ほうじゅ
2018-10-01 22:00:00
3927文字
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【黒猫のはなし】21 絵本のはなし

大好きな物語の世界を、ふしぎな黒猫と歩いたはなし。

 それは、お姉ちゃんから聞いた話だった。
 私が前に見た猫は、とても不思議な黒猫だったの。まるでおとぎ話に出てくるような姿をした、とても素敵な黒猫で、おしゃれな赤いリボンを首に巻いて、瞳はとても綺麗なコバルトブルーをしてたのよ。
 そうお姉ちゃんは話してくれた。
 だからわたしは、その時、目の前を走り去っていった猫が、その黒猫だと一目でわかった。
 だってその黒猫は、お姉ちゃんに聞いたとおり、おとぎ話に出てくるような格好をして、おしゃれな赤いリボンを首に巻いて、瞳が澄んだ夜空のように、とても綺麗な色をしていたから。

「ああ、大変だ遅れてしまう」
 そう言いながら、わたしの前を横切って行ったのは、一匹の黒猫だった。
 黒い毛皮の更に上から、ピシッとした紳士服を着ていて、器用にも二本足で走っている。 首に巻いた赤いリボンが動きに合わせてヒラヒラと揺れて、わたしはなんだか楽しくて、そのあとを追いかけた。
 一生懸命追いかけていると、ふいに黒猫が立ち止まり、懐から金色の懐中時計を出した。
 そして時間を見てもう一度、「ああ大変だ」と呟いている。
「ねえ、何が大変なの?」
 わたしが声をあげて聞くと、黒猫は「王子様がお悲しみだ!」と答えると、そのまま再び走り出してしまった。
 ようやく少し追いついた。そう思ったところで、黒猫はふいに脇にあった草薮に飛び込んでしまった。
 わたしも慌てて続こうとしたが、背中にあるランドセルが途中で引っかかってしまう。 もどかしくランドセルを外してその場に置くと、姿が見えなくなってしまった黒猫を求めて、わたしも草薮の中に入っていった。
「あれ?」
 緑の壁の向こう側に出て、わたしはきょとんを首を傾げる。 そこは、誰かの庭のようだった。
 目の前には青々としたタマネギ畑が広がり、その向こうには、白い柵が並んでいる。ぐるりと見渡してみたものの、どこにも黒猫の姿はない。
「お嬢さん、こちらですよ」
 がっかりして肩を落としていると、とても小さな囁き声がした。もう一度、注意深くぐるりと見渡すと、枝や枯れ葉を積んだ手押し車の向こうから、黒猫の小さな顔が覗いていた。
「早くここに隠れてください、でないと、見つかってしまいます」
「誰に見つかるの?」
「マグレガーさんですよ!」
 まぐれがーさんって誰だろう。わたしはそう思いながらも、黒猫に引っ張られるまま、手押し車の向こうに隠れた。
 すると、しばらくもしないうちに、一人のおじさんが畑に出てきた。 鼻の上にちょこんとメガネをかけていて、白い髭が顔の半分を隠している。手にクワを持っていたので、この畑の持ち主なのだとすぐわかった。
「猫はタマネギなんて食べないのに、あの人は、私が畑を荒らしたと思っているんです!」
 困ったように怒ったように、黒猫が小さな声で言った。
 わたしはもう一度畑の様子を見ようと、手押し車の向こうを覗き込む。 すると、運が悪いことにおじさんと目があってしまった。
「逃げましょう!」
 わたしが何かを言う前に、黒猫は鋭くそう言うと、わたしの手を引いて走り出した。
 レタスやパセリ畑の横を、エンドウ豆やインゲン豆などの夏の香りがする野菜たちの間を、大慌てで走って通り過ぎる。 途中、水汲み場に魚が泳いでいるのを見て、黒猫を疑いの目で見ると、「食べてませんからね」とすぐに返された。
「あ、あそこに扉があるよ」
 どうにかおじさんを振り切った頃、壁に、小さな扉があるのを見つけた。
「では、あそこに逃げましょう」
 そう言ってわたしは、黒猫と一緒に扉の中に入ると、その扉をきつく閉ざした。
 ほうっと一安心して、ぐるりと部屋の中を見た。
 その部屋はどうやら居間のようで、壁には大きな暖炉があって、ふかふかの絨毯の上には、ロッキングチェアが置かれていた。
 畑にあったのは夏の野菜だったはずなのに、なぜかその暖炉は、パチパチと火花を飛ばして働いている。カタカタと鳴る窓は、窓枠が凍り付いていて、ガラスは真っ白に曇ってしまっていた。
 首を傾げて部屋を歩くと、机の上のインク壺の横で、先ほどの黒猫が行儀よく座っていることに気がついた。
「先生、大変ですよ」
「先生?」
 黒猫に言われて尋ね返すと、黒猫は不思議そうな顔をして「どうしたんですか、先生」ともう一度言った。
「どうしてわたしが先生なの?」
「何を言っているんです、先生はとても立派な動物のお医者様ではないですか。 今日も、目が悪くなってしまった馬のために、緑の眼鏡を作っておあげになったでしょう」
 黒猫はすらすらとそう答えたが、わたしにはわけがわからなかった。今日のわたしは小学校に行って、難しい理科の授業のあと、給食でプリンを食べて、図書室で本を借りたはずなのに。
「とにかく大変なんです、先生。こんな季節なのに、大変なお客様がいらっしゃったのです」
 黒猫に言われるまま、わたしは大きな暖炉のある部屋を出て、玄関へとやってきた。
 少しだけ開いたドアからは、冷たい風と白い雪がびゅうびゅうと入り込んでいて、わたしは思い出したように、両手を抱えて寒さに震えた。
 だけど、わたし以上に、寒さに震える小さなツバメがそこにいた。
「大変! ツバメさん・・・」
 慌てて手を差し出したものの、既にその体は氷のように冷えてしまっていた。急いでさっきの部屋に連れて戻ろうとすると、震える声でツバメが言った。
「先生、私のことは良いですから、どうかついてきてください」
 言うか否か、わたしが止める前に、ツバメは寒い扉の外へと飛び出してしまった。
「待って!」
 ツバメを追いかけて外へ出ると、横殴りの冷たい風が、むき出しの頬を強く打ち付ける。白い粉雪が視界を覆う中、どうにかツバメの姿を見つけると、寒さに凍えながらも、わたしはその後を追った。

 ようやく雪が降り止んだとき、わたしは違う場所にいた。
 知らない町の、空に近い場所。高い高い円柱の上に、いつのまにかわたしは立っていた。
 あまりの高さに眩暈を覚えて、わたしはくらりと座り込む。そしてすぐに、目の前にある物を見つけると、目眩を忘れて息を詰めた。
 そこには、両目を失った、灰色の王子様が立っていた。
 硬くて冷たい石で出来た、灰色の像の足元には、さっきわたしが追いかけたツバメが、静かに横たわっている。
 恐る恐る持ち上げると、その体はさっきよりも冷たく、石のように硬くなっていて、このツバメはもう生きていないのだとわかった途端、ぼろぼろと涙が溢れてきた。
 そんなわたしの肩に、ふいにあたたかな手が触れた。
 すがるように見上げた先に、とても優しい笑顔があった。さらりと流れた長い黒髪は、赤いリボンで結ばれていて、わたしを見る優しい瞳は、澄んだコバルトブルーをしている。
 わたしはすぐ、『この人は王子様だ』とわかった。
「大丈夫だよ」
 王子様は、そっと手の中のツバメをわたしから受け取ると、慈しむように、小さく口付けをする。
 すると、王子様の手の中で、ツバメは再び目を開き、大きく一度はばたきをした。そのまま、元気に飛び上がると、ツバメはわたしの頭の上を、嬉しそうにくるりと回って、どこまでも続く大空へと、そのまま飛び去って行ってしまった。
「次は君の番だ」
 王子様がそう言うと同時に、急に周りの風景は溶けるように色を失い、すぐに真っ白になってしまった。
 不思議とあたたかなその世界で、わたしはポツンと座り込む。
 もうお目覚めの時間だよ、と王子様が囁く声がする。
 ──どこかで、澄んだ鈴の音がした。

「・・・こら!」
 誰かの怒る声がして、わたしは慌てて飛び起きた。
「あ、お姉ちゃんだ」
「お姉ちゃんだ、じゃないでしょ。 なんでこんな場所で寝てるのよ」
 言われてわたしが周りをみると、そこは小学校の通学路の道端だった。傍には赤いランドセルが落ちていて、お姉ちゃんは高校の制服を着て、仁王立ちでわたしを見下ろしている。
「風邪とか引いてない? もうっ、ほら、早く帰るよ」
 わたしがぼうっとしていると、それを見たお姉ちゃんは、わたしの手を取り起こしてくれた。落ちていたランドセルもきちんと拾い上げてくれると、家に向けて、手を繋いで歩き出す。
 なんだかとても不思議な夢を、少しの間、見ていた気がする。でもよく思い出すことが出来ない。
 わたしは夢を思い出すために、傍の草薮に目をやった。
 すると、そこには青い目をした黒猫がいて、伺うようにこちらを見ていた。
 おとぎ話に出てくるような、不思議な姿の黒猫は、挨拶でもするかのように、一度だけ尻尾をぱたんと振ると、そのまま奥へと消えていった。
「・・・ちょっと、ランドセル重くない? あんた、中に何入れてるのよ」
「うーんと、あっ、図書室で本借りたんだよ。 うさぎの本と、動物の先生の本と・・・」
 お姉ちゃんに答えていると、あ、と何かを思い出しかけた。でも、あっという間に忘れてしまう。
 絶対に、とても素敵なことだったのに、もうすっかり思い出せない。
 お姉ちゃんはランドセルの中を覗くと、「あぁ、懐かしい」と楽しそうに笑った。
「ねぇ、お姉ちゃんも一緒に読もうよ。 わたし、本読み褒められたんだよ」
「そうね、たまには良いかもね」
 くすくすと笑って、手を繋ぎながら、わたしたちは、本の話をした。
 走るうさぎと、隠れるうさぎ。
 先生の話と、王子様の話。
 わたしの大好きな物語たちは、今も変わらず本の中で、開かれるときを待っている。