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ひろか
2022-09-26 19:44:16
18496文字
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観劇録
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*観劇録*『スター誕生』感想と考察。
ミュージカル座『スター誕生』(2022年ver)の感想と考察。※以前noteに上げていたものと同一のものです。
⚠︎内容に関するネタバレ・深読みを含みます。
*観劇録*『スター誕生』(2022年ver)感想と考察。
⚠︎内容に関するネタバレ・深読みを含みます。
〈あらすじ〉
※敬称略
1970年代の日本。
当代の大物作曲家・松沼先生(演・松原剛志)の作曲アシスタントを務めていたぎっちゃん(演・西村ヒロチョ/髙畑岬)は、スター発掘番組「スター誕生」で王者に輝いた小川百合子(演・大胡愛恵/花房里枝)と出会う。
スターを目指す新人歌手の朝比奈ミキ(演・谷一葉/伏木結海)や愛原ゆうや(演・野間理孔/本間隆展)、デビュー曲が大ヒットし一躍スターになった女性デュオのわさび(ミーちゃん:演・矢島美音/熊田愛里、ハーちゃん:演・万葉/秋山みり)、4年ぶりの紅白出場に賭ける演歌歌手の松みどり(演・会川彩子/福島桂子)。松沼先生のもとには「ヒットを飛ばせる曲」を求めて多くの歌手たちがやってくる。ぎっちゃんは大忙しの松沼先生のアシスタントとして昭和歌謡の黄金期の裏舞台を駆け抜けながら、スターの階段を駆け上がる百合子を見守り続けていた。すべては順調に進み、今年の歌謡賞・新人賞は百合子で確実だろうと目される中、百合子のとある秘密が公になってしまい・・・。
煌びやかな昭和歌謡の世界の舞台裏はコメディだった!?
今年の歌謡賞は一体誰が手にするのか!?
その年のヒット曲はみんなが歌えたあの時代。二度と戻ることはない昭和歌謡の黄金期を、ぎっちゃんが百合子との思い出とともに回想する。
〈感想と考察〉
この作品は月組と星組、ダブルキャストで上演されていた。
私が観たのは星組の公演。配役は以下の通り。
〜スター誕生2022 星組配役(※敬称略)〜
ぎっちゃん(中井義一)・・・髙畑岬
小川百合子・・・花房里枝
松沼先生・・・松原剛志
花山千寿・・・実羚淳
秋紗奈江・・・鎌田亜由美
松みどり・・・福島桂子
井川ヤスシ・・・高野絹也
ミーちゃん(鈴木美智子)・・・熊田愛里
ハーちゃん(田辺春子)・・・秋山みり
愛原ゆうや・・・本間隆展
とくらはなみ・・・白鳥光夏
朝比奈ミキ(後藤順子)・・・伏木結海
オリちゃん・・・みづ乃奈央
岡ピー・・・幸村吉也
こんなに面白いなら月組も観に行けばよかった・・・!というのが観劇好きの本音。
複数キャストさんがいらっしゃる舞台って演じる方によって本当に見え方が違うからできれば全パターン観に行きたいのだけど、主に金銭面の諸事情あって今回は星組だけ観に行ったのである。結果、多少金銭的に無理をしてでも月組も観ればよかったくっそ〜と思っている。次があれば絶対両方観に行く。
◆ぎっちゃんと百合子のこと(前半)
まず、小川百合子を演じた花房里枝さんの圧倒的ヒロイン力に目を奪われた。
ぎっちゃんの語りの中で「予選から審査員の注目を集めていた」と語られる彼女が舞台の中央に立った時、本当にぱっと目を惹きつけられていた。それくらい彼女は魅力的だった。白いワンピースがよく似合う、きらきらした瞳と薔薇色の頬。おとぎ話のプリンセスのような彼女が歌い出した時、私は既に小川百合子という少女に心を奪われていたのだと思う。
まさに“スター誕生“。
そう思わせる魅力が花房さん演じる小川百合子にはあった。
とはいえこの時点では百合子はスターを目指す切符を手に入れた少女にすぎない。
ぎっちゃんは「偉い人たちの中で浮きがちな自分にわざわざ声をかけてくれた(意訳)」と百合子との初対面を回想していたけれど、個人的には“小川百合子“という名前が地味だと言われた時にぎっちゃんだけが「僕は好きですけど」と口を挟んでくれたのが百合子にとっては大きかったのではと思っている。たった一人業界に飛び込んで心細くないわけがない。ひたすら「地味」との評価をされて肩身狭そうにしている姿は、ステージ上のきらきらした姿とは打って変わって普通の女の子だった。
ここの変わりようもすごいなぁと思った。百合子が持つ可憐さや純情な感じは全く変わらないのに、スター性を感じるところ・・・いわばアイドルとしての百合子とただの少女としての百合子の差がちゃんとわかるのがすごくいいなと。このあと百合子はスターへの階段を駆け上がっていくことになる。でもぎっちゃんと二人で話す時にはスターではなくごく普通の女の子のままでいられているように見えて、それがあの時「僕は好きですけど」の言葉がどれだけ百合子の心を救ったかを表しているような気がした。この物語はあくまでぎっちゃんの回想だから語られないけれど、その大きさは百合子の「よろしくねぎっちゃん」が「僕は業界の人が大っ嫌いです」と呟いたぎっちゃんの心に光を灯したのと同じくらいだったんだろうな。
だからこそとくらはなみの歌を聴きに行った後の二人のやりとりは見ていて微笑ましくてほっこりした。
ヒットを出すことを目指す自分たちがいる世界と、「歌は人生です」と語りたとえ聴いてくれる人が一人であっても歌いたいものを歌うと言ったとくらはなみの世界。どちらに本物の歌はあるのかと頭を抱えるぎっちゃんの姿はまさしく夢の途中で悩める真面目な青年だった。ここまでは百合子との対比で結構ぎっちゃんが大人に見えていたのだけど、その姿を見て彼らが道は違えど同じ“歌“という分野で夢を目指す同志でもあるのだということが明確にわかった。ここのぎっちゃんと百合子の会話がすごく好き。
「君はどっち?ヒットを出したいのか、いい歌が歌いたいのか」
「どっちも」
「おっ、君を愛する百万人のために?」
「あるいはもしかして、たとえ百万人が私を愛してくれなくなったとしても、私を愛してくれるたった一人のために」
ここの「君を愛する百万人のために?」の言い方がちょっとだけ茶化すようででも優しいから、心の底で百合子がスターになることを応援しているんだなっていうのが伝わってきた。だからこそ百合子の返答を聞いた時、さっきまで悩んでいたぎっちゃんは途端に答えを見つけたかのように晴れやかな顔になるのだ。
「つくろう」
「なにを?」
「本物の!」
「本物の?」
この「なにを?」「本物の?」の百合子がかわいいんだ・・・。
ぎっちゃんの楽しそうな表情もとてもいいんだ・・・。
※ちなみに百合子はずっとかわいい。
こんな二人の可愛らしいやりとりから始まる『すべてを歌に』は、名曲揃いのこの作品の大きなテーマソングだと思う。
個人的な話になるけれど、歌は私にとってかなり身近なものだった。だからこの曲の歌詞にある「歌は何のために 誰かを励ます」「歌は何のために 涙を乾かす」がすごく言い得て妙だなと感じたのだ。歌でおなかは膨れないけど、心はたしかに満ちるというか。歌とは私にとってそういうものだったから。
あとこの曲のコーラス部分がとても好き。きれい。
そして、それこそがぎっちゃんが求めていた「本物の歌」なのではないかと。
どんな感情でも音楽と言葉に乗せられる、そして誰かの力になって胸に響くもの。ぎっちゃんは百合子とのやり取りを通してその結論に辿り着いたのかなと思う。
「その胸に」で百合子に胸をちょんってされて笑顔を見せるぎっちゃん、完全に百合子に恋していたなぁ。恋していた、というと語弊が生じるけど、この時点ではまだ普通の女の子である百合子に対して既にあこがれというか、眩しいなって感情を抱いていそうなのは感じていた。それは百合子自身の愛らしさやスター性だけに起因するものではなくて、声をかけてくれた百合子の優しさ、何より彼女とのやり取りの中でぎっちゃんが自分にとっての「本物の歌」を見つける糸口になったことも影響しているのかなって。恋というよりも崇拝に近いものだったのかもしれない。でも恋でも崇拝でも説明のつかないその感情は、やっぱり「あこがれ」という言葉が似合う気がする。
そしてこの予感は物語終盤できれいに回収されることになる。
二人についての感想と考察、続きは記事の後半で。
◆作品の形式と“テレビっ子“オリちゃんの存在意義
ところでこの作品のタイトルにもなっている「スター誕生」というのは1970年代に実際放送されていたテレビ番組なのだそうだ。
いわゆるオーディション番組で、スターを目指し全国からやってきた参加者がそれぞれのパフォーマンスを披露する。芸能事務所のプロデューサーなどはそのパフォーマンスを見て、うちに欲しい!と思ったら手元のプラカードを上げる、という形式だったらしい。
この作品、面白いのはあくまでこの形式に則って物語が進んでいくところだった。
舞台後方に演者分の椅子が置かれていて、傍らにはプラカード。物語の要所要所でこのプラカードが上がる演出は他に見たことがないものだった。
その演出をするためにというべきか、もうひとつ特筆すべきは約2時間の上演中、役者がほとんど舞台上にいるということである。セリフがある人やその場面においてメインでお芝居をしている人はどの舞台でも舞台上にいるけれど、スタ誕ではその他の役者さんもみんな基本的に舞台上にいる。先述の椅子に座って観客と同じように舞台中央で行われる物語の行く先を見守り、コーラスを入れたりその場で楽器を鳴らしたり。こういう作品は本当に観たことがなかったので新鮮で面白かった。
これは完全なる印象なのだが、後ろに座っている役者さんたちは「役者であり観客」だったような気がする。その瞬間舞台上に立っている役者としての立場は決して崩れることはないのだけど(それってすごい精神力だと思う)、観客と同じように物語の行く先を見守っている感じがして。かと思えばその間もやっぱりご自身が演じる役を貫いていて、でもふとした瞬間に役者さんご本人の顔になるというか。結構役者さんの年齢層や芸歴に差があるカンパニーだったと思うのだけど、それゆえに大御所の方々が若い役者さんの演技を本当の親御さんのように見守っているように見えたり、反対に若い役者さんたちが大御所の方々のお芝居を食い入るように観ていたり。複数回観たのでこのあたりも見ることができたのがとても印象に残っている。
その視線が一気に客席に来た、と感じたのが、作中唯一業界人ではない“テレビっ子“ことオリちゃんが歌う『ファンレター』の場面。
オリちゃんはプラカードが上がらないなりに事務所に所属が決まり、個性について悩んでいる愛原ゆうやのファンで、彼が芸名やコンセプトを変えて苦戦し続けるのをテレビの前で見ていた。そんな彼女が愛原ゆうや(この時は矢吹ひろし)に宛ててファンレターを書くこの場面、客席にいた人間はきっとみんな胸を打たれたと思う。だって客席にいたのは舞台上の誰かのことをすごく応援している人たちだと思うから。少なくとも私はこの場面で毎回泣くほどオリちゃんの気持ちに共感してしまっていた。
たとえあなたがうまく行かない時でもあなたを応援している人がいる。
少なくともたった一人はここにいることを忘れないで。
一生懸命応援するから、一生懸命そこに立ち続けてほしい。
きっと会うことはないその人にただそれだけを伝えたい気持ちは、誰かを応援している人なら絶対にわかってしまうと思う。
そしてオリちゃんが歌う声が優しくて、ただ一途に色々うまくいかない彼のことを想っているのが痛いほど伝わってくるからそれにも涙。ファンにできることって本当に限られてて、当時なんてSNSがない分いまよりももっと限られていたのかなと思う。だからオリちゃんが一文字一文字にどれだけの想いを込めて書いているのかが歌にのせて伝わってくるからもう・・・。
私は私で静かに号泣していたけれど周りの人も泣いていたように感じた。そんな周りの方々にも共感してまた泣く私。わかる。そうだよねぇ。
オリちゃん、という役の存在意義はここにあったと思う。
スタ誕の登場人物はほとんどが芸能関係者だ。百合子に代表される芸能人たちの他、裏舞台で芸能界を支えている作詞家・作曲家・歌の先生・プロデューサーと名を連ねていく。この中ではぎっちゃんがかなり私たち観客に近い立場だけど、彼も立派な芸能関係者だ。この作品の中で唯一芸能界を外側から楽しむ立場の人間、それがオリちゃん。後ろに座っている間もずっと何かもぐもぐしながら物語を見守っていて、オリちゃんがいるその場所だけものすごくお茶の間感が漂っていた。
客席と舞台上というよりもブラウン管の向こう側とお茶の間。
普段の観劇とはちょっと違う感覚だったのはそれが大きな理由の一つだったと思う。もちろん昭和歌謡の世界を扱う作品だったからというのもあるだろうけど、思うにオリちゃんという客席と舞台上で繰り広げられる昭和歌謡の世界を繋ぐたった一人の存在が影響していたのではないだろうか。客席にいる私たちはあくまで観客、舞台上で繰り広げられる物語を“物語“として観ている。それはどの舞台も変わらない。ただ、登場人物たちと同じ時代をリアルタイムで生きている、かつ観客である私たちと同じようにエンターテイメントを楽しむ立場のオリちゃんが間に入ってくれたことで、スタ誕の世界にある種のリアルさが生まれたのではないだろうか。
言い換えれば、本来なら観客は「舞台上で」繰り広げられている「テレビの話」を観るというように二段階くらい踏んで作品を観るはずだったのが、オリちゃんを通して「舞台上で」というところを擬似的にカットして観ることができていたのでは?
あくまで個人的な感覚の話だけれどそんな感じがして、そのリアル感ゆえに作品により一層のめり込めたのではないかと思う。
で、この場面ね。歌っているオリちゃんとファンレターを読んでいる愛原ゆうや以外は全員後ろの椅子に座っているんだけど、この場面だけ役者さんたちの視線が舞台中央じゃなくて客席に向いていたような気がして。さらに言えばこの場面だけは演じている役ではなくて役者さんご本人だったような気がして。気のせいかな。
前述の通り私はこの時大泣きしているので、舞台上から反応を見られている感覚がちょっとばかり、いやかなり恥ずかしくもあった。だけどこちらを見ている役者さんたちはみなさんすごく優しい顔で、客席の方を見ていない役者さんも客席の方に耳を澄ませている感じはあったので、オリちゃんが私の気持ちを代弁してくれているような気持ちになると同時に、オリちゃんを通して舞台上の役者さんたちが私たちの気持ちを受け取ってくれているような、そんな感覚になった。
ここで全員(オリちゃん・愛原ゆうや・ぎっちゃん以外)のプラカードがすっと上がるのもいい演出だったなぁと。完全に深読みになっちゃうけど、それが舞台上のみなさんから客席への、あるいは客席にはいない「彼らを愛する百万人」への返答なのかなぁ、なんて思った。
(ぎっちゃんがプラカードをあげないのは、おそらく後ろで見ていた中で唯一ファンがつく立場の役ではないからだと思う)
◆各登場人物について
登場人物が多い作品なのにちゃんとそれぞれの物語が描かれていたので、各登場人物について感想をちゃんと書きたくて。本当に魅力的な登場人物ばかりなのです、このスタ誕。
ぎっちゃんと百合子については物語上触れるし、オリちゃんのことはさっき大きめに書いたし、松沼先生については後で考察するので、それ以外の人について簡単にはなるけれど感想をまとめようと思う。
岡ピーには最初業界の偉い人特有の高慢さを感じていた。それはちょうどぎっちゃんが「業界の人間が大嫌い」と言う裏付けのような立場だったと思う。けれど物語が進んでいくにつれて彼の人間性が滲み出てくると、岡ピーの優しさが垣間見えてくるのが素敵だった。「キャンディーズに続く女性デュオを作りたい」「いずれは世界進出させたい」そんな野望を抱いてわさびの二人に接しているはずなのに、彼女たちに対して父親のような愛情を持っているのが伝わってくる。そんな人が悪人なわけがなくて、だからこそわさびが解散を決めた時に「それぞれの山に登ろう」と歌って背中を押してくれるのがかっこよくて。最後にぎっちゃんの語りの中でミーちゃんにプロポーズした時の照れたような表情がダンディかつ愛らしいなと思った。
千秋楽後に似たようなことをTwitterで呟いたところ、演じられていた幸村吉也さんから「前半はぎっちゃんとの対比のために業界人のいやらしさを出す役作りでした」とのお返事をいただいた。なにも知らずに見ていて役作りの意図の通りに感じていたのか・・・!と思った。役者さんってすごい。
わさびの二人はデビュー前から解散までの流れがまさに彗星のようで、当時のお茶の間を賑わせたんだろうなと自然と思った。もしも当時テレビに張り付くような小さな女の子だったら、絶対に好きになっていたと思う。『わさび』も『カレーライス』もキャッチーでポップで真似したくなるもの。そしてハモリがとてもきれい。星組verはハーちゃんが上、ミーちゃんが下パートだった気がするけどあってるかな。
明るく元気なハーちゃんと、知的できれいなミーちゃん。この二人の対比がとてもきれいだったと個人的には思う。それはデュオとしてのキャラクターももちろんだけどどちらかというと仕事に対する向き合い方や本人の生き方の対比の話で、自由奔放なハーちゃんと真面目なミーちゃん、二人が彼女たちらしく生きていくにはやっぱり解散するしかなかったのかなと思う。でも解散する時は二人とも晴れやかな顔をしていたし、ぎっちゃんの口からコンビ復活が語られたあたり、違う道を選んだけれど二人で一緒にスターを目指した仲の良さは本物だったんだなぁと感じた。
朝比奈ミキ、いや、ここは敢えて本名の後藤順子と呼ばせてほしい。出てきた瞬間王道アイドルだった彼女は役柄的には明確に百合子のライバルポジションにくる子なんだなと思った。ただ物語を追っていくと百合子とのあからさまなライバルとしての印象よりも、悩みつつも自分の道を自分で切り拓いていった強かな女の子としての印象が強く残った。百合子のライバルというポジションに隠れてそういうところの対比の意味合いもあった子なんじゃないかなぁと思ったりしている。そう考えるとアイドルとしての芸名・朝比奈ミキよりも、本名の後藤順子の方が彼女には似合う気がするのだ。
見た目もさることながら歌声もハイトーンで、百合子がお茶の間に愛されるアイドル・わさびが女の子たちを中心に人気を博すアイドルなら、ミキは男性受けするアイドルの路線だったのでは。そんな彼女が松沼先生と関係があるのはなんだか妙にリアルだった。とはいえ『一番好きなこと』とかを聞いていると、彼女はただ純粋で素直で、自分に正直な子なんだと思う。そのピュアさが彼女の人気だったと思うし、その反面結局自分でアイドルの引退、一番好きなことを見つけて成功している姿が一人の女の子としてめちゃくちゃかっこよかった。
きっと芸能界にいる人にとって自分の個性と向き合うというのは最重要課題だと思う。この作品はあくまで昭和歌謡の世界の裏側を描いたものだから、愛原ゆうやの迷走具合はその辺りをよく表していて滑稽なんだけど応援したくなってしまった。個人的にはオリちゃんと同じく『まじめな男の子』時代の彼が好きだけど、その後どれだけコンセプトや芸名が変わっていっても決して失われない彼の真面目さは間違いなく彼の個性だったのだと思う。そうやって真面目に自分の個性について模索し続けたからこそ、時間はかかったけど彼もまた人気者になれたんだと思う。作中のコメディ要素の多くを担っていたけれど、彼は真面目に頑張る多くの人に勇気を与えうる役なのではと思った。
コメディ要素といえばとくらはなみもまたその部分を大きく担う一人だった。
シンプルに存在感があって、彼女が出てきたら笑えばいいのか圧倒されればいいのか・・・とにかく、スタ誕の中で一番のインパクトを残していった彼女。ただ彼女の在り方を“コメディ要素“と言ってしまうのはなんとなく気が引ける。本当にめちゃくちゃ笑ったのでコメディ的にも大優勝だと思うんだけど。でもそれ以上に「歌とは人生です」と語り「たとえ聞いてくれる人が一人でも私は歌う」と言い切ったとくらはなみはすごくかっこいい女性だった。あの服装と彼女の歌う『恨み節』の歌詞からして、過去に何があったのかものすごく気になる。
一つ思うのは、ムーミンショック(後述)真っ只中のぎっちゃんにとって彼女の存在は大きかったなと。あの場面はぎっちゃん的には本当につらい場面のはずなんだけど彼女がいてくれたことで面白くなるし、一緒に世の中全てを恨んでくれる彼女の存在、思い切り沈める場所があったからこそぎっちゃんが持ち直せたと思うので。
スタ誕は劇中歌がとにかくどれもよかったの。特にお気に入りになったのが作詞家である秋紗奈江先生が歌う『手を繋いで』。単純に曲のコンセプトや旋律、女性がメインを歌って男性四人のコーラス、という構成が好みだった。でもそれだけじゃなくて、秋先生がこの曲を書いた想いに胸を打たれた。
ヒットを出すことが重要視される業界で歌を作ることは、やりがいや名誉を感じることだと思う。一方でテレビサイズ、という言葉が表すように一曲の完成形がテレビなどで披露される機会はあまりなく、それでは一曲が一曲として完成しない、自分の作品を中途半端な状態で世に知られてしまうことへの葛藤。『手を繋いで』は秋先生がそんな葛藤の中で「作詞家の抵抗」として書いた曲で、その姿勢がまずかっこいい。作詞家という自分の仕事にすごく誇りを持ってるんだなと思った。
そしてその葛藤はぎっちゃんが「本当の歌はどっちにあるんだ」と悩んでいたことに対する一つの答えの形だと思った。若かりし秋先生もきっとぎっちゃんと同じように悩んだ末に本物の歌は私が作る、私が世に出す、という結論を出して今に至るのかなと。秋先生のすごいところは悩み葛藤する中でも着実に名前を上げ、評価される土台を作ってから作詞家の抵抗として『手を繋いで』を書いたところ。「誰に歌わせる?」「あたしが歌う!」は思わずクスッとしてしまう場面であると同時に、ものすごく納得のいくセリフだった。私もこの曲は秋先生の曲であって欲しいな。
登場した瞬間から背筋がピシッと伸びた美しさで目を惹いた花山千寿先生。
歌の先生という役柄と見た目、百合子にかけていた「ビシバシいくわよ」という言葉からかなり厳しい先生なのかなと思っていた。だけど厳しさよりも優しさを感じる場面が多くて、松沼先生をはじめとした業界の大人たちとはちょっと違う立場からスターを目指す百合子たちを見守っているように見えた。わさびの二人の体を心配しつつレッスンしたり、コンセプトをコロコロ変えて苦戦する愛原ゆうやのことも決して見放さずに指導したり、生徒と歌への愛があふれる本当に素敵な先生だった。
(ちょっとだけ私が師事していた歌の先生に似ていたので歌の先生ってみんな素敵だなぁと思うなどしました)
そして絶大なインパクトを残す花山先生のタキシード姿。あまりにかっこよくて毎回惚れ惚れしてしまった。それまでは歌の先生としての姿しか見えていなかったけれど、彼女が歌の先生になった背景にもタキシード姿で男役を演じるような活躍があったのかなぁと。タキシードを着ている時のかっこよさと、歌の先生の時の柔らかさ、どちらもとても魅力的で素敵だった。
全編通して楽しくてたくさん笑いどころのあるこのスタ誕、私が毎回涙ぐんでしまったのは三ヶ所。一つは前述の『ファンレター』の場面、二つ目はぎっちゃんと百合子のクライマックスシーン、そしてもう一つが演歌歌手の松みどりと彼女の夫兼マネージャーである井川ヤスシの場面だった。
この夫婦も出てくるたびに本当に面白くてたくさん笑わせていただいたのだけど、その中にも二人それぞれの苦しみが見え隠れしていたのがすごいなぁって。最初は「ヒットを出して紅白に出たい、出したい」っていう思いが前面に出ていて面白かったけれど、二人のやりとりを見ていく中でそれがただの欲ではないことに気付かされた。みどりさんは美空ひばりさんへの憧れがあって、その憧れと自分の状況の間で苦しんでいた。一見わがままに見えるみどりさんの言動の裏には美空ひばりさんへのリスペクトと憧れがあった。ヒットを出すためにこだわりに折り合いを付けなければならないのは理解していても妥協はできない苦しさの中でもがいている姿がつらくて。一方のヤスシさんは彼女を愛する気持ちの強さゆえに夫の立場とマネージャーの立場の板挟みになっているのが苦しかったと思う。歌手としてのみどりさんも妻としてのみどりさんもどちらも愛していたから、彼女の夢を叶えるためにサポートはなんだってしてあげたかったのだろう。そのためにはみどりさんのこだわりをすべて通すわけにはいかなかった。ヤスシさんの行動はマネージャーとしてはたしかに正しかったと思う。でもそれがみどりさんを追い詰めている、というすれ違いがここの夫婦は本当にしんどくて。みどりさんが人殺し、と泣き崩れた時に「大切なのは何よりも君なんだ」と歌うヤスシさんは本当に愛情深い人なんだと思う。みどりさんの「そういう歌が歌いたかったのよ」は、そのままの意味にもとれるけれど、ヤスシさんに歌手・松みどりではなく、一人の女性・松みどりとして言葉をかけて欲しかったということでもあるような気がした。その言葉を聞いたみどりさんが歌う曲を変えることも歌う順番を変えることもなくパンダのマーチを歌いに行くところからも、本当にその言葉だけでみどりさんは立ち上がれたんだなと思った。同時にこの場面にはみどりさんの歌手としての並々ならぬ誇りを感じた。そんなみどりさんに大丈夫なのかい、と声をかけるヤスシさんが優しくて。衣装の色がひばりさんと被ると嫌だから、という覚悟のようなみどりさんの言葉を聞いて「何着でも持って行きますよ!」と言うこのやりとりに、お互い大切で愛しているのにすれ違ってばかりだった夫婦がようやく和解したのを感じて、そして二人の間の優しい気持ちに触れて毎回ぼろぼろ泣いてしまった。『パンダのマーチ』、可愛くて面白い曲なのにここはどうしても感動してしまうのよね・・・。
とにかくどの登場人物にも物語がちゃんと描かれていて、それを役者のみなさまが丁寧に演じているのが本当に素敵でした。みんな大好きになれる。
舞台作品を観る上で登場人物全員に登場する理由があるっていうのが個人的にとても重要なポイントなので、そういう意味でもスタ誕は花丸満点でした。
◆劇中歌がどれも良い
劇中歌がどれも素敵だったのがこの作品の一番のお気に入りポイント。
冒頭で歌われる主題歌『スター誕生』は業界の煌びやかさを表現するのにぴったりの曲で百合子の歌声も堪能できるし大好きなんだけど、クライマックスシーンのぎっちゃんのリプライズで一人の青年の心の声になったり、一番最後にぎっちゃんがリプライズで歌ったところが百合子からぎっちゃんへの言葉になったりするのがいいなと思っていて。まさに主題歌で本当に好き。好きゆえに一公演電車が止まって開演に間に合わず、冒頭見られなかったのが悔やまれる。
個人的には百合子が歌手デビュー前にドラマで歌う『生まれたわけ』、百合子のライバルの朝比奈ミキが松沼先生やぎっちゃんと歌う『一番好きなこと』、作詞家の秋紗奈江先生が作詞家の抵抗として歌う『手を繋いで』がすごく好き。『生まれたわけ』や『一番好きなこと』は今後生きていく上ですごく大事にしたいなと思ったし、『手を繋いで』は先述の通り秋先生の歌や作詞への想いとプライドが感じられて好き。
敢えてあげるとするならこの三曲かな。
でも本当にどの曲もとても良くて、『すべてを歌に』とか『わさび』とか本当に大好きで頭の中でずっとリピートしている。歌詞と音源が欲しい。
あと花山先生がタキシード姿でバチッと決める『ニッポン歌謡曲ブギ』はこの作品の大きな見どころだと思う。かっこいいし、なによりこの曲の歌唱シーンがすごく楽しかった。スタ誕を観るまで昭和歌謡にはほとんど触れたことがなかった身としては昭和歌謡の変遷がわかるのがありがたかった。劇団四季の『ミュージカル李香蘭』の劇中歌『すべては終わった』に近しいものを感じる。好き。
言わずもがな百合子のデビュー曲『君へ』も大好きなんだけど、この話は後述。
◆ぎっちゃんと百合子のこと(後半)
話は戻ってぎっちゃんと百合子に。
百合子は順調にスターへの階段を駆け上がっていく。そう語るぎっちゃんの顔が本当に優しくて、ぎっちゃんにとって百合子が変わらずに大切な存在なのがひしひしと伝わってきた。二人についての前半の感想でぎっちゃんが百合子に向けている感情について、恋でも崇拝でも説明のつかないその感情はやっぱり「あこがれ」という言葉が似合う気がする、と書いたけれど、その気持ちを持ち続けているのが一途でいいなぁと。スターになって遠い存在になってしまってもずっと見守っているのが舞台の隅の方から百合子を見つめる眼差しからわかる。付き合っている人がいると明かした百合子が自分は清純ではないと口にした時、「君は清純だよ!」と慌てて言うところにも百合子への恋心にも似た憧れを感じた。その結果百合子のお付き合いの相手が松沼先生だと知ってしまうムーミンショックが勃発するので、この辺りはぎっちゃんの一途さがまったく報われなくて哀れだったんだけど(そしてとくらはなみとの『恨み節』でひと通り笑う私)。
松沼先生と百合子の関係が世間に露呈したとき、正直私は百合子に対して一ミリも同情できなかった。そりゃあ妻子がありながらいろんな女性と不倫関係にあった松沼先生は間違いなく女性の敵なんだけど、百合子だって松沼先生に妻子があるのは当然知っていたはずで。その上で関係を持った時点で百合子も悪い。だからどれだけ松沼先生に裏切られてショックでも自殺に逃げちゃだめだったと思う。追い詰められていたとはいえ百合子はこの辺本当に自分のことしか考えてなくて観ていて怒りさえ覚えるほどだった。
それだけに百合子を必死に匿って明るく声をかけ続けていたぎっちゃんが昏睡状態の百合子を見つけてからとった行動には、いやいやいやと突っ込みを入れたくなった。だってそんなのぎっちゃんが報われなさすぎる。「僕は無名ですし独身ですからなんと書かれても構いません」じゃないんだよ。もう少し自分のことも考えてくれ。そして松沼先生も「そういうストーリーで行こう」じゃないんだよ。
だけど目覚めた百合子にぎっちゃんが秘密を打ち明けたとき、すべての辻褄が合ってしまった。
百合子が自分のものにならなくたってよかった。
自分の行動や想いが報われなくたってよかった。
ただ、百合子が明るい場所で笑って、歌ってくれさえすれば。
ぎっちゃんはそれだけでよかったのだ。
実は1回目の観劇で百合子がデビュー曲として『君へ』を歌った段階で作曲者が松沼先生ではなくぎっちゃんだということは薄々察せていた。内容的に作詞もぎっちゃんなんだろうなと勘づいてはいたけれど、すべてを知った上でもう一度観た時、私の中でぎっちゃんの表情や行動のすべての辻褄が合ってしまったのだ。彼の行動はまさしく百合子を守る騎士そのものだった。だからぎっちゃんは誰にも何も求めることなく百合子をそっと見守り続けていたんだ。
驚いた百合子になぜ、と問いかけられたぎっちゃんの「もちろん、君のデビュー曲には松沼先生の名前が必要だからだよ(意訳)」という返答があまりにも純粋で優しかったのが上記のように思った決め手。自分が書いた曲が松沼先生の名義で世に出されることを当たり前のように受け止めているぎっちゃん。他の曲について「松沼先生が書いたから一流の歌手が歌ってくれた」と話すのもまた彼の本心であり事実だと思うけれど、『君へ』は百合子を想って書いたぎっちゃんにとっても特別思い入れのある曲だったはずだ。松沼先生は忙しいのに仕事を断らない、だからアシスタントが作曲したものも世に出しているというのはぎっちゃんのなかで当然だったのかもしれないけれど、『君へ』に関しては話は別だったと思う。だけど松沼先生の名前が百合子のために必要だから、という理由で『君へ』を松沼先生名義で出すことを受け入れていたのだ。それが騎士としては当たり前の行動だったのだろう。少なくともぎっちゃんにとっては。
(そんなぎっちゃんの純粋な想いを「あの曲は僕から君へのラブレターだ」とか言って百合子を口説いていた松沼先生、許すまじ。)
すべてを知った上で観てみると、ここでぎっちゃんが作ったと明かされた曲が作中で歌われているときのぎっちゃんの表情が明らかに違う。百合子のことはともかく松沼先生の不倫については気づいているような描写があったぎっちゃんだけど、作曲家としての松沼先生のことは本気で尊敬していたのだろう。自分が作った曲が松沼先生名義で出されるということは、もし世間に受けなければ尊敬する松沼先生の顔に泥を塗ることになる。ぎっちゃんの顔にはそんな緊張が走っていたように見えた。それが『生まれたわけ』と『君へ』を百合子が歌うときには、曲のことよりも百合子への心配が上回っているような顔をしていて、大体一番を歌い切ったあたりで安堵したように笑っていた。ぎっちゃんはずっと、ずっと、百合子の騎士であり続けていたのだ。百合子本人には「松沼先生を守るため」と言っていてそれも嘘ではないだろうけど、ああ言うこともぎっちゃんなりの百合子の守り方だったのかなと思う。
そしてもう一つ。
ぎっちゃんは百合子を守るために彼女に嘘をついた箇所がある。
「君は無事だと伝えたら松沼先生はとても喜んでいたよ」。
このセリフがぎっちゃんの優しい嘘であることは、直前の松沼先生との電話の場面を見ていればわかることだろう。この電話での松沼先生とのやりとりはぎっちゃんが明確に松沼先生に失望した瞬間だと感じた。百合子が目を覚ましたことを伝え見舞いに来るかどうか尋ねても、松沼先生は自分の身が最優先。マスコミの前でスキャンダルを否定するしかないのはぎっちゃんだってわかっていたから目を瞑ったのだ。この電話中は取り繕う必要はなかった。それなのに松沼先生は百合子のことなど微塵も心配してくれなかったのだ。松沼先生はぎっちゃんが報われなくてもいいから命を捧げて守りたいと思った人を大切にしてくれなかった。この瞬間、ぎっちゃんは松沼先生に失望したのだ。
そして電話を切り、項垂れて病室まで戻る。けれどここで気持ちを切り替えて明るく百合子の前に現れ、そして嘘をついた。「君が無事だと伝えたら松沼先生はとても喜んでいたよ」と。たとえそれが真実でなくても、ぎっちゃんは百合子にこれ以上傷ついてほしくなかったのだろう。
そのことに百合子が気づいたかどうかはわからない。気づいていたから敢えて触れなかったのかもしれないし、松沼先生に裏切られたショックでぎっちゃんの声なんて耳に届いていなかったのかもしれない。だけど『君へ』が本当はぎっちゃんから自分に宛てられたメッセージだったと知った百合子がぎっちゃんの歌声を聞いて涙を流したのは、百合子の中でようやくぎっちゃんのこれまでの優しさの意味が見えたからだったのだと思う。
「この歌の意味がわかった」という百合子のセリフは、言葉通り歌に込められた本当の意味がようやくわかったということのほかに、ぎっちゃんがいままでずっと自分を見守ってくれていたことに本当の意味で気づいた、ということも含まれているような気がした。だから追い詰められて自殺を図り結果としてぎっちゃんに自己犠牲させた点については百合子に対してだいぶ怒っている私だけど、この場面での百合子の涙には純粋に心を動かされたのだと思う。あの涙は彼女のヒロイン性からきたものではなく、ぎっちゃんの想いに触れたことで自然と溢れてしまった涙だと思うので。
百合子は結局のところ、寂しい女の子だったんじゃないかと思う。
松沼先生が妻と自分以外にも複数関係を持っていることに勘づいているようだったのに関係を切れなかったのは、松沼先生に家庭では感じられなかった父性を感じていたから。スターにこだわったのは憧れや母親を助けたいのと同時に父親のいない家庭でお姉ちゃんとして育ったがゆえにたくさん寂しいのを我慢したから。誰からも愛されるスターになれば自分の抱えた寂しさや虚しさが埋められるんじゃないか、という思いも彼女の中にはあったんじゃないだろうか。だけどスターになっても松沼先生からの愛を受けても虚しさは埋まらなかった。そんな中でぎっちゃんのように気さくに話せる相手の存在はそれだけで大きな支えだったと思う。
もしぎっちゃんがコーヒーを溢さなかったら百合子はぎっちゃんに何を相談したのだろうか。わからないけれど相当信頼している相手にしか相談できない内容だったのはたしかだったと思うし、百合子は無意識にぎっちゃんのことを他の誰よりも自分の味方だと思っていたのかもしれない。それを自覚し、ぎっちゃんが自分に向けてくれていた大きな愛に気がついた時、百合子の心は初めて満たされたんじゃないだろうか。
スタ誕のクライマックスともいえるこの場面、ぎっちゃんと百合子の間にあった認識的な溝が埋まる場面だと思っている。ぎっちゃんが出会った時から手の届かない人だと表現していた百合子に手を伸ばし、百合子はぎっちゃんから向けられていた想いに気がつく。本当にいい場面だと思う。
この物語はあくまでぎっちゃんの回想なので、物語は歌謡賞の発表、ひいてはスターたちのその後について触れられるという形で幕を閉じた。百合子についてはスキャンダルで引退したと軽く触れられた後、一番最後にこう語られる。
最後に、小川百合子は引退後、僕と結婚して二度と芸能界に戻ることはありませんでした。
そう語られるだけなら収まるべきところに収まったなぁという気持ちになったかもしれない。けれどぎっちゃんが「僕にとってかけがえのないスターになったのです」と付け加えたこと、そして直後に歌われる『スター誕生』で百合子が「歌ってほしいあなたの声で」という歌詞を舞台端にいたぎっちゃんの手をとって舞台中央に誘いながら彼だけに向けて歌うことで、百合子にとってのぎっちゃんが「百万人が愛してくれなくなっても愛してくれるたった一人」になったこと、反対に「百万人がどう思おうと愛するたった一人」になったことを感じてこの結末にすごく納得できた。
このパートは百合子が昏睡状態になったときにぎっちゃんが眠る百合子に歌いかけた箇所でもあるから、『スター誕生』においてこの歌詞は作品のタイトルにもなっているスターという存在を示すものとして(オープニング)、たった一人(ぎっちゃん)が見守り続けたたった一人(百合子)に向けて(ぎっちゃんが歌う場面)、百万人に愛された彼女(百合子)がどんな時でも自分を見守ってくれたたった一人(ぎっちゃん)に向けて、と意味合いを大きく変化させていることになるのでは。そしてこの変化こそが「スター誕生」という作品の真の主軸なのでは、と思ったりする。
◆松沼先生からぎっちゃんへの心情の変化について
最後に触れておきたいのが、松沼先生からぎっちゃんへの心情についてだ。
先ほども少し触れたが、松沼先生とぎっちゃんの関係性は比較的良好だったと思う。
百合子が自殺を図った件でぎっちゃんは松沼先生に失望することになるけれど、松沼先生からぎっちゃんへは一体どうだったのだろうか。
松沼先生はあれでぎっちゃんのことを可愛がっていたように思う。アシスタントとしての信頼が厚いからこそとくらはなみのライブにも行かせたし、松みどりの新曲を作るときには「ぎっちゃん、歌詞をくれ」と求めたし、ことあるごとにぎっちゃんに任せたり意見を取り入れたりしている様子があった。ぎっちゃんも「業界の人が大嫌いです」と言っている反面、そこに松沼先生は含まれていないんじゃないかと思えるほど松沼先生を尊敬しているように見えた。
作中の松沼先生といえば、妻子持ちで(以下略)かつ保身のために相手のことは放っておいてしまうという人として限りなく最低な男だが、作曲家としては大物と呼ばれるに相応しい実力とこだわりの持ち主だったと思う。それを表現するための『どんぶらこ』『わさび』の作曲シーンであり、ぎっちゃんが百合子に松沼先生の作曲の仕方を話すシーンだった。あの場面があったからこそ松沼先生の凄さが伝わってきた。でもそれだけならただの天才肌でそれゆえに調子に乗ってハーレムしているという読みもできたけれど、秋先生が歌う『手を繋いで』の場面で松沼先生の作曲家としての誇りとこだわりを感じたからその読みはなし。秋先生の「作詞家の抵抗」を「支持するよ」と発言した松沼先生はやっぱり生粋の作曲家だった。
それに、愛原ゆうやに個性について尋ねられたときも、朝比奈ミキが将来に対する不安を吐露した時も、それぞれ物凄く説得力のある回答を出していた。あの回答はやはり松沼先生が“先生“と呼ばれるに値する人格を持ち合わせていなければできないものだと思う。
だからこそ松沼先生が、アシスタントが作った曲を私欲で出していたはずがないと思うのだ。
ぎっちゃんが「仕事を断らない人だから」と言っていたけれど、それは純然たる事実だったのだと思う。世間から見たらこの行為はゴーストライターそのものでも、松沼先生がその行為をよしとしていたかというとどうしてもそうは思えないのだ。仮に100%私欲でアシスタントの曲を使っていたのだとしても、作曲という仕事に誇りを持っている彼が世間でぎっちゃんの曲が評価を得るのを見た時、どんな感情を抱いたのだろうか。思うに相当複雑だったのではないかと思う。松沼先生は作曲家で、その仕事に誇りを持っている。曲が売れれば利益は自分に入ってくるけれど、その曲は実際は自分ではなくてぎっちゃんが作ったもので。一曲だけならまだしも、『生まれたわけ』『カレーライス』『パンダのマーチ』とぎっちゃんの書いた曲がヒットを飛ばし、『君へ』に至っては「松沼泰世最大のヒット」とまで言われてしまう。ここまで重なれば、アシスタントとして信頼し可愛がってきたぎっちゃんへの感情が嫉妬や憎悪に変わってもおかしくない。
そう考えると百合子との不倫が露呈してぎっちゃんが自分の身を犠牲にしようと言い出したときに「そういうストーリーで行こう」と言ったのは、保身以外の意図もあったのでは・・・と思えてしまってぞっとした。
これに関しては、松沼先生がぎっちゃんを可愛がっていれば可愛がっているほど根深いものになると思う。松沼先生もアシスタントが作った曲を世に出すにあたってアシスタントの曲の良し悪しは見ていたはずで、だとしたらぎっちゃんの腕に一定の信頼をおいていたはず。信頼を置いていたからこそぎっちゃんの曲を自分の名前で世に出し、その曲がヒットを飛ばすことに平常心ではいられなかったのではないだろうか。百合子を救いたい一心で自己犠牲を申し出るぎっちゃんを目の当たりにしたときに松沼先生の胸によぎったのは、スキャンダルによる保身よりなにより「将来的に作曲家としての自分の地位を脅かしかねない若い芽(=ぎっちゃん)をここで摘んでおく」ということだったのかもしれない。
ぎっちゃんと百合子の物語、そして昭和歌謡の世界。
このふたつが大きな物語の軸であった反面、私は『スター誕生』を「作曲家・松沼泰世の物語」と解釈することも出来るような気がした。
〈まとめ〉
『スター誕生』、2015年の初演以来ほとんど毎年上演されている作品のようで。
私が今年観に行ったきっかけは好きな役者さんが出演されていたからだったけれど、これは作品として何度でも観たいなと思った。これだけ書いておいてなんだが正直まだまだ考察し足りないところはあるし、せっかく役者さんが舞台上からほとんど捌けないという特徴的な形式だからもっと細部まで見たかった。
私はコメディはあまり観劇する機会が多くなく、観ても途中で少し飽きてしまうので(作品自体がどうこうというよりも単純に私の好みの問題)、こんなに最初から最後まで世界観に没頭できたコメディ作品は久しぶりだった。多分作品的にもだれない構成になっていたんじゃないかな。
とにかく最初から最後までずっと面白くて、劇中歌も好きだし役者さんの歌声も一流だなと感じたし、ただ楽しいだけじゃなくて物語としてもちゃんと深みがあって考察のしどころもいっぱいあって・・・2022年初観劇、とんでもなく素敵な作品に出会えてしまい多幸感でいっぱいです。
〈『ミュージカル スター誕生』※2022年ver 公演情報〉
※敬称略
製作:ミュージカル座
公演期間:2022年2月2日〜2月6日
会場:シアターグリーン BIG TREE THEATER
脚本・作詞:ハマナカトオル
作曲・編曲・音楽監督:久田菜美
演出:中本吉成
振付:隼海惺
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