専用のモニタにはべたべたと付箋、そして下緒院からもらった魔除けの札も貼ってある。結界としては頼りないが、モニタが無事ならばそれでいい。
今日のスケジュールを確認する。
これからすぐに煉魔区から戻ってきた定之が連れてくる予定の妖刀の整備。刀神の名を赤晶小烏祓と言う。
デスクに肘をついてモニタに映し出される妖刀の刃文を見る。若干、刃こぼれが見られる。
「刃こぼれね。ずいぶん無茶したもんだ。一体どんだけ斬ったんだか……」
がららとオフィスチェアに座ったまま横に移動する。簡易ベッドだ。ここに刀神を寝かせて調べさせてもらうこともある。妖刀は壁ぎわに刀掛けがあるため、そこで見る。
もっともこの研究室での修繕はできないのだが。あまりにも狭い。そして、汚い。――とはいっても、この研究室も「じゃんけん」で勝ちとった、なかなか広い部屋だ。狭く汚く感じるのは物の多さがゆえんだろう。
床に直接積み上げられている本、自分でも何に使うのか分からない機材。デスクの上にはエナジードリンクの空き缶。さすがにこれは来客の前に捨てるか――と思ったが遅かったようだ。
ドアをノックする音が聞こえる。
「はぁい」
間延びした返事をすると、ドアはあっけなく開いた。結構このドア、軋んでたりするんだけれど。
「どうも。持ってきてくれたね。感謝感謝。時間もぴったり」
真一文字に引き結んだくちびるはなにかを発することもなく。ただ、差し出された妖刀を受け取った。
「抜いていい?」
「うん」
こくんと頷いた巌那定之の表情は相変わらず変わらない。
菊司はデスクに置かれた、ちいさな古い木の棚の、一番上の抽斗に指をかけて懐紙を取り出した。一枚取った懐紙をくちびるに咥える。そして妖刀を音もさせずに抜き去った。
赤晶小烏祓の刀身、刃文はモニタで見た時と同じく、若干の刃こぼれをおこしていた。
上下から、そして横、斜めから見、赤晶小烏祓の刃文の資料と一致していることを確認して鞘に収めた。
そして咥えた懐紙を取り去って、刀を刀掛けに置く。赤い鞘、赤い下緒、赤い柄糸、柄頭に下がる羽飾りが美しい妖刀だった。
「煉魔区の件、おつかれさまだったね」
椅子に座るように促したが、彼は若干躊躇ったようだった。苦笑いして、菊司は自分の椅子に座る。
「まあ、ちょっとは休みなよ。赤晶小烏祓さまは俺が責任もって直すからさ」
「どれくらい、かかる」
「今んとこ最優先で他に直すものもないから、はやくて明日。明後日までには必ず」
「そう」
定之はパイプ椅子に座ったが微動だにしない。肩こらないのかな。若いから大丈夫か、と勝手に憶測をして、デスクの上にあった糖分、通称飴玉を引っ掴んだ。
「ほれ。疲れたときには甘いものって相場が決まってるデショ。いらなかったら誰かにあげて」
「……ありがとう」
「どういたしまして。まあ、ちょっとの間でも楽にしててよ……なんて無理か」
こんなヘンテコな部屋で気を楽になんてできはしないか。床を這う何本ものケーブル。天井にまでそれは這っている。異様に横に長いデスクの上には計五個あるモニタ。そして何本もある空き缶。
「悪いね」
「?」
「ほんとはゴミくらい捨ててくるはずだったんだけど。アハハ。見栄え悪いのなんのって」
研究室は常に薄暗い。おかげで近視はすすみにすすんで、もはや眼鏡がなければなにも見えない。コンタクトもあるにはあるが、月に一回つけるかつけないか、それくらいだ。
「別に、気にしない……」
「そう? ならいいけど。あ、安心してね。刀の修繕はここではしないから。ちゃんとキレーなとこでするから」
こんな埃まみれの場所で直そうものなら、妖刀を逆に痛めつけかねない。いくら頑丈とはいえ刀神も嫌な気分にはなるだろう。
定之は一度うなずいただけだった。
菊司はそれだけで十分だった。
ほしかったのは肯定でも否定でも、同意でもなかったからだ。
「きみは利口だなぁ」
「?」
ワハハとオフィスチェアの背もたれにもたれかかって笑ってみせる。表情は動かないが、定之は不思議そうに菊司を見ていた。
「いいねぇ、きみ。すごくいい。そうだ。あのサ、つくってほしいものとか、ない?」
「つくってほしいもの?」
「何でもいいよ。僕ってば意外となんでもつくれるから」
定之はぼんやりと菊司を見据えたが――なにか考えているのか、いないのか分からないが――くちびるを閉じたままだった。
まあ、急に言われても困るだろう。
菊司もそれくらい、心得ている。そうじゃなければ、この仕事を続けてなどいられない。
にっと笑って「気が向いたら教えてよ」と続け、胸ポケットから名刺を一枚、定之に向かって差し出した。
「これ、名刺ね。今更だけど。出勤日、書いてあるから。ここにいる時に来てもらってもいいし、内線でもいいし」
彼はよれた名刺を受け取って、角が折れ曲がっているのを指先で軽く引くしぐさをした。
「あはっ、ごめんね。胸ポケットにいれっぱなしなんだ。名刺入れもないから」
「大丈夫」
定之の片手に飴玉、片手に名刺。その姿を見て、菊司はふっと笑った。
「じゃあ、これから修繕入るからね。それはもう綺麗に直してみせるさ。明後日の午後にでもまた来てやって」
「分かった」
頷いた定之は立ち上がって、ドアノブを捻った。ギイ、と音がした。
「……よろしくね。おじさん」
去り際に、定之はそう言った。
「おうよ。またね、定之どの」
と菊司は続け、右手で軽く手を振った。
デスクの上にある飴玉をひとつかみ。包み紙を捩って、ほどいた。イチゴミルク味のそれは濃く、粘っこい甘さがある。すごく、人工甘味料、という感じだ。
椅子から立ち上がると、伸びをしてから刀掛けにかけた赤晶小烏祓を見下ろす。
そこに立って体をひねると、窓から中庭が見える。
定之がしゃがんでいるのが見えた。足もとには猫だろうか。器用に猫をじゃらしていた。
近くに木槿の枝が揺らいでいた。菊司が育った施設の庭にも咲いていたと思う。もう、ほとんど覚えていないが。
じき本格的な夏がくる。そのころにはきっと、木槿の花も咲くだろう。
鮮やかな大輪の花が。
枯れ落ちるにはまだ早い。
「生きなよ」
自分でも意図しない言葉が吐き出された。
「俺も、きみもね」
空の色は濃くなりはじめている。
夏の陽の光は強く、惨い。
そう考えていては、日の神――天照の名に恥じてしまうだろうか。そう思うとちょっとだけ、おかしく感じた。
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