いを
2023-09-01 16:21:30
2986文字
Public 刀神
 

ひとつ星にかえすたび

蓮のこと。
・米澤さん【moru0101】
・お名前だけ、降藤さん【yasuinokikaku】
お借りしています。

 昔、三味線を弾く刀神を見たことがある。
 特別名手でもなんでもないし、謂れがあるわけでもない。ただ趣味で弾いているのだと聞いた。聞いたのはいつだったか。まだ小学生ごろのときだったような気がする。
 正座もせず、胡座なんかをかいて器用に弾いていた。
 頭の上に突き出た耳、四本の尾。紫かかった髪の毛と、
……
 ふと立ち止まる。どこぞで聞き覚えのある音だった。
 けれど今は耳をそばだてても聞こえはしない。空耳か。または、そういったものか。
 今から國明に礼をと思って凪鞘班に来たのだった。懐かしくも思うこともないリノリウムの廊下だが、磨きがかかって己の顔も映るようだ。清潔にしているのは凪鞘班らしい。
 下緒院はといえば、無論綺麗な場所もあるが、面やら符やら開けてはいけなさそうな部屋やらがあるし、ほこりをかぶったなんだか分からないものもそこらじゅうにある。
 蓮の目には悪いものではないとは分かっていても、勉強不足だからだろうか、「それら」がなんなのか分からない。
 だがひとつ、分かった物がある。三味線だ。ほこりをかぶっているし、もうどんな名手が弾いてもいい音など出ないだろうと思う。
 何度か訪ったことのある國明がいる部屋の前に立ち、二回、扉を叩く。
 すこし無愛想な声が聞こえ、それから戸を引いた。
「ああ……。お前か」
「あいさつが遅くなった」
 と、蓮も同じようなトーンで彼に続けた。
「下緒院に異動になってから、時間がたってしまった。あいさつが遅れてすまない」
「そうか。お前はいずれ下緒院に異動すると思っていたが」
……あんたから見ればそうだったんだろう」
 蓮は懐から、符をひと札差し出した。和紙の上に筆で描かれた鶏だ。
「俺が描いたから霊験なんかないと思うが、今日は庚申会こうしんえの日だ」
 庚申会。
 60日に一度めぐってくる庚申信仰の一部。
 夜、眠っているときに体の中にいる三尸さんしの虫が天に昇り、天帝にその人間が犯した罪を告げるという。それを防ぐために一晩徹夜をしなければならないという教えだ。
 今はもう、庚申会をする集まりなどほとんどないだろうが。
 蓮の家もそうそうすることはない。ただ、親戚が面白がって家にやってきては飲んだくれていることがある。それはきまって庚申会の日だった。
 ――もしその日に眠ってしまっても、
……その日の夜は、一番鶏が鳴くと終わるらしい。迷信だし、そもそも庚申会なんて今どき流行らない。けど鶏は天照大御神を祀る神社の神使だ。悪いことは運んでこないだろう。これを礼として置いていく」
「義理堅いんだな。ありがたくもらっておく」
「そうしてくれ。まだ下っ端だが下緒院の符だ。きっと効く」
 國明は符を持ち、目を細めて、そのいびつな鶏を見下ろした。
「想いを込めて描かれたものは魂が宿る」
「だといいが」
「下緒院に入ったんだ。それくらい信じてみたらどうだ」
 蓮はすこしだけ不器用に笑って、國明に頭を下げた。
「それじゃあ。あんたには世話になった。下緒院に行っても、ここで学んだことは忘れないつもりだ」
 そう続けて、研究室から出た。
 窓の外の日は、傾いている。
 薄紫色の雲が刷毛で刷いたように流れていた。
 秋の空だろう。
 窓から目をそらし、下緒院に戻る。近づくにつれ、三味線の音がどこかから聞こえてきた。すこしいびつな音だ。
……
 薄暗い部屋から聞こえてきている。ドアノブを捻ると錆びた、軋んだ音をたてた。まるでここにだれかがいるはずがない、と言うような。
 けれども確かにここから三味線の音が聞こえている。
「おお、坊。きみには聞こえていたんやなぁ」
 思わず足を引く。奇妙なイントネーションの声の主は、金霞黎明刀のものだろう。すすけた畳の上にじかに坐り、ほこりのかぶった三味線を撥で鳴らしていた。
 行儀悪く、胡座をかいて。
「あんたが弾いていたのか?」
「昔から弾いとるよ。きみがこーんなちいちゃい頃に聞かせてたの覚えてないやろ」
「覚えていない、が、その音は記憶にはある」
 金子と呼べと本人が言っているので、「金子」と続けた。
 男は細い目をそのままに、蓮の言葉を待っているようだった。
「あんたが弾くそれを見て、真似するようになったんだ」
「真似? なにか楽器でもやってるん?」
「三味線とはかけ離れてはいるが、ギターだ」
「ぎたぁ? ああ。あのけたたましい感じの楽器。僕がきっかけなのおもろいな」
 金子はけたけたと笑いながら、撥を畳の上に置いた。
「また、それも縁や。けど坊。きみ、あんまりこっち側にきたらあかんで」
「こっち……とは」
「人間じゃないほうってこと。坊は人間なんやから、聞く音、聞かざる音、見るもの、見ざるもの。そういったのきちんと仕分けといたほうがええで」
 やはりおかしなイントネーションは続く。
「もう耳にたこかもしれんけど、生きてないもんはどうやっても生きてないんや。僕ら刀神やって同じ。カミは生きているもんやない」
……あんたたちだって」
「せやなぁ。けど、人間とカミの線引きは」
 ふいに金子は撥を振りかぶって、畳に突きつけた。
「ここから先、きたらあかん。ってことや」
 僅かばかりにちらつく黄金きんの目。
「カミに心許すのは、坊の相方くらいにしとき」
「藤ねぇのことか。あんたどこまで知って」
「坊のバディになるくらいのカミや。守りがついたことくらい、僕にも分かる。よかったな、坊。背中も軽くなったやろ」
……そうだな」
 金子はまるで狐のように目を細めて笑い、犬歯をみせた。
「がははは。いい返事や。坊、これからいそがしくなるで。あーしろこーしろ、人間様は大変やなぁ。けど玉匣の家のお子ぉがここまで育って、きみのお父ちゃんも嬉しいやろ。……亡くなったみたいやけど」
「半年くらい前だ」
「うん。そうか。僕、きみのお父ちゃんに会ったことあるで。お父ちゃんにも三味線聞かせたことあったなぁ」
……そうだったのか」
「まあ、お父ちゃんはお父ちゃん、きみはきみ。きみはきみの人生を生きればええ」
 金子はやけに大きな口で笑い、三味線を下げた。
「この三味線、もうだめやな。皮張りもこんなや。今じゃ腕のいい三絃師ものぉなってしまって」
 ほこりをかぶった三味線なのだから、そうだろう。きっともう、現役のようにはいくまい。
 蓮はあぐらをかいて坐る金子を見下ろしながら、そういえばこの刀神は狐だったなと思う。狐には化かされるのが道理だと思うと、すこし面白い気持ちになった。
 ぱんぱんと皮張りをほこりを軽く叩いた金子は、「お行き」と言った。
「じき天気雨が降る。帰ったほうがええ」
「ああ」
「悪いもんに掴まらんようにな」
「今日は庚申会だからな。鶏がいればなんとかなる」
 そのままほこりっぽい部屋の戸を閉める。遠くから雷が鳴り始めた。
 こんな軋むような戸だ、油でも差せばいくばくかはよくなるだろうか。
 再び三味線の音が遠雷にまじって、か細く聞こえてくる。
 昔聞いた金子の三味線が、いまや趣味のギターだ。なるようになるものだなと思う。

 縁というものは不思議なものだ。
 ――合縁奇縁。
 よくいったものだと、蓮は思う。