十市
2023-12-09 23:19:19
3648文字
Public オリ骨・イメ骨
 

ネメシアとクロユリが出会う話



最後の砦になりたかった。
傷付いて逃げ場を探す誰かの、最後の砦になりたかった。
それはこの八畳の異空間で、自分という自我が芽生えたときから何となく抱いていた願いだった。どうやって生まれたのか、いつからここにいるのか、何も覚えていなかったけれど、誰かの役に立ちたいという気持ちは常にあった。
実際、この不思議な異空間は、救いを求める人の前に現れる事が多いようだった。誰かと繋がりを求める寂しい人を招き入れる唯一の最後の砦として。
そばにいて、ひとりにしないでと、逃げ込んでくる子たちを抱きしめて、抱えきれない心の内を吐露してもらう。それはわたしにとって当たり前のことで、自分の腕の中で眠るその子たちが愛らしくて仕方がなかった。訪れるたび、少しずつ元気を取り戻していくその子たちを見ていると、とてもとてもあたたかい気持ちになる。

同時に、ああ、あなたといられるのも、もう少しなんだね、と思うのだ。
わたしはあなたの最後の砦。いつでも逃げ込んでいいし、必要とされる限り此処にいる。だけど、砦というものは、己の身を守る盾であって、それが必要無くなれば

残されるのは空っぽの砦だけだ。

たった八畳の異空間。必要なものは揃っているし、足りないものは襖の外に広がる異空間から補充ができる。不自由は何も無かった。
自分がここに独りだという事以外は。
最後の砦でありたかった。しかしそれは出会いと別れを繰り返し、いつも独り取り残される、途轍もなく寂しい道であると、気付いてしまったのだ。わたしはあなたを包みこんで、あたためて、傷を癒やし、空腹を満たし、旅立つあなたを送り出す。わたしはそれを望んでいる。あなたがここに辿り着くことを。そしてまた訪れてくれることを。だけど、それは、もしかしたら。

「他人の不幸を望んでるってことじゃないの?」

微睡の中、巡らせていた思考が声になって降ってきた。驚いて顔を上げて、そこにあったものに声にならない悲鳴を上げる。黒ずんだ霧のようなものが髑髏の形を作り、にたにたと細められた赤い目がじっとこちらを見下ろしている。本能的な恐怖が背骨を走る。ぶるぶると震える手をぎゅうと握った。この八畳間は今どこにも繋がっていない。この恐ろしいものが一体何処から来て、どうして此処にいるのか、何もわからなかった。

「挨拶もできないの?まあ要らないけど」
ごめんなさい」

何故か不法侵入者に叱られた。本当に、一体どこから来たのだろう。部屋の中を見回してみても、変わったところは何も無い。

「まだわからないの?」

心を読んだかのように髑髏が話しかけてくる。細められた赤い月のような目が、ずっとこちらを見つめている。居心地が酷く悪い。

「本当に愚図でとろくて苛々する」

アハハ、と笑いながら投げかけられるのは悪意そのもので、目の前の存在に何故そのように虐げられなければならないのかもわからない。それでも勇気を出して尋ねてみる。

わたし、ネメシア。あなたはだれ?何処から来たの?」
「聞く前に少しは頭使えないの?ちゃんとよく見てみたら?」

心底見下した顔で私の方を指差される。何を言っているのかしらと思いつつ、自分の体を見て仰天した。自分から、彼を形作っている黒い靄のようなものが溢れていた。払ってみても、少し散るだけでまた集まってくる。重さなんて感じないのに、とても重たいものに纏わりつかれているような気持ちになる。恐る恐る彼を見上げてみれば、やっぱりにたにたと笑う赤い三日月。

「人の不幸で幸せを得るなんて酷いやつだね」

ずきりと胸に釘を刺されたような痛み。

「本当は元気になられたら困るよね?独りになるの嫌だもんね。優しい言葉吐いてても根っこは真っ黒でみっともなくてみじめで汚くて自分勝手で利己的にしか物事考えてないんだよね」

並び立てられる負の言葉が重くのしかかってくる。

「それで相手を救ってるつもり?おしゃべりしかできない無能なお前なんかいなくても、相手はいつか自分の足でちゃんと歩き出すし、お前のことなんてすぐに忘れるよ。こんな陰気臭い場所でおしゃべりしかできないお前なんかより、一緒に外を歩いてくれる人の方が大事に決まってる」

どうしてこんなに重いのかなんて、わかりきっている。

「お前なんて、その場しのぎの、都合のいい存在でしかないんだよ」

全部自分が考えた事だったから。
自分で思っていたとしても、やはり認めたくなくて押し込んでいた事。それを全て言葉で、声で、突きつけられてしまえば、考え過ぎだなんて、気にしないふりなどできるはずもなかった。

どうして」

どうしてそんな事を言うの?どうしてそれを知ってるの?どうしてそんな事ないと言えないの?どうして、どうして。疑問と困惑ばかりが頭を掻き乱す。恐ろしくて、悲しくて、不安で、目の前が歪んだ。ぼろりと頬に水が伝った。空気に触れてひやりと冷たい。

「あれ、どうしたのネメシア。ダメでしょ、笑ってなきゃ」

ぐい、と口の端を指で押される。くつくつと喉で笑う目の前の髑髏は心底楽しそうだ。

「そんな顔して、大事なお友達を心配させたらダメでしょ?笑いなよ。平気な顔して、何でもないように振る舞わないと、都合の良い存在にさえなれないでしょ?この役立たず」

そう、ちゃんと笑わなきゃ。頑張らなくちゃ。わたしがしっかりしなくちゃ。ここに来る子たちに心配なんてかけられない。わかってはいるけど、ぼろぼろと溢れる涙は一向に止まってはくれない。
いつまで?いつまで笑っていたら、全てが報われるんだろう

「ああもしかして、ちょっと疲れたんじゃない?たまには休んでもいいんだよ?」

突然優しい言葉をかけられて、驚いて顔を上げる。この世の全てを嘲るような、氷のように冷ややかな笑みで、炎のように烈しい赤を湛えた目で、黒い髑髏はこちらを見下ろしている。

「休んでる間、僕がそこを代わってあげる」

こんな得体の知れない何かにこの場所を代わるなんてできるはずがない。できるはずがない、けど。
ほんの少し目を閉じるくらい、たまには良いかしら。
黒い靄が身体を覆っていく。暗くて、澱んで、泥に沈んでいくようだ。恐ろしいのに、何故かひどくあたたかいような、不思議な感覚。そうしているうちに睡魔が襲ってくる。遂には目を開けることが出来なくなった。

あなた、ほんとうに、だれなの?」

微睡の中で最後に尋ねる。既にわたしの全身を覆ってしまった靄から声がする。

「僕はクロユリ。不安の顕現。お前の呪いそのものだよ」

靄が晴れたように感覚的に理解する。
彼はクロユリ。私の半身。私の影。私が自分にかけた呪い。

「これからは、僕がずっと一緒にいてあげる。嬉しいでしょ?アハハハ!」

空っぽの頭に高笑いが反響する。あんまり、嬉しくないかなぁ。溶けてぼやけていく思考の中、そんな事を少し思って、昏い微睡に身を任せた。





ざり、と畳を脚で擦ってみる。足裏に伝わるざらりとした感触。井草の匂い。少し身を揺すれば衣が擦れる音がする。

「アハ!本当に僕になってる!」

ずっと影だった僕。ずっとネメシアの中で眠っていた僕。一時的にとは言え、ネメシアが繋がりを断つことを望んだおかげで、僕とネメシアの立場が逆転した。今は僕が実体を持っている。こんな簡単にいくとは思ってなかったけど。

「最後の砦が聞いて呆れるね」

偽善の壁で塗り固めた砦なんて、脆いに決まってる。少し引っ掻けばボロボロと崩れてこの有様。優しい言葉を吐いて、世話を焼いて、あなたの幸せを望んでるなんて全身が痒くなるくらい甘いこと言って、結局は自分が必要とされたいだけなんだよね。そうじゃないと、こんな部屋に独り、存在している意味が見つからないから。

「あー、ほんと、反吐が出るね」

嫌いだ。煩わしい。気持ちが悪い。被害者面で此処に来る連中も、それを全て受け入れようとするネメシアも、自分の都合で相手を傷付けて嗤ってる奴も、全部、全部、全部。

「愚鈍で、無能で、浅はかで、意志を貫く気概さえ無い、糞の役にも立たない。こいつの何がそんなに良くて、此処にたかって来るんだろうね?」

これから何が起こるかさえ考えもしなかったんだろう、ネメシアは僕の中で能天気に微睡んでいる。
外の異空間がうねる気配がする。もうすぐ何処かと繋がるんだろう。つまり、僕の暇潰しのオモチャが届くって事だ。どんな奴かな、どんな顔で怒って、どんなふうに喚いて、どんなふうに泣いて、どんなふうに絶望するんだろう。なんにせよ無様で気色悪くて最悪に面白いんだろうけど。
すす、と戸惑いながら襖が開く音がする。
さあ、ネメシアの代わりにちゃーんと相手をしてあげないとね!

「いらっしゃい、こっちに来なよ、君の話を聞かせて欲しいな?」