いを
2023-08-21 16:47:09
2026文字
Public 刀神
 

こうして文学を演じる

久遠のこと。
・畢宿さん【Metol_P】
お借りしています。

あなたは火だ
あなたは僕に古くなればなるほど新しさを感じさせる
僕にとってあなたは新奇の無尽蔵だ
凡ての枝葉を取り去つた現実のかたまりだ

          ――「僕等」高村光太郎

 桜の木があったように思う。確か、久遠の家の庭に。もう帰ることは許されないが、確かにあったと思う。けれど枝は切らないものだと誰かから教わった。誰であったか、忘れてしまった。桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿という言葉を聞いたことがある。梅は久遠の家がいつも頼んでいる庭師に切ってもらっていた。これもおぼろげで、久遠が本当に幼いときの記憶なのかもしれない。
 桜を見ると家を思い出すということも、もう無きに等しいが幼い頃を思い出し、懐かしい思いになった。
 
「人の子」
 黒い影が口を開く。
 宙に浮かぶその影は畢宿という名の刀神であった。その名の意味を、どこかで聞いた。
「行くのか? 戦場へ。戦いに」
「ああ。よろしく頼む。畢宿殿」
 現場はここから100m程しか離れてはいない。比較的大きな門が開いたようだった。高段位のものも、数人出動しているようでもある。
 久遠は壱段とはいえども、今の段位になって半年に過ぎない。けれどもなけなしの壱段のプライドにかけて、今回の討伐任務は成功させなければならないだろう。
 コートの上からベルトをし、畢宿を固定する。
 緋鍔局の職員からのナビゲーションどおりにビルを曲り、狭い路地を走る。インカムから、ジッ、と音がした。立ち止まり、上を見ると黒い大きな影が見えた。瞬時に畢宿を抜き去り、上から飛び降りて降ってきた妖魔と相対する。
……オチムシャか……
「たいそう立派な装備品を持っておるな」
「見たところ」
 オチムシャは刀を持ち、胴丸を身につけている時点で強力な力を持っているのは確かだった。まるで梅雨の湿った風、黒南風を運んできそうな姿に、久遠は眉をしかめた。
「ここで仕留める」
「やつがれの力が必要か?」
「頼んだ」
 直後、黒い雷光が迸る。オチムシャの真っ黒な姿を更に際立たせる。久遠は足を踏み出し、胴丸を纏うそれに一撃を仕掛けた。刃と刃が弾かれる甲高い音が狭い路地に響き渡った。
 刃を刃で食い破るような力加減を久遠は知っているし、おそらくこのオチムシャも知っているのだろう。よく見るとオチムシャの刃の先から血液が流れ落ちている。誰かを斬ったのだろう。
「お前が斬った人間は美味かったか。その血は、肉は」
 まるで子猫にでも語りかけるような口調で、鍔迫り合いをする。ガチガチと鳴っているのはどちらの刀か。
「だがこの畢宿殿はそうはいかないぞ。無論、この俺も」
 押し負けることは許されない。久遠は迫り合う恰好のまま、足を一歩踏み出して力任せにオチムシャの刀を弾いた。――火花が散る。暗い闇の中に、それは美しい曲線を描いて、星のように地面に落ちていく。
「人の子」
 かすかな声が聞こえる。畢宿の、ほんの少しなにかを怖がっている声だった。
「もう一体か……
「取り囲まれたぞ」
「心配はいらない。生気は潤沢だ」
 路地は狭い。狭いからこそ、派手な攻撃はできないことを久遠は知っている。おそらく畢宿も知っているだろう。じゃり、と後ろから詰め寄る足音が聞こえてきた。
「やつがれの力が必要だな」
「ああ。好きなだけ持っていけ」
 畢宿の体がゆらゆらと揺らめき、直後に腹に響く音が地面を鋭い刃物のように切り裂く。びりびりと周りのビルが振動した。オチムシャの頭から足にかけて真っ直ぐ喰らった黒いいかづちは、膝を突かせるのに十分な威力のようだった。
 妖魔以外・・・・に干渉しない異能は、実に使い勝手がよかった。人間にも、建物にも傷ひとつない。削られるのはその時の所有者の生気のみだ。いかにも僥倖だろう、それは。
 地面に膝をつき動けない妖魔の首を刈る。黒い霧を噴き、やがて二体ともオチムシャは消えていった。
 ふと息をつき一旦、畢宿を鞘に収める。
 ちょうどその時、インカムから緋鍔局員の声が聞こえてきた。門はどうやら消えたらしい。
「今日はこれまでだな。門は消えた、とのことだ」
「そうか。つまらんな。成果はオチムシャ2体か」
「好きなんだな。戦いが」
 畢宿はぎゅうと目を細めた。肯定ということだろう。
「俺も好きだ。同じだな」
「そうか」
「戦いが嫌いな壱段はそういないだろう。戦うために、強くなるためにここまでのし上がってきたんだ」
 くちびるの端をほんの少し、上げる。自虐のような、そうでもないような表情かおをした。

「帰ろうか」

 空は青暗い。
 横目に桜の木が見えた、と思ったが、気のせいだったようだ。あれはただの街路樹。桜ではない。
 あの桜は家にしかない。黒々とした幹が伸び、昼間には葉の間や幹の間から美しい光を地面に落としていた。
 久遠は確かに覚えている。
 幹の間から眺めた夜空のことを。