ちいさな、ほんのちいさな星が見えた。銀色とも、白色とも分からないような星だ。あまりにも遠いものだから、蓮は眺めている。ずっと眺めている。
帰りがけに駄菓子屋を見つけた。ぽつんと建った、ぱっと見てどんな人物が経営しているのか分からないような木造建築のちいさな駄菓子屋だ。興味本位で入っていいものか分からなかったが、自分の家と似たようなところがあったので、足を踏み入れた。少し黄ばんだ障子。奥の襖には何が入っているのだろうか。奥の間には夏だというのに火鉢もあった。
「いらっしゃい」
しゃがれた女性の声が聞こえた。少し背中の曲がった老女は、人の良さそうな顔をしている。蓮は仕切りのある木の籠に入った駄菓子を見下ろした。自分よりも小さい客を対象にしているからだろうか、駄菓子が乗っている机は少々低い。
うなぎの蒲焼きをイメージしたシート状の駄菓子を手に取る。昔食べたことがあるが、最近食べていない。それをよっつ、ちいさな四角いチョコレートをと思ったが、溶けそうなのでやめておく。棒状の、めんたいこ味のスナック菓子をふたつ手に取り老女に差し出した。小銭だけで事足りる駄菓子は小腹を満たすのに正直ありがたい。
「ありがとうね」
そう言った老女は、眼鏡の奥の細い目を余計細めて笑った。頭を軽く下げて駄菓子屋を出ると、空はほんの少し曇りかかっていた。手に持った駄菓子を鞄に入れようとしたとき、見知った顔が見える。ふたつくくりにした髪の毛。形の良さそうな頭。
「森」
「? あ、玉匣さん」
駄菓子屋の屋根の下はちょうど日陰になるから、暑さも和らいでいた。首筋に汗が滲んでいる気がしていたが、幾分か引いたようだ。
「これから帰りか」
「はい」
「腹減ってたらこれ食え」
鞄の中に仕舞おうとした駄菓子をみっつ、晴夏に手に押しつける。がさりと音がして、晴夏の手からこぼれ落ちそうになっていた。
「え! いいんですか?」
「ああ。この前の礼だ」
ひまわりの花畑を見せてくれただろう。あんな、見事な黄金色は見たことがない。
晴夏は一瞬考えて「ひまわりの?」と言った。
「そうだ。ひまわりは、あんなに大きかったんだな。久しぶりにちゃんと見た」
遠くで蝉が鳴いている。顎から汗が一粒落ちそうになり、グローブで無意識に拭った。
「……来年もたぶん超せないと思う……というか、いつ成長が止まるか分からないが……。けど、ひまわりくらい身長があるのは天照にはいそうだよな」
「大きい方、たくさんいますしね」
「複雑な思いになるが、ひまわりはいいものだな。俺くらいの身長だと見上げることができるから」
晴夏は一瞬はっとした表情になって、駄菓子を持った手を顔の前で振った。
「あ、いえ! そういうことではなく……!」
「分かってるよ」
その慌てた様子がおもしろくて、少し笑ってしまった。
「食うか? 買い食いだけど」
「いいんですか? なんだかちょっと、悪いことしてる気がしますね……」
晴夏は手の中の駄菓子三つを見下ろして、真面目な顔をした。少し生ぬるい風が吹いて、晴夏の前髪が揺れる。その光景を見下ろして、蓮はサングラスの奥の目をそっと細めた。
「玉匣さんは買い食いしたことありますか?」
「そりゃ、ある。両手で数え切れないくらい」
「えっ、そんなに」
そういえば彼女に高校生の頃かなり――世間一般で言う――「やんちゃ」をしていたことを言っていなかっただろうか。言う必要があるのかすこし考えたが、結局わざわざ言う必要もないだろうという答えに行き着いた。買い食いくらいで「やんちゃ」などと、鼻で笑うくらいのことをしてきたつもりでもあったのだし。
「意外か?」
「少し……」
「はは」
再度笑って、パッケージを破く。うなぎの蒲焼きの味を模した駄菓子を口に入れる。こういうのは大体二口くらいで食べ終わってしまうものだなと思う。駄菓子はちいさくて稚いものだから。
晴夏も同じものを食べている。シート状のそれは噛み切れないことがあるからか、少し苦戦していた。食べている姿を見ているのもおかしい気がして、曇り空を見上げた。
「来年、」
ぽつりとつぶやく。とっくに飲みこんだ塩っ気のある味を感じながら。
「来年もまた、お前と」
ふと口を噤む。
約束。
蓮は、約束をすることが怖いと思っている。約束を破ることはもっと恐ろしいとも思っている。弟が、父が、見られなかった未来。それを見ることは自分の役目だと思っていた。そこに約束があれば、より強固になる。強固になった約束は決して破れない。呪いのように。
未来を見ることが義務だというのなら、約束も義務になるのだろう。けれど、晴夏との約束は義務には、呪いにはしたくなかった。ただ純粋に見たい、と思ったのだった。
「……?」
「いや。見てみたいなと思っただけだ。約束でもするか?」
「そうですね。約束、」
「下緒院の約束は必ず叶う……、は言い過ぎだが少しは信用してくれていい」
その冗談とも取れる言葉に晴夏は驚いたように目を少しだけ丸くした。
「冗談だ。弟と父のぶんまで生きる、とか。そういったことを抜きに、肩が軽くなった今なら森と普通の約束ができると思ったんだ」
「普通の約束……」
「ああ」
幼い子ども同士の約束のようなものだ。それでも叶えたいと思う。いや、だからこそ、だろうか。
「またお前と見たいと思うよ。ひまわり。ひまわりだけじゃなくて、他の何かでも」
これからは赤くなった葉が落ちるところを見てみたい。雪は、ふるだろうか。今年は。空と空を渡る渡り鳥の影も。
晴夏といるとそういった、なんでもないものを見たくなる。
刀遣いの玉匣蓮ではなく、神社の息子の玉匣蓮でもなく、ただの玉匣蓮として。
「やっぱ美味いな、これ」
めんたいこ味の棒状のスナック菓子を噛んで咀嚼した。
曇り空の隙間。
遠くに、一番星が見えた。
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