ジャック・リーという人間になってから、彼は生きることに執着してきた。記憶も身元も不確かなティーンエイジャーを拾って育ててくれた男、ひいては男が属しジャックを受け入れてくれた青蓮幇への大恩を返すためにである。青蓮幇にとって役立つ人間であるためには、まず生きていることが大前提になるからだ。
だからマイケル・クラフトが自分を殺せる誰かを求める心理が、ジャックには一切理解できない。
「あんたはどうして死にたがってるんです?」
用は済んだとばかりに服を着るマイケルの背中に、乱れたベッドの上から問いかける。
――悔しいほど美しい体だ。支部の手練れを計一ダース送り込んだうえ、最終的にはジャックとニンフェア――周威も加わり報復を試みたにもかかわらず、マイケルの白い体にはわずかな傷の一つすらない。引き締まってはいても薄いこの痩身のどこに、鍛え上げた大男を縄跳びなんぞで絞殺したり複数人の腕利きに囲まれながら無傷で返り討ちにする力があるのか、ジャックは彼の裸体を見るたび不思議になる。ベッドの中でマイケルが攻撃的になることがないだけ余計に。
「――何の話?」
すっかり服を着こんでしまったマイケルが、振り向いて不可解げに眉をひそめた。
「死にたがった覚えはないけど」
「いつも言ってるじゃないですか。初めて会ったとき――うちの構成員を殺した理由を聞いたときも言っていた。自分を殺せる相手を探してるって。それってつまりは、死にたいってことでしょう」
「はあ? 全然違うよ」
いかにも不愉快だといった顔でマイケルは腕を組んだ。
「俺が死ぬのはただの結果に過ぎないんだよ」
「結果」
「そ。目的じゃあない。俺は死にたいわけでも殺されたいわけでもなくて、俺を殺せる人間がいるかどうか知りたいだけ。それを知るには殺されなきゃならないでしょ。だから結果」
「だったら聞き方を変えますがね、ミック。なんであんたを殺せる奴がいるか知りたがってるんですか」
かすかにマイケルの右眉が不快げにうごいた。
「なに、今日はしつこいな。あの女装男に俺の分析でもしろって命令された?」
「いやいや、単純に俺の好奇心ですよ」
ジャックは実に友好的な笑みを向ける。胡散臭いと言われるのが常の笑顔だ。マイケルも案の定「胡散臭……」と顔をしかめた。
「俺は命あっての物種ってタイプなんでね、自分を殺せる相手を見つけたがる気持ちってのがわからなくって」
「それ理解する必要ある?」
「必要ってわけじゃないですが」
「じゃあいいじゃん、別に知らなくて。あんたが俺を殺せるなら付き合ってやるのもやぶさかじゃないけど、あんたじゃ俺を殺せないからなあ」
あからさまに無関心に言われ、ひくり、とジャックの頬がひきつる。
ジャックはニンフェアの部下のなかでは、マイケルに返り討ちにされた者たちを含めても一番荒事に長けている。どころか、支部に所属する全員と比べてすらジャックよりも腕の立つ男はいない。
そのすでにマイケルのおかげで傷ついている自負を、傷の上から踏みにじられたのだから、内心まったくの平静でいることはできなかった。マイケルがジャックに一切の興味を示していないのも結構な燃料だ。こちらを見ろ、と乱暴に引き摺り寄せたくなる。
もっとも殴りかかったところで反撃され沈められるのがオチだ。わかっているからジャックはシーツをきつく握りこむだけで苦渋を耐えた。
「ま……ニンフェア抱えて俺に殺されずに逃げおおせる程度の実力は認めてやるけどね」
「それはどうも」
どこまでも上から目線の物言いも癪に障るが、マイケルが格上なのは揺るがない事実だから文句も言えない。
投げやりな返答をマイケルは鼻で笑い、左側へ顔をそらして中空を見つめた。長い金の前髪で右目は覆い隠されていて、ジャックからは彼がどんな表情を作っているのかうかがい知れない。
「……。実際のところ、ちゃんとした理由があるわけじゃないよ。死にたいと思ったことなんてない。殺されたいと思ったことだってない。ただ知りたい、それだけ」
「それを知るためだけに、死にたいわけでもないのに結果的に殺されるのをよしとしてるんですか。人を殺して回ってまで」
言うとマイケルが不機嫌な色を乗せた美顔をジャックに向けた。
「あいつらがちゃんと抵抗して俺を殺してれば、俺に殺されたりしなかったんだ。今まで試したやつらが見掛け倒しの雑魚なのが悪い」
その雑魚のなかには青蓮幇の仲間が含まれているから同意しきれないのだが、すくなくとも黒社会では事実でもあるから苦笑するしかない。弱い者が死ぬのは摂理的なことだ。青蓮幇は身内であれば弱者であっても家族として扱うから、摂理であっても切り捨てずに報復を行うのだが。
「とは言っても、相手の生業くらいは考慮したほうがいいんじゃないんですかね、ミック。警官、軍人に飽き足らず、マフィアの構成員まで殺すから報復のために刺客を送られるんですよ」
「俺より強けりゃいいだけの話なのに……。試したいって衝動が抑えられないんだからしょうがないじゃん。どうせ誰も俺を殺せないんだし、気にして相手を選ぶだけ手間だよ」
「やれやれ。できれば青蓮幇の人間は二度と殺さないでもらいたいんですがね」
「だったら俺の視界に入るなって言っとけば」
マイケルは一笑に付して身をひるがえす。部屋のドアを開けて出ていく彼を、ジャックは引き留めはしなかった。これ以上話したところで、マイケルの『動機』を理解できるとも思えないので。
ジャックはかるくため息をついて、自分のマゼンタピンクのシャツに手を伸ばす。マイケルが「物足りない」と言って誘ってきたから相手をしたが、まだ仕事は残っているのだ。マイケルの相手をニンフェアから任されているといっても、長々と油を売っているわけにもいかない。
「……見つかるんですかねえ、あんたを殺せるような男は」
ちらとドアに視線をやってジャックはつぶやく。
なにせ、向けられた武器や拳のすべて、銃弾すらをも軽々と躱しきり、自身よりも体格のいい男を一撃で沈められるような男だ。おそらくマイケルの周囲では一番戦闘力の高いであろうジャックですら、いまだに彼に攻撃を当てられたためしがない。手合わせでも殺す気でかかればあるいは、と思わなくもないが、そもそも殺す気だった一度目の邂逅でも無理だったのだから現状難しいだろう。
――どうせ、とマイケルは言った。どうせ誰も俺を殺せない、と。そんな言葉は心のどこかであきらめていなければ出てこないはずだ。それでも希望を捨てられないなら、やはり彼は殺されたがりなのじゃないか。
思ったが、マイケルの本心が何であれジャックには関係がないことだ。
「あんたのお眼鏡にかなう男は、できれば俺でありたいもんですね、ミック。青蓮幇には面子ってもんがあるんで」
胡散臭いと評判の笑みで言って、ジャックはシャツの袖に腕を通した。
青蓮幇の構成員を己の衝動のままに殺したマイケル・クラフトに報復するのは、青蓮幇でなくてはならない。警察にも軍人にもそれを譲ってはやらない。
今はまだマイケルの戦闘能力を上回る構成員がいないので、彼に男娼をやらせることで手打ちにしているが、報復と見せしめはいずれ必ず行われる。
その時の下手人は自分でありたい、と強く願う。青蓮幇のためだけではない。化け物とまで言われるような男を唯一超えられた存在としてマイケルの目に映りたい……という、個人的な執着心が生まれてしまっていたから。
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