いを
2023-11-24 18:14:35
2993文字
Public 祝福の花束
 

ジーン・イン・ザ・プール

アンヘル・ハーヴェスト
・(お姿だけ)サヴァさん【gatewale2】
お借りしています。

 炎を見つめる。ぱちんと音と火花が弾けて、アンヘルの白い頬を明るく染めた。
 空はとても暗いけれど、その代わりに月や星がまたたいている。うつくしい景色だと、いつも思う。今まで飽きたことがないから、これからもずっと空を見上げることは飽きないのだろう。
 自然というものは、たいそうよくできていると思う。陽が出れば朝だし、陽が沈めば夜になる。それを何度もくり返しながら、ひとびとは名前をつけ続けたのだろう。
 モノや現象には名前がついているものだと知っている。
 朝の太陽、昼の太陽、そして月、夜に輝く星の名前。
 アンヘルは空から視線を外して、彼がいる家を見つめた。
 初めてこの家に辿りついてから約ひと月がたった。お互いかたくなだなと、アンヘルはひとり呟く。けれどもここで諦めるつもりは毛頭ない。
 生きなければいけないのだ。家族の分も、必ず。
 そのためにはあの美しいひとの弟子にならなければいけない。あのひとだから、弟子になりたいと思ったのだ。
 ――弱者は淘汰される。覚えておけ。せいぜい強くなるんだな。
 その言葉で、アンヘルは強くなろうとした。強くあろうとした。その言葉があったから強くなって、今まで生き延びてこれた。
 けれどそれだけでは足りない。
 もっと強くならなければと、貪欲に強さを求めた。この世には「魔法使い」という、人間や人外の純粋な力では決して勝ち得ない存在がいる。
 明日の昼ごろ、また彼の家に行こう。
 そう思いながら少しの間、目を閉じた。
 ――今日は風がない。一晩中歩かなくてもすみそうだ。
 膝を抱えて、羽を出して体をあたためる。必然的に右側は冷たくなるけれど、もう慣れた。

 チュン、と軽やかな声がした。寝ぼけまなこで目を開くと、膝の上に白い鳥がとまっていた。へにゃりと笑って、その小鳥に「おはよう」と囁いた。
 アンヘルは元より鳥類の一部だが、彼、または彼女のことばは分からない。この小鳥もきっとアンヘルのことばは分からないだろう。
 立ち上がろうともがくと、小鳥はどこかへと飛び去っていった。
 ぐっと伸びをして、太陽の位置を確認する。彼の家を訪問するにはちょうどいい時間になっていた。
 羽をしまい、立ち上がる。焚き火はとっくに消えていた。
「ふう」
 ひと息ついて、宝石が入ったトランクと日用品が入っている鞄を持つ。
 今日こそ、と思うけれど、直後に見た彼の顔色を思い出す。白い肌が青ざめていた気がする。十中八九、自分のせいだろうなと思う。
 二十年ほど前、彼に助けられたときのことを思い出す。
 人間の男の手斧が肉を割り開いた光景。売り物だった長い髪の隙間から、それを見た。
 魔法使いも怪我をする。
 そこで、言い得ぬ痛みを感じた。
 その時アンヘルはなにもできなかった。ただ、震えていることしかできなかった。なんの特別な力もない、無力な子供だった。
 声さえあげられず、立ち向かうこともできなかった。
……そっか……。覚えていてくださったんだ」
 今さらそう感じ得て、少しの間、雪原を見下ろす。白く、美しい世界だ。けがれなどどこにもなさそうな。
 あなたでなければだめなのだ。それはアンヘルの本心だった。
 アンヘルをはじめて助けてくれたひとが、彼だったからだ。ありがとうも言わせてくれないまま、去っていったそのひとだからだ。
……
 顎をあげて、からだに積もった雪を振り払う。ぱたぱたと雪が落ちて、アンヘルは一歩足を踏み出した。
 今日の雪は硬い。ざくりと音をさせながら、彼の家まで歩く。
 息が白いのはいつものことだけれど、今日は昨日よりも寒いような気がした。コートの前を片手であわせながら歩いて、木でできた家のドアの前で立ち止まった。
 いつものようにドアを叩いても返事はない。
「あの!」
 もう一度ドアを叩こうとした腕を、ふと止める。今朝の白い鳥が窓辺にとまっていた。
……?」
 上げたままだった腕をおろして、その小鳥がとまっている場所へ移動する。硝子戸から、細い手首と指先が見えた。
 小鳥がアンヘルの肩にとまり、チュン、と鳴いた。
「っ!」
 黄金きん色の長い髪の毛が顔を隠しながら、からだを床に伏せている姿が見えた。
 アンヘルは喉がしめつけられる感覚を無視して、窓を叩いた。その音が雪原にあっけなく消えてゆく。
 そして迷うことなく、指を丸めた拳で思い切り硝子戸を叩き割った。細かい破片が頬とこめかみ、白い髪の毛数本を切った。髪の毛は足もとの硬い雪に落ちて、すぐに見えなくなった。散った血が白い雪をけがした。あんなに白く美しい雪原に、アンヘルの血の色がにじむ。
 それを見ることもなく、アンヘルの足は窓枠にかかり、家に踏み入れた。
……
 呼ぶ名を、アンヘルは知らない。
 それでも膝を床に押しあてて、長い髪の毛で隠れた顔を見下ろす。背中は動いている。薄い胸も頼りないが上下していた。手袋を噛んで外し、彼のひたいに手のひらを当てた。
……あつい」
 それだけ呟くと、彼のからだを抱き上げた。あまりの軽さにアンヘル自身の足がよろめく。
「ベッドは、」
 この家の間取りは分からない。見回すとソファを見つけた。足もとにまとわりつく、なにに使うか分からない道具を無視してソファまで彼を運ぶ。
 ソファにできるだけ、振動をあたえないように横たえ、自身の荷物を窓枠の下から持ち上げる。
 鞄の中から解熱作用のある薬草を取り出したものの、彼に今食べろというのは酷だろうか。
……
 あたりを見回して、毛布になるようなものを探す。二階もあるようだが、勝手に上がるのは躊躇われた。――今更だけれど。
 アンヘルは自らが着ていたコートを脱いで、彼にかけた。ないよりはましだろう。
 その場から離れ、キッチンを探しているとすぐに見つけられた――が、ずいぶん長い間使われていないような雰囲気がある。
 自分の荷物のなかから小さな鍋と米、そして水を取り出して火にかけた。
 彼はひどく瘠せていた。
 とても軽かった。
 顔色もとても悪かった。――自分のせいなのだろうなと、再び思いいたる。ひと月以上も毎日訪っていては、ストレスになるのは違いない。
……
 今自分にできることをして許してほしいなんて思わないけれど、せめて。
 煮え立った鍋を見下ろして、取っ手を掴む。再び彼が横たわっているソファのある部屋に行くと、まだ目を閉じていた。
 金色のまつ毛。きれいな色をしていた。
……ごめんなさい。俺が、」
 俺が。
 それでも、弟子にしてほしい思いは変わらない。他の魔法使いを師にしろ、という言葉を否定する。
 鍋をテーブルらしき場所に置いてから、ずれ落ちそうになっているコートをかけ直した。
 チュン、と白い小鳥の鳴き声が聞こえた。
 割れた窓から入ってきたようだった。小鳥はアンヘルの頭の上にとまって、眠る彼を心配そうに見下ろしているように見える。
「ありがとう。きみが教えてくれたんだ」
 返事をするように、チュン、と再び小鳥は鳴いた。
 アンヘルは小鳥に目を合わせるように顔をあげて、そして再度彼の顔を見下ろす。
「あ」
 ――彼の宝石のような美しい目が、アンヘルを睨みつけるようにこちらを見ていた。