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いを
2023-08-16 17:29:58
3548文字
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刀神
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愚者の哲学
蓮のこと、久遠のこと。
手合わせの話。
・灰さん、ふんわり藤ねぇさま【yasuinokikaku】
・(お名前だけ)森さん【waffle_mofu】
お借りしています。
「壱段と手合わせ、だって?」
蓮の眉間にいつものように皺が寄る。壱段と手合わせなどしたことがない。無闇矢鱈に手合わせしても怪我をする、もしくは打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。
「あんたと?」
10㎝と少し、背が高い男を見上げる。玉匣蓮の親戚の早乙女久遠。自分とよく似た男は同じような目の色で蓮を真っ直ぐ見下ろしている。
「手持ち無沙汰でな」
「手持ち無沙汰で肆段と手合わせするってのか、あんたは」
道着の衿を正し、袴の前を結ぶ。必要以上にきつく締め、自前の木刀を握った。壱段なんていう存在に勝とうとは思わないが、相手が久遠だと少し
――
気に障る。
「
……
いいだろう」
どうせ勝てぬ戦だ。壱段の強さを間近で見るいい機会なのかもしれない。
「受けて立つ」
蓮の視線に久遠は頷いた。
道場に行き、手合わせをする何組かの刀遣いを見つめる男性が一人、いた。その人に声をかけた久遠を少し遠くから見る。その人が頷いた様子を見ると、審判を頼んだのだろうか。知り合いではなさそうだった。
「こちらは神田灰さんだ。審判を頼もうと思う」
「
……
ああ。玉匣蓮、といいます。よろしくお願いします」
「よろしくね」
神田灰というその人は優しそうな面をしていた。だがそこに何らかのものが見えた。「何らか」であって、はっきりとは見えない。思わず、サングラスのつるに触れた。
せめぎ合う手合わせ中の刀遣いたちの姿を横目で見ながら、位置に立つ。すらりと木刀を握った久遠は音もさせなかった。ここからちがうのだ、悔しいとも思わない。蓮にとって壱段とは手の届かない存在だった。だが、いずれ強くなりたいとは思う。幼い弟のような悲惨な最期をもう、見たくはない。幸運にも蓮には刀遣いとしての才能があった。妖刀を持った時点で気狂いをおこさなかっただけで御の字だ。だがそれもスタートラインにも立っていなかったと知ったし、刀遣いになるのならば、それ相応の覚悟を決めなければ他の人間のために戦えないだろう。
久遠は何故、壱段になったのだろうか。どうしてそこまで強くなろうと思ったのだろうか。なんのために。
壱段の考えることは蓮にとって霧を掴むようなことだった。
「始め」
灰の声が耳朶にかかった直後、久遠は動いた。蓮の指が必要以上に力が入る。一瞬にして汗が滲み、木刀と木刀が打ちつけられた音に歯を軋ませた。
指が、手の甲が、腕が、まるで自分のものではないように痺れる。
まばたきするよりも早く間合いを詰めてきた。圧倒的な力の前に、蓮はただ歯を食いしばって木刀の腹で押し返そうとすることしか許されない。
すぐ目の前の男の目は冷静だった。熱くも冷めた様子もなく、ただそこにある、というだけだった。
「あんた、」
歯ぎしりの合間に呟く。
「今の間に何回俺を殺せた?」
久遠はその目のまま「5回」と平坦な声で答えた。
「5回お前は死んだが、お前の強さを俺はよく知らない。もしかするとそれ以下かもしれないし、それ以上かもしれない」
あくまで冷静な姿勢を崩さない久遠の声は耳によく響く。蓮は久遠を睨みあげたまま、痺れが続く腕を動かそうとしたが、やはりびくともしない。
――
なんて腕力だ。
蓮の木刀がガチガチと鳴っているが、久遠の木刀はその音さえ吸収するような静けさ。気に食わないなどとは思わない。そう思うことはまだ、烏滸がましいだろう。
「
……
あんたはどうしてここまで強くなろうと思った?」
じわりと久遠の目が揺らぐ。まずい、そう思った直後だった。蓮の掌から木刀が叩き落とされたのは。一瞬だった。一瞬で蓮の力を押し込み、手首の角度を変えて木刀の背を腹で叩いたのだ。
「止め」
灰の声で我に返ったのはどちらだっただろうか。
目を揺らがせた久遠だったのかもしれないし、久遠に口を出した蓮の方だったのかもしれない。
明るい茶色の、髪の毛がすこし揺れた。灰は二人の前に立ち、久遠に向き直る。
「早乙女くん、大丈夫?」
「はい」
灰は久遠に何か一言二言いい、蓮にも顔を向けた。
「玉匣くんも」
「
……
木刀を、落としてしまって」
じりじりといまだ痺れる腕をなんとかして、震える手で木刀を持ち上げた。重い、と思った。
「拾えたなら大丈夫」
一度頷き、移動しようと言った灰のいうことを聞いて、道場の隅に立った。多分、久遠が本気で殺しにかかってきたら5回では済まなかっただろう。壱段とはその強さがある。
「ありがとうございました。神田さん」
蓮が頭を軽くさげると、彼は優しげな表情で眉を下げて「手は大丈夫?」と再び問うたので、頷く。
久遠が考えていることはなんとなしに分かる。蓮の言葉が決定打になってしまった。壱段になったのは半年前。そしてその半年、厳しい任務を生き抜いてきたのは、
壱段だから
・・・・・
なのか、
偶然だから
・・・・・
なのか。
蓮には見えている。
男の足に、黒い指があることを。地獄に誘う指だ。以前も見たことがある。僅かに目を伏せている久遠には見えていないようだった。
「所感だけど」
と、灰は言った。
「玉匣くん」
「はい」
「もうちょっと体幹を鍛えたほうがいいのと
――
、早乙女くんは攻めの一方だったけど
……
揺らぎがあったね」
「
……
そうですね。玉匣の言葉で確かに揺らいでしまった。最近そう言われたことがあって。改めて考えるべきことができた、と思います」
久遠はぽつりぽつりと呟いてから、蓮を見下ろした。
「お前は強くなるだろう。少なくとも弐段までは行く筈だ。
……
俺の目に狂いがなければ、だが」
「
……
」
蓮は何も言わず、ただその言葉を聞き遂げた。
「それまで死ぬなよ」
「死ぬわけにはいかない。まだ」
そう答えると、久遠は何かに気づいたように目を軽く見開いた。それから何か言いたげに、くちびるをそっと動かした。
「
……
お前の父親
……
いつ亡くなった?」
「半年と少し前だ」
何故、という目をしていたのか、久遠は指を口に持っていって「あの刀神が言っていたことは本当だったのか」とひとり呟いた。
灰は静観してる。
「何のことだ?」
「いや。何でもない。俺はここで失礼する。神田さん、ありがとうございました」
「どういたしまして」
久遠は灰に頭を下げ、木刀を持って道場を去って行った。
「神田さん、」
「ん?」
「あんた、本当に参段なんですか?」
「
……
」
一瞬口をつぐんだ灰は、言おうか言うまいか少し躊躇っているようだった。
「いや、いいですよ別に。なにか事情があるんでしょう。聞かないでおきます。変なこと言ってすみません」
口を滑らしたことを後悔しながら、灰にかぶりを振ってみせる。彼は再びすこし眉を下げて「ごめん、気にしないで」と言った。
「俺、せめて木刀落とさないように強くなります」
「
……
うん。壱段の彼が言ってるんだから間違いないよ。きっとね」
「それじゃあ、俺もこれで。失礼します」
「うん。またね、玉匣くん」
頭をもう一度下げ、更衣室に向かった。灰はその場から動かず、見送ってくれたようだった。
更衣室で着替えようと袷を広げた左の手の甲が真っ赤になっていることに気づく。それを見たあと急に痛み出した。あの男、木刀を叩き落とした時に掌ではなく手の甲を痛ませたのだ。
「
……
ちっ」
久しくしていなかった舌打ちをして、これは凪鞘班に行くべきか、と悩む。だが晴夏に会うかもしれないと思うとすこし躊躇った。手合わせでこれでは自分で呆れてしまうので、自身で診て湿布でも貼っておくことに決めた。これでも前は凪鞘班にいたのだ。応急処置くらいはできる。
道着からいつもの洋服に着替え、羽織に腕を通す。
そのまま蓮は自宅へ向かった。
蓮の家に仏間はないが、居間の
長押
なげし
に父の写真が飾られている。隣に柊。祖父と祖母以降のものはない。いつからないのか、そもそももとからなかったのかは覚えていない。
上の姉は「帰ったの」と言って台所に向かい、下の姉は蓮の部屋の襖を開けた。襖だから、所謂「ノック」はできない。
「ねえ今度、あんたのバディっていう神様連れてきなさいよ」
「別にいいけど。会ってどうするんだよ」
「顔を見たいだけ」
「ふーん
……
」
「約束だよ」
そう言って下の姉はぱたんと襖を閉めた。
「っ」
ずきんと左手が痺れるような痛みを伴う。
「くそ、あいつ。柄握れなくなったらどうすんだよ
……
」
まあ、蓮が弱いからというのもあるのだろう。分かっている、それくらい。防げなかった自分がいけないのだ。
蓮は文机に広げられた課題の山を見下ろして、大きいため息をついたのだった。
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