いを
2023-11-19 16:50:59
2112文字
Public 祝福の花束
 

太陽も月もそっぽを向く場所で

アンヘル・ハーヴェスト。
・(ふわっと)サヴァさん【gatewale2】
お借りしています。

 吹雪いてきた。
 すべてを白く埋め尽くすような場所で、アンヘルはただじっとしていた。このままだといずれ凍死するだろう。いけない。生きるために、生き残るためにここまできたのだ。
「俺はあなたの名前を知らない」
 白くて清い、こぶし大の薄い雪片がアンヘルのほおに落ちた。木の梢から落ちてきた雪の薄いかたまりは、アンヘルの体温でじわじわと溶けていく。
 ひとりごとを呟いても、この雪景色と吹雪では音は吸収されて、なかったことになるだろう。
 それでもアンヘルは頭に叩き込んだ彼の居住地へと、再び足を踏み出した。長いブーツがふくらはぎまで埋まる。チャリ、と腰のみっつの宝石が鳴るが、先ほどのことばと一緒ですぐ消え去っていった。
「あなたが俺のことを覚えていても覚えていなくても、俺はまた、あなたに会いたい」
 ざく、ざく、と雪を踏みしめながら歩く。この雪原で、アンヘルの姿はおそらく誰からも見えないだろう。そのための白い意匠だ。いずれ相まみえる彼が認識してくれればいい。
 今は、透明な自分でいい。
 息が蝶のように白いもやになって、生まれては消えていく。
 アンヘルの耳には自分の呼吸の音だけしか聞こえていない。
……
 もやはどこまでも降りてくる。景色が白いから、余計目が眩む。慣れてはいたけれど、アンヘルは目を手の甲で擦った。
 かなり歩いたからか、いつの間にか雪と風は止んできた。どれだけ歩いたのか分からない。けれど今は昼近くだということは分かる。くもってぼんやりとしている太陽が時間を教えてくれた。
 雪がちらちらと輝いていた。
 きれい。ダイヤモンドみたいだと感じて一度足を止め、空を見上げた。
 アンヘルはダイヤモンドを、一回だけ見たことがある。「これはとても貴重なものだから」と、父に見せてもらったきりだ。それでもそのダイヤモンドも、上のひとたちに取り上げられてしまったけれど。
 ハーヴェストの家は、ずっと昔からそうだった。
 取り上げられる側、搾取される側。なぜなら立場が弱いから。ライチョウは個体数が少なくて、家は大きくなれなかった。それでも生きるために両親もアンヘルも必死に働いたし、貧しくてもなんとか生活できるくらいの力はあった。
 けれど、そんな家からむしり取ろうとする人間たちがいた。結果的にアンヘルは翼を片方なくし、唯一の誇りでもあった「ライチョウ」としても不完全な形になってしまった。
 けれど、命はあった。命だけは残っていた。
 あのひとが、そんな命でもあっていいと言ってくれたような気がした。
 まだ生きていていいと言ってくれた気がした。
 黄金きんの髪、とても貴重な宝石、アメトリンのような美しい瞳。
 そんな美しいひとに、アンヘルは救われた。そしてその事実が、アンヘル・ハーヴェストの新たな誇りとなった。
 不完全な自分でも誇りを持っていれば、生きていられると思ったのだ。
 ――「生きてさえいれば、いつか幸せになれる」。そんなことを思うのはやめた。幸せとは裕福なひとたちが、力を持つひとたちが持てる輝石だ。搾取される側のアンヘルは持ってはいない。持ってはいけない。
「それでも、」
 それでも、少しだけ思う。
 人外でも不完全でも、あたたかいと思える場所を持っていいんだと、信じたい。
 真っ白な、羽毛のような髪の毛が風に嬲られて横に流れる。思わず手のひらで顔を庇う。冷たい風が去ったあと、家があった。
 家――
 木でできているような、家。2階建ての。
 アンヘルはぽかんとくちびるを開けてから、はっとして口を閉じた。そうだ、ここだ。3日前に見た場所はここだ。
 あのひとの背中を追いかけて、ここに辿りついた。間違いはない。
 あたりは見渡す限りの雪原で、ひとの気配はまるでない。
 ぽつんと一軒だけ建っている家にそっと近づく。
 あのひとに再会してから3日。またこうして辿りつくことができた。そして、今日こそ言うのだ。アンヘルの自分勝手な願いを。
 容易に弟子にしてもらえる、など思ってはいない。だからこの3日で食料を何日分も用意した。
……っ」
 ずきんと鋭い痛みが響く。右足首だ。多分歩いているうちにどこかで捻ったのだろう。けれど歩けないわけではない。
 歩いて歩いて、ずっと歩いてきた。
 そして諦めることを諦めた。
 ここから進んでいくのだ。アンヘルの生を。生き抜くために必要な力を。理不尽な暴力に打ち勝てる力を。――力には、力でしか抵抗できない。アンヘルはそう学んだ。それがどれだけ愚かなことだとしても。悲劇しか生まないとしても。
 ――もう、搾取されたくはない。
 奪われるだけの生はきっと、悲しいから。
 不完全な存在でも生きていていいと、あのひとに認めてほしい。
 その考えが間違っていても、今のアンヘルが生きていていい証がほしかった。
 生まれてきたのだから。
 この世界に、
 生まれてしまったのだから。
 
 家のドアの前に立つ。
 そして、腕を振りかぶった。
「こんにちは! 弟子にして頂きたくてきました。アンヘル・ハーヴェストと言います!」