いを
2023-03-31 16:18:54
2839文字
Public 刀神
 

弱者のわきまえ

小夜子のこと。
・(お名前だけ)玉響菊花さん
お借りしています。

 ナーガラがね 眼をじつとこんなに赤くして
 だんだん環をちひさくしたよ こんなに
 し 環をお切り そら 手を出して

 小夜子は人さし指と親指で丸をつくり、空を見上げた。
「鳥がね」
 ざらりと風が小夜子の髪をなでる。
「たくさんたねまきのときのやうに」
 ぱあつと空を通つたの
 小夜子の目には鳥が見えていた。ムクドリだろうか。そのような、ちいさな鳥だ。木から空へ羽ばたいていた。

 天照の中の空気はにおいがある。
 小夜子はすくなくとも感じた。血のにおいやら、熱のにおいやら、あるいは死のにおいが充満している。と。
 セーラー服のまま、リノリウムの廊下をあるく。
 その姿は堂々としていた。とても。無理やりあごをあげて、颯爽と歩いている。風をともなって。
 カツンと音がした。
 小夜子はその音に覚えがあった。
 足が止まり、視線をあげる。廊下のむこうがわに背の高い、一見刀遣いなのか刀神なのかわからない男が立っていた。
 男も小夜子をみとめたのか、棒立ちになっている。
 あの男のことは、小夜子はよくよく知っていた。
「軍刀天霧。」
 左腕と右目をうしない、足も不自由な刀神。
 けれども小夜子はそんなことはどうでもよかった。
 同情もしなければ、いかることもない。
 小夜子の叔父を見殺しにした刀神を、小夜子はなんとも思っていない。
 とめた足を動かして、天霧の前に立つ。
 男は死刑宣告をうけた罪人のように、おびえた眼をしていた。
「あなたが天霧さまね」
――あなたは」
「ああ、ああ。そうね、わたしから言わなくちゃいけなかったわね。わたしは雨宮小夜子。雨宮司の姪よ」
 赤い目がまたたく。
 紅玉ルビーのように。
 男はその目をふせて「存じておりました」といった。
「あなたが雨宮小夜子殿、ということも、前の主――司殿、の姪御だということも」
「そう。それはそうね、知っていたとしてもなんにもおかしくない」
 手を払うようにして、小夜子はくちびるのはしをあげた。
「けれど、会えてよかったわ。わたし、天霧さまに言わなくちゃって思っていたことがあるのよ」
 30cmほども高い場所にあるひとつの目玉を見上げて、小夜子は左手を胸にあてた。
 そして、挑発的に笑ってみせる。
「わたしは天霧さまを恨んだりしていない。妖魔もべつに恨んではいない。おじさんのことは好きだったけど」
 黄金きんの眼が、天霧を捉える。
「おじさんは、優しすぎたのだわ」
……あのかたは……
 男はくちびるを開いて、息を吸うようにつぶやいた。
 ひとりごとのように。
「あのかたは、お優しいかたでした」
「優しさは、正義だと思わない。時としてひとを殺す兵器にもなり得るのよ。そのやさしいひとがいなくなったら、遺ったひとは自分を責めるわ。きっと」
 この少女は、と天霧は思う。
 もしかすると、苛烈な怒りをもっているのかもしれない、と。
 私と似ているのかもしれない、と。
「よろしいかしら」
 天霧の、そんな浅はかな思いなど知っているかというように、小夜子は笑う。
「わたし、おじさんの仇をさがしているの。知っている。雨宮司を殺した妖魔よ」
……大きな、黒い、かたまり、でした」
「黒いかたまり?」
「影しか、見えませんでしたから」
「そう」
 小夜子は腕をくんで、眼を一瞬、ふせた。
「ありがとう。参考になったわ」
「雨宮殿……。それを見つけて、どうされるのですか」
「殺す」
 伏せた目をそのままぎょろりと上に移した。
 それはとても単純明快なことだった。
「恨んでいないとおっしゃっていたはず」
「恨んでいないわ。けれど、妖魔は悪いものだもの。この世界の膿みたいなものよ。膿なんか、誰も恨まないでしょ」
 桜貝のような爪を、天霧は見た。まだ刀もあまり持ったことのないような手だ。
「わたしは弱い。弱者なりの考えかたというものが、あるの」
 そのあたりはちゃんと弁えているのよ。
 少女はそういった。
 天霧はその少女を見下ろし、そのまだきれいな手はあとどれくらい保つのだろう、と思う。
 たこができて潰れて、手のひらが厚くかたくなる。
 鯉朽隊であるのなら、なおさらだろう。
「だからせめて妖魔は悪いものだって、そう考えなくちゃいけないの」
……そうですか。だれも、それを否といえますまい……
 小夜子は足を一歩、横に出して廊下を歩き始めた。はなしは終わったのだろう。
 天霧は丸くなった背中をすこし伸ばして、左目を動かした。
 ネクタイを留める、ピンが見える。それを手慰みにそっとふれた。
 硬い感触なのだけれど、天霧にはそれがとてもやわらかく感じる。玉響菊花から贈り物としてもらったタイピンを見るたび思い出す。
 私は私をいかってばかりだけれど、そんな私を慕ってくれるかたがいるのだと。
 そう思うことはうぬぼれだろうか。
 少女の背中はもう見えない。
 すこししか話していなかったはずなのに、疲れてしまった。
 杖をついて、天霧は歩き出した。大切なものを胸に抱えながら。

 私はどうやら、運がよかったらしい。
 見知った顔と一対一で話せたのだ。
 たくさんの刀遣いと刀神がいるなかで、見つけ出すのは至難の業だと思っていたから。
 空は若干、暗くなっていた。
 金星が見える。
 おじさんが、あれは金星なんだよと笑っていたことを思い出す。
 私は鞄を持ったまま、睨むように金星を見ている。
 ムクドリはもういない。
 空のどこかへ飛び去ったのだろう。
 いない。

 そしてそのままさびしい林のなかの
 いつぴきの鳥になつただらうか
 I'estudiantinaを風にききながら
 水のながれる暗いはやしのなかを
 かなしくうたつて飛んで行つたらうか
 やがてはそこに小さなプロペラのやうに
 音をたてて飛んできたあたらしいともだちと
 無心のとりのうたをうたひながら
 たよりなくさまよつて行つたらうか
    わたくしはどうしてもさう思はない
 
「私もそうは思わないわ」
 月の上を歩くように雨宮小夜子は歩いた。
 家路につくと、そこにはあたたかい夕飯がある。
 鞄のなかには古い本。
 おじさんのものだ。

 人さし指を指揮棒のようにふって、彼はいった。
「けれど詩は、人間としていきることにかんしては、べつに必要はないのだけれど」
 無垢だった少女はその指先をみながら、叔父のことばを待っていた。
「あったらうつくしいと思わない?」
 そのとき少女は分からなかったが、きっといまでは分かってしまうのだろう。

 ベッドに横になって、私は月を見上げた。
 うっすらとカーテンの合間から見える月だ。
 ゆるやかに手のひらを握りながら、私は目を閉じた。

 ムクドリの甲高い鳴き声が聞こえたような気がした。
 ここにはいない。
 いないのに。