いを
2023-03-31 22:20:08
1375文字
Public NEAR
 

しみ透る光

月のこと。
・我路さん
お借りしています。

 星の光ほどは暗くなくて、太陽の光ほどは険しくはない。
 それが月の光だと思っている。
 
 我路の長い指がたばこの箱をいじっている。
 ベランダにならんでいつものようにたばこを吸っていると、ふと息をつく音が聞こえた。
 笑ったのだろうか。
「どうしたんですか?」
「ん? いや……
 煙草の煙がゆっくりと上にのぼっていく。星がまたたき、銀色の月がやさしく光っていた。
 我路のそばにもっと寄りたくて、肩をそっとくっつける。
「お前こそ」
……月、」
 空に浮かぶ月。
 おなじ名前。
 おなじ名前だけれど、待山月という男のことはきっと誰もしらない。
 けれどとなりにいる彼が、我路が知っていればいいとさえ、思う。
「月、って、好きですか?」
「結構、好きだけど」
「そうですか。……なら、いいですけど……
 急にどうしたんだろうかとか、思ったのだろう。我路はちらりと月をみおろして、煙草の端を灰皿にこすりつけた。
……月、好きかどうか、って聞いたことなかった気がして」
 じりじりと火が煙草の紙を焼く。
 月が見える部屋に越してきたけれど、聞いたことがなかったことも確かだ。きらいじゃないだろうとたかをくくっていたけれど。
「お前は?」
「前は嫌いでした。空の月も、俺の名前も」
……今は?」
「今は……結構、好きです」
 ふと笑う声がまた、聞こえた。煙草を灰皿にいれて空いた右手が、月の髪の毛を掬う。
 その感覚が心地よくて、口もとがゆるんだ。
「月」
 我路が、月の名前を呼んでくれるから。待山月の名前を呼んでくれるからだ。笑えるのは。
 かすかな煙草の煙のにおい。
 それを感じる。一番近くに。
 灰皿に置いた煙草から煙はもうなかった。
 あごを上げて、我路を見上げる。そして、ゆっくりくちづけをした。自分とはちがう、煙草のにおい。それが愛おしい。
 くちびるをはなしたあと、我路の肩に額を押しつけた。
「ちゃんと好きになりたいんです。俺の名前」
 両親がどんな思いで月を「月」と名付けたのか、もう永遠に分からない。
「ガロを好きになれたみたいに」
「じゃ、なれるよ」
「はい」
 ベランダの柵にふれている我路の右手を、左手でふれる。あたたかい手。月のたからもの。
 左手の薬指には銀色の輝きがある。これは、月だけの約束だ。
 我路にむかって、ちいさくほほえむ。
「きっと」
 そう。
 きっと、好きになるだろう。我路が呼んでくれることばで、名前だから。
 気持ちや想いをのせて、呼んでくれるから。
 それだけで月は息ができるし、笑っていられる。だからいつか、この名前を好きになることだってできるだろう。
 我路の左手の薬指にも、月とおなじ指環がある。
 やさしい光だ。空に浮かぶ月のように。
 左手を空にかかげると、月とおなじようにそれが輝いた。
 我路も月とおなじようにして、自分のものよりは大きな手を空にむける。
「指輪、きれいですね」
「そうだな」
「俺の、大切な宝物です」
 月がみっつ。
 そう考えるとすこしおかしくなってしまって、吐息だけで笑った。
「なに?」
「なんでもないです」

 いまは誰のものでもない月を、きっと好きになれる日なんてそのうちくるだろうと。
 そうやって楽観するくらい、今は肩が軽かった。