いを
2024-01-04 15:53:58
2056文字
Public 刀神
 

ひとつ因果に落ちてしまえば

菊司のこと。
・(お名前だけ)定之さん【higasa_onink】
お借りしています。

 菊司が清陵院菊司になる前のことはもう、ほとんど覚えていない。
 それでもぽつぽつとは覚えていて、菊司、という名前は施設のいちばん偉いひとがつけたのだと知ると、幼心に誇らしかったものだ。
 その施設はまだ運営を続けられているようで、菊司は毎月数万円を施設に寄付をしていた。ただし銀行に行くのがいやなので、コンビニで手数料を払って封筒にお札を入れ、直接施設に赴いている。
 名付け親だった施設長はすでに死んでいて、その息子が施設長を継いでいた。
 暖房がすこしだけ効いただけの、施設内の部屋にとおされると、鞄から取り出した封筒を渡した。
 現施設長は目尻のしわを深めて「ありがとうございます」と頭を下げる。
「いつも、ご足労いただいて」
「いいんです。こっちこそ申し訳ない。頭を下げさせてしまって。どうも銀行ってのが苦手で」
「いえいえ。立派に成長した子の顔を見られてこれほど嬉しいことはありません。どうですか。刀遣いは。大変でしょう」
「まあ、それなりに、ですね。でも僕、したいことをできているので幸せですよ。意外と」
 白髪交じりの髪の毛をうしろに撫でつけながら、施設長は深くほほえんだ。
 窓の外では、おさない子どもたちが寒空の下、遊具で遊んでいる。新しい顔ぶれの子もちらほらいた。
「煉魔区の事件で親を亡くした子を引き取ったんです」
……。そうですか」
 ローテーブルに置かれた紅茶に手を伸ばす。一口飲んでから、ソーサーにまた戻した。
「そうだ。菊司さん。あなたと同じくらいに入った男の子、覚えていますか? 秀司しゅうじさんっていう名前の」
「ああ、はい。覚えてますよ。寝るときいつも隣だったような気がするし、チャンバラもよく付き合ってくれてた気がします」
 なんだ、意外と覚えているじゃないか。そう胸中で呟く。
 施設長は目尻を下げて、嬉しそうに聞いていた。
「そう。その秀司さんね、最近結婚したと知らせに来てくれたんですよ。菊司さんにぜひ教えてくれって。これ、結婚式の招待状です」
 すっとテーブルの上に差し出された白い封筒は、質素だけれどエンボス加工がされていて、デザイン性が高いものだった。
「へぇ……。あの子が結婚ねぇ。いいのかな僕なんかが行っちゃって。最後に会ったの、たしか十年以上も前だった気がするんですけど」
「あの子の家、煉魔区にあったんです」
……
 施設長は目を伏せて、かさかさになった指先をじっといじっていた。
 封筒を受け取って、そのまま鞄に入れる。
「家が被災しても、命があったのは刀遣いや刀神がいたからだって言っていました。菊司さん。あなたにも会いたいと言っていましたよ」
「そう、ですか……。僕なんて、なんにもできなかったのに。秀司が煉魔区に住んでるってことすら知らなかった」
「結婚式、ぜひ行ってあげてください。喜びますよ。きっと。わざわざここに“菊司に渡してださい”って言って訪ねてくれたんですから」
「分かりました。結婚式には行きます。昔のよしみでおめでとう、くらいいわないと」
 うなずいてみせると、施設長は安心したように笑い、子どもたちの高い声が青白い空に響き渡った。

 年の瀬。
 師走とはよく言う。この1ヶ月はあっという間だった。もう、大晦日だ。
「ふー。寒ぃ」
 コートのポケットに手をつっこんで、比較的大きな通りを歩く。
 家族連れがおおく、大きなエコバッグを持ちながら、子どもの手をしっかりと握っている母親や父親がいる。
……
 この年になって、どこにいるのかも、生きているのかも死んでいるのかも分からない実の両親に会おうとは思わない。
 よくいうだろう。「血が繋がっているだけの他人」と。家族とは菊司にとってそういうものだった。
 家族を持つことも、家庭を持つことも一生ないと思っている。
 それでいい、とも。
 そう思うことに、寂しさはない。
 すこしうつむくと、右耳のピアスが冷たくほおに触れた。
「そういえば定之くん、あの本読んでるかな」
 いきなり独り言を言ったので、となりを歩いていた女性が距離を取りながら早足で歩いて行った。
 息が白い。
 ――「おすすめの本を教えて。」
 そういった定之の顔を思い出す。
 彼の家のことは詳しくは知らないが、普段の立ち振る舞いを見ていると少なくとも一般家庭の出ではないだろうと考えている。
 刀遣いには多い名家も、ろくでもないものから至極まっとうな家まで幅広い。
 つらい思いをしていなければいいがとは思う。
「でもまぁ、名家ってのはきな臭いしウラもあるもんでしょ。だから長く続いているんだ」
 というのが菊司なりの持論で、もちろん清陵院の家もそう・・だ。
 誰の上に成り立っているのか、忘れているわけではない。
 いつだって踏み潰されるのは弱者だ。そして踏み潰すのは強者なのだから、世の中は世知辛い。
 
 息を吐きながら、空を見上げる。
 雲は薄く、刷毛ではいたように繋がっていた。