ファルルはとてもご機嫌でした。りんご、りんご、おいしいりんご! 黄色くて丸くておいしいりんごを、幸せのしるしの素敵なりんごを、今日のおやつにとついさっき、買ってもらったばかりだからです。
「りんご、りんご! りんごっ、ふぁるるの!」
りんごを両手で持ちながら、小走りで宿へ向かいます。あんまり先に行くなよ、と後ろから声をかけられますが、宿はもう目と鼻の先なので、ファルルの足は止まりません。
宿に帰ったらこのりんごを、ファルルが選んで買ってもらった、特別おいしいこのりんごを、剥いてもらっておやつにします。たくさん蜜が詰まっていて、シャリッとした歯触りで、爽やかでおいしくて……、想像しただけでファルルの足は、勝手に早くなるのです。
そのせいで、最後の角を曲がってすぐに小さな犬がいたことに、ファルルは気づきませんでした。
「あうっ」
「キャン!」
慌てて避けようとしましたが、小走りのままぶつかってしまい、ファルルはたまらず尻もちをつきます。ぶつかってしまった犬の方も、鳴き声を上げて座り込み、くりくりした真ん丸な目をぱちぱちとさせています。
「う! いぬ、いたいないっ?」
ぶつかってしまった犬に駆け寄り、ケガをしていないか確かめます。ファルルよりも小さな体のふわふわの毛に覆われた、ポメなんとかという犬です。ちょっと笑ったような顔をして、赤い舌を出して座る犬に、どうやらケガは無さそうです。ファルルはほっと息を吐きます。
「いぬ、ぽめゆった、ふぁるる、わかる。ふぁるる、はしる、どんっする、ごめん……。ふぁるる、きをつける、はんせいゆった。ぽめ、ごめん。……ぽめ、なかなおり」
座ったままのポメなんとかを、ごめんなさいとよしよし撫でると、小さな犬は目を細めて、本当の笑顔になりました。ファルルも釣られてへにゃりと笑って、無事に一件落着です。
気を取り直して立ち上がり、ポメなんとかに手を振ると、宿へ帰ろうと歩き出します。
そうしてすぐ、自分の両手が空っぽになっていることに気づき、きょろきょろ首を回しました。
「りんご?」
さっきぶつかった拍子に、りんごを落としてしまったようです。くるりと振り返ってみて、ポメなんとかのすぐ傍にりんごが落ちていることに気づき、ファルルはぱたぱた走り寄ります。
「りんご、ふぁるるの」
りんごの匂いを嗅いでいたポメなんとかに声をかけ、ファルルは手を伸ばします。
すると、こちらを向いたポメなんとかが、突然大きな声を出しました。
「アンッ」
「う?」
伸ばしかけた手を引っ込め、きょとんと首を傾げます。そんなファルルの目の前で、ポメなんとかは笑ったような顔のままもう一度りんごの匂いを嗅ぎ、……にわかには信じられないことに、──りんごを齧り始めました。
「!? りんごっ、ふぁるるのっ」
「アンッ!」
「ぴっ?」
大慌てでりんごを拾おうとすると、もう一度吠えられ後じさりします。けれど、そんなことをしている間にも、りんごは小さなならず者に、シャリシャリムシャムシャ食べられていきます。
「りんごっ、ふぁるるの! ぽめ、わんゆう、めっ! りんご、ふぁるるのっ、ぽめっ、りんご……」
「…………ガルルル」
遠巻きにおろおろと非難すると、片足でりんごを押さえながら、さっきの笑顔をどこへやったのか、ポメなんとかが歯を剥き出しにし、低い唸り声を向けてきます。
「アンッ!!」
「ぴっ!」
一際大きな声で吠えられ、ファルルは慌ててすぐ後ろの曲がり角に身を隠します。
そうして恐る恐る角から覗くと、ファルルがじっくり選び出して、ファルルがおやつにと買ってもらった、ファルルのためのファルルのりんごは、略奪犬の口により、芯と種だけの無惨な姿に変わり果ててしまっていました。
「ふぁる……る、……りんご…………」
「ファルル、こんなところでどうしたんだ?」
絶望に暮れるファルルの頭に、誰かが声をかけました。見上げると、買い物の荷物を抱え持ったユウトが、不思議そうにファルルを見下ろしています。ずっと後ろにいたはずなのに、いつの間にか追いつかれていたようです。
「ゆうと……! ふぁるるっ、りんごっ、りんご、ふぁるる! りんご、ふぁるるのっ、りんご……、……ふぁるる……」
勢い込んで説明しかけ、けれど上手に言葉が出てこず、最後にはぷるぷる震え出します。そんなファルルの様子を見て、ユウトはぎょっとした顔をすると、おろおろとしゃがみ込みファルルの頭を撫でてきました。
「な、なんだ、どうしたんだ? りんごがどうし……って、りんごはどこやったんだ?」
「ふぁる……ふぁるる……、……りんご……」
「また転んで落としたのか? ケガはしてないか、大丈夫か?」
「…………ふぁるる、けがない、だいじょーぶ」
なんとか首を振り答えると、ユウトは軽くため息を吐いて「……だから鞄に入れとけって言っただろ」と零しながらも、もう一度ファルルを撫でてきました。
ユウトに撫でられるうちに、悲しみに染まっていた心に、ふつふつと怒りが湧いてきます。ファルルが選んで買ってもらった、ファルルのりんごだったのに……!
「この辺りで落としたのか? どこに転がって行ったかわかるか?」
「…………ん!!」
頬を膨らませながら勢いよく指差す先は、もちろん角の向こうです。
あっちか、と角を曲がるユウトに続いて、慎重に角を曲がると、すぐまた鳴き声が聞こえました。
「アン!」
「むっ!」
「ん? ……あーっと、……〝ポメラニアン〟?」
ふわふわの毛に覆われた一見かわいらしい小さな犬が、さっきとまったくおんなじ場所で、笑ったような顔をして、しっぽを振って座っています。
ファルルはユウトの陰に隠れると、怒りもあらわに指を差し、ユウトに大急ぎで訴えかけます。
「ぽめにあん! ゆうとっ、とった! りんご、ふぁるるの、ぽめ、うーゆった! ふぁるる、りんごっ、ふぁるるっ……、りんごっ!!」
「な、なんだいきなり、この犬がどうかしたのか?」
むっと頬を膨らませてユウトに訴えかけていると、相変わらずしっぽを振りながら、ポメなニアンが鳴きました。
「アンッ」
「むっ! …………うーっ、わん!」
「アン!!」
「わうっ!!」
「……いや、いやいや何やってんだお前は」
ポメなニアンに対抗して鳴き声をあげて唸っていると、ひょいっとユウトに抱き上げられ、ポメなにアンから引き離されます。
ユウトに片手で抱っこされ、見下ろしたポメなんとかは、本当に小さなただの犬です。けれど、小犬の傍らに転がった無惨なりんごの成れの果てが、この犬の蛮行を如実に語っているのです。
「ゆうと、ぽめ、りんごとった!!」
何度目かの訴えで、ようやくユウトも犬の蛮行に気がついたようでした。
足元に落ちたりんごの芯を見て、果汁で汚れた小犬の顔を見て、最後に、頬を膨らませるファルルの、空っぽの小さな両手を見て、少しの間黙ったあと、……まるで我慢し損ねたように、ちょっと笑った顔をして、ユウトがファルルに尋ねました。
「……まさか、このいぬに、りんご、……とられたのか……?」
「……!!」
かしこいファルルにはわかります。鈍感なユウトと違って、かしこいファルルは、言われてすぐにわかります。
──ファルルは今、バカにされています!
「…………おりるっ、ゆうとっ、ふぁるるおりる! ふぁるる、やどかえるっ、ゆうとおりる!」
じたばたと暴れると、ユウトが慌ててファルルを降ろします。
地面に足が着くや否や、ファルルはすぐさま走り出し、ちょっと距離を空けたところでくるりと後ろを振り返ると、小さな犬と大きな犬に、怒った声で叫びました。
「ぽめっ、ゆうとっ、…………ばかーーーーーーー!!」
それから後は振り返らずに、宿の部屋まで一直線です。
本当に本当に本当に、
……今日はとんでもない日です!
(おわり)
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.