿だな? 俺に見つからないように」
「まあ、貴方に見つからぬよう隠したのは認めますが」
やっぱり、と三日月が鼻で笑います。この話はこれまで、と湯舟へと三日月を入れました。
「今日の太陽は緑か」
張った湯が太陽に透かされ、緑に染まっていました。
「まるで、松の湯のようですね」
「まつ、とはこんな色をしているのか」
「これよりももっと渋い色をしているのですが、煎じて薬湯にするとこのような色になるのです」
広い露天風呂に、冬は皆で一緒に入っては身体を温めていたのを思い出します。松の薬湯は色移りしやすく、■■が真っ白に洗った布を、よく■■が湯に浸しては染めて遊んでいたのを思い出しました。「おどろいたか?」と問われたのをあきれ笑いで返すと、私の紙紐を解いて新緑に染め上げてくれたのは、もう忘れずにはいられませんが。
その賑わいを耳の奥で感じながら、隣にいる三日月を見ました。湯気で端まで見えない湯舟に、この幼子と二人。緑の湯をぱしゃんと跳ねさせて、きらきらとした眼で楽しんでいるようでした。両の手で湯を掬いあげると、上から、ぱしゃり。わぷ、と少量の水に溺れたのか、顔をぬぐうと、仕返しとばかりに湯をかけてきました。散々互いに遊んでいると、頭からかぶった粉は湯に流され、すっかり元の肌の色へと戻っていきました。湯から上がり、石鹸で肌を洗っていきます。
「小狐丸、背中はいい」
三日月がそう言うので、じっと所作を見守っていると、確かに背中に手が届いていました。ついこの間まで両手で掬いあげられるほどの赤子であったのに。言葉も以前よりしっかりしてきていました。眠りにつくたびにその身体は、ぐんと成長するようでした。
湯浴みが終わると、髪も乾かぬうちに三日月は外へと行ってしましました。この頃、三日月は影たちとより親密になったようでした。聞けば、意思疎通できるほど仲良くなったというのです。しかし、吸われることはなくなったとも。影たちが自粛したのではありません。三日月の成長によるものでしょう。遊び相手から解放された私は、三日月と影が遊んでいるのを傍目に、部屋へと籠るようになりました。部屋では何をするでもありません。ただじっとしているだけです。
「小狐丸」
しばらくすると三日月が部屋へと帰ってきました。ここでの一日は、彼が眠くなれば、そこで終わりなのです。
「おかえりなさい。今日もたくさん遊んでもらえたようですね」
襖から一人分の布団を出し、枕は二つ取り出します。三日月は疲れた体を横たえ、私がその身体を抱き込んで、その上から掛布団を被ります。三日月が産まれたときからずっと、たとえ不機嫌であろうと怒っていようと泣いていようと、必ず眠る三日月を抱きしめます。ふと気になって、うつらうつらしている三日月に問います。
「なぜ、台所の棚を探っていたのですか?」
三日月の頭が、胸板へと擦りつけられます。それがいやいやと首を横に振るような動きだったので、ああ聞かれたくないことであったかと思っていると、小さく返事が返ってきました。
「最近、元気が、なさそうだったから」
その言葉に、私は静かに息を飲みました。いえ、当たり前と言えば当たり前なのです。前は、眠らなくてもよかったのです。こうして傍で眠る三日月を、目覚めるまでずうっと見守っていました。それが近頃、三日月が眠ると私も眠るようになりました。そして、三日月の身じろぎで目覚め、そこから新しい一日を過ごしていました。ここでは食事をとることはありませんでしたが、話としてどういう物を食べたことがあるか、口に出したことがあります。
「飯を口にすれば、元気が、出るかと、思ってな・・・・・・」
三日月はそこで意識を手放しました。この眠りは疲労によるものではないので、彼の意志に関係なく、力が不足すれば強制的に「落ちる」ようになっています。言葉の続きがあったのでしょうが、果たして明日聞くことができるでしょうか。
「おやすみなさい、三日月」
私の、愛しい三日月。こうして私に抱きしめられることで初めて、この世界で生きる糧を得られる、愛い幼子。つむじの匂いを嗅ぎ、緑の太陽を眺めながら眠りの淵に立った時、どこかで「ぱきん」と音がしました。
「小狐丸。今朝は、どうだ」
あれから三日月を抱きしめて眠ること幾度。どれほどの時間が経ったのかわかりませんが、三日月はすっかり私の胸ほどの大きさに成長していました。その頃になると、私の眠りは深く、深くになっていました。体の動きに不便はありませんが、行動できる時間が三日月よりも短くなっていました。
「この世界に『今朝』はないでしょうに」
「俺が眠れば夜なのだろう? であれば、俺が目覚めれば朝だ」
ああ、これは一本取られた。刀を一度も持たせたことはありませんが、こうして話し上手なのは
――
「小狐丸。ぼうっとするな。ほら」
太陽は、綺麗な茜色をしていました。これは自然の理であるので、懐かしいことを色々と思い出してしまいます。三日月の手を取れば、ぐいぐいと引っ張られ連れてこられたのが台所です。井戸から水をくみ上げ、鍋で沸かした湯を何かに注いでいました。
「口に合えばいいが」
鼻に届いたのは、甘さよりもどこか香ばしい匂いでした。ふぅふぅと冷まし、飲めば、それは明らかに「ここあ」なのですが、あまり甘くはなく、苦味の方が勝っているようです。少しずつ飲み分け、飲み終わるころには体がほぅっと温かくなっていました。
「ああ、これは美味しかった」
「本当か!? ならばもっと
――」
「いえ、一度で十分です。このような味の濃いもの、日にそう何度も飲むものではありますまい」
三日月は「そうか」と言うと、力なく腕を下しました。眠りが深くなった私を案じていることはわかっていましたが、こればかりはどうすることもできません。
「三日月」
呼び、腕の中に大きくなった体を抱きしめました。
「ありがとうございます」
そう告げれば、収まった温度が柔らかく溶けていきます。安堵の溜息と、心の臓に寄せられた耳。生きていることを確認し安心しているような、それでいてどこか祈るような表情を見るのは、これで何度目になるでしょう。
そのあとはまた慎ましい日常に戻ります。庭に出れば影たちが三日月を囲み、人や獣の形をしてなにやら演じているように見えました。それを少しだけ眺めて、また部屋に戻ります。そして、まだ敷きっぱなしだった布団を上げて、床の間にあるそれを手に取りました。これが在るということは、私もまた在るべきということ。そっと持ち上げると、鈍く、ころころと鈴が鳴りました。もうあのきれいな、涼やかな音を出すことは無いでしょう。傾けてみると、さりさりと中を通る音がしました。
外が少し暗くなり、轟轟と燃える太陽の音が近く聞こえました。ひいぃぃぃいん、と耳鳴りが左から、右へと過ぎ去り、時が来たのだとわかりました。これは、我々の、悲願であり、それは成されようとしています。目覚めよとあの太陽の彼方から呼びかけてくるのです。
「小狐丸!」
床の間に刀を戻したところで、三日月が部屋に飛び込んできました。
「今のはなんだ? 貴殿も聞こえたか!?」
じっと、昇る太陽の音を聞いていました。
「おい、聞いているのか、小狐丸!」
肩に掴みかかられ、力強く引かれ、私の目に陽が入ります。太陽が落ちる瞬間、きらりと光り、とうとう山へと落ちていきました。一度も陽が落ち切ったことのない世界に、とうとう夜が来たのです。影たちは消え、冷たい風が外を飛び回ります。
「こぎつね、まる?」
「はい」
三日月はゆるゆると手の力を抜き、力なく膝から崩れ落ちました。闇は真の色を浮かび上がらせ、その闇を消すように明かりが灯り始めました。
「あるじ!」
「主様ー?!」
「主、どこにおられますかっ」
蔵の奥から、わいわいと声があふれだしました。その声色はすべて心配と不安に満ちており、誰かを探しているようでした。騒がしい足音がどんどんと迫り、とうとうこの部屋の障子が開かれました。
「主!」
腕が強く握られました。目の前にいたのは、私と同じ刀剣の付喪神たちです。
「大丈夫ですよ」
「小狐丸、この者たちは
――」
「ああそっかあ、あるじ、産まれたときはこんなちっちゃかったしなあ」
頭を少し下げて入って来た御手杵は、私を一目見て少し眉を寄せました。すぐ後ろから部屋にぴょんと飛び込んできた今剣は、私を見つけると額を合わせてきました。
「ああ。小狐丸さま。ありがとうございます。さあ、もうやすんでください」
今剣の手が両頬を包みます。そのぬくもりを受けながらも、足先から冷え始めているのは気のせいではないのでしょう。紅の丸い瞳に浮かぶしずくが、私の有様を物語っていました。
「まだ休めません。『ぬしさま』が落ち着いておりませんので」
強く腕を握っている、その手の甲に触れて、なるべく優しく言葉を紡ぎます。
「ぬしさま。この者たちは、我々の仲間です」
「小狐丸。いやだ、そんな呼び方をするな」
背が大きくなってからは、あまり泣くこともなくなったのですが。時間の過ぎたるはこう長く存在しているとわかりませんが、三日月は
――ぬしさまは、急速に外側が育ち中身は成熟しきっていません。伏せられ、少し色の抜けたその頭を撫でながら、私の視線は仲間たちへと移ります。困ったように笑えば、溜息が聞こえました。
「皆さん。ここは小狐丸さんに任せて。各自部屋で待機だ」
石切丸が、加州やほかの刀剣たちの背を押し出して、部屋から追い払います。部屋の障子が再び閉まるとき、彼と目があいました。ひとつ、うなずくと、彼の口元がぎゅっと結ばれた気がしました。そのまま去るかと思えば、部屋の前に座って待つようでした。見慣れた影がみっつ、部屋の前で待ってくれています。
「三日月」
そう呼べば、伏せた頭が勢いよく上がります。ぱたた、と水滴が飛び散り、とうとう泣かせてしまったか。
「何から話せばよいでしょうか。あなたが産まれたところからでしょうか」
「なんでもいい。なんだっていい」
どうせ混乱していてなにも入るまい、と三日月が涙声で言います。それはそれで、とても困ります。これは大事な話なのですから。
「ではひとまず。一番大事な話をしましょう。あなたはここの屋敷の主にございます。
ここに主として在ること。それは、歴史遡行軍という敵と戦うことを意味します。このあたりは今すぐでなくてもよいのです。おいおい、ここにいる刀剣の付喪神たちから教えられましょう」
長い間封じられていた彼らは、腕が鈍っているでしょうが戦いに出ることを望んでいるのは確かです。明日からは、新しい主を基として戦場を駆け巡り武器としての本分を振るうでしょう。
「私から貴方に話しておきたいことがいくつかありますが」
「小狐丸」
「どうか、粛々と聞いてください」
最後まで語れるかどうか、その瀬戸際まで来ているのです。いつの間にか三日月の方が寄りかかっていたのが、逆に私が寄りかからなくてはいけないくらいまで衰弱していました。
「あなたの御父上と、御母上の話になります
――」
私がこの本丸に顕現したのは、この本丸の仕組みが出来て三日目だったそうです。ええ、そうです。"ぬしさま"は初期刀を顕現させて片手の数ほどの鍛刀で、私を顕現させました。ただ、初めての太刀ということもあり、小さな刀ばかりだったので、大きく獣じみた私の姿に慄いていたのを覚えています。しばらく畑や馬などの力仕事をしていましたが、私から話しかけることで少しずつ誤解を解いていきました。以降は多くの戦場で隊長を任され、この本丸の戦績を担うようになりました。
いよいよ錬度も頭打ちとなり、本丸にて近侍をしていた時。とうとう彼を顕現することができました。天下五剣にして最も美しい刀とされる、三日月宗近を。
さあ、もう御分りでしょう。この三日月宗近とぬしさまが、貴方の父と母になるのです。しかしそれはもう大変な苦労がありまして。なにせこの二人は他人に敏いくせに互いのこととなるとまるで朴念仁。おそらく緊張してしまってうまく話を合わせることすらままならなかったのでしょう。紆余曲折ありましたが、周りの後押しもあり、お二人は結ばれました。
そのすぐ後になります。我々の敵は歴史遡行軍だけではありません。「検非違使」という、いわゆるその時代の成り行きを自衛しようとする使者がいるのです。それはとても強く、また急に出現することもあるのです。不意を突かれた軍が、苦戦を強いられ、出陣した六振りの内帰ってきたのは五振りでした。その五振りですら重症であったのに、帰還できたのはある一振りが殿を務めたからです。血まみれの腕から出てきたのは、折れた三日月宗近でした。我々は破壊されれば、その身体も御霊も同じく破壊されます。その折れた刀を見て、ぬしさまはしばらく部屋にふさぎ込みました。婚儀を済ませたばかりの、まだ幸せの真中にいた時に、いきなり絶望の谷底へと落とされたのです。
しばらく部屋にこもった後、また表へと出始めたころすでに腹の中に貴方がいたのでしょう。時折真っ青な顔をしながら、うずくまっているときがありましたから。薬研の判断により、身ごもっていることがわかると、この本丸は総出でぬしさまを支えました。歩くといえば傍に控え、横になるというなら部屋の外に必ず一人は守衛をおきました。精をつけようと、生みたての卵をつかい、季節の野菜と山から狩ったばかりの獣肉を調理し、さあ食べよう、としたところでぬしさまはあまり食すことはありませんでした。つわりの時期が終わっても、食欲は戻らず、腹ばかりが大きく身はやせ細っていったのです。
大太刀たちと、薬研と、こうした内事情は短刀たちのほうがよほど詳しいので、健診を繰り返し、臨月の前にそれはようやくわかりました。腹の子は宿主の気を食らっているのだ、と。本来であれば、神と人の子は母体に準じて作られるものですが、ぬしさまは審神者という力があるからか、腹の子の神性を宿しながらそのまま育てていたのです。いえ、そういう例はいくつかありますが、それは神と共に子を育てる場合です。ぬしさまの番である神は、もうどこにもいないというのに、自分が衰えるとわかりながらもぬしさまは腹の子を育てたのです。
ええ。
この本丸には確かに、多くの付喪神がいました。気を提供することは可能でしたが、ぬしさまはそれを断りました。人体を通じて気を神性に変換する、すなわちそれは交わることを意味します。ふふふ、貴方にはまだわからなくともよいことなので、割愛しますが。ともかくぬしさまは衰弱し、とうとう出産の日を迎えました。
それはそれは、透明な啼き声でございました。貴方が産まれると同時に、燃え尽きるようにぬしさま
――貴方の御母上は亡くなったのです。
主のいなくなった本丸は崩壊へと向かいます。ですが、審神者として引き継ぐ者がいればそれは免れます。なによりの急務が、産まれたばかりの貴方の命をつなぐことでした。親がどちらもいない、神と人の混血である貴方を政府が保護するとはとても思えませんでした。かといってこのまま放置しておけば、なまじ神体である貴方の気が枯渇してしまいます。両方を救うために、御神刀たちは結界を張り閉じられた空間を作りました。それはただの閉鎖空間ではありません。時を捻じ曲げ、第一要素である肉体を否定した世界・・・・・・ええ、そうです。貴方が産まれ見て育ってきたあの影の世界になります。
我々は、ぬしさまの子である貴方を審神者として育て上げると同時に、審神者の不在を誤魔化したのです。あの影の世界での時間はとても長く感じたでしょうが、現実おそらく一年も経っていないでしょう。
不思議に思いませんでしたか? それとも気づかないふりをしていましたか? いえ、産まれながらにして見たものがあの世界でしたから、あれが平常でしたか。それでも、なにか思うところはあったでしょう。なぜ触れられるのは私だけなのか。台所に行けば食べ物があるのに口にしないのか。眠ると体が大きくなっているのか。等々
――
先ほど申し上げたように、あの世界は肉体を否定します。魂と精神だけの世界に、なぜ貴方が連れてこられたのか。ひとつは、これも先ほどお伝えした通り、時間を捻じ曲げるためです。もうひとつは、魂魄と精神だけの器であれば、気を容易に送り込めるからです。肉体が無ければ気は消耗しますが、その分、生存と成長に必要な霊気を取り込みやすいのです。貴方がどうしても眠くなるのは、霊気が足りなくなった時だったのです。必ず貴方に寄り添って寝ていたのは、私の気を貴方に送り込むためです。貴方は私の気を喰らい、影の世界で今日まで育ってきました。
さて。
「ぬしさま」
肩口が妙に冷たいのは、涙で濡れているからでしょう。泣き虫なのは、甘やかしすぎたからでしょうか。
「最後まで聞いてくださり、ありがとうございました」
言いたいことは、まだたくさんたくさん、ありました。しかし、現実に動き出した時が、影での世界で起こったことを如実に反映しだすのです。霊気を使い果たしたこの器。骨も肉も、すでに限界を迎えていました。
「岩融」
「おう」
すぐ外から返事が聞こえてきました。珍しい。かの鬼、急所当たらずとも泣くことがあるのですね。
「失礼するぞ」
岩融が大きな和紙を、私たちの目の前に広げると「私」を持ち上げてぬしさまの前へと、恭しく。
「ぬしさま」
ぐりぐり、と首を振るように顔を押し付けてきます。私を、小狐丸を見たくないというように。それはいけません。明日から回りだすこの本丸に、戦えぬこの刃は不要なのですから。
「夜遅くに申し訳ありません。ですが、ぬしさまが行う初仕事にしていただきたく」
これから幾多の戦場を駆け抜け、幾多の刀剣を拾い、あるいはその腕で刀剣を喚ぶこともあるでしょう。しかし、この限られた敷地で養える付喪神は数が決まっています。拾う神在れば、捨てる神在り、とは、まさに。
「どうか、私を。刀解してください」
ああなった私を、果たして刀解できるかどうかはわかりませんが。審神者の手によって解かれれば、素材はともかく、魂だけでもとばかり。
岩融の腕が、ずずいと寄ります。形の良い眉がぐいと寄り、肩からあがった面に濡れた三日月が見えました。溜まる涙を払いたいのは山々ですが、なにせもう筋の一本も動きそうにありません。骨はきしみ、目を動かせば肌が茶色く濁っているのが見えました。
私の真正面に座り、岩融から「私」を受け取ると、すい、と天に掲げるようにして持ち上げました。
「さあ、どうかぬしさま。抜いてください」
泣かぬと、決めた訳では無いものの、鈍い手の甲に落ちた水滴で「ああ泣いてしまったなあ」と申し訳なく思いました。
「 」
しろく、まるいこえ。
ぬしさまが柄と鞘を握りなおしました。そこから、小狐丸が、私が、ひどい音を立てて抜かれていきます。ざりん、ざりん、鞘の端から毒のように零れていくのは錆。指先から、つま先から、同じように削れて茶色く砕けて。さり、と刃が最後まで出てくることはありませんでした。途中で腐食でぼろぼろになった刀剣の末路など、どうかどうか、お聞きにならないでください。鞘を振れば、鉄屑にもならぬ塵が、白い和紙に散らばるだけでしょう。
それでもなんたる幸福か。この役にも立たぬ私と、一緒に育ってくれた、親愛なる
――
ぬしさま。どうか、お気になされるな。
戦わずして刀解される私に、名誉などありません。勝手に朽ち逝く刀の刃生で御座います。気にされないのが、一番、よろしい。ですが、願わくは、私の御霊を、彼と、「ぬしさま」の、もと 、 に
「 」
この小説にタイトルをつけるなら?
「身から出た
錆」→Normal END
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ココア」→Good END
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嘘、 」→True END
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