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ひろっぷ
2023-11-16 21:19:24
5562文字
Public
第五 ハス探
愛の挨拶をあなたに
ポセ×歌の一日
カーテンが開く音を聞き、眩しさで目を覚ます。
音の先を寝惚け眼で見れば、海神と瓜二つの一匹の使い魔が全身を使ってカーテンを開いたようで、窓の縁から満足げにこちらを見下ろしている。
「
…
おはよう。いつもありがとう」
礼を伝えれば機嫌を良くし、さて次はとクローゼットの前で飛び跳ねている。主神の元へ早く向かわせたいようだ。軋む扉を開き目の前のいつもと似たシャツを掴む。然程見目に拘らないノートンを見兼ねた海神が寄越した特別なクローゼットで、服に意思を持たせて彼の前に主張させるのだ。服が自ら歩み出ていると彼が気づく気配はない。わくわくとした眼差しを向ける使い魔を尻目に着替え、鏡の前で申し訳程度に髪を整える。
「行こうか」
合図の声に使い魔はノートンの前を激しく浮遊する。海神と似た見目のせいか差異が酷く当初は笑い転げて仕方なかった動きだ。
廊下へ出れば白い息が出迎え突然の寒気にノートンは身震いする。海神から贈られたカーディガンを羽織ればあっという間に暖かくなり手放せない。聞けば魔力を込めたというのだから、自惚れだとしても見繕ってくれたのは少々照れくさくしかし嬉しさもあった。
早朝の屋敷でノートンは決まった事をする。それは屋敷に来た当初に海神と約束した契約のようなもの。口約束だが大事なことだ。嫌という気持ちは全くなく、寧ろここへ来ても自分の役割があるのだと感謝しかなかった。
二人しか居ない屋敷でも、と念の為用意した鍵束を持って古びた階段を登る。使い魔が気遣うように歩みを合わせ、それに鼓舞されながら登り屋上の扉を開けて寒空の下に出た。
朝、海神はこの屋敷で姿を現さない。ノートンが声を届け、挨拶をして初めて彼が降り立つ。日課を設けようと提案したのが海神だったのだ。
廊下よりも白い息を吐き、震える体を叱咤して屋上の端に歩み出る。見下ろせば見渡す限りの湖。
ノートンは肺に空気を吸い込み、瞳を閉じて囁くように歌を届ける。水面が応えるように波を広げていく。
「おはようハスター、良い朝ですよ」
誰かのためにうたう歌は何と心地良いことかとこの屋敷にきてから改めて思う。見知らぬ誰かではなく、死にゆく誰かのためではなく、今在るひとのために。喜んで貰えることがこんなに嬉しいと思えたのが初めてだったからだ。弱った肺でも歌おう。あなたのためならいくらでも。掠れた声でもあなたが好きと言ってくれるのなら。
『変わらず良い囀りだ、ノートンよ。大事ないか』
一呼吸、瞬きをすれば目の前には彼の人。寒さで赤くなったノートンの鼻や耳に触れ、抱き止めるのが日課のようになっていた。初めこそ羞恥で抵抗していたが、毎日されれば慣れてしまうというもの。今では為すがままだ。
「いつも通りです、海神様」
(でも、たまには)
共に夜を越してみたい。そう願ってしまうのはノートンが人間だからなのだろう。
海神は睡眠を必要とせず、しかし眠りに就くように夜は姿を眩ます。深夜にこそ居た事はあるが、決まって朝にはもう姿が見えなくなっていた。親も早くからいなかったノートンにとってはもはや肉親のようなものであり、だからこそこの歳になっても寂しさを覚えてしまう。
『どうした。やはり優れぬのではないか』
「いいえ、大丈夫」
かぶりを振って欲を払う。半日以上会えるのだ、これ以上何を望むのだろうか。伺うように頬に添えられた手に触れノートンは誤魔化していく。
「海神様、僕お腹が空きました。朝ごはん食べてもいいですか」
『
…
良いだろう。席に着くがよい』
食器が動く。誰の手も触れずに。聞くだけならば何を言っているのだろうと思うだろう。だが事実、この屋敷の食器は意思を持って動いている。食器だけでは飽き足らずありとあらゆる家具までも。もちろんノートンが使っている寝具や机もそうだ。初め寝具に身を沈めた時は地震が起きたのかとパニックになったほどだった。しかし意思を持つものの会話が出来る物はごく一部のようで、それはここの食器達のみだった。
「手が止まっているわ。お悩みごと?」
「
…
え?あ、いや
…
なんでもないよ」
海神は用事があると席を外し今はノートン一人のみ。食事は海神がいる間に済んでおり、食後のデザートや紅茶が運ばれてくるのを待っていたところだ。カチャカチャと食器特有の音が行き交う中、小物のフォークやカップがノートンの周りを浮遊する。
「あの方のことかしらね」
「ごほっ
…
」
「わ、図星だ!ねね、話してごらんよ。気持ちも纏まるかもしれないよ」
「い、いや。本当になんでもないよ」
些細なことだ。言ったところで何か変わるわけでもない。そう含ませ食器達に告げると、酷く残念そうな雰囲気を纏い声を落ち込ませていた。無機物にも感情はある、それを表す術を持たないだけだと教えてくれたのはかの海神だ。
「僕が悪者になっちゃうよ。参ったな
…
」
「口に出してみて。何か変わるかもしれないわ」
食後のケーキを口に含み、花の香りの紅茶を飲み干す。思案して、それでも引き下がらない様子の食器に降参してぽつりと口を開いた。
「
……
。あの人は、朝になったらいなくなるだろう」
「そうね。私達もいつ居なくなっているかは分からないけれど」
「
…………
」
「?」
「一緒に寝て、起きて、おはようを言いたくて」
「まぁ」
「あらあら」
言い終わるや否や顔が火照り俯く。だから言いたくなかったんだ
…
と苦し紛れに呟けば、慰めるように食器達が周りを忙しなく舞う。
「成程。言いにくいわね」
「だからいいんだ。居ないのは朝だけだし。
…
我儘が言える立場じゃないから」
「
………
」
「
………
」
「え、何。変な事言ったかな」
食器達から盛大なため息を零され、怪訝な顔を向ける。その間にも食後の食器は漂い台所へ戻っていく。
「坊ちゃん、それは無用な悩みなのよ」
「これ以上は野暮ってもの」
二つのティーカップは励ますようにノートンの頬をつつき台所に姿を消していった。目の前の食器はとうに片付けられており、静かになった部屋にはノートンだけが残っている。
「
…
野暮ってなんだよ」
消え入るような愚痴を聞いていたのは、ノートンに気づかれず背後で蠢いていた一本の触手だけだ。
日が落ちて暗くなった屋敷は初め怖くて仕方がなかった。食器や家具が勝手に動くし、廊下一面の松明が一斉に点いたりと恐怖で数日眠れなかったものだ。
カンテラを持ち寝ぼけ眼の使い魔を肩に乗せたノートンはとある目的の場所へと向かう。通り過ぎる度に松明の炎が揶揄うように揺らめくのは、これらももちろん意思を持っているからだ。
「やめて。燃えちゃうから」
完全に寝てしまいずり落ちた使い魔を抱え、小言を零しつつ朝とは逆に階段を降りていく。人一人ぶんの幅ゆえか降りる度に靴の音が響いている。起こしてしまうのではと使い魔を見るが全く起きる気配はない。
(この子みたいに、あのひとも眠るのかな)
そう意識を逸らしてしまったのがまずかったのか、小気味よく降りていた足は僅かに踏み外し、あと数段というところで足が空を切った。それと同時に柔らかな感触が身を包む。
「あ
…
」
優しく降ろされ、仕事を終えたと言わんばかりに触手がすぐさま地面に消えていく。抱いていた使い魔を見れば未だ夢の中のようで思わず安堵の息を吐いた。
「海神様」
祭壇の上、少ない松明の灯りを見つめただ海神を待つ。暗闇ではないものの、閉鎖されている空間故にノートンはこの時間が少しだけ苦手だった。口が裂けても言うつもりはないが。
しばらくすると触手が這う音が遠くから聞こえ、空気が僅かに張り詰める。誰の手も煩わせず重い扉が開けばずるりと巨体が顔を覗かせた。
『待たせたな』
「いいえ。今日は何を?」
朝と同じように海神は決まって毎夜ノートンをここに呼ぶ。内容は朝と違い様々で、ここで歌を歌えばまた別の場所で情事に及ぶ事もある。海神の気まぐれかと尋ねた事もあったが、確実たる返事は返ってこなかったのだ。ノートン自身不満はなくただ純粋な疑問であったためそれ以上は追求していない。
『そうさな
…
今宵は歌を』
今日は歌をご所望のようだ。喉の調子も良く澄んだ空気も相まってノートンも体調は万全。否定する必要もなかった。
「仰せのままに」
海神を背にして大きく息を吸う。昔であれば深呼吸すらままならなかったというのに、この屋敷に来てからは体調が著しく回復している。虐げられいっそ死んでしまえばと思っていた矢先にこの海神に選ばれ、あの境遇を脱せられたのは奇跡に等しかった。盲信と言われても構わない。だから彼のために一生を歌おう。
複数人で歌うはずの讃美歌をただ彼一人のために。石畳の上男の低音が一室に響き渡る。海神はノートンの背を微動だにせず見つめていた。
一曲歌い終わり胸を撫で下ろす。気づけば海神が背後にぴったりと付いており、いつもと違った行動にぎょっとした。
「!?わ、海神様
…
?」
『見事だ、我が妻君よ』
「あ
…
りがとうございます
…
」
両手で包み込まれ覗き込まれると、普段との差に驚き顔にどんどん熱が溜まっていく。ウロウロと忙しなく動く瞳だったが、名を呼ばれるとぴたりと動きを止め深淵に縛り付けられる。ノートンは妻君と呼ばれるより名を呼ばれることに弱かったのだ。
『してノートンよ』
「なん、でしょうか」
そして、名を呼ばれる際は何かが起きるということ。
『目覚めの時まで共を希望しておるのだったな』
「とも?何の話
…
」
言い切る前に思い出した。昼に食器達と言葉を交わしたことを。朝起きた時におはようと言いたい、あわよくば共に寝てみたいと。
「違
……
!あれは!どうして知っているんですか!!」
『フ
…
さてな。風の噂とやらか。あの者達を責めるでないぞ』
「わか、ってますけど!っ!うわっ!?」
背後から掬われ抱えられる。時折するこの海神の行動の時はまず逃げられない。
「海神様!僕は大丈夫ですから!降ろして!」
『ならぬ』
「また明日会えるから!僕のことこれ以上我儘にさせないで!」
『ノートンよ』
「
…
っ
…
」
混乱したノートンを落ち着かせるように、けれど戒めるように。頭に自分の名が響き喚いていた口は閉じる。反論を許さないという声色で再度名を呼ばれれば頷くしかないのだ。
『ならぬ。そなたの節制は見飽きた。受け入れよ、ノートン』
「
………
はい」
真っ赤になった顔を見られまいと海神の服に顔を埋める。その姿を愛しそうに見つめ、とぷんと沈む音がした頃にはもう二つの影はなく、残るのは眠る使い魔だけであった。
「あの、海神様
…
」
『
………
』
燭台の火がパチパチと弾ける音を背景に、ノートンと海神は寝具の前で佇んでいた。夜を共にと願ったのは自分だが、しかしどう切り出せばいいか分からない。
(一緒に寝てください?夜を一緒に?)
『構わぬ。それが願いであろう』
「っ!?な、んで分かっ
…
」
『口に出していた』
「う
……
」
口を滑らせてしまったのなら後の祭りだ。腹を括って本音を告げるしかない。シーツを手繰り寄せ、頭まで被りながらか細い声でノートンは願った。
「一緒に眠ってください。出来たら、お話してくれると、嬉しいです」
『
……
フ。斯様なことか。承知した』
海神の巨体が寝具に這い上がり軋むものの、さすがは海神が用意したものか、壊れる気配はなく二人分の重量を受け止めた。並んで寝転ぶ姿に見慣れていないからか心臓がずっと煩い。
『話か
…
。そうさな、海原の話をしてやろう』
「うみ
……
」
海神が指で虚空をなぞると朧げな景色が目の前に広がっていく。見ればそれは海そのものを映しており、漣の音も僅かに聞こえている。
「わぁ。海神様、こんな事も出来るんですね」
『左様。そなたが願えばいつでも見せてやろう』
どこで生まれ、この海からあの海まで、と今までの街の文化も合わせて全てを語って海神は聞かせた。途中で青ざめたり涙ぐむなど眠気は中々やってこなかったが、ここでようやっと瞼が重くなり、ノートンの返事が曖昧になっているのを見て海神が話を遮った。
『眠るが良い。人の子はそれが責務であろう』
一抹の不安が過り、腹に添えられていた海神の手を握って呟く。
「眠っても、側にいてくださいね」
『案ずるな。この場におる』
「
………
」
安心したのか瞳は閉じ、規則正しい寝息が聞こえてくる。癖っ毛の頭を撫でながら海神はじっとノートンを見つめていた。
『そうか。人の子はこの様に眠るのだな』
鳥の囀りで目が開く。
しかし普段は明るい視界のはずがほとんど真っ暗だ。いつもと違う状況に、これはまだ夢を見ているのではないかと錯覚していく。
「
……
?ぅ
…
なん
…
?」
身じろぎすると誰かに抱きしめられている感触がある。寝転んでいる海神、という見た目の衝撃も合わせて覚醒していく頭はこの状況も段々と理解していき、完全に起きた頃には声にならない悲鳴をあげることとなった。
「ーーーーーーーーーー!!!??!」
『目覚めたか』
頭上から降る聞き慣れた声。思わず固まり動けなくなると触手が足裏をくすぐってくる。本能故か固まっていた体はふにゃりと体を和らげた。
「っふ
…
はは
…
やめてくださ
…
!」
『
……
フ』
「もう。やめてください!」
頬を膨らませればそれを揶揄いつつかれる。海神も普段見ないノートンの姿を見られたせいか、どことなく機嫌がいいようだ。
そしてノートンは肝心な事を思い出し、海神に抱き直って慣れない笑顔で言葉を送る。朝一番に言いたくて言えなかった我儘な言葉を。
「おはよう、海神様」
『
…
あぁ、御早う』
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