いを
2023-09-03 17:42:03
3319文字
Public 刀神
 

ナラタージュの莟

雪魄桂木刀・伍号のこと。
・(少しだけ)ハモさん【EN_Hot_water】
お借りしています。

 もうずっと昔のことだと思っていたし、両手で数え切れない程度の年数だと思っていたが、たかだか100年前だ。
 山を見ると思い出す。
 夏山のてっぺんを氷漬けにした、ひとりの刀遣いのことを。
 そいつはなんだかいつもさかしら顔をしていたけれど、別にいやなやつではなかったし、刀遣いとしてはなかなか優秀な男だった。
 山のあたりに妖魔が出たというので2人で向かった。男は背嚢を背負って、息をきらすことなく着々と山道を歩いていた。青臭いほどの緑、緑、緑。
 男は一度、岩に背中をあずけて一眠りした。月が上にあった時間だったからだ。火の番は雪魄桂木刀・伍号がした。
 その時は妖魔は現れず、明け方になる前に男はまた山を登った。
 口数の少ない男だったが、
「腹は減っていないか」
 と、何か思いついたように言った。生気は足りている、というと、そういうことじゃあない。そう目尻を下げた。
「刀神でも旨いものは食いたいものだろう」
 そういうものか、とその時桂木は思った。確かに酒は好きだが、食うことはあまりしないからか。酒の肴として食うことはするが、食事はそうそうとらない。
「お前にとっての酒と同じようなものだ」
 そりゃあ、ごうつくばりだ。と、桂木は言った。
「俺は酒だけでじゅうぶんなんだがね」
「人間と住んでるんだから、真似事くらいしたらどうだ」
「真似事ねぇ」
 背嚢から小型のナイフと飯盒はんごうと味噌を取り出して、木の根あたりに生えているキノコをナイフで削ぎ取る。
「食えるキノコだ」
「ふぅん」
「キノコ汁にしよう」
 そういえば朝飯はまだのようだった。刀神には関係はないが人間は飯を食わなければ死んでしまうのだと知っている。男は地べたに座って、水筒に貯めていた水を飯盒に入れて、火を熾す。桂木は倒木の上に座っていた。
 てのひらの上で手際よくキノコを切り、味噌を入れて箸で溶く。たちまち黄土色になった汁を男は見下ろして、もうひと匙、味噌を入れた。
「これに握り飯があれば十分だ」
 そう言い、沸騰してきた汁を器に入れて桂木にすすめた。桂木は思わず手を出して器を受け取る。そのまま汁を啜ると、意外とキノコというものは弾力があった。味噌の加減もちょうどいい。
「うまい」
「そうだろう」
 男は少し嬉しそうな顔をした。
 それから飯盒の中身を平らげるまで、そうそう時間がかからなかった。軽く飯盒を近くの湧き水で洗い、背嚢にしまい込むと、再び山を登り始める。
 太陽の位置を確認しながら、山の頂上を目指す。その場所に妖魔が鎮座している、と、下緒院からの通達があったためだ。 
 男は腰に雪魄桂木刀・伍号をさげ、ただひたすらに頂上を目指した。
 頂上に足をかけたのは、太陽が真ん中に上がった頃だった。男は懐から懐中時計を取り出し、なにごとかを呟く。桂木には聞こえなかったが、まるで遺言のように聞こえた。
 妖魔は黒い蛇のような形をしていた。
「こいつはでかい」
 桂木が感嘆にも似た声をつくと、男は腰から下げた脇差を抜き去った。
「この山の神みたいだな」
 妖魔は首をもたげ、じっと2人を見下ろしている。妖魔が神などと。桂木はふと思ったが、自分が言うようなことではない。男は駆け出し、妖魔の腹を斬るために振り抜いた。脇差の戦い方ではない。桂木は焦ったが、男は「来るな」と鋭く叫んだ。
「神殺しは呪いをもらう」
「こいつは神じゃない。妖魔だろ」
「そうだ。だが、あまりにも人間たちの信仰を集めすぎた。信仰は呪いにもなる」
 男の言葉は桂木を納得させた。そうか。そうだろう。その通りだ。
 ――この世の全ては呪いにも祝福にもなるのだ。
「桂木!」
 男の声が山頂に響く。蛇のしゃがれた鳴き声と同時だった。桂木は頷き、地面から氷を突き出させ、妖魔の動きを止めた。頭を虫ピンのように氷に貫かれた体が突如暴れ出した。男は「桂木、下がっていろ」と叫ぶ。
「おい! お前――
 暴れる蛇の尾がこちらに届く前に、男は――刀遣いは、仕留める気だったようだ。飛び込むように地面を蹴り、蛇の腹を裂く。どばりと黒い液体が吐き出されるも、なお蛇は体を上下に激しく動かしている。まるで、本物の蛇だ。
 男は桂木の異能を使い、辺り一帯を氷漬けにした。10mほどもある妖魔の体全体を覆い尽くす気だ。
「お前、無茶だ。そんな戦い方すれば生気が底をつくぞ」
「かまわない。俺はここで死ぬつもりで来た」
 男と桂木を中心に、氷は無情にも広がり続けている。やめろ。お前、そんなことして。という桂木の言葉もむなしく、男の顔色は徐々に青ざめていく。妖魔は少しずつ動きが鈍くなっていたようだった。
 蛇の腹は氷で地面とくっつき、暴れようとするたびに皮膚が更に裂けて黒い体液が氷の上を滑ってゆく。
「なあ桂木。俺、この山の麓の村で生まれたんだ。そこに好きな娘がいたけど、こいつに殺されてしまった。なんてことない、よくある話さ。けど俺にとっては」
 男は激しく咳き込む。血が混じった氷の上の妖魔の体液と一緒に流れていった。
「俺にとっては、俺の命よりも大切で大事な娘だったんだよ」
……
 桂木はただ見ていることしかできない。
「でも結局は兄妹。生きてたって結ばれることはなかった。だから、俺はここで死ぬんだ。なあ、桂木。悪いけど俺が死んだら、山の麓まで連れて行ってくれないか」
……分かったよ。ほんとは俺、お前に死んでほしくないけど。でもお前がそう言うなら、ちゃんと約束は守る」
 どんな言葉をかけたらよかったのか。
 その時、どんな言葉をかけたら男は死なずに済んだのだろう。人間は、分からない。人間の命も感情も、桂木は掬おうにもたやすく落ちて言ってしまうのだ。雪魄桂木刀・伍号にはその資格がないとでも言うかのように。
 けれどその男は心の底から安心したような顔をして「ありがとう」と言った。
 桂木はその男の命を吸ってこの周辺一帯を氷漬けにした。妖魔は男の最期の一太刀で、霧になって消えていった。

「俺、お前のことなんにも知らなかったけど、結構楽しかったんだぜ」
 重たい男の遺体を背負って、山を下る。背嚢もろとも背負い込みながら、一日かけて麓まで歩いた。
 力の抜けた遺体は重いのだ、と桂木は初めて知った。
「お前の願いを叶えることができて、ちょっとはよかったのかな」
 お前が安心したならよかったんだけど。
 死に顔は安らかだった。それが全ての答えのように思えた。
 麓に下った桂木は、その男の家族だという女に遺体を渡し、その人は諦めたようにその死に顔を見つめていた。くちびるだけで「馬鹿な子」、と言ったのかもしれない。
 そのあとのことは知らない。荼毘に付せられたのだろうけれど。
 桂木は1人天照に戻り、今回の任務の成功と失敗を伝えたが、責められるようなことはなかった。

 その山頂一帯の氷が溶けたのは、秋の終わり頃だった。

 粒子波紋刀五拾参式という刀神は、外の世界をあまり知らないという。
 雪魄桂木刀・伍号はそのことについて憐憫の思いはないが、「外は」と酒を注ぎながら言った。
「外は、広いぜ」
 長い桃色の髪が風にゆっくりとそよぐ。
「行きたい場所に行けたらいいな、ハモ殿」
 こうして酒を飲める仲というのは、正直ありがたい。
 だから彼女が行きたい場所に行けるといい。そういったことが全てではない。けれど彼女が不自由な思いをせずに生きていければいいと、同い年の雪魄桂木刀・伍号は思う。
 陽に焦げてかさつく葉が、雪魄桂木刀・伍号と粒子波紋刀五拾参式の足もとを転がっていった。
「あ、あそこにキノコ生えてる。あれ食えんのかな」
「キノコ?」
「あの、赤い傘のやつ」
「トマトみたいですわね」
「キノコって、毒のやつもあるみたいだけど」
「まぁ、毒」
「俺たち毒あるキノコ食っても大丈夫なんかな」
 まあ、すすんで食べようとは思わないけれど。粒子波紋刀五拾参式は興味深そうに木の根に生えたキノコを見つめていた。
 もうじき秋という時期のことだった。