いを
2023-06-26 22:42:39
1599文字
Public 櫻神学園
 

かわいいおはな

真珠のこと。
・美綴くん【yasuinokikaku】
お借りしています。

 櫻神には、大きな店がある。それができたときはとても驚いたものだった。
 真珠が見たこともないような、大きい建物。なにでできているのかも分からない。
 きっと聞いても分からないだろう。
 透司は沈もうとしている太陽を背にして、歩いている。真珠は透司のとなりを歩く。ぺたりぺたりと肌が地面に触れる音がする。
 靴はなんとなく合わなくて、履いていない。ずっと昔から。
 硝子の破片で足の裏を切っても、枝を踏んでも、石を踏んでも。
 太陽が撫でるように真珠の髪の毛を照らしている。
 海の底では光は届かなかった。
 海水がすこしあたたかかったりすると、すこし具合が悪かった。それも半日をすぎれば慣れたけれど。
 外での話だけど、日輪草ひまわりが咲くのはまだまだ先だろう。ここでは夏至だって、こない。だから冬至もくるわけがない。
 百年ちかくここにいて、夏至がどんなものか忘れてしまった。
 知識だけはある。それは真珠にとって貴重な知識だった。
 四季は忘れてはいない。すくなくとも、今は。
 白百合のような清らかさ。
 かぐわしい香り。
 真珠は同じ白なら、白百合よりも泰山木が好きだった。
 泰山木の手のひらよりも大きな花は、夜が似合っていた。
 夜、白い花がぼんやりと光っているようにも見えた。それは初夏である6月からが見頃だから、櫻神にはきっと咲かない。
 その記憶は100年前よりも昔のものだった。
 泰山木が咲いているのを、檻ごしにみていた――
 花が
 ぽとりと落ちる、その時まで。

「今日はずいぶん大人しいな」
 透司はそう言った。
 一度瞼を閉じて、首を傾ける。
……
 くちびるをかすかに開けたが、声は出なかった。
 透司は眉毛をすこしだけ八の字にして、「なんだよ」と困ったように笑った。
「とーじ」
 透司よりも、何十倍も長く生きている真珠なのに、今はまるで逆だ。
 彼のほうが何十倍もしっかりしている。
 ほんとうにあなた様は頭がのろいのだからと、困ったように大切にされて、かわいそうにと笑われる。
 そんなことが何百年も続いた。
 もうほとんど覚えていないけれど、真珠を見るたくさんの目は覚えている。
 けれど透司はそんな目を真珠にしない。与えない。
 ただ優しい表情かおをしている。
 すこし生ぬるい風が吹く。
 真珠の玉虫色のような髪がゆれる。透司のしっぽのような髪がゆれる。
 白、赤。
 混じる。
 薄紅色の、花びらがぽとりと落ちた。
 そして風にのってどこかへ運ばれていった。どこへゆくのだろうか。櫻神の外だろうか。
 視線を放っていたのに気づいて、透司の顔を見上げた。
 透司の腕が真珠のほおに伸びて、耳もとで髪がさらりと鳴る。
「やっぱお前、すごく綺麗だな」
 綺麗。
 透司は真珠を綺麗と言った。
 真珠がほしかったもの。真珠が憧れていたもの。真珠が望んでいたもの。
 透司は、綺麗、が、真珠だと言った。
 くちびるを開いた。
「ぼく」
 そっと吹きたての風音のようにつぶやく。
「綺麗、だなんて、言われたことがなかったよ」
 透司の目はとっても優しいんだね。いつも優しい。
 真珠の頼りない手が、透司の手の甲に触れる。
 しっかりとした手の甲だった。ここにくるまで、武器を持って戦うことなんてなかったと思うのに。
「とーじと海に行きたかったよ」
 叶わない願いだ。
 透司はすこし目を伏せた。
「海は綺麗なものがたくさんあるんだよ。桜貝、ヤドカリ、ウミネコの目。魚の鱗。きらきらしてる」
 目を閉じると聞こえてくる。
 波の音。漣。
「でもとーじがいる場所なら、どこでもいいよ」
 透司は真珠の、陽の光。
 世界にひとつだけの太陽。
「ぼくの太陽」
 そっと笑う。透司は翡翠のような目をかすかに見開いた。
「とーじ」
 春の、やさしい光の太陽。