いを
2023-09-07 17:07:13
4501文字
Public 刀神
 

はじめから火なんぞない

雪魄桂木刀・伍号のこと。
・矩郎さん【yasuinokikaku】
お借りしています。

 人間によって生気の味が違うということは、生まれた頃から多分、知っていた。
 えらく不味い生気もあれば、旨い生気を持つ人間もいた。
 なにを食ったか、なにを食わなかったか、そういった問題ではないだろうけれども、男の生気は今まで生きてきた中で一等甘かった。甘ったるく、濃い。濃すぎる蜜草の味。たとえはホトケノザ。うす桃色、あるいはうす紫色の、この男の目の色のような草に喩えた。
 無所属の男――名を、一ノ瀬矩郎――と、天照から組んでみろと言われたため組んだのだが。
 生気を試しに少しばかりもらって、脳味噌が(刀神に脳味噌があるのか不明だが)ひっくり返る思いになった。
 頭を抱えて、矩郎に悟られぬようにため息をつく。
 呼吸が熱い。
 熱いのは、苦手だ。
 矩郎は鯉朽隊が討ち損なった妖魔と相対している。
 クロイヌだかマガオニだかがいるが、まあ、問題はないだろう。桂木の異能があれば。
 異能をつかう、ということは生気をもらうということだ。無情にもぼんやりしてきた頭を叩き起こして、「おい、坊」と矩郎の背中に呼びかける。
「あんまり異能使うなよ。俺、お前の生気と相性が、」
 と、言ったそばからマガオニの豪腕が矩郎の真上を振りかぶった。叩き落とされれば矩郎は死ぬだろう。ああくそ、と思っても振り上げられた拳は元には戻らない。妖魔なぞに生存本能があるのか知らないが、馬鹿にされたらこっちはたまったものじゃない。
 矩郎の目がかすかに桂木に向く。その隙にマガオニの足もとから指の先までまばたき一つの間のうちに凍り付いた。マガオニの氷像の出来上がり、だ。
「マジか……
 桂木はわずかな間、呆然とする。
 たったひと吸いで、マガオニほどの体長のある妖魔を氷漬けにした。生気の濃さが所以なのだろうか。分からないが、ぐらりと頭の中が回る。
 酔いが回った・・・・・・ような感覚だ。酒では酔わないのにこんなことで酔うなんて、馬鹿な。
 足がおぼつかない。たたらを踏むようにコンクリートの上でぐらつく。
 矩郎は氷漬けにしたマガオニとクロイヌを片付け始めたようだった。クロイヌごときでドジを踏むような参段ではないことを桂木は少なくとも知っている。
 他の刀遣いはいない。ここには矩郎一人だけだ。部署ごとにおそらく、固まって動いているのだろう。
 雪魄桂木刀を持った矩郎は危なげなくきっちりと、片付けている。
 黒髪が月夜に輝いた――のを見て、桂木は目の前が一回転するのを感じた。
 上下左右の感覚が分からない、とはこのことなのだろうか。からだがなにか硬いものに叩きつけられたことは確かで、手足が痺れてうまく動かない。
 まるで、
 こんなもの、まるで麻薬ではないか。
 特定の人間が好んでいる、という、あれだ。
……大丈夫?」
「俺、生きてる……?」
「折れてはないね」
 空から降ってきたのは正しいトーンの声。桂木を見下ろしている矩郎は、やっぱりホトケノザのような目の色をしていた。
「怪我……はしてないみたいだけど」
「あのね。お前の生気がさ……。今までもらったことがないくらい、甘ったるいんだよ」
「甘い? そうなんだ」
 左目がちかりと街灯に反射する。
 なにかを考えるのも億劫で、瞼同士がくっつきそうになるのを必死で耐える。こんな所で寝たりなんかしたら、妖魔のいい餌だ。
「う……、吐きそう」
 のろのろと起き上がって、片方しかない手で口もとを覆った。矩郎は「吐く!?」と驚いたような声を出したが、がんがんと頭の中でこびとが太鼓でも叩き鳴らしているような思いになる。
「そんなに俺の生気、まずい?」
「まずくはねぇのよ。甘いんだよお前の。なに食ったらこんなになるんだよ……
「食事と生気の味って関係ある?」
「知らんわ!」
 自分でもなにを言っているのか、なにを思っているのかさえ危うい。人間のものよりは尖った犬歯が軋んだ。
「もう無理」
「桂木どの!?」
 一度は起き上がれたが地面に見事に転がり、足の指、手の指ひとつ動かすのが億劫だったため、二回目は起き上がることが出来ない。
 これは、矩郎からもらった生気を抜くまでこのままかもしれない、と思うとぞっとする。彼には悪いが。
 矩郎の、おろおろとした声が聞こえてくるがそれさえも子守唄だ。
 とうとう瞼はくっついて、雪魄桂木刀は意識を失った。

 しかるに小生等は、小生自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
 ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
 彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。
 ただそれだけです。
 この事を御報告申し上げて、御安心を願いたいためにこの手紙を書きました。
(略)
 さようなら。
 彼女のために祈って下さい。

「なにそれ、おっかないね」
 とある刀遣いは読書が好きなようだった。読んでいたのは少女地獄という、そうそうたる題名の小説だった。
 この時桂木は本に興味などなかったけれど、題名と内容を聞いてちょっとばかり、興味をそそられたのだった。
「そうだね。怖い少女だったかも。姫草ユリ子って」
「誰?」
「冒頭に遺書を遺して自殺した女の子だよ」
……自殺、ねぇ」
 桂木をつくった男は、縊死いしした。首をくくったのだ。その手で、首をカッ切ることなどできなかったらしい。彼の周りの刃物は、みな彼がつくったものだから縊死したのは、ほんの少しばかりの優しさだったのかもしれない。
 難しい顔をした桂木に笑った刀遣いは、「死因はジフテリ性の心臓発作――を装ったモルフィンの皮下注射、だったってさ」と人差し指を桂木に向けた。
「なにそれ?」
「俺もよく知らないよ」
「ふぅん」
「調べてみる?」
「いい。なんか、呪われそう」
 刀遣いは、はははと愉快そうに笑った。言ってから、純粋な医学に呪いなどあってたまるかと桂木は思うけれど、凪鞘班という部署がある手前、大っぴらには言えまい。
「俺は昔ね、本に生かされたんだ。だから本は好きだよ」
「へぇ」
 相づちばかりの桂木を見向きもせずに、刀遣いは頁を捲った。
「桂木も読んでみなよ。意外といいものかもしれないよ」
「気が向いたらな」
 
 刀遣いの名前も顔も忘れたが、やけに言葉の端々だけは覚えている。永遠に瑞々しい造花のように。
 たしかその男は殉職したのだ。
 下緒院だった。
 それくらいしか覚えていないけれど、天照にあった本をふいに見かけて、読んでみたら案外、本というものは楽しいものだった。
 知らないことを知る。それが楽しいというわけではなく、文字を追うことが楽しかった。だから本は何でもいい。絵本でも、参考書でも、ミステリでも、恋愛小説でもSF小説でも。文字を追っていると、なんとなく満ち足りた思いになった。

 ぱかりと目を開ける。一定のリズムで体が上下していた。
「おい、おい。菫。こやつ、起きたぞ」
「生気で酔っ払うなんておもしろい刀神ですね」
 どうやら桂木は男に担がれているようだ。
 陰険そうな、真っ黒い服を着た刀遣いはちらりとこちらを見てから、呆れたようにとげとげしい言葉をついた。
……うっせーやい」
 精一杯の強がりを言ってから、白無垢姿の刀神と目が合う。微妙に左右の目の色が違う刀神は、「これこそが呆れたため息だ」という見本のように、わざとらしいため息をついた。
「あれ? 坊は?」
「こっち」
 どうやらこの真っ黒い男の隣を歩いているようだった。
「てかどういう状況? これ」
「俺じゃ担げなかったから。助けを呼んだんだよ」
「はじめまして刀神殿。俺は忍野菫といいます。こっちの暴れん坊は鯉屋敷媛」
「暴れん坊とは失敬な。我ってば龍ぞ?」
「はいはい」
 菫という男は米俵でも抱いているような恰好で、桂木を担いでいた。重くないのかと思うが、桂木のようなでかい図体をこうも軽々と背負っているのだから十中八九、異能のおかげだろう。
「なぁ、降ろしてくれよ。だいぶ生気抜けたからさぁ」
「はい」
 軽々しい口調で返事をした菫は、ずるりと桂木を地面におろした。
 一瞬、からだがぐらついたが矩郎の生気が残り少ないからか、また倒れ込むようなことはなかった。
「どれだけ生気持ってったんですか。矩郎さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫。生気はほんのちょっとだけだったんだけど」
「も、なんていうの? 甘ったるくて失神したわ。本当に」
「そうですか。それはご愁傷様」
 気にも留めないような言葉で、菫は軽口を叩いた。まあ、それくらいで丁度いい。妙にかしこまられると桂木もどうやって接したものかと思ってしまうから。
「このまま天照まで直帰です」
「ふーん。坊の任務も終了ってわけね」
「そう」
 頷いた矩郎の横顔を見下ろしてから、今度は鯉屋敷媛という刀神を見た。黒く長い髪は地面にもつきそうだった。
 なんだか、水のにおいがする。酒にする前の水のような。
「なあ、お前。ひでぇ目にあったけど、生気の分量調節できればまた組んでやってもいいぜ」
「それはありがたいね」
 くすりと笑った矩郎の目は、やっぱりホトケノザみたいな色をしていた。

 天照に戻り、三人と別れた後、桂木は膝元に開きっぱなしの文庫本を見下ろした。天照の事務員の名義で、図書館から借りた本だ。
 題名は少女地獄、著者は夢野久作。
 読んでいるとなんだか幻でも見てしまいそうになる内容だった。姫草ユリ子のおべっかが男を満足させる、そんな内容を見て、不気味にも思ったものだ。あの刀遣いも、そんなように思ったりしたのだろうか。――分からない。もう、死んでしまっているのだから。
 本を閉じ、ざらついた表紙を撫ぜる。それから、畳の上で横になった。軒下から少しだけ見える空に、月が浮かんでいる。
明月めいげつ
 と、桂木は呟いた。
 桂木は夜、眠らない。一瞬でも眠るという行為をしたのは、何年ぶりだろうか。おかげでおかしな夢をみた。
 退屈な夜だ。いや、あの時間がひどく慌ただしかったのか。

 どうぞ火星の星の女の置土産、黒焦少女の屍体をお受け取り下さい。
 私の肉体は永久に貴方のものですから……ペッペ……

 そんな締めの文句で終わる少女地獄を、あの男はどんな思いで読んだのだろうか。知る由もないが、知りたいと少し思う。
 人間の心を知ることが贖罪につながるなら、と思い込んでいるが、本当にそうなのだろうか。
 知らぬが仏という言葉もあるだろう。
 ふっ、と桂木は息を吐き出した。笑ったのだった。
「ははは、はは。面白いな。人間って。そう思えるのも、少しは人間のこと分かったからかな。なあ……
 贖罪は続けるよ。俺が俺を許すことができるその日まで。
 そんな日がこなければいいと思うけれど。