いを
2023-12-23 20:29:07
3675文字
Public 刀神
 

眠れない怪物がいた

菊司のこと。
・定之さん【higasa_onink】
お借りしています。

 エスロクロクマルは寂れたレストランの駐車場に停まった。ここからでも海が見えるから、というだけで選んだレストランは客はほかに誰もいないようだった。
 イエローのどぎつい色の看板に、レストランの名前が書いてあるようだが潮風にあたったのか錆びていて読み取れない。
 車から降りた劫罰狐は、ぼんやりとその屋根の上にくっついている看板を見上げていた。
……。ちょっと待てよ。ごうって入っていいのか……?」
「?」
 劫罰狐の白い尻尾がゆらゆらと揺れている。これはおいしいご飯を期待をしている証拠だ。
「聞いてみたら」
 定之の言葉に、うん、と頷いて白いドアを引く。カウンターの前の椅子に座って新聞を読んでいる男がいた。年齢としは五十代くらいだろうか。白髪交じりの髪の毛を短く刈り込んだ男は、菊司を見上げると「いらっしゃい」と言った。
「えっと、刀神……しっぽと耳のある……がいるんですけど、入っていいですか?」
「ああいいよ。ご覧のとおり、他にお客さんもいないしね」
 新聞を折りたたんで、店主らしい男は腰を上げた。
 菊司はどうも、と頭を下げて駐車場に立っている定之と劫罰狐を手招きした。
 ブルージーンズのような色をしたエプロンの男は水差しとコップをみっつ、海が見える席の机においてキッチンに引っ込んでいった。
 その席の奥に座ると、劫罰狐がその隣、通路側に座る。定之は菊司の目の前に座った。
 メニューはぼそぼそとしたA4用紙の厚紙を透明なファイルに差し込まれているだけのものだが、意外とメニュー数はおおい。
 視界の端で見た空は、スカイグレイの色をしていた。少しずつ、雲を運んでくるようだった。
「なににする?」
 メニューを定之に渡すと、じっと視線を落とした。
「カレーにする」
 写真付きのそれを指さした定之は、菊司にメニューを差し出してきた。
「ごうは?」
「えらぶの、むつかしい……
「じゃ俺と同じのでいっか。サンドイッチにしよ」
「サンドイッチ、好き?」
 定之が問いかける。菊司は「好きというより……」と肘を机に押しあてた。
「片手で食べられるのがいいんだ。便利だから」
 目の前の彼は菊司を見据えて、納得したようなしていないような表情をする。
 すみません、とキッチンにいる店主に声をかけて、カレーひとつとサンドイッチふたつを頼んだ。
「今は仕事じゃない……
 と、なにかを察した定之がぽつりと呟いた。
「はは、バレた」
 楽しそうに笑い、肘を机から離して定之の目を見下ろした。左目は菊司がつくった眼帯でかくれている。
「なんていうか、仕事人間ってワケじゃないんだけど。趣味を仕事にしちゃったから、ついね」
「仕事って、趣味になるもの?」
「そういう人間もいるんじゃないかな。実際、峰柄衆の仕事は楽しいよ。とてもね」
 仕事が楽しいと考えられるのは、天職なんだろうなとは思う。もちろん楽しいだけではない。それなりに苦労もするし、悩むこともある。
「きみと休みの日に仕事の話するのって、なんか新鮮だね」
 コップの中に入った水を飲みこむ。細かく砕かれた氷がカラリとコップのなかを泳いだ。
 定之はうんと頷いて、プラスティックのコップを手のひらで包み込んでいる。
「お待たせしました」
 劫罰狐の耳がピンと立った。現金な刀神だ。目を輝かせて店主が持つ銀の盆を見上げている。
 机の上にサンドイッチが二皿、置かれる。レタスとハム、そして新鮮そうなたまごの黄色が眩しく見えた。
 一度キッチンに戻り、店主は定之のぶんのカレーを持ってきて定之の前に置く。
 湯気が立ち上るカレーは、色が濃かった。ごろごろとした肉と野菜。スプーンは銀のようで、とてもよく磨かれている。
「ほらごう、なんて言うんだっけ?」
 尻尾を揺らしているので、菊司の脇腹をくすぐっている。くすぐったいので、尻尾を通路側に押しやると彼は素直に手を合わせた。
「いただき、ます」
「そう」
 菊司がうなずいたのを見ると、劫罰狐はいそいそとサンドイッチを両手で掴んで食べ始めた。
「じゃ、俺たちも食べようか。いただきます」
「いただきます」
 定之は囁くように言って、スプーンを持った。
 サンドイッチに挟まれたレタスはシャキシャキとしていたし、ハムは塩コショウを振ってあった。たまごは自然な甘さを感じる。
 そういえば狐にこういう調味料を与えていいのかどうかしばらく考えたが、ただの狐ではなくて刀神だから、まあ、いいだろうと結論づける。たまに食べるくらいだし。いつもは本人いわく、まずい生気だけで過ごしているのだから、すこしくらい与えてもどうにかなることもないだろう。
「定之くん、おいしい?」
「うん」
 スプーンですくって口に入れている定之を見て、自分が笑っていることに気づいた。口もとに指をあてて誤魔化す。サンドイッチは五分ほどで食べ終わってしまった。基本、菊司は早食いなので仕方がない。
 となりを見ると劫罰狐がまだサンドイッチを食べていた。食べるのがへたくそなのは誰に似たのだろう。ハムがべろりと皿に落ちてしまった。
「菊司サン」
「ん?」
 右目を上げた定之が、ふいに菊司の名前を呼ぶ。
「どんな人だった?」
「どんな……? ああ、前のバディと幼馴染みのこと?」
「うん」
 なんでもないように問われ、菊司は無意識にほおを人差し指で掻いた。
 食べ終わるのを待っていたのだろうか。彼は。
「前のバディは籠目瑞雪かごめずいせつ。元人間のお姫様。気位が高くてね、なんだか振り回されっぱなしだったな」
「菊司サンが?」
 スプーンをふととめて、彼はすこし驚いたようだった。
「相手は神様だからね。きれいな女性だったし、雪みたいな神様だったよ。ほんとに、雪みたいに静かに折れて死んでいった」
 食べるときにする話じゃなかっただろうか。それでも定之は聞いていた。カレーを食べ終わり、スプーンはナプキンの上に置かれている。
「幼馴染みの名前は藤子とうこって言ってね。からだの弱い子だった。心臓にペースメーカーが埋め込まれていて、妖魔に殺されなくても……そんなに生きられなかったみたい。藤子が死んだのはさっきのあの海。俺が海に着いたときにはもう、手遅れだった」
 つめたくなっていく藤子のからだは、びっしょりと濡れていた。それがどういう意味を持つのか、菊司には分かりきっていた。
……やさしくて、でも冷めた目をしていた子だった」
「そのふたりの思い出を、菊司サンは捨てたい?」
 定之は不思議そうな表情をしていた。
 ――捨てたい。
 捨てられるものなら。
 本当に?
 目を伏せて、机の上で指を組んだ。
……どうだろ。けど、捨てなくてもきっと生きていける。生きていけるけど、それだけじゃだめなんだ」
「俺は、捨てなくてもいい、と、思う」
「定之くんは優しいね」
 そっと笑ってみせる。
 彼が捨てなくてもいいと思うのなら、「そう」したいと思う。それが正解だと菊司も考えている。
 捨てなくても、立派な刀遣いになれるならそれにこしたことはないだろう。きっと。
 重たすぎる思い出を背負って、前を向いて歩くことができたら。
「俺、きみが思ってるほどたぶん強くないけど、がんばってみる」
……うん」
「ありがとね」
 窓枠を見ると、水滴がついていた。雨が降ってきたのだろう。
「雨降ってきた。そろそろ帰ろっか」
 伝票を取り上げて、立ち上がる。劫罰狐はいつの間にか食べ終えて眠そうにしていた。
「あ。お金」
 定之が財布を取り出そうとしたところで、菊司は「いいよ」と笑った。
「俺のわがままでここまで来たんだから、奢らせて。すみません、お会計」
 菊司がレジに行くと、劫罰狐は定之を見上げた。
「おごりだ」
 といって、胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。尻尾がぱたぱたと揺れていた。
「菊司サン、ごちそうさま、ありがとう」
「どーいたしまして。おいしかったね」
「うん」
 レストランを出ると、エスロクロクマルに乗り込んだ。ワイパーを動かさなければいけないほどに、雨が激しくなってきた。
 劫罰狐は乗り込んだ直後に狐の姿になってさっそく丸まりはじめた。
 助手席に座った定之は、やはり海を見つめている。
 国道は、車がすくない。休みだというのに、珍しい。
「ねぇ定之くん」
「?」
「またどっか、ごはん食べに行こうね」
「うん」
 定之は頷き、今度はまっすぐを見た。遠くに山が見える。今度は山のほうに行くのもいいかもしれない。
「俺たちの仕事、いつどうなるか分からないからさ。次の約束くらい、しといてもいいよね」
 誰にも聞こえないくらいの声で、囁いた。
 本当に、分からないから。明日のことも、ずっと先のことも。
 ――約束をしたほうが、いい気がした。
 そのほうが少しでも生きられる気がした。
 生に、しがみつけるような気がしたのだ。
 
 許されるなら、と。