いを
2023-06-19 22:33:45
1391文字
Public 櫻神学園
 

褪色するユートピア

【第1イベント】
真珠のこと。
・美綴くん【yasuinokikaku】
お借りしています。

 真珠という名前は、真珠がつけた名前だった。
 本当の名前は、黒闇無間阿修羅という。地獄の名前を冠しているというのに、神と呼ばれる存在に生まれるなんて、不本意だと思っていたのも先の数年だけだった。
 思考することを時折やめながら、真珠は生きながらえてきた。
 いまの世でいう、カルト教団――
 引き延ばした綿が細くなっていくように、その独特な宗教団体は山奥で細く長く息絶えずに続いていた。
 黒闇無間阿修羅を主神として。
 けれどそれも、100年前に旧に途絶えた。
 燃えさかる「やしろ」だったものを真珠は振り返ることもなく、ただそこから逃げたのだった。

 おおよそ100年前、櫻神に逃げるように辿りついて、人間に力を与え、人間からは信仰を与えられて生き延びた。
 何度か死にそうな目にはあったけれど、いまこうして美綴透司と出会った。
 それは幸運なことだった。
 美綴透司は野心的な男だった。美綴グループの頭取になるという強い思いがあるようだったから、その強い気持ちに真珠は惹かれた。
 平坦である真珠の感情を、かすかにゆさぶってくれたのだから。

「とーじ」
 舌足らずな声で呼ぶと、彼は黒い槍を黒く丸い堕神の口に突っ込んだ。
 これだけの小さな球体だから、力を使うまでもないようだった。――触れられなければ、の話だが。
 透司はくるぶし丈のスカートを、とても不愉快そうに着ていた。
 こういう服装は、「メイド服」と呼ぶらしい。真珠はここでようやく覚えた。
 給仕をするひとの服装だと聞いて、だから透司が怒っていたのかと、納得する。
 当の真珠の服は透司と似た丈の、ふわふわとしたものだった。どこかで食べた真っ白い綿菓子のようだ。
「とーじ、怒ってる?」
「なんで俺がこんな、メイドの服なんか……
「似合ってるよ」
「嬉しくねぇ!」
 透司はなんだかとても怒っていて、裾をからげて邪魔そうに歩いている。
 真珠は人間というものがよく分かっていないが、怒らせると怖いのだ。それを考えると、神も人間も怒ると怖いところが似ているなあと思う。
 でも今の透司はきっと、真珠に怒っているのではない。そう知れると、すこし安心した。
 今まで組んできた人間にたくさん怒られてきたから怖かったけど、透司は怖くない。それはきっと、透司の心の奥底に強い思いがあるからだろう。
 自分のしなければいけないことや、したいことが見えている透司は、とても強い。
「とーじ……、とーじは、自分の名前、きらい?」
 前を歩く透司がぴたりと足をとめた。
……
「そしたらぼく、とーじに名前をあげるね。きみだけの名前」
 長い、うなじから伸びる細い髪の毛が炎のようにゆれた。
「きみが自分の名前を好きになれるように」
 真珠は、ふとはめられた窓の向こうを見る。
 春を閉じ込めたような、この箱庭。
 薄紅がひらりと散っていく。
 あの花びらみたいに、美綴透司が散ってゆかないように。真珠は力を貸すことしかできない。
 戦うのは透司だから。
 真珠は傷つくのを見ているだけ。
「名前、」
 透司は、真珠に背をむけたままそっと呟いた。
「これが終わったら、きみが好きになってくれるような名前をあげる」
 花に名前をつけるよりは簡単だけれど、きみにふさわしい名前を考えるのはきっと、とっても難しいだろう。