雪魄桂木刀は一号から四号が存在していた。その四振りは失敗作として廃棄されたようだが、実際どうなったのか伍号には分からない。どこかでもしかすると神が宿っているかもしれないし、もうとっくに折れているのかも分からない。
刀塚に行って見つけようとはしたが、結局、見つけることができなかった。もとからなかったのかもしれないが。
雪魄桂木刀・伍号は今から250年前に生まれた。もちろんその前に一号から四号は存在していたが、詳しいことは分からない。資料がどこにもないようだった。
刀神となった桂木が最初に見たのは、落ちた刀鍛冶の右腕だった。
血だまりがてんてんとあった。
刀鍛冶の家族のものであろう遺体が、3人分。足音がひどく聞こえた。桂木がその次に見たのは夜盗の恐怖に満ちた顔だった。
足もとからは腕を落とされ、うずくまる刀鍛冶のうめき声が聞こえてくる。
「化物……」
夜盗は3人。手に刀を持っている。切っ先から血が垂れ落ちていた。男たちは桂木の姿に恐れを感じたのか、なにも取らずに家から逃げ去っていった。
「お前、腕が」
刀鍛冶は脂汗を滲ませながら、呟いた桂木の顔を見上げた。ほおがこけた、髑髏のような顔の男だった。
「……」
うずくまる男は桂木から目をそらし、這いずるように女と子ども二人の遺体の傍に寄り、項垂れた。後にも先にも、男が泣いた顔を見せたのはその時だけだった。
襲撃から半年がたち、男は遠くの、山に囲まれた神社に桂木を奉納した。
「お前を見ていると、あの子らを思い出す」
そのあと、いくばくかもせずに男は自死したと風の便りに聞いた。
桂木の誕生は、血と死にまみれたものだった。
せめて喜ばしいものだったら、どれだけよかっただろう。
「お嬢ちゃん」
と、桂木は言った。幼い子どもだった。
蒼黒い、なにも知らないようないとけない目を、上にあげた。
「見ない子だね。ここら辺の子?」
祀られている神社の中で、桂木は酒を注ぎながら少女に声をかけたのだった。
少女はうなずいて、恐る恐る桂木から距離を取った。まあ、酒臭いのだろうなと思う。あやしい風貌だし。
「おじさん誰?」
「俺は雪魄桂木刀・伍号。桂木って呼んでいいよ」
「せっぱく……。桂木さん」
幼いながら、はっきりとした声だった。彼女の視線が桂木の右腕にとまる。
「桂木さん腕ないの?」
「ああ、そうだね。ないね」
「そうなんだ」
少女は興味が失せたのか、手元を見下ろした。ちいさな野菊だった。
ず、と杯になみなみ注がれた酒を啜る。少女は手にその花をたずさえて、帯を金魚の尾のようにひるがえして走り去っていった。
次の日もその次の日も、少女は雪魄桂木刀・伍号の脇差が奉納された神社にやってきた。桂木と話すことなく、黙々と花を摘んでいた。
「桂木さんにこれあげるね」
一週間ほどたったころだろうか、少女は一本のちいさな、枯れそうな野菊を桂木に押しつけて、また走っていった。
「……」
桂木をそれを摘まんで、空にかかげる。風で野菊がゆらゆらと揺れ、くちびるの端をそっと上げた。
湿った地面に軒忍が咲いている。それには彼女は見向きもしないようだった。
少女はやがて女性になり、たまに訪っては桂木と話をすることもあった。
「お嬢ちゃん、暇なの?」
「どうして?」
「よくここくるから」
「別に暇じゃないけど、なんとなく」
彼女は幼い頃よりもよりはっきりとした声を持っていた。くるぶしをあらわに着物の裾を上げて、すっかり廃れた神社の池に足の指を浸す。
「ちっちゃいころから来ているんだもの」
桂木さんだって寂しくなっちゃうでしょ、と女は笑った。
「そりゃ、お気遣いどうも……」
「それにこの神社も廃れちゃって。前はもっと人いたんだけどな」
「人間なんてそんなもんだろ。飽きる飽きないの問題だよ」
「そんなもん、ねぇ」
「俺ぁ、生気と酒さえもらえてりゃそれでいい。天照ってとこにも行ってみたいとは思うけど、土地勘ないからなぁ」
女は池から足を思い切り上げて、桂木を見上げる。すこし、目を細めているだろうか。
「天照に行ったって、こき使われて終わりよ」
「退屈よりはマシさ」
「神様って分かんない」
女はそう言って、下駄をつっかけて家へ帰っていった。すこし怒っているような気がする。
ずっとここにいればいいなどと、思っているのだろうか。彼女は。彼女が神のことが分からないというように、桂木も人間のことが分からない。お互い様だろう。桂木はそう思い、やしろの中でごろりと横になった。
天照に行けば、桂木のような刀神はたくさんいるのだろう。退屈しないくらいに妖魔退治に忙しいのかもしれない。けれど、桂木にとってそれくらいでちょうどいいのだ。
――それで、贖罪ができるのなら。
彼女と最後に話をしたその日から半年後、雪魄桂木刀・伍号は神社から天照に受け継がれることになった。
女はその日から桂木と顔を合わせることはなかったのだ。
廃れた神社に刀神が居着いている、とだれかが伝えたのだろう。こんな田舎にわざわざご苦労なことだと思ったけれど、女の顔をもう見ることはないと思うと、痛んだ。
なぜ痛んだのか、どこが痛んだのかは分からない。
「よく見つけたね」
桂木は天照から来たという遣いの男にそう呟いた。男は「仕事ですから」と返した。
「冬はここ、異様に寒いんだ。そこで気づかれちゃったのかな」
「……あなたの異能のせいでしたか。天照になにか、ご不満でも?」
「いや。逆さ。ちょっと楽しいことがあったから気づかれたくなかっただけ。でも、今は違う」
男は、ちらと桂木の顔を見て、「そうですか」とだけ呟いた。
これからの冬は、もう寒くはないだろう。
桂木はふと足を止めた。
笛の音が聞こえてきたからだ。それと、太鼓の音も。
「……」
白無垢を纏った花嫁が、ゆっくりと歩く馬に乗せられていた。
あの女だった。
桂木は顔をゆるめてふと笑い、立ち止まった足を再び動かす。男はなにか知っていたのだろうか。それを咎めることはなかった。
それから雪魄桂木刀・伍号は天照に居を移したのだ。
向坂昴という男と臨時を組んだことがある。
刃佩流の男は、「楽しい」という顔をしていた。
桂木はその男を「坊」と呼んでほんの数回、任務に付き合っただけで、桂木と話していて「楽しい」と、はっきり言われたわけではない。けれども悪くはなかったのだろう。桂木自身も、昴と話をしていて「楽しい」と思えていた。
人を斬ったことを覚えているかという不躾な質問に、昴はのろりとした言葉で返事をした。「随分遠慮なく聞くんだな」と。桂木は謝ったが、昴はあまり気にしてはいないようだ。
やはり人間のことは分からない。分からないけれど、知ろうとする思いはある。昔とちがって。昴たち――若い刀遣いと接してきたからだろうか。
少しは、
少しはましになりたかったのだ。
贖罪のために延々と生きてきたが、少しは、ましになっただろうか。人間を襲う妖魔や、人間に仇を為す人間を斬って、斬って、斬って。ましになれただろうか。
とっくに死んだであろうあの女の顔も声も、もう思い出せない。
けれど、あの時の野菊の花は思い返せる。
「なぁ。坊」
「ん?」
「人間もさ、花を贈ったら喜ぶんかな?」
「さ~、どうだかね。人によるんじゃない?」
「そっか」
桂木と昴の足もとに、野菊がおそるおそるといった風に咲いている。秋らしい、乾いた風がそっと吹いた。
「桂木は?」
「俺? 俺はそうだな……。悪い気はしねぇかな」
けらけらと笑い合う桂木と昴も、いずれお互いに思い出になることもあるだろう。
それでいいと思う。今現在は必ず過去になるし、それが記憶になるか思い出になるかの違いだ。
「だってさ。きれいじゃん」
花って、
きれいだろう。
思い出みたいに。
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