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いを
2023-11-21 18:42:49
3071文字
Public
刀神
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めかし込んだ孤独でおったる
菊司。
・定之さん【higasa_onink】
お借りしています。
幼い頃の清陵院菊司は
――
いや、そのときは「清陵院」ではなかったのだが、その少年は誰からも忘れられるような、影の薄い存在だった。それは給食を配り損ねられてしまったりするくらいなのだが、決して一般的に暗い少年というわけでもなかった。ただ、影が薄いのだ。いつの間にか隣に立っていて驚いてしまうような。
一回だけ、児童養護施設の職員の先生に忘れられて、知らない土地にひとり残ったこともある。今となっては笑い話だが、割と怖かった記憶もある。
けれどその時から何となく、「もう泣かない」と決めたのだった。
コンコンとボールペンのペン先を机の上で鳴らす。
数分後、オフィスチェアを軋ませて、背伸びをした。凝り固まった肩と背中をほぐしながら、椅子から立ち上がる。腰に手をあてて、ぐっと捻ってみせる。
窓の外に、
椎
しい
の木が見えた。椎の実を昔食べたような気がした。いや、本当に食べたかどうかはさだかではない。ただ食べられるものだと、聞いただけなのかもしれない。
しわくちゃになった白衣のポケットに手を突っ込んで、窓から地面を見下ろした。
「ああ」
あの子。
巌那定之。煉魔区のいざこざで使っていた妖刀を見たが、もう返した。さいわい使い込まれた刃を元通りにはしたが、そのあとの具合はどうだろうか。刀神とバディを組んでいたら分かるだろう。
「
……
」
彼はしゃがみ込んで、手に猫じゃらしを持っていた。器用に動かして猫と遊んでいる
――
のかどうかは分からないが。
ふっと懐かしい思いになる。
菊司のくちびるの端がほんのすこし、上がった。
昔から菊司は小動物に好かれない。バディの劫罰狐は元は野狐のようだが、「好く」「好かない」という感情がもしかするともともと持っていないのかもしれないから、数にはいれていない。
「ちょっと休憩するかぁ」
腰をトントンと叩きながら、外へ出る。太陽は沈みきっていないし、月も半透明だ。中途半端な時間というところだろう。
「や、定之どの」
後ろから声をかけると、オレンジ色の髪の毛がゆらりと揺れた。西日のような色の頭が動いて、彼は「うん」と言った。
手もとにいる猫は黒猫で、左目がすこし膿んでいるようだ。しっぽが立ち上がって、こちらを見て威嚇している気がする。
それでも定之の手はやわらかく、黒猫を諭すように腰のあたりを撫でていた。
「珍しい。俺見るとほとんどの猫逃げてくのに。よっぽど定之どのの手が好きなんだねぇ」
「べつに、」
彼はそう呟いて、今度は黒猫のひたいのあたりをぐいぐいと指で押している。嫌がるそぶりも見せず、猫はされるがままだ。猫じゃらしは地面に落ちている。
「俺の幼なじみもそういえば猫じゃらすの上手だったな」
その猫じゃらしを拾って、定之のとなりに腰を下ろした。
定之の左目はもうほとんど見えないと知っているから、できるだけ右側にいるようにしようと思ったことを思い出した。
「幼なじみ
……
」
「うん。やさしい子だった。施設育ちの俺でも仲良くしてくれたしね」
黒猫のからだに猫じゃらしの先をあてて、そのまま撫でてみる。猫は気持ちが悪いのか毛を逆立て、定之の足の間に入りこむ。
「やっぱやさしい子だと小動物も懐きやすいのかな」
「
……
。どうかな」
すうっと定之の顎が動いた。薄くてすこし頼りない顎だと感じる。
そして倣うように自分の顎を撫でてみた。
――
そういえば、髭剃るの忘れたな。と、感じられるような感触だった。
「あ。ハハ、定之どのの足の間で腹見せてる」
「ん」
柔らかそうな毛を定之は手のひらでわしゃわしゃと撫でつけている。気持ちがいいのか黒猫は目をつむってゴロゴロ喉を鳴らせていた。
猫じゃらしをゆらゆらと揺らしながら、菊司は視線を外して空を見上げた。
薄い雲が風を運んでくる。
太陽はあとすこしで沈むように見えた。星も少しずつ、出てきている。白い月も銀色になるだろう。
「あ、そうだ定之どの。眼帯の試作品が出来たんだけど今度、つけてみてくれない?」
「わかった。
……
それが用事じゃ、ない?」
「まあそれもあるけど。休憩がてらここに来てみたの」
「ふーん
……
」
定之の手がぴたりと止まった。黒猫は膿んだ左目をうっすら開けて、彼を見上げたようだった。そして、もう撫でないと知ったのか
――
菊司の目には
――
意気揚々と去っていった。
「あの猫、ちゃっかりしてるよねぇ」
「猫ってそういう、もの」
「ワハハ。そうなんだ。そりゃいいや」
膝を手のひらでぽんと叩いてから腰をあげる。黒猫の姿はすっかり見えなくなって、代わりに暗やみが横たわろうとしていた。
耳もとでチャリ、と簪の金具がこすれた音をたてる。菊司は耳がいい。その音が今が現実であることの、何よりの証明であった。
定之は同じように立ち上がり、ぼんやりと夕日を見ている。
オレンジがかった髪の色が徐々に暗く染まっていく。
「あっ」
菊司が唐突にあげた声に、隣の彼は視線をあげた。
「思い出した。伝えておかなきゃいけないの」
「なに?」
「んっふっふ。きみの目につける眼帯、頑丈な代わりに収縮性がないのね。頭痛くなっちゃうと困るでしょ。だから特殊素材でできてるんだ。収縮性がなくても必要な時に取れやすい素材。力をこめるとね、伸びるようにできてんの」
人差し指を上に向けて、説明してみせる。特殊素材といっても、最初からある素材の端材で、試作品としてつくったものだけれど。さすがに繊維から開発するのは菊司でも時間がかかってしまう。
「きみが取りたいときに取れればいいでしょ」
「
……
うん」
「あと右目に負担がいかないようにできたらいいんだけど。こればっかりは俺凪鞘班じゃないからなぁ」
腕を組んでそっと目を細めて定之を見下ろして笑ってみせる。
「ま、必要なら気軽に言ってよ。掛け合ってみることできるから」
「分かった」
椎の木の葉が揺れる。風が出てきたようだった。
少し、肌寒いだろうか。
「寒くない?」
「そう
……
?」
「中入ろ。眼帯渡すから。あとごうもいる。
……
おそらく。この時間なら」
劫罰狐はこの暗さになれば中庭の散歩から帰ってくる。彼に時計という概念は存在しないらしい。けれどもだいたいが時間通りなので、菊司もいちいち指摘はしない。これも情操教育だ。もちろん任務がない日に限られるが。
定之は一度頷き、峰柄衆のオフィスに入っていった。菊司も続くが、一度足を止める。
ザ、と風が中途半端に伸ばした髪の毛を揺らす。振り向くと、女が立っていた。
「
……
」
のっぺりとした黒い影だ。
女といえるのは、それがもう何度も見たことがある姿だから。
「
――
僕ァ、まだそっちにいけないよ。やることがあるからね」
ざらりと影は崩れ、風に散ってゆく。墨をこぼしたように。
「菊司サン」
声をかけられて「はいはい」と返事をして、建物に入った。ここには入ってこれないのだろう。下緒院ではないから、詳しいことは分からないが。
死んだ人間をずっと覚えていても、心が摩耗するだけだ。
過去は大事だけれど、大切だけれど、結局
――
もう、そこにはいない。手でさえ、触れられない。
幼い頃たったひとり、忘れられがちな菊司を覚えてくれたひとがいた。
彼女の顔はもう思い出せない。けれど不思議と声は覚えている。舌っ足らずの、当時の少女らしい甘い声だった。
「さようなら、だよ。遠い過去に少女だった、きみ」
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