いを
2023-08-26 18:34:03
2724文字
Public 刀神
 

星を落す

久遠のこと。
・リューダさん【_f4b3c2】
お借りしています。

 6年、たったのだな、と思う。6年のうちに久遠は壱段になった。なったのだ。遠い遠い場所に、で漕ぐような船できたような思いになった。
 久遠が辿った道は足跡を残せただろうか。誰かの道しるべに。分からない。壱段になったことの意味を、いつも考えていた。決してたやすい道ではなかったはずだ。なんのために強くなったのだ。自分はなんのために。守りたかったからだ。誰を。誰かを。顔も知らない誰をも。守りたい、そう考えて逃げていた。
 前線に立ち続けて6年。刀遣いとしての生命を脅かすような怪我もしたが、今もこうして立っている。
 何のための強さなのか。誰のための強さなのか。
 すべからく、それは久遠以外の人間のための強さだ。
 
 ――あの約束、覚えてる?

 リューダは言った。何事よりも先に。大切な約束だとでも言うかのように。
 忘れる。
 忘れるわけがないだろう。
 久遠はそっと思う。眼鏡を押し上げる。かちゃりと音がする。視界に4つの指輪が、鈍く光った。
 見ているぞというように。
 逃れようがない運命だったのだ。蜘蛛の巣に絡め取られたのは久遠の方だった。祖母から賜ったこの指輪は、いつだって監視していた。
 祖母は、信心深い人だった。見ているよ、と言っていた。久遠が幼い頃だった。神様は見ているよ。ずっとね。だから滅多なことをしてはいけない。それがどうにも恐ろしく思えて、久遠はうろたえた。
 頭がずきりと痛んだ。指先をこめかみにあてて、ほんの数秒、眉間にしわができたのを自覚する。
 久遠さん?
 リューダがちいさく尋ねた。
 いや、とかぶりを振る。逃げてはならない。これ以上逃げては。リューダは何故、こんな薄情な男を好きになってくれたのだろうか。それさえ分からない。
 自分に、それだけの価値などあるまい。
 そうだろう、早乙女久遠。

 リューダは以前とは違う一人称で、いつもとは違う言葉の欠片で、「久遠さん」と言った。
「好きになっても、いいですか?」
 その言葉は、確かに久遠に届いた。
 届いて、
 ナイフのように突き刺さる。痛むほどのそれは、久遠の体の中に惨禍となって渦巻いた。
 答えず、ここで逃げることは簡単である。赤子の手をひねるほど、とはこういうことだろう。だがあまりにも卑怯でもある。これ以上無様なていを彼女に見せたくはない。
 強くなった。
 リューダは、本当に強くなった。
 久遠の庇護などいらないくらいに。きっと、そうなのだろう。そういう意味なのだろう。
「俺は」
 ようやく吐きだした声は少し、揺れていた。
「6年、本当に待たせたと思う。それでも、想っていてくれてありがとう。リューダ」
 誰にも言っていないことがある。
 早乙女の家にある「それ」は、守らなくてはいけない。弟の代でこんなことになるなんて思ってもみなかった。早乙女家を守るカミは5年前、瀕死だった。これでは早乙女家は衰退の一途を辿るしかない。そこでその「カミ」に、久遠、そして弟の寿命を半分ずつ分けた。分けたといっても、そのような「儀式」をしたというだけで、本当にそれが成功したかは分からない。その時・・・にならなければ。
 ヒトの寿命を得たカミは、おそらく――成功していれば――その寿命分、またはそれ以上に力を蓄えるだろう。妖魔や悪いものを遠ざけてくれる結界の役割をしてくれれば御の字である。
 そしてその役割が成功したとき、久遠と久遠の弟――壽々樹すずきの寿命は今より半分となる。あと生きることができる年数はおおよそ20年。その間に殉職などしなければ、40代後半か、50代前半で寿命は来る。
 決して口外してはならない。これは早乙女家の問題である。父と母からも他言無用だと常々言われた。
 死ぬことは別に怖くなど無いのだ。
 怖くなどない。
 人間は遅かれ早かれ、死ぬのだ。
 そこに感傷などない。
 なにも。
 感じない。感じはしない。それを不幸だとも思わない。幸福だともいわないが。
 ――そんなものを抱えて、誰が「好きになってもいい」と言えるだろうか。久遠には、それだけの責任がある。その責任は負わなければならない。こうなった以上。
 恋や愛といった感情を、知らないわけではない。久遠も。この6年間はがむしゃらで約束通り恋などしていなかったし、することを禁じたのは誰でもない、おのれ自身だ。
 リューダの「好き」とは、そういう「好き」なのだろう。
 分かっている。
 言葉づかいを変えてまで思いを伝えてくれた姿に、久遠はふと遠い昔の彼女を思い返した。
 うつむき加減の顔。伏し目がちの瞳。
 それが今はこんなにも真っ直ぐだ。
 そう。
 久遠がいなくても、もう。
「だが、俺は鯉朽隊だ。前線で戦っている。……床の上で死ぬことはないだろう。俺は鯉朽隊で生き、鯉朽隊に殉じる。もとからその覚悟だ」
 リューダはなにかを言いたげにくちびるを動かした。ふ、と息を吸う音が久遠に確かに聞こえた。
 だが言わせることはできない。
「俺はこれから危険な任務に行くし、そこから帰ることなく死ぬかもしれない。それが一週間後かもしれないし、一年後かもしれない」
「そっか。まぁ……この職だしね。何があってもおかしくないし」
 リューダはそう言った。そのとおりだ。何があってもおかしくはない。鯉朽隊とはそういう部署なのだ。
 けれどそうではない。一生をかけて、久遠はもう戻れない家に縛り付けられることを選んでしまった。誰でもない、久遠自身の意思で。
「それでも、私は……そばに居たい。ずっと支えてもらったから。今度は私が支えたいの」
 ゆっくりと目を閉じる。
 そばにいたい。支えてもらったから。支えたい。
 チリチリとした痛みが目の裏で弾ける。目の奥がわずかに痛んだ。目を開けるのには勇気が要った。
 ほんのりとしたリューダの女性らしさを感じる。実家にある無垢な桜の花のような。懐かしい思いになるとともに、悔恨のようなものも感じた。
 もし。
 もしあの時――5年前、早乙女家のことなどと、振り切っていたらこんな結末ではなかったかもしれない。もう、分からないことだが。過去には戻れないのだから。
……俺のことを、どうか好きにならないでほしい。これ以上、お前の心を占めることはしないでほしい」
 死んでゆく自分の、せめてもの懺悔だ。
「俺はいずれ死ぬ。決まっていることだ。だが怖くなどない。……だが、こんな俺を好きになってくれようとしたことを、俺は忘れない。一生かけて忘れない」
 
 せめて、ここに置いてゆこう。
 俺の心を。
 俺の、すべてを。