カララと道場の庭で枯れた葉が転がっていく。それを興味深そうに劫罰狐が眺め、かたわらに和音守響丸が立っている。彼の涼やかな目は自らの主――神田灰を見ていた。見ているというよりも注視している、と言ったほうがいいだろうか。
「ねー、ごう。葉っぱなんか見てないでさぁ」
自分のバディが今から手合わせをするというのに、劫罰狐は吹き抜けてくる風が運ぶ葉っぱにご執心のようだ。菊司はふう、と息をついてから目の前に困ったように佇む灰を見つめた。
「まあいいや。灰どの、今日は義手の調整のための手合わせです。お渡しした木刀は響丸さまの妖刀と全く同じ大きさ、質量にしてありまして……。ご存じでしょうけど」
「そうだね。響と同じ重さだ。手に馴染んでる」
「それはよかった。僕も本気で参ります。この木刀も、劫罰狐と同じ重さだし大きさです。――というわけで戦場に立っているつもりで、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
菊司が頭を下げると、灰も慣れたように同じく下げた。
審判はいない。いや、それは語弊がある。審判は菊司だ。菊司が義手の動きを観察し終えれば手合わせは終わり。
菊司が声をあげなければ、この戦いはずっと続くだろう。それだけの体力が神田灰、彼にはある。
道場の床がきんと冷える。すう、と息を吸って、吐く。
はじめの合図だけは響丸に任せてあった。
「はじめ」
鋭い、剃刀のような声が道場を切り裂く。
菊司は一歩足を踏み出した。だん、と道場の床を踏みしめ、灰の懐に入り込もうとする。
が、灰は足を後ろにいともたやすく引いた。そうか、この男は足を引くことを躊躇わない男か、と観察する。
灰の木刀が菊司の手首を的確に狙って振り下ろされた。
右の手のひらで持つ柄を放し、落ちる前に手首をひねって刃を上に向ける。直後、強い衝撃が手首を襲った。
今のところ、義手の動きは問題ない。
神経につながっているその義手は、灰の思うとおりに動いているのだろう。彼の顔を見れば分かった。
水色の目が鋭く細められる。
押し込まれている灰の木刀の刃を振りほどくことをせずに、菊司は床に体を沈めた。ふっと茶色いまだらな色の髪の毛が灰の目から揺らめいて、消えた。
灰の後ろをとった菊司は、義手めがけて再び刃を回転させる。
「意地の悪い戦い方だね」
と、彼は言った。
「あなたこそ、容赦ないじゃないですか」
義手のネジにあたる部分めがけて刃を突こうとしたとき、灰の左手が菊司の右手を叩いた。――掌底、といったほうがいいだろうか。菊司の体がぐらりと揺れ、一瞬足が蹈鞴を踏んだ。――が、すでに菊司の右手には木刀は握られていない。コンマ三秒の間に、持ち替えていた。
菊司は基本両利きだ。
いや、両利きに矯正したと言うべきか。
菊司のくちびるが楽しげに歪む。
強くなければ刀遣いではない。強くなければ刀遣いと名乗るべきではない、というのは菊司の持論である。
ガン、と木刀と木刀が擦り合わせられる甲高い音が響く。
「あなた、ほんとに参段?」
「どうだろうね」
灰はふと笑い、打刀を振り抜いて仕掛けてきた。
菊司の懐に入り込んでくる。
先ほどの菊司と同じ動作だ。
足を下げ、木刀の切っ先を菊司の木刀の刃で弾く。木の破片がかすかに散った。それほどの力が灰の義手に、そして生身の左腕にあるのだ。
ゆがんだままのくちびるの端を舌で舐めとって、腰を折る動作をする灰を見下ろす。
――このひとは殺人術を会得している、と確信した。
人間の急所、そして「相手が戦えなくする術」を頭に叩き込んでいるのだろう。
腰を折って、菊司の脇腹に木刀の刃を叩きつけようとした灰の義手の関節部分を切っ先を下にして突き下ろす。
ビリビリとした手のひらから感じる痛みが、義手の頑丈さをあらわしていた。
灰はそのまま床に伏せそうになったのち、すぐに体を起す。
――ここらが潮時か。菊司は目を細め、呟いた。
「やめ」
その声に灰はほっとした表情で木刀を下ろす。
「うーん、なかなか頑丈な義手。木刀とはいえ刃の先で抉ったのにびくともしない。いい。すごくいいよこれ!」
ワハハ、と笑ってみせると、灰は眉をハの字に下げて頭を掻く。
「君、前とキャラ違うね」
彼はそう言うが、そうかもしれない。腰をトントンと叩きながら伸びをする。道場の扉から見える庭を見ると、もう暗くなりかけていた。
「キャラなんていくらでもつくれますよ。僕、天才なので」
まるい眼鏡のつるを押し上げて、ふっと笑った。目の前の彼も、肩をちいさくすくめてみせる。
「今日はありがとうございました。おかげでアイデアが振ってきましたよ。義手をもうちょっと重たくしてもよさそうですね。あなた、体力無尽蔵でしょ」
「そうでもないよ。年も年だし……」
「ご謙遜を。今だって息ひとつ乱れてない。元鯉朽隊壱段、現無所属参段の神田灰どの。昇段することをおすすめしますよ、僕。せっかく美しいバディどのがいらっしゃるんですから」
「昇段か。そうだね、考えてみるよ」
「あなたのその太刀筋、知り合いとよく似ている」
灰の水色の目がわずかに細められた。それ以上言ってはならないと語っている気がした。
「……ま、いいです。僕ァ、なにも言いません。言われる筋合いもなさそうですし。けど、響丸さまと義手のメンテ、僕に任せてください。それが条件です」
「うん。頼むよ」
「ありがとうございます。それじゃ、今日のデータが新鮮なうちに研究室にまた籠もることにします。三日後に来てもらえると助かるんですが」
「分かった」
灰が頷いたのを確認すると、菊司は一度礼をして道場をあとにしようときびすを返す。劫罰狐はいつの間に仲良くなったのか、響丸となにかを話をしているようだった。
珍しい、と思う。
「ごう、なに話してんの」
「ん。はっぱを、響丸どのとみていた」
「劫罰狐はまだ緑色の葉を見つけたようだ」
響丸はそういい、羽織の袂に入れたまだ新緑のような葉を指先でくるりと回した。
「へえ、もうこんなに寒くなってるのに。誰かの異能の賜物でしょうかね。興味深い」
「……返したほうがいいか?」
葉を持った彼の指が菊司に向かうも、「いえいえ」とかぶりを振る。
「ごうが渡したもんです。響丸さまが持っててやってください。そろそろ失礼します。はい、ごうも」
「しつれい、します」
劫罰狐はのんびりと頭をさげると、響丸はわずかばかり目を見開いたようだった。
「灰どの、響丸さま。おつかれさまでした。また今度」
ふたりに一瞥すると、劫罰狐はいとけない手を振る。それを見届けてから、菊司は更衣室に向かった。
白い胴着からいつもの白衣に着替えて更衣室のベンチに座ると、自分の手を見下ろした。薄皮一枚、破れて手がじりじりと痺れている。
「……。あれで現参段なわけないでしょ」
弐段には容易に昇段できるだろう。菊司の推測だし、担当になる壱段の刀遣いが誰になるのかにもよると思うけれど。
「あるじ。どうしたのだ」
「なんでもない。はあ、腹減った。いいねぇごうは。メシ食べなくても生気だけで生きてけるんだから」
「あるじの生気はあまり、おいしく、ない」
「そりゃ悪かったね」
「悪い」
左右色の違う目はぼんやりと菊司を見ている。色は違えど、あの子に似ているなとすこしだけ思った。
「俺もさ、ニンゲンらしいセイカツってのをやんなきゃって思うんだけど。なかなかね。興味がないっていえばそれまでなんだけどさ。でも……」
オレンジに似た色の髪の毛をした男の子を思い出す。
菊司に「でも」と言わせるその子は、今どうしているだろう。
「……さて。ごう、行くよ」
「行く」
菊司のうしろをついてくる劫罰狐の耳がぴくりと動いた。そして一度、道場のほうに向き直る。
「どしたの」
「……あのはっぱを、かれはどうするだろう」
「どうするんだろうね。まあ、あんだけ元気な緑色なんだから、数日は枯れずにすむんじゃない」
「う」
こくんと頷いた劫罰狐は、再び歩き始めた菊司の背中を見上げた。
晩秋にしてはきんと寒い、夕刻の出来事だった。
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