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ひろか
2022-10-01 12:28:51
5220文字
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観劇録
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*観劇録*『リリアン』感想と考察。
ベニバラ兎団さん『リリアン』(2022ver)観劇録。
⚠︎内容に関するネタバレ・深読みを含みます。
*観劇録*『リリアン』(2022年ver)感想と考察。
⚠︎内容に関するネタバレと自己解釈を含みます。
久々にベニバラ兎団さんの作品を観に行ってきた。
今年で三回目の上演になる『リリアン』。
2018年にベニバラ兎団さんが東京ハイビームさんという別の劇団さんとコラボする形で主催した久下恭平さんの一人芝居『Selection Theater』で、ベニバラ兎団さんが手掛けたのがこの『リリアン』だ。一人芝居『おとなりさん』、『ヒューマンライクダミーのゆく先』、そして三人芝居『リリアン』。この三作品からなる短編集に二人芝居『同窓会』が加わって2019年に再演が行われ、今回は再々演となる。個人的には初演ぶりの観劇。情報公開からずっと楽しみにしていた胸の高鳴りをそのままに、私は下北沢にある小劇場・楽園へと足を踏み入れた。
再演以降は出演者が日によって変わるので、いろんな役者さんのお芝居を楽しめる。
私が観劇した回の出演者は以下の御三方。
・久下恭平さん
・水野伽奈子さん
・新川悠帆さん(ベニバラ兎団)
いずれの役者さんも過去にお芝居を拝見したことのある方だ。久下さんは言わずもがなこの『リリアン』という作品の初演で全公演単独主演だった方であるし、ベニバラ兎団に所属する新川悠帆さんは私が初演を観劇した時に出演されていた方である。水野さんは『リリアン』で拝見するのは初めてだが、過去に『W-Letter』という作品で拝見し印象に残っていた方だった。そんな御三方の『リリアン』、純粋に楽しみで仕方がなかった。
下北沢にある小劇場・楽園は小劇場の中でもかなり規模の小さい劇場だと思う。けれど『リリアン』はそのくらいの規模の劇場がとても似合う作品であることを私は知っていた。その会場にいて、その物語に触れた人だけが大切に心にしまっておける宝物のような物語。物語とはそもそもそういう側面が強いものであるけれど、『リリアン』に関して言えば街の片隅の小さな劇場で上演されるからこその美しさみたいなものがある気がする。
まず一本目、『おとなりさん』。
どこにでもいる平凡な大学生が上京してきてからの日常を描いたこの物語は、『リリアン』の中で最も“普通の”話かもしれない。勉強や試験に追われたり、バイト先で怒られたり、恋をしたり。そんな普通の青年の日常には、彼が「雨さん」と呼ぶ存在がいる。それは彼が上京してきたその夜に彼を睡眠不足に追いやった隣人のあだ名で、その隣人が雨の日に奏でるピアノの音色と共に主人公の日常が描かれるのだ。
初演で観た時から大好きな作品。優しくて、ほんの少し不思議で。
主人公がどこにでもいる大学生だからこその身近さが、より一層主人公と雨さんの不思議な距離感を際立たせている。悲しい時も楽しい時も雨さんのピアノはそばにあった、と語る彼はどこか遠い昔を懐かしんでいるような気配さえ感じられた。
雨さんの正体自体は予測できる範疇なのだけど、その事実に直面した主人公の描かれ方やお芝居の余白がなんともいえずこの世界観にほんの少しの寂しさをプラスしていると思う。『リリアン』はすべての物語にさみしさが付随する作品だと思っているのだけど、『おとなりさん』のさみしさはこのワンシーンに凝縮されている。そっとピアノの蓋を閉じる主人公の横顔からはなんの感情も読み取れない。だからこそピアノの音が消えて雨の音だけがそこに残った時私も一抹の寂しさを覚えたのかもしれないし、きっとそれは主人公が感じた寂しさそのものなんだと思う。けれど雨さんと過ごした日々やピアノの音色が主人公の中にしっかり残っているのがわかる、寂しいだけでは終わらないラストなのが素敵。
ピアノの音や久下さんのお芝居から雨の香りがする。
ちなみにこのピアノ、『リリアン』全体を通して世界観を彩ってくれるのだが、なんと生演奏である。
オーロラタクトのアッコさんが客席のすぐそばで演奏してくれる。この近さも作品の触れたら壊れてしまいそうな儚さの所以かもしれない。
そして二本目が問題作『ヒューマンライクダミーのゆく先』。
タイトルからしてなんだこれは、という印象を与えるこの作品。
マネキンがショーウインドウ越しに恋をし、度々スクラップにされて色々なものに生まれ変わりながら徐々に本物の人間らしくなっていくという話なのだが・・・観ていてもしばらくは「なんだこれは????」という感想になる。
主人公はあくまで人間ではないので、お芝居にある種の無機質さを感じられるのが少し気持ち悪い(褒めてる)。そして怒涛の日替わりアドリブコーナー、またの名を監督による役者への無茶振りコーナーも必見。なんだこれは?と思いつつもこえをたてて笑ってしまうほど楽しく、面白おかしい時間が続く。
だが、その印象は最後の10分で崩れ去るのだ。
無茶振りコーナーの後、人間そっくりになり過ぎたためスクラップにされず廃棄された主人公は、神として祀られることになる。人の手で作られながら人間を超えたと喜ぶ姿には狂気すら感じる。が、そんな彼の前に一人の女性が訪れる。
「幸せに死にたい」。そう祈った老婦人は、あの日主人公が恋をしたショーウインドウ越しの女性なのだ。その後ろ姿を追うこともできず、主人公はスクラップになりたい、と吐露する。
この「スクラップになりたい」と吐露する時の、絞り出すような声と痛々しい表情に心臓を掴まれたような心地になるのはきっと私だけじゃなかったと思う。声も表情も確かに泣きそうなのに、人形である彼は涙が出ない。そして本当ならば、恋をし、この状況をつらく悲しく感じる心もないはずなのだ。そして彼は、気づいてしまった決定的な違いについて口にする。
「どれだけ人間に近づこうとも、人間には必ず存在する“時間の流れ”が、ぼくにはない」
このセリフを聞いた時の頭を殴られたような衝撃。
まさかさっきまで度重なるアドリブや面白おかしい動きやお芝居で観客を爆笑に誘っていたのとおなじ作品だとは到底思えない。というかお腹を抱えて笑ってからここまで10分ほどしか経っていないという事実がいま考えても恐ろしい。
終わった後に最後の一撃を思いっきり引き摺ってしまう問題作であり、恐ろしいほど演じる役者さんの実力が出る。いろんな役者さんのバージョンが観たい。
『同窓会』は今回初見だった作品だが、とにかく私好みでぞくっとしてしまった。
初演にはなかったこの作品、演じるのは水野さんと悠帆ちゃんの女性陣。
元いじめっ子と元いじめられっ子、二人きりの同窓会。過去の関係性が仲の良い友人同士ではないからこその緊張感というか、サイコホラーな感じがとても良かった。悠帆ちゃん演じる滝藤のぞわっとくる怖さに悠帆ちゃんの可能性を見た・・・私の中では『リリアン』のシロか『ICE CREAM GOOD BYE』シリーズのジョジのイメージが強かったので。なお好きになりました。
二人で思い出話をしていても、いじめた側といじめられた側では捉え方も記憶している部分も違う。教室に残っていた「滝藤死ね」の文字に気づいた滝藤の意識を逸らすように水野さん演じる金井さんが言う「はやく削ってけしちゃえばいいのにねぇ!」に、いじめられた心の傷はそんなに簡単に消えないんだよと思ってしまった。たぶん、そうだねと言いつつも滝藤も同じように思ったのでは。それでも彼女は今の自分があるのはあなたにいじめられたおかげだと、淡々と感謝の言葉を述べる。
滝藤が本当に怖い。この感謝の言葉を本心から言っているようにも聞こえるし、それら全てが復讐のようにも感じられる。どっちなのかわからないから怖い。だけど教師になった金井さんにクラス内でのいじめについて相談された滝藤は、きっと本心からの言葉を述べていたのだと思う。金井さんのためじゃなくて、いじめられているその子のために。だって自分をいじめていた相手が教師になっているだけでもきっと許せなかったはずなのに、あまつさえ自分では解決できないいじめの問題をかつて自分がいじめていた相手に相談するなんてあまりにも
…
。もちろん金井さんなりに葛藤はあったのだと思うけど
…
。私が滝藤の立場なら許せなくて許せなくて、たとえその時点で過去を彼女なりに洗い流していたとしても再燃してしまうと思う。それでも彼女は、昔の自分と同じようにいじめられているその子のためにありのままを伝えたんだ。そんな滝藤は紛れもなく強い女性だった。
滝藤にとって、この日は過去を完全に終わらせた日だったんだと思う。終わらせられるのが彼女の強さだし、あの時のいじめのすべてをいまに繋げて幸せになっているところも、相手を直接糾弾することなく淡々と話すのも、すべてが彼女の復讐だった。
「山岡事件の3,800円、返してくれる?」
滝藤の笑顔と金井さんのぎこちない笑顔、二人の握手で大団円
…
?と思わせてからの、しっかり回収していくところの滝藤の表情、ぞくっとした。
滝藤然り、金井さん然り、二人の女優さんお芝居のぶつかり合いが独特なサイコホラー感を生み出しているのだと思う。本当に好き。もう一回観たい。
最後を飾るのがこの作品全体のタイトルでもある『リリアン』。
ひとりぼっちの天才が友を得て、自分と対話して、前へと歩き出す物語。リリアンを久下さん、彼の友人となる少年・シロを悠帆ちゃん、そして語り手を水野さんが演じる。
リリアンには感情がない、と言われているけれど、彼の感情はシロと出会うことで目覚めた、つまり眠っていただけなのだと思う。興味の赴くままに雲を追いかけて出会ったシロは、リリアンが知っていることは何も知らないけれどリリアンが知らないことを知っていた。リリアンにとっては知っていることをシロに話すだけだったけれど、それを聞いて瞳を輝かせるシロを見て「明日また話そう」「次は何の話をしようか」と考え、言葉にするようになる。久下さん演じるリリアンの表情が物語の始まりの無機質なものからだんだんと柔らかく、人間らしくなっていくところに、久下さんってすごいな
…
とありふれた言葉でしか感想を言えなくなってしまった。
『リリアン』において、語り手が非常に重要な役割なのは言うまでもないだろう。最初はただストーリーテラーとしてそこに存在するのかと思いきや、シロの最期が近くなってそうではなかったことに気付かされる。語り手はずっとリリアンを見守り続けて、リリアンの中に芽生え始めた感情を見つめていた。
その正体は明かされることはないし、考察が分かれるところだと思う。リリアン自身かもしれないし、そうではない妖精のような存在なのかもしれない。ただ語り手との会話の中でリリアンが自分を見つめ、自分の感情と向き合い、最後にシロときちんとお別れができるようになったのはたしかだ。
「夜は誰でも、自分と対話するんだ」。
この台詞が自分の胸にすとんと落ちてきたのを覚えている。
「君はどんな顔でぼくと別れる?」
限界が近くなったシロの優しい問いかけ。リリアンが訪れた時には真っ白だった家の壁には、空があり、四季があり、花が咲き乱れ小鳥が歌い、虹がかかっていた。シロはリリアンの心に感情を呼び覚ます水を注いでくれたけれど、リリアンもまた、シロの心を優しさで包んだのだ。唯一無二の友だちとの別れを前にリリアンは狼狽する。けれどシロに問いかけられ、リリアンは微笑むのだ。作中随分と柔らかい表情になったリリアンが初めて見せる笑顔に見送られ、シロは眠りにつく。
眠るシロを見つめながらリリアンは語り手と言葉を交わす。人間はいつもこんなことを繰り返しているの、と問いかけるリリアンはシロの前で精一杯虚勢を張っていたのだとわかる。最後の最後、笑顔でお別れをしたかった。その一心で見せた笑顔はいまは深い悲しみに沈んでいた。人間は強いね、と呟くリリアンに語り手はそうかな?と返す。
「強いよ!
…
だって、シロが強かった」
作中大きな声など出さないリリアンが唯一叫ぶこの場面。シロとの交流で少しずつ、少しずつ変わってきたリリアンが"変わった"と自覚した瞬間だと思っている。だからこそ空へ見送ったシロも一緒に家を出てまた歩き出したのだと思う。
少しの寂しさが残るけれども心は晴れやか。雨上がりの空に虹がかかるような、そんな作品だ。観終わった後には清々しい感覚だけが胸に残って、なんだか世界が綺麗に見えた。
〈『リリアン』(2022ver)公演情報〉
※敬称略
製作:ベニバラ兎団
公演期間:2022年2月12日〜2月20日
会場:東京 下北沢『楽園』
演出・プロデュース:IZAMANIAX
脚本:川尻恵太、野沢トオル、白鳥雄介
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