いを
2023-09-27 17:37:50
2556文字
Public 刀神
 

満ち欠けする獣

雪魄桂木刀・伍号のこと。
・火難さん【miyabimochi153】
お借りしています。

 雪魄桂木刀が最後に眠ったのは確か、そう、初夏の頃だっただろうか。
 ――久しぶりに、眠った。
 庭を見ると彼岸花が花ごと落ち、茎は茶色く濁って折れている、晩秋からあまり変わらない光景が見えた。
 眠っていたのは3時間ほどか。そのくらいなのに頭がずきずきと痛んだ。
 冬はつとめて、と言うように、その日の早朝はひどく寒かった。寒いが美しい朝だった。ぼんやりと烟った朝日が桂木の波打つ髪の毛を染めた。
 庭に出ると、沈丁花、小手毬の枝が落とす梢がかすかに揺らいでいた。
 4月にもなれば、花が咲くのだろう。
 メダカが入っている大火鉢は、甕ごと部屋の中に入れた。メダカも寒ければつらいだろう。もっとも、メダカの快不快なんか分からないけれど。
「久しぶりに寝た」
 ぐっと腕を天に伸ばして、あくびをした。
 下駄を引っかけて、庭を歩く。鼻緒は青い。
「ふー。寒ィ」
 息は白い。
 手持ちぶさたに天照に入ると、せわしなく人間が出入りしていた。そうか。そういえば、もう師走か。ひとり納得して、顔見知りがいないかまわりを見てみた。
「おっ」
 黒くて短い髪。黒い手袋。
「嬢ちゃ――、火難殿」
「ん? ああ。桂木が」
 くるりと体を向き直った火難は、強気な瞳でこちらを見上げた。
「忙しそうだねぇ。なんか、行事とかあんの?」
「いや。俺はそんなことねぇけど、他部署がな。特に下緒院」
「ああ、なるほどね。節目節目、大変だよなぁ。下緒院も」
天照ここだと神事はどうしてもな」
 彼女はそう言って苦笑した。
「お前は?」
「俺はこれから任務だ」
「バディ決まってんの?」
「いや。見回りだから豊和で行こうかと思ったんだが」
 壱段が見回りか。桂木はそう言いそうになったが、人間には人間の考えというものがあるのだろう。それを飲みこんで、ふうん、と相づちをうった。
「なら俺連れてけよ。暇だし」
「はは、暇か。いいぜ。けど、その足で寒くないのか?」
「足? ああ、下駄。足袋履いてこないとな。ちょっと待っててくれ。外で落ち合おう」
 さすがに初冬に下駄で歩き回るのは厳しい。桂木は軽く手をあげて、部屋に戻った。白足袋と、いつもの草履に履き替える。
 片手で足袋をはけるのかと問われたことがあったが、もとからない腕だ。どうにでもなった。
 沓脱石に放ったままの草履を突っかけながら、そのまま外に出る。鼻緒は下駄と同じ青。代わり映えなどしない。けれどこの鼻緒もささくれ立ち始めている。そろそろげ変えたほうがいいかもしれない。
 火難の姿を探すと、すぐに見つけられた。
「桂木」
 右手をあげた彼女の左手にはすでに雪魄桂木刀が握られていた。行き当たりばったりでも、どうにかなるものだ。
「お、僥倖僥倖」
 桂木が空を見上げると、日が照ってきた。朝よりは暖かい。陽はやはり、霧で薄く霞んではいるけれど。
「今日は雨が降るらしい」
「そうなのか」
 注意深く、火難は手のひら大の機械を見下ろした。
「じゃ、さっさと見回り行こうぜ」
「そうだな」
 彼女の左側を歩く。妖刀を腰に差していて、子どもがそれにあたったら面倒ごとだ。
 ――雪魄桂木刀・伍号の精神汚染度はかなり、強い。
 そういう自覚もある。人がまったくいない森や林の中ならばまだしも。用心に越したことはないだろう。
 無論臨時バディが火難以外でも、なるべく左を歩くようにしている。そうしたほうがいいと、誰かから聞いた。誰かは忘れてしまったが。
「俺が住んでるとこのすぐ前の庭にさ」
 唐突に桂木は呟いた。
 火難は視線だけで続きを促したようだった。
「色んな花咲いてんだ。山茶花とか沈丁花とか、小手毬とか、あと彼岸花とか。彼岸花はもう枯れちゃったけど。山茶花は咲いてるし、沈丁花と小手毬は春になったら咲く」
「楽しみか?」
「そうだな。楽しみなんだと思う」
「思う?」
「うん」
 桂木の短い返答に彼女はそれ以上なにも言わず、肩をぐるりと回すように解したようだった。
 空を見る。
 青白い、初冬らしい空だ。
 夏のように濃くはないが、桂木にとっては青白いほうが気分がよかった。自らの異能が氷だからだろうか。そんなことも考えたことがなかった。
 ふいにぐっと喉が詰まるような感覚を覚えた。
 喉に手をあてて、背中を丸めて咳き込んだ。
「桂木? どうした」
「あ、いや」
 手のひらに冷たいものが落ちた。視線をさげると親指の爪先ほどの氷が転がっていた。吐いたのだろうか。吐きだした氷を握りしめて、なんでもないとかぶりを振った。
 久しぶりに眠ったからだろうか。喉を数回さする。
「調子悪いなら」
「そんなんじゃない。大丈夫大丈夫。とはいっても……あのさ、久しぶりに寝たんだよ、俺」
「普段は眠らないのか」
「全く寝ないわけじゃないんだけど。年に一回か二回くらいかね」
「そうか。刀神も色々だな」
「本当にな」
 目の前から幼い子どもが駆けてくる。おっと、と火難はショーウィンドウのほうに体を寄せた。
 ショーウィンドウには四肢が異様に細い、まるで枝みたいなマネキンが立っていた。着ている衣を見せつけるように。頭は、なかった。本で読んだ、断頭台で切断された首のように、断面はつるりとしていた。
……? 桂木、何見てんだ?」
「あのマネキン? っていったっけ。あれ、なんで首がないのかなって」
「ああ、これ。俺も知らねぇ。そういうやつなんじゃないのか?」
「へえ。そういうやつ、か。人間の美的感覚ってやっぱ分かんねぇな。刀の誂えのほうがよっぽどいい仕事してるぜ」
 火難は目を丸くしてから、ふっ、と吹きだした。
「柄はボロ布巻いてあるけど、滑んないだろ?」
「はは。まあ、そうだな」
 唐突に、火難の手のひら大の機械が悲鳴をあげるように甲高く鳴く。彼女はそれをとって、耳朶にあてた。一回二回、手短にうなずいて手のひらに収まる機械を下げる。
「桂木」
「門か」
 彼女は頷き、機械を仕舞いこんだ。言わずとも分かる。
「行くんだろ」
 と訊ねる。火難は「当たり前だ」と続けた。
……忙しないねぇ!」
「全くだ」

 空は青白いほうがいい。 
 雨は、じき降るだろうけれど。