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いを
2023-08-30 20:59:11
1878文字
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刀神
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花か蝶か流れ星
小夜子のこと。
・八雲さん【yasuinokikaku】
お借りしています。
小夜子は、自分の爪を彩ったことがない。いや、昔
――
幼稚園生だったころなどはあるかもしれないが、さすがにそこまで覚えていない。けれど少なくとも、小夜子の部屋にはマニキュアなどなかった。
「俺は小夜子ちゃんの手が好きだよ」
そう八雲は言った。小夜子は自分の手を見た。切り傷だらけで気味の悪い手だと思うけれど、八雲が好きだと言ってくれて、気味悪いだけではないかもしれないと思えた。
小夜子は半年前、家を出た。家を出てひとりぐらしをしている。大変なこともあるが、家にいた時よりは自由に生きられているから、正解だったのだと考えている。
ローテーブルなんて洒落たものはなく、机はひとつだけ。ダイニングテーブルと共用だ。けれどソファはある。チェックの布を敷いているソファでよく寝転んで本を読んでいる。ベッドサイドには本が山積みになっているし、本棚からも本がこぼれ落ちそうになっていた。
テーブルの上にひとつ、異彩を放つものがあった。
八雲からもらったネイルポリッシュ。濃い黄色をしたそれは、まだパッケージを開けてはいない。なんとなく、勿体なく思ったからだ。けれどせっかくもらったのだから、開けたって罰は当たらないだろう。
「
……
似合うのかしら」
箱から取り出した瓶を見て、ぼんやりと思う。そのまま椅子に腰かけて、爪を刷毛で撫でた。幸いにも爪はボロボロにはなっていないから、沁みたりもしない。けれど、爪と皮膚の間に黄色がはみ出て、どうにもいびつで不格好だった。
「あ」
思い出した。ネイルをしたことがないから、もちろん除光液など持ってはいない。もう少しうまく塗れていたらと思うのだが、こうなってしまっては後の祭りだ。手袋で誤魔化そう。この時ばかりはいつも手袋をしていてよかったと思う。
スマートフォンを掴んで、八雲に電話をする。考えなしの行動ではないと思い込みながら。数秒たって、聞きなじみのある声が小夜子の耳をそっと撫でた。
「小夜子ちゃん。どうかした?」
「八雲さん、あのね」
と、すこし言い淀む。考えなしなどではないと思ったのは自分なのだから。
「あなたからもらったの、塗ってみたんだけど」
「ああ、あのネイルポリッシュ? 塗ってくれたんだ」
「マニキュア、わたし塗ったことがなくてね」
そうなの、と言った八雲は驚いた様子だった。けれど別に揶揄う様子もなく、口を閉じたようだ。
「だから
……
その、あなた手先器用でしょう」
「まあ、それなりにはね」
「今度、塗ってくれると嬉しい
……
」
きれいに、塗れないから。
その言葉はほとんど声にはならなかっただろう。
「いいよ」
八雲はすぐにそう答えてくれた。
「小夜子ちゃんがいいなら」
とも。
八雲は小夜子の手を見たって、眉をひそめることもないだろう。それがなによりも小夜子にとってはありがたい。
「こういうのって慣れなのかしらね」
「慣れたらきっとひとりでも綺麗に塗れるよ」
「だったらいいんだけど。わたしあなたより不器用だから」
「それはまあ、その分人生経験抱負ですから?」
くすりと笑った彼は、もっともなことを言ってくれた。小夜子も「ありがとう」とそっと笑い、「約束よ」と告げる。
「マニキュアくらい、塗れると思ってた?」
「そんなことないよ」
ちょっとした嫌みみたいな言葉でも、八雲は流してくれる。小夜子の口からついて出てきたどんな言葉も。
「でもわたし、嬉しかった。わたしもこういうのつけていいって思わせてくれたみたいで」
「よかった」
「なにが?」
「気に入ってくれたみたいで」
「
……
それはね。八雲さんからもらったものだから、大事にするわよ。それじゃあまたね」
途中でなにを言っているのか分からなくなって、口早に伝えて電話を切った。八雲はどんな顔をしただろうか。呆然とさせてしまっただろうか。小夜子は暗くなった液晶画面に映る、2年前よりだいぶ短くなった髪を見下ろした。うなじも見えてしまうくらいだから、夏は快適だけれど冬はやっぱり寒い。
――
多分、髪の毛を伸ばすことはもしかするともうないかもしれない。手入れも、うまくできていなかったし。
机の上に置いてあるちいさな瓶のそれを見下ろす。
過去の小夜子であったら、こんなもの、と思うのだろう。
ひとって、変わるものね。
小夜子は思う。
不変なんてないのかしら。
変わることも、変わらないことも、あるのかもしれないわね。
その手のひらで収まってしまうほどの大きさの瓶を、心にしまい込むように握りしめた。
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