いを
2023-06-03 18:05:01
3041文字
Public 刀神
 

白と蛇

【黄泉ト刹那】
蓮のこと。
・降藤さん【yasuinokikaku】
・森さん【waffle_mofu】
お借りしています。

 目がずきずきと痛む。
 右目に入ったのは眼鏡のレンズだった。細かいその破片は蓮の角膜を薄く傷つけたが、失明には至らなかった。
 出血も止まった。
 止まったが、右目には大げさなほどのガーゼとテープが貼られ、くれぐれも外を出歩くなと言われた。
 それはそうだろう。
 こんな目で外を出歩こうものなら足手まといにしかならない。戦うくらいなら、この避難所でじっとしていたほうがましだ。
 左目はまぶたを切ったが絆創膏を貼る処置で事足りた。
 とはいえ、換えの眼鏡などあるわけもなく、強い近視の蓮の視界はぼやけている。これでは他人の応急処置もままならない。
 腰には夜伽噺卿・降藤。やはり、一般人の中に紛れることはできない。するべきではない。
「あるじちゃん。あたしが夜伽噺卿・降藤それ、持っていてあげる。広い場所で休んでらっしゃい」
 右側にいた降藤がそう言葉を落とす。そして流れるように手を差し出した。
「いや、いい。ここでも充分、休める」
 蓮と降藤がいるのは、二階に通じる階段の踊り場だった。
 踊り場から見える外の様子を見る。やはりぼやけた視界だが、なにも見ないよりも何倍もいい。
……?」
 幾人かの刀遣いが、円柱状の大きな機材を取り囲んでいる。
 あれが何なのかは分からないが、この状況、無駄なことはしないだろう。蓮はついと窓から目を外して、天井を見た。
 右の目が動くたびにわざわざ痛むが仕方がない。
 二階といっても体育館をぐるりと回り込むような通路があるだけの階だから、それほど広くはない。
 だから二階に行く一般人も少ないようだった。
 蓮の視界に、行儀良く並んだ足がふたつ、見えた。
「あら。あなた。どうしたの?」
 右にいるようなので首を大きく動かすと、まだ小学生くらいだろうか。少女が立っていた。
 赤い靴を履いている。
 黒くまっすぐな髪の毛を結うことはなく、ピーコックグリーンのワンピースを着ていた。目玉は澄んだ黒茶。
 自然な赤みをおびたくちびるは結ばれていて、じっと蓮と降藤を見ている。
「なにか困ったことでもあるのか」
 蓮はその少女に問いかける。
 少女はなにも言わない。ただ、透明なほどのその視線に、蓮はかすかに違和感を感じた。
 いつのまにか降って、いつのまにか止んでしまう、驟雨のような少女だと、蓮は思った。
 もしかするとこの少女は生きていないのではないかと思ってしまうほど、現実離れしている美しい少女だった。
 けれど降藤の様子を鑑みるに、生きているものなのだろう。
「さがしているの」
 と、舌足らずな声で、少女は云った。
 蓮の左目がそれを受け止める。おそらく死人を探しているのだろう。父か、母か、またはきょうだいか――
 ここにくれば見付けられると思って、と。少女は言いたいのだろう。
「ここにはいない」
 蓮は少女の前に膝立ちになって、言い聞かせるように語った。
「死んだ人間は蘇ってはいけないように、この世界はできている」
「でも……
「今が異常なんだ」
 切り捨てる。
 少女はいまだ、じっ、と蓮を見ている。
「生きている人間を大切にしてほしい。……お前みたいな小さい子どもには」
 廊下の下で、悲鳴のような声が聞こえる。蓮は顔をずらして、名前を叫んでいる女を見た。
「お前の名前じゃないのか」
 美しい少女は一度うなずいた。
「お前を大事にしているのは生きている人間も死んでいる人間も同じだと思うが、こっちに来てはいけない」
 人さし指を床につけた。
 ここは此岸、あっちは彼岸。
 なにもかも、元通りになどならないのだ。
 少女はやがてまつげに縁取られた目を階段の下に向けて、駆けだした。
 腰にある脇差を見て、天照のものだと考えたのだろうけれど、死人を探してやれるほどの力はない。
「かわいそうに」
 降藤はそうこぼした。
「こんなことになって。あんな稚い子に、期待させて。残酷ね」
……そうだな」
「あるじちゃんは大丈夫なの? 柊ちゃんや、お父さんのこと」
 立てたままの膝を折り曲げて、再び踊り場の壁に背をもたれた。苦笑いしながら、「そうだな」と、二度目になる言葉で続けた。
「どんな顔して会えばいいのか分からねぇし、たぶん……柊も親父も、俺には会えないようになってるんじゃないのか。そういう、めぐりあわせってやつだ」
「そう……
「別に、もう吹っ切れてる。あんたが心配するようなことは何もない」
 “お別れ”はもう、正式に済んだのだった。
「ふたりに死んでからも心配させたくないからな。おとなしくここで休んでるよ」
「そうね。それがいいわ」
 降藤はすこし安堵したような表情で蓮を見た。
……藤ねぇには、心配をかける。すまない」
「いいのよ。心配するのもバディの役目なんだから」
「あと……ついでに、謝っておくが……
 藤色の髪の毛がゆれる。降藤の首が傾いたのだった。
「このゴタゴタが片付いてしばらくたったら、部署を異動しようと思っている」
「あら。どうして?」
……あんたにばかり守りを任せるわけにもいかない。自分で自分を守る術くらい、学んでおきたいんだ。自分を守れなければ、他人を守ることはできやしない。けど凪鞘班で学んだことは忘れない。必ず役に立ててみせる」
 膝を腕で抱えながら、伝える。
 降藤はどう思うか分からないけれど、現状を打破するにはこれしかない。
 せめて、すこしでも。
 降藤の表情かおは見えなかったが、きっとほほえんだのだろう。いつものように。

 階段の下で、あくせく動いている形のいい頭が見えた。
 森晴夏だった。
 たぶん、あの色の上着は、そうだろう。
 ぼやけた先をみていた蓮は、ふいに立ち止まった晴夏を見下ろした。
「玉匣さん」
 軽やかに上がってきた晴夏は、座り込んだままの蓮を見て、眉根をさげた。
「目、怪我をされたんですか?」
「ああ。でも大した怪我じゃない」
「そうですか……。あ、そういえば眼鏡」
 晴夏は両側のこめかみに手をあてて、眼鏡のつるを模した。
「怪我したときに壊れてな。スペアの眼鏡を持ってきてないから、しばらくは不便だ」
「お手伝いできることがあったら言ってくださいね」
 蓮はうなずいて「ありがとう」と言った。
 それを見届けたように、晴夏は階段を駆け下りていった。
「ねえ、あるじちゃん」
「?」
「あの子、よく見るけど……どんな関係?」
……
 どんな関係。
 そう言われるとどんな関係なのだろうか。
 答えに窮していてもらちがあかない。
……友人……、みたいな感じだと思うが……
 同じ凪鞘班の同僚、というには距離が近い、と思う。
 弟の話もした。
 ただの隣人に、弟の話をすることはない。
……
「あらやだ、野暮だったかしら?」
「そんなんじゃない」
 多分。
 そう言いよどむことができずに、飲みこんだ。
 くすりと降藤の笑声が聞こえてきて、思わず眉間に手を当てた。眼鏡がないから触れやすい。

 あたりは暗くなっていた。
 月の銀色の影さえ今は見えない。
 家にある泰山木の大きな花が見られる時になったら、夜に白く浮き出してかがやくのだろう。
 この騒ぎがいつ止むのか、見当もつかないけれど。
「少し、休む」
「ええ」
 一度、大きく呼吸をして目を一時、閉じた。
 白いぼんやりとした闇が、瞼の裏に見えた。