いを
2023-05-12 18:57:15
2967文字
Public 刀神
 

燃ゆる野に立ちて

【黄泉ト刹那】
小夜子のこと。
・朱理さん、深紅さん、首切さん【33holly_8】
・(少しだけ)鴇羽さん【GN001_hsA01D】
・(お名前だけ)八雲さん【yasuinokikaku】
お借りしています。

 おじさんには怖いものがあるの、とたずねると、叔父は「ないよ」と笑った。
 怖いものがないということは、どういうことかその時の小夜子には分からなかった。
 人間には「人間性」というものがあるのだから、
 そこには恐怖という感情ももちろんあって、
 だからね、
 怖いと感じることは決して悪ではなく、
 生きるために必要なものなんだよ――

 目の前の女性は諭すように、小夜子に伝えた。
 たったいま、死にそうになっていた小娘に、真剣に伝えてくれたと、少なくとも小夜子は思った。
 小夜子はこんな性格だから、だれかに疎まれたことなど、たくさんある。
 自分自身も、決してやさしくはない、誰からでも好かれるような性格ではないと思っている。
 疎まれながら、弱いくせに口だけは一丁前だと蔑まれながら、小夜子は生きてきた。
 ことばは、ことだばだけは小夜子の武器でもあった。
 ジャックナイフのようだと喩えた八雲の顔を思い出す。
 蔑まれるのは慣れている。疎まれるのにも、ばかにされるのにも慣れている。
 八雲のそれは小夜子の「そのまま」を見た、ただの感想であることは分かっているけれど。
 ただ、自分が思っていることを、自分だけの正義を曲げるくらいなら、小夜子は簡単に物事を諦めることができる。
 それだけが小夜子のある意味での強さだった。
 執着しない。
 たったそれだけが。
 目の前の女性は、強いのだろう。精神的にも、体力的にも。
 刀を振るうための筋肉の使い方、一筋、一閃であろうとむだがない。むだがあるといういことはそれだけ隙があるということ。小夜子のそれとはまるで違う動き。
 異能を使うべきときに使うために必要な、「考えて動く」ことの重要さ。
 小夜子に、たりないものばかりだ。
 けれどそれを妬むことはなかった。
 ただ、純粋に「すごい」と思ったのだ。「こんなふうになりたい」と。
 凱風がいふう
 ゆっくりと南から吹く風。やわらかい。小夜子の心に、かすかにそれが吹いた。
 遠い北斗七星。
 小夜子はきっと六等星にも満たない。
 目の前のそのひとは「……あなたの名前、聞いてもいいかしら?」と聞いた。
 そういえば名乗っていなかった。
 分不相応な豊和を地面に置きっぱなしになったまま、小夜子は目をそのひとにまっすぐに向けた。
「雨宮小夜子です」
「雨宮さん、ね。私は神奈木朱理。鯉朽隊、壱段よ」
「壱段……。そうですか」
「ひとまず手当をしましょう。肩、傷ついているでしょう?」
 肩、といった。そこまで分かっているのなら別に隠すこともしない。
 峰柄衆の清陵院菊司という名の男が、三日寝ずに作成したウェアは前開きだった。喉元に垂れているファスナーをさげる。
 朱理と名乗ったそのひとのとなりにいた刀神は、後ろを向いていた。
 ウェアの内側には鱗が仕込まれている。これがなかったらあの時――妖魔に吹っ飛ばされた時、肩の骨がばらばらになっていただろう。
 うしろにいる少女から救急袋と、シーツを朱理が受け取った。
「あ、わたし、緋咲鴇羽といいます」
「私は樹深紅。よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
 髪の毛の長い女性ふたり。あたたかそうな髪の色をしていた。
 朱理は救急袋の中から取りだした湿布とテープを貼り、肩の骨や筋に異常がないことを確認して、「もう着ていいわよ」と小夜子に伝えた。
 ファスナーをあげると次はシーツで簡易的な三角巾をつくって、小夜子の首もとで結び目をつくった。
 肩を支えられている感覚がして、比較的楽だった。
「とりあえず、応急処置はこんなところね。どう?」
「大丈夫そうです。ありがとうございます」
「それから少しの間、戦うのはやめたほうがいいわ。この豊和……重いでしょう」
 確信めいた声色。
 小夜子は一度くちびるを結んでから、ひとつ、うなずいた。
……そうですね」
「心鉄が量産型の豊和よりも重たい。つくりはしっかりしているけれど、重たいはずね」
 朱理は脇差の柄と鞘を握り、重さを確かめているようだった。
「どうしてこれを?」
 左目が小夜子を見る。責めているようでもない。ただただ不思議そうだった。
「知り合い――峰塚衆のひとが見繕ってくれたんです」
「そう。ためし斬りは?」
「三度」
「そう。しっかりしていてよく斬れるいい豊和だけれど、あなたの体についていけないわ」
 朱理はそういうと、手の中の脇差を小夜子に渡した。
 やっぱりと、小夜子は内心思った。重たくて、体がついていかない。菊司がいったとおり「体が持っていかれなければ上出来」だ。ことばのとおりになった。
 けれど豊和がなければ戦うこともできない。
……足でまといで、すみません」
「誰でも最初はそうよ」
 朱理は短くそう言い切り、立ち上がった。ならうように、鴇羽と深紅も立ち上がった。
「立てる?」
 深紅が首をかたむけて、小夜子を見下ろす。うなずいて、よろけながらも立った。
「こんな大型任務だとなおさらそう思うかもしれないけれど」
 腰に下げた妖刀の柄頭を、そっと手のひらで包む。
 視線を小夜子に下げたまま、朱理は続けた。
「まずはこの戦場で、生き残りなさい」
 力強い目をしている。
 小夜子は「はい」とうなずいた。
 死、ということは、小夜子にとって身近ではないし、遠いものでもなかった。
 それがあいまいで、姿形のないものだから。
 死ぬということはいなくなること。この世からなくなること。触れることも話すこともできなくなること。
 それでも――と。
 小夜子は思うことがある。
 今回のこの任務には死んだ人間が蘇っているという。
 もし――、もし、叔父がいたら。
 この、煉魔区に。
 そうしたら、わたしはなにを言えばいいのか。
「さあ、行くわよ」
 朱理の霧をも晴らせるような、はっきりとした声で我に返る。
「首切も」
 首切と呼ばれた男の刀神は黄色い、長い前髪、そして長く、先端にむかって尖っている耳をしていた。思わず彼を見ると「首切迅雷直継。よろしくな」といった。わずかに八重歯が覗いた。
「よろしくお願いします。首切さま」
「あなたを見つけたの、首切よ」
「そうだったん、ですか。ありがとうございます」
「いいっていいって」
 彼はひとのいい笑み(目はみえないが)をして、三本指をひらひらと団扇を仰ぐように揺らした。
 豊和は右手で腰に差した。
 片手で戦えると豪語できるほど、うぬぼれてはいない。これからしばらく、彼女たちの世話になろう、と思う。
 これが終わったら、きっと恩返しをしてみせる。心に決めて、霧の中を歩き出した。

 恐怖、という感情は、小夜子に最初から備わっていなかったわけではない。
 赤ん坊に火を近づけるとそれを掴んでしまうような、そんな幼いころはまだしも。
 いつからなくなったのか、恐怖を感じないという違和感さえ、小夜子にはない。
 
 ただ、ちらりと包丁のにぶい輝きが、小夜子の脳裏にこびりついている。
 吊るされた左の手の甲を無意識に撫でた。
 怖くない、怖くない。
 その呪いの言葉のような呪文は、いまも小夜子を無意識に押さえつけている。