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いを
2023-11-26 20:43:37
4522文字
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刀神
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口づけた毒薬の澱
菊司のこと。
・(お名前だけ)定之さん【higasa_onink】
・(お名前だけ)灰さん【yasuinokikaku】
お借りしています。
十年前、当時のバディと幼なじみの命を天秤にかけたことがある。
バディの銘は太刀、
籠目瑞雪
かごめずいせつ
。顎まで伸ばした黒髪が印象的な女だった。
供えようと思った、彼女が好きだった猫柳はもう見当たらず、菊司は刀塚の前に坐っていた。
「なあ、瑞雪。今年は猫柳、見つけらんなかったよ」
去年は枯れそうでも、咲いていたのだが。今年はとうとう見つけられなかった。煉魔区のこともあって「命日」に訪うのがかなり遅れてしまったのだ。
あぐらをかいて、膝に腕を乗せる。許してくれるかな。そう思いながら。
「せめて春だったらよかったんだけど。僕にも見つけられないなんて、もう一片もないんだろうな。見ろよこれ。せっかくの一張羅が台無しだ」
今日は家族といつもの食事会だ。眼鏡は外し、スーツを着て、髪の毛はポニーテールで纏めている。もちろん髭は剃っている。
けれども探しものをしていたら、泥だらけだ。
父と母が見たらなんていうか。菊司はこめかみに指先をあてて苦笑いをする。諦めて着替えることにしよう。
「はあ、疲れた。父さんも母さんもべつに嫌いじゃないんだけどね。僕を拾ってくれたし、ご飯だって食わしてくれてたし。でもなんかさ、なかったんだよな。きっと」
――
愛情、というものが。愛情なんて自分にもよく分からないけれど。
「ああ、ごめん。こんな時に愚痴なんて言うもんじゃないよな。きみだったら野暮だって言うんだろう」
物言わぬ刀塚。
折れた妖刀はここで眠っている。
もう目覚めることはない。妖刀はもう打てないから。
「
……
。煉魔区に
――
あそこに行っていたらきみはいたのかな。あ、でももし行ったら一発や二発喰らうのは確定してたよな。ははは」
いつまでめそめそしているのかと。
籠目瑞雪は、それはもう気高く美しい刀だった。気位が高い姫。元人間の刀神。
ざわりと代わりに供えられた名も知らぬ花が揺れる。
そう、花のような女だった。だから花のように散っていったのだろう。
「そろそろ行けって? うん、分かったよ。また来年、籠目瑞雪。僕もなんとか生きてみるからさ。きみも
――
人間らしく、いい夢を見ていてくれ。おやすみ」
スニーカーは今日は履いていない。ダークブラウンの革靴だ。磨きがかかっていて、ともすれば自分の顔さえ映りそうな。
刀塚から出て更衣室で新しいスーツを着、外に出ると空は真っ赤だった。
「暑いねまったく。指先はちょっと冷えてるのに」
自らの指先同士を擦りあわせて、ため息をつく。見てくれだけは立派な鞄を持ち上げて、ビル群の中へ足を踏み入れた。
途中で兄と姉と落ち合って、目抜き通りに停められている車に向かって歩く。
「菊司。あなた、また顔色悪くなってない?」
「ああ、うん。そうかもね。僕ってば忙しいから」
「またエナジードリンクがぶ飲みしているんだろう」
「兄さん、ひとの好物を悪く言うもんじゃないよ」
高級外車として見慣れたメルセデスベンツに乗り込んで、菊司は前の席に座った。兄と姉に挟まれたら質問攻めにあうのは目に見えている。
「あれってうまいのか?」
「うまいよ。僕にはね。兄さんと姉さんにはおすすめしないけど」
「ばかね、ああいうのは味じゃないのよ」
姉が知った顔で人差し指を兄に向けたのをミラー越しに見えた。
「あれって、高麗人参とか入ってるんでしょ?」
「うん」
「ああ
……
漢方に使われるやつか」
「もうエナドリの話はいいでしょうよ」
頭をガリガリと掻いてから後部座席に顔を向ける。この兄妹は瓜二つだな、と改めて思う。黒い髪、黒真珠のような瞳。菊司とはまったく違う、整った顔だち。
兄が清陵院
凪
なぎ
、姉が清陵院
波
なみ
。
ふたりともすでに結婚しており、家庭を持っている。兄は実家で、姉は夫となる男の家に住んでいる。
「それで、父さんと母さんはどうなの? 元気?」
「それはもう。まだまだ現役だよ。父さんはね」
「お母さんは、まあ、相変わらずよ」
「
……
そう。ならいいんだけど」
菊司はふたたび前を見て、父お抱えの運転手の男を視界の端でとらえた。このひとも大変そうだな、と思う。目玉の白目が黄色い。酒の飲み過ぎで肝臓が悪いのかもしれない。おそらくストレスを抱えているのだろう。
――
医者ではないから、分からないけれど。
無駄に広い車はやがていつものレストランの前に停車した。
勝手に開いたドアから背中を丸めて出ると、兄と姉も同様にコンクリートに靴をつける。凪はつやのある黒革の靴。波はダークグレーのハイヒール。
「外、暑いわねぇ」
「早く中に入ろう。
……
菊司? どうした」
車の前に立ったままだった菊司は、胸ポケットから名刺を取り出した。しわくちゃの名刺だ。
「先にふたりに渡しておくよ。ちょっとばかり、変わったから」
「名刺ケースまだ買ってなかったのか」
「しわくちゃね」
苦笑するふたりを見て、菊司もくちびるの端をすこしだけ上げた。
「べつにしょっちゅう誰かに渡すようなもんじゃないからね。入ろう」
ふと、顔に傷がある青年の姿が思い浮かんだ。
――
そういえばあの子にも渡したな、名刺。あれ、新しいやつだったけ。
――
そこまで考えて、かぶりを振る。
兄と姉の後ろ姿を追って、シャンデリアもまばゆいレストランに入った。
うやうやしく荷物を預かった黒いスーツの男たちは、すぐに去っていく。眩しい。菊司は思わず目を細めた。地下にワインカーヴがあるらしいその店は、なるほどいつものようにワインの匂いがわずかに漂っている。
「菊司」
ちいさな、叱咤するような姉の声で、重くなった足を上げる。
エレベーターで最上階に向かうと、磨きに磨かれたガラス窓が三人を映した。まるで鏡だ。
ガラス窓でぐるりと囲まれた座席に、還暦をすぎた男女が背筋を伸ばして座っている。ちら、と女がこちらをみとめ、細い手首につけた宝石のような腕時計を見下ろした。
「どうぞ」
男はなにもいわない。
女の言うとおりに席につく。丸いテーブルには、無駄に高そうなワインが置いてあった。
「お待たせしました」
兄が気遣うように囁き、男に笑いかける。
「時間通りだな」
男は満足そうに頷いた。この男
――
父は、なにごとも時間通りでなければ気が済まないらしい。幼少の頃より分かっている。
上品な赤い口紅を塗った女
――
母は、つり上がった目で菊司を見据えた。目つきがあまりよくないのは、ずっと前からだ。
父は兄に、母は姉に似ている。
レストランのスタッフが、仰々しくワイングラスにワインをそそいだ。真っ赤な、新鮮な血液のような色だった。
口先だけの乾杯をしてから、父は「菊司」とグラスに口をつけたばかりの菊司の名を呼んだ。せっかちな男だ。いつも通りに。
「仕事はどうなんだ」
「ええ、順調です」
それだけ答えると、父は満足そうに「そうか」と言った。
「恩はできるだけ売っておけ」
「
……
分かっています」
恩を売りたいのはあなただろう、と思う。口にはしないが。
口答えは許されない。心配そうな表情をしている兄と姉に向かって、目を伏せながら笑ってみせた。
「その手の傷は?」
母が目聡く見つけた手の甲の傷跡に、内心舌打ちをした。
「ええ。少し、仕事で。どうしても傷をつくってしまう立場ですから」
取り繕って、なにも言わせないような言葉を選ぶ。母は白く、きれいな手をしていた。だから分からないのだろう。傷をつくるということが。
「あまり、無茶をしてはいけませんよ。あなたは清陵院家の人間なのですから」
「はい」
――
そんなことできるかよ。現場に出る刀遣い、刀神がどんな覚悟で刀をつかい、異能をふるっていると思っているんだ。命がけで戦うものたちの血の上にあなたたちがいるのだ。偉そうにふんぞり返りやがって。
結局、このふたりは上の人間なのだ。勝ち組なのだ。心地のいい空気。それしか知らないのだろう。
ふいに幼なじみの影がちらついた。
「
……
」
白いぱりっとしたテーブルクロスの上に、グラスを置く。ナイフとフォークで機械的に料理を口に運ぶ。なにを食べているのか、どんな味なのかさえ分からない。
幼なじみは十年前に死んだ。
きしくも、前のバディと同じ日に死んだのだ。
妖魔に殺された。
妖魔に。
ぎしりと奥歯が軋んだ。
今、この瞬間にでも妖魔を殺したい気分だ。
そういえば粉々になった義手を見ていた途中だった。持ち主は神田灰。どうしたらあんなになるのかと思うが、あの事件のひどさを鑑みると、ああなるのは不思議ではない。 脳がキリキリと痛む。
いつでもどこでも何かを考えなければいけない性質なのだから、仕方がない。考えなければ、菊司の価値はないのだ。
それでも手先と口先は器用に動く。
父と母の思うとおりに。この家の操り人形になれというのなら、そのとおりに演じよう。拾ってもらった恩がこちらにはあるのだから。
心を殺すことなど、容易だ。
ひと月に一回のこの食事会は、誰から言い出したのだったか。父だったか。母だったか
――
。もう思い出せない。
父の機嫌のためにあるような食事会が終わり、菊司は車を出すという兄と姉の言葉を遮って歩いて帰ると呟いた。
酒で酔いがまわっているわけではないが、足どりが重たい。
電源を切っていたスマートフォンに明かりがともる。
「ふあ、眠
……
」
大欠伸をかき、ネクタイをゆるめて背伸びをした。行き交うひとびとの数は少ない。
「えーと、あ」
スマートフォンをいじっていると、メールが来ていることに気づく。ショートメールだ。
「灰どのだ」
内容は義手の件のようだった。菊司が朝方、数件質問したことへの回答だ。頭を掻きながら精査すると、もう一件、未読のメールがあることに気づく。
「おじさん、豊和の整備よろしく。巌那定之。おっと、定之どの。豊和の整備ね。明日のスケジュールに入れとこ
……
」
ひとりごとをブツブツ言っていたから、道行くひとびとに気味の悪いものを見るような目で見られていることに気づいたが、気にせずスマートフォンをいじって、スーツの内ポケットにしまった。
「仕事より疲れるわ、この日」
はあ、と大きなため息をつき、のろのろと帰路についた。
十年前のあの日、バディと幼なじみの命を菊司は天秤にかけた。
バディに庇われ、幼なじみの命をとろうと現場に向かったときにはもう遅く、結局幼なじみの命もバディの命も失った。
そして菊司の心の、大切なものも失われた。
命を削りながらこの仕事に没頭することが本当に正しいのか自分には分からない。
父が言うように「恩を売る」ことを考えず、母が言うように「無茶をしない」ことも忘れて。
これは親不孝と言うのだろうか。
――
操り人形になることが正しいのなら、
それが本当に正しいことなら。
ことりと足を止める。
「分かんねぇな
……
。俺、どうしたいんだろ」
ビルの明かりで月は白み、星も薄い夜だった。
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