いを
2023-10-05 18:55:57
2379文字
Public ブツメツフツマ
 

祈る相手を間違えた

黛無告。
Nothing ever goes the way one wants it to.
・少しだけ、公紲さん【higasa_onink】
お借りしています。

 読経のあいだ、少年――公紲は行儀良く坐っていた。まだ稚いおとがいを、無理やりあげている、という様子もなく。ただ、無告の父の後ろ姿を見ていた。
 無告も同席したが、彼らのさざめきのような声に反応することもなく、ただそこにいた。
 息を殺していたのは、一体どちらなのか。

 葬儀がすみ、幾日かたった。
 
 寺の階段のすみに座っていた公紲の隣に、無告も腰かけた。じゃり、と足の指を深く差し入れた草履の底が砂を踏む。
 袈裟を着たままの無告に、ぽつりぽつりと少年は語った。
 蘇芳芥というひとのことを。
 人が生きると書いて、人生。どういった生き方が正解だったのか、不正解だったのか。そういったことはおそらくないのだと無告は思う。少年が言わんとした言葉。無告は忘れ得まいと思う。無告にとっての弔いとはそういったものだ。
……明日も、いますか?」
 公紲はそっと訊ねた。
 無告は頷いて「いるよ」と答えた。
「借りていた本をお返ししたくて」
 年齢のわりにおとなびた言葉を扱う少年に、無告はそっと笑った。
「待っているよ」
 律儀な少年だと思う。しっかりした、またはしっかりせざるを得なかったのだと思うと、心が痛むが。
 石段に枝の梢の影がゆらゆらと揺れていた。風が出てきたのかもしれない。無告は顎をあげて、ちいさく息をした。
「あれ……
 公紲はほんの少し、不思議そうに首を傾けた。
「無告くん、前からサングラスしていましたか?」
「ああ……
 唐突に奪われた左目の視力。半分の視界は、いまだ慣れない。机の上のコップも時折倒してしまう。
……似合う?」
 少年は困ったような気配を見せた。困らすようなつもりではなかった。無告はこほん、と咳払いをして、正直、とは言えない言葉で伝える。
「ちょっと、事故、でね……
 七億不思議のことは公にするつもりはない。公紲が七億不思議のことを知っているか分からないからだ。
「大丈夫。そのうち治るよ。さあ、もうお帰り」
 公紲の肩をとんとんと叩いて、促してみせる。
……はい」
 頷いた公紲は、どこか決意を固めているように見えた。未来を見据える目だ。階段から立ち上がって、降りていくちいさな背中を見下ろす。
 知っているかもしれない。
 知らないかもしれない。
 けれど隠し通せるのなら、それが大人である自分が完遂しなければならない事柄だ。
 やがて、公紲の小さなからだは見えなくなった。ふと息を吐く。
 ざわざわと木々がしなり、短い髪の毛の先を揺らした。
 いい風だ。

 ――だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。
 あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、
 おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ……
 と、キツネがいいました。
 「なんだか、話がわかりかけたようだね」
 と、王子さまがいいました。

 蝉はね、
 十年も土の中にいて、
 一週間くらいしか光の中にいられないんだ。
 悲しいと思うかい。
 なぜあんなに暗い土の中にいたのか分からない、と思うかい。
 なんのために生きていたのか。
 なんのために死んでいくのか。
 
「君は泣いていたのかな」
 
 無告は、くちびるのなかで呟いた。
 
 太陽は前ほど眩しく感じなくなった。半分の視界のせいか、それとも慣れた・・・のかは分からない。
 前ほど、晴れ晴れとした気持ちにもならない。
 まるで呪咀いのようだ。
 あれがまとわりついて離れないというように。
 不動真言を十万回唱えようと、八千枚の護摩木ごまきを焚こうと、どれほど険しく厳しい修行をしようと。
 霊力というものは身に宿るものではないと――
 そう理解してしまったからだろうか。
 だが、それが間違いか否かなどどうでもいい。
 それでも幸福を祈るくらい、許されるだろう。
 無告が――寺の次男坊である無告を「仏敵」と言うなら言えばいい。
 僧籍を取ったときからすでに御仏とは正反対に歩いていた。
 歩きはじめた足は、もう止まらない。

……
 あべこべな人、と少年は言った。
 そんな不器用で「いい人」が、何故死ななければならなかったのだろう。
 無告には分からない。
 世界は不平等だからだ。
 ただ、命は。
 命だけは、平等だ。
 平等に生まれて平等に死んでいくのだ。
 不平等なのはその間のこと。たとえば、「運命」「世界」などという不確かな、見えざる糸。
 糸を紡ぎ、測り、断ち切る。そういったかの女神たちのように。
 七億不思議はその運命からもはずされ、平等というけものの檻からさえも解き放たれた存在なのだと、無告は思う。
 ――哀れか。
 七億不思議が。
 自らに問うても答えは変わらない。
 今日も七億不思議に奪われ傷つけられ、殺される誰かがいるかもしれない。
 人間にも七億不思議にも、説法など説かない。
 説いてどうするというのだ。救ってみせるなどと、どの口が言うのか。
 なにもしちゃくれない。神も、仏も、なにもかも。
 諦めずにもがけるのはごくごく少数の強者の言い分だ。無告は、それほど強くはない。強くなれたら、よかったのだが。
 だから拳を使う。
 七億不思議が受ける痛みを、無告も感じうることが自身に唯一できる「義務」だった。
 ――義務。
 そう、義務である。
 人が自己の好悪にかかわりなくなすべきこと。
 またなすべからざること。
 
「君が今、泣いていなければいい。俺には、そう祈ることしかできない」

 そんな俺を、君はどう思うだろうか。
 聡しい君。

「やさしい人ばかり、いい人ばかり、死んでいくね」

 ――否、何に祈っても変わるまい。