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乙麻呂
2022-03-30 18:55:33
11576文字
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花城がパンのシールを集める話
以前夢で見たネタが面白かったので文に起こしました。(もはや夢で見た部分は一割しか無い……)
花城がちょっと言動がおかしいですが仕様です。
謝憐の事となると思考がおかしくなる花城…………
ラストはかいこ様の素敵なネタを使わせて頂きました。美味しいネタの使用許可ありがとうございました。
広いダイニングキッチン。
その正面のリビングには、差し込む柔らかい日の光に照らされた木のテーブル。
マンションと言うには広いそれは、個人宅を思わせる。
早朝を思わせるさわやかな空気の中、そのキッチンには、三人の青年が立ってわいわいと朝食を作っていた。
「ほら、もう焼けますよ。早く切って」
紺色のエプロンを着た慕情が、フライパンに卵を落としながら言う。
テーブルに座った謝憐が、大きな白い皿に乗った食パンをパン切り包丁で切りながら顔を上げた。
謝憐はオレンジ色のエプロンを着ている。
「この位か?」
「分厚すぎる!」
「分厚い方が好きなんだ」
「トースターに入らないでしょう!?」
「むう」
その傍で深緑のエプロンをした風信が慕情を見やった。
「ハムは?」
「焼いてる。お前は早くスープを注げ」
「分かってる」
会話を交わしながら朝食の用意をする様は、始終賑やかだ。
場面は切り替わり、テーブルには朝食が並んだ。
白い皿には分厚い狐色に焼けたトースト。
バターロールには切り込みが入れられ、スライスチーズやハム、マヨネーズで和えた卵にジャムと色んな具が入っている。
見るからに適度な半熟の目玉焼きは、ハムとウィンナーが添えられており、しかとウィンナーはタコ型だ。
湯気が立ち昇るコーンクリームスープ。
テーブルに並んで座る三人は、手を合わせてそれを食べ始めた。
謝憐がバターを乗せたトーストを頬張ると、サクッと小気味良い音がした。中の柔らかそうな白い生地から湯気が上がる。
それを食べながら謝憐は表情を蕩けさせる。
「ほら、やっぱり分厚い方が美味しいだろ」
「それを焦がさず焼いたのは私ですが」
「ん、この卵美味いな」
風信は卵が挟まったバターロールを食べて感嘆を上げた。
「こっちも冷めないうちに食べて」
そんな二人の皿に、慕情がフライパンからフレンチトーストを置いた。
こちらも鮮やかな黄色が染み込み、茶色い焦げ目が如何にも美味しそうだ。
「ほら、慕情もあーん」
フライパンを置きに行こうとする慕情に、謝憐がクロワッサンを差し出した。
クリームチーズとレタスが挟まったそれを見やって一瞬眉を寄せたが、慕情はそれにかぶりついた。
サクッと小気味良い音が響く。
「な?美味しいだろ?」
にこにこと首を傾げる謝憐に、慕情は親指で口元の食べカスを拭いながら微かにふふんと笑った。
「当然でしょう」
そして画面が切り替わり、それぞれのエプロンの色の背景の前に三人は立っていた。手にはパンを持っている。
「“美味しい”の側にはいつもパンが」
「パンの数だけ笑顔が生まれる」
「あなたの“おいしい”はどんな形ですか?」
慕情、風信、謝憐と次々に画面に抜かれ、パンを持って一言ずつ口にする。
そして、謝憐が風信に、風信が慕情に、慕情が謝憐にパンを食べさせる。
その顔に大きくパンの会社のロゴが重なり、三人の声がその会社名を呼ぶ。
そして、画面が切り替わった。
並んで立った三人の真ん中にいる謝憐は、籠いっぱいに食パンや菓子パンを。
その左にいる風信はシールと台紙を、右にいる慕情は三人のブロマイドを持っている。
謝憐が言う。
「パンに付いているシールを集めて5枚一口で応募してくれ。抽選で300名様に私たちのブロマイドをプレゼント。更に15枚一口の応募で6名様に、これと同じエプロンをプレゼントするぞ」
三人はそれぞれ自分の着ているエプロンを示し、そして、三人同時に笑顔で手を振った。
「「「ご応募待ってます」」」
CMが終わると、画面はスタジオの風景に切り替わった。
慕情、謝憐、風信が並んでパイプ椅子に座っており、その対面にはインタビュアーの女性が座っている。
「今日から公開となった新CMですが、まるで本当に一緒に暮らしているような自然な姿がとても印象的ですね」
「ええ、わりと自由にやって良いと言われたので、好きにさせて頂きました。私達の素に近いんじゃないでしょうか」
「謝憐はそうですね。私と風信はこんな仲良く朝食の支度なんてしません」
笑って答える謝憐に、慕情が肩を竦める。
「三人は昔馴染みと言う事ですが、一緒に食事をする事はあるんですか?」
「朝食は無いです。昼や夜はたまに食べますが、大体外食です」
風信も事もなげに言う。
「撮影中のエピソードや苦労した事などありますか?」
「わいわい朝食を作って食べるのがとにかく楽しかったです。演じてる意識も無かったですね。この三人で一緒に暮らすのも楽しそうだ」
謝憐の笑みに、何故か風信と慕情が苦い顔をした。
「謝憐はともかく、慕情と住むのは胃に穴が開きそうですね」
「私だって風信と一緒に暮らすのはごめんです。明らかに私の負担が大き過ぎる」
睨み合う風信と慕情に、謝憐がまぁまぁと苦笑する。
慕情は息を吐き、トークに戻る。
「撮影では謝憐がトーストを3回焦がして撮り直しましたね。風信もスープを器から垂らすし、パンを食べる時にハムは落とすし。実際の撮影はこんな長閑な物じゃ無かったですよ」
「食事は殆ど慕情が作ってくれたんだ」
「殆どじゃない。全部です」
慕情の皮肉に謝憐が言葉を添えるが、すぐに慕情の低い声が訂正する。
インタビュアーが驚きの声をあげた。
「あの料理は実際に慕情さんが作ったんですか?」
「作りました。この二人に作らせたらパンなんて到底売れなくなりますから」
苦笑いするばかりで珍しく反論もせず、謝憐と風信はそっと視線を逸らした。
インタビュアーも思わず笑いながら言う。
「では、最後に一言お願いします」
「シールを集めたら私達のブロマイドやエプロンが貰えるから、応募してみてくれ」
手を振る三人の姿を映し、番組は天気予報に切り替わった。
それは、毎年春恒例のパンの購入促進企画だった。
毎年話題のタレントを起用し、パンのシールを集めるとそのタレントのブロマイドの抽選に応募出来る。
その抽選への応募のハードルの低さ、そしてわりと多い抽選枠の為、多くの人が当選はする。
しかし、タレント一人あたり3種類のブロマイドがあり、それらを集めようと思うと、難易度の高いイベントになる。
今年のイメージタレントに選ばれたのは、最近話題に上がる事が多い、芸能事務所天プロを代表する三人だった。
風信と慕情のコンビ人気に加え、近年は二人の先輩である謝憐がその輪に加わり、その人気と話題性は業界でも一、二を争う。
そんな三人の日常風景をそのまま切り取ったようなCMは、瞬く間に話題となった。
◆◇◆◇
アパートの小さなテーブル一杯に積まれたパンに、謝憐は感嘆を上げた。
「うわぁ、すごいな。これ全部三郎が買ったのか?」
撮影でもここまでのボリュームは無かったと素直にはしゃぐ姿は可愛らしい。三郎は心からの笑みを浮かべた。
「まぁね。兄さんのCMで美味しそうだったから、つい」
半分嘘である。
美味しいのは、抽選で当たる謝憐のブロマイドだ。
CMで見たのは一種類だけだが、エプロン姿の謝憐がトースターからこんがり焼けたトーストを取り出す
………
恐らく“朝食の支度”をイメージしただろう写真はとても素晴らしかった。
しかも、あと二種類あると言う。
絶対に手に入れなくてはならない。
そんな三郎の決意を察しているのか察していないのか、謝憐は目を輝かせてパンの山を見ていたが、ふと目を丸くした。
「あれ?」
「どうかした?兄さん」
「このパン、全部シールが無いな」
思わず心臓が跳ねた。
「あ、ああ。シールなら剥がしちゃった。せっかくだから、応募してみようかなって」
誤魔化す事も考えたが、ブロマイドを当てた事を兄さんに隠す真似はしたくない。なるべく何て事のない口調で言うと、謝憐も笑った。
「あはは、三郎は運が良いからブロマイド全種、サイン入りで当てそうだ」
「サイン!?」
思わず素で聞き返した。
謝憐は不思議そうに目をぱちりと瞬き、「あっ」と口を押さえた。
「しまった
……
コレは秘密だった
………
」
「ブロマイド、兄さんのサイン入りなの?」
取り繕う事も忘れて問うと、謝憐は誤魔化すように笑った。
「そうなんだ。実は各種一枚、サイン入りのがある」
タレントごとに抽選で100名。
ブロマイドが3種類と言う事は、一種類あたり30枚と少しだろう。
その30余りの当選枠に、たった一枚直筆サインが書かれた物があるなど、到底見過ごせない。
「当てなきゃ
……
」
勿論、3種類全て。
呆然と呟く三郎に、しかし謝憐は何故か微妙な顔をしてうーんと唸った。
「
………
兄さん?」
「三郎。その
………
サインなら書くから、別のシールを集めないか?」
予想外の申し出に、三郎はきょとんとした。
「え?別のシール?」
謝憐は額に指を当て、やけに難しい顔を浮かべる。
「俳優として
……………
企業に起用して貰った身として
………
私は私を信じてくれるファンにも、社のイベントを託してくれた企業にも、誠実でいたいと思っている。だから、私はこのパンしか食べれない。しかし
…………
」
謝憐はテーブルに積まれたパンを見つめていたが、やおら台所の棚からシール台紙を取り出した。
「私は、こっちの白いお皿が貰えるシールが欲しい」
それは、パン祭りの代名詞とも言える、パンを買ってシールを集めるキャンペーンの
……………
謝憐が宣伝するパンメーカーのライバル会社の物だった。
成る程、謝憐にしてみれば、自分や顔馴染みのブロマイドよりも、皿が貰える方が余程嬉しいだろう。
しかも、こっちは必要なポイントさえ集めれば、確実に手に入るのだ。
「私の代わりにこっちを集めてくれ。三郎」
三郎は微笑んだ。
「兄さん、皿なら好きなのを何枚でも買ってくるから」
世の中には、例え期待を裏切ってでも成し遂げなければならない事があるのだ。
しかし、この世でたった一人“鬼王”が自分の意志より尊重する人は、誰にも揺るがされない信念を持って言った。
「三郎、この皿を貰うのが私の夢だったんだ」
何ともささやかな夢である。
謝憐の望む事は、何だって叶えてあげたい。それに、三郎がその気になれば、即日だって叶うような夢だ。
しかし、三郎は自宅のポスターと出逢った時から胸に抱いている謝憐への想いに誓っていた。
ブロマイドを手に入れるまでは、他のパンなど買わないと。
それに、それだけじゃない。謝憐を起用した以上、そのパンメーカーは売り上げが大幅に上がって然るべきだ。
三郎はそのサポートをすると心に決めていた。
ライバル会社に塩を送る真似は出来ない。
しかし、目の前の謝憐本人の願いを叶えない事も、また三郎の意志に反する物である。
悩む三郎に、謝憐は真面目に言った。
「三郎、ブロマイドなら見せるから」
「見せる?」
思いも寄らない言葉に思わず繰り返す三郎の前で、謝憐はスマホを取り出して写真フォルダを漁り始めた。
「ほら、これだ」
謝憐は、三郎がこうもパンのおまけのブロマイドに執着するのは、単なる興味だと思っていた。
謝憐の活動を誰よりも応援し、どんなに小さな仕事だろうと全てチェックしてくれる三郎は、俳優謝憐の“一番のファン”だ。
今回も、三種類あるブロマイドがどんな写真なのか気になっているのだと思っていた。
つまり、ブロマイドがどんな写真か分かれば、皿の為にパンを買うと言ってくれると信じていた。
謝憐が差し出したスマホには、あのオレンジのエプロンを着た謝憐が映っていた。
CMや会社のHPで見た、あのトーストを持った姿では無い。
テーブルに両肘をつき、両手にロールパンを持って頬に当て、幸せそうなはにかんだ笑みを浮かべている。
思わず無言になる三郎の目の前で、謝憐は次の写真を表示した。
今度は大きな口でチョココロネを頬張る、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。頬にはチョコクリームが付いている。
「本当はあまり見せたらいけないんだが。特別だぞ」
コホン、と咳払いする謝憐に、三郎は呆然と呟いた。
「
……………
これが、当たるの?100人もこの姿を見るの?」
「ん?
………
まぁ、そうだな」
ブロマイドの内容も分かり、これで皿の為にシールを集めると言ってくれると思いきや、三郎は口元に指を当てて考え込んでしまった。
「
……………
」
「三郎?」
謝憐の呼びかけに、三郎は難しい顔で少し考えていたが、頷いた。
「分かった。兄さんはその皿のシールを集めたいんだね?」
「ああ」
「なら、アテがある」
三郎は自身のスマホを取り出してどこかに電話をかけ始めた。
相手はすぐに出たようで、三郎が気やすい口調で言う。
「○○のパン、皿が貰えるの知ってる?
………………
そう、それ。
………
代金出すから、シール集めてくれない?
………………
うん
…………
何枚でも良いよ
……………
それは好きにして
…………
3食と言わず、一日6食、おやつ全てパンにすれば良いでしょ。
……………
何なら引玉に立て替えてて貰って
………
うん。じゃ、よろしく」
通話が終わると、三郎は微笑んだ。
「そのシールなら、僕の知り合いに頼んだから大丈夫。あっという間に集まるよ」
「
………
大丈夫なのか?」
苦笑いする謝憐に、三郎はにこにこと笑ったまま言った。
「あの馬鹿みたいな胃袋が有効活用出来るんだから、アイツも喜ぶよ」
◆◇◆◇
風信と慕情の楽屋が申し訳にもならないような雑なノックと共に開かれたのは、その日の午後の事だった。
早朝から新CMの宣伝の為に番組に出演していた風信と慕情は眠気と疲れで椅子に座ってぼんやりとしており、唐突な訪問者を見ても眉を顰めただけだった。
「
…………
先輩ならいないぞ」
風信が唸ると、相手も同じく低い声で「知ってる」と言った。
「じゃあ何の用だ」
仕事
……
では無いだろう。
風信の問いに、カラコンのはまった飴色の両の目が煩わしげに細められる。
長い髪を左横で赤い紐で纏めた髪型。黒っぽいシンプルなシャツとスラックスに紅の上着を羽織った、比較的地味な格好。
世界的に名の知られた神出鬼没な超有名タレント、通称“鬼王”
…………
では無く、一年と半年程前から自分達の周りをウロチョロしているクソガキの容貌をしたソイツは、じっと風信と慕情を見つめると、にこりとわざとらしく笑顔を浮かべた。
「アンタ達、お疲れでしょう?甘いものでも差し入れようかなって」
花城と呼ぶべきでは無く、かと言って謝憐以外に『三郎』と呼ばせもしない紅ガキは、そう言って大きな紙袋を差し出した。しかも二袋。
それを見た風信と慕情は不審な物を見る目でそれを覗き込んだ。
そこには、ぎっしりと菓子パンが詰まっていた。
思わず腹の底から「うわぁ
…
」だか「うげ
…
」だか声が漏れる。
見間違いようが無い。それは、風信達が宣伝しているパンメーカーの菓子パンだった。
何だこれはと問うまでも無い。
コイツが謝憐の出演しているCMを見るのは当然の事で、抽選で当たるブロマイドを狙うのも、まぁ、予想の範疇ではあった。
謝憐のブロマイドを正攻法で当てようと言う気概だけは立派だと思う。
いや、このパンの量は普通では無い。
控えめに言って“常軌を逸してる”以外の言葉が出て来なかった。
コイツ、ここまでするのかといっそ関心を覚えながら、風信は言った。
「
………
ランダムで俺たちの写真も当たるが、いいのか?」
紅ガキは笑みを消し、心底面倒臭そうに答えた。良い度胸だ。
「知ってる。仕方ない」
そして、またにっこりと寒気がするような笑顔を浮かべた。
「当たったらアンタらにあげるよ」
「「いるか!!」」
思わず風信と慕情は叫んだ。
何が嬉しくて自分のブロマイドをコイツから貰わなければならないのか。
「商戦に引っ掛かってくれて大変ありがたいが
……
賞味期限ってものは知ってるか?世間知らずの坊ちゃん」
腕を組み、見るのも嫌だと言わんばかりに俳優にあるまじき白目を剥き、慕情が吐き捨てた。
紅ガキの笑みは仮面のように微塵も崩れない。
「冷凍すれば大丈夫だよ。それに少し期限が切れた所で、アンタが腹を壊すとも思えない。僕が保証してあげる」
パンを顔面に向けて投げ付けなかっただけ、自分達は大人だと思う。
「
…………
謝先輩にあげた方が喜ぶんじゃないか?」
あの人は、食べれる物なら何でも食べる。賞味期限が切れてても食べる。いや、そんなもの風信と慕情
……
そして何より花城自身が食べさせないが。
今は菓子パンを買うのも躊躇するような金欠では無いが、貰えるなら喜んで受け取るだろう。そう言う人だ。
流石に、謝憐をこんな馬鹿な事に付き合わせる気は無いんだろうなと思いながらも、慕情が揶揄するように言って見れば、花城は視線を逸らし、呟いた。
「あの人の分はもう渡した」
「
……………
」
謝憐のブロマイドを当てるのに、謝憐にパンを食わせるのってどうなんだろう。
「じゃ、頑張ってね」
側迷惑な謝憐の狂信者は風信の手に紙袋を押し付けると、にこにこと笑って手を振り、楽屋から去って行った。
頑張ってと言うのは“仕事を”ではなく、“パンの消費を”だろう。
「
……………
」
風信は押し付けられた紙袋に目を落とした。
当然全てシールが剥がされたソレを呆れ果てた目で見つめる。
撮影で食べたパンも、食べてないパンも、ぎっしりある。
スーパーの一軒や二軒で商品棚の該当商品を全て買っても、こうはならないだろう。
よく見れば、そのパンが詰まったやたらと大きな紙袋は、鮮やかな赤に銀の蝶があしらわれた洒落たデザインをしていた。
銀の部分はただの印刷では無く、キラキラと宝石のように光っている。
謝憐からその存在を噂程度に聞いていた、グェイジェのショッパーだ。
存在する事すら世間には知られていない幻のブランドのショッパーなど、正直パン百個分の値段よりも高く付くだろう。
風信と慕情は思わず顔を見合わせた。
「
……………
」
「
……………
」
言ってやりたい事は色々あるが
………
しかし、まともに食事をする隙も無いし、何かと小腹の空く激務の毎日だ。
パンは有り難いと言えば有り難い。
二人は袋に手を突っ込むと、適当にパンを掴んだ。
風信はコロッケパンで、慕情は蒸しパンだ。
袋をベリッと剥いて頬張ると、今更ながらに空腹を自覚した。
早朝からの仕事で、朝食もろくに食べていなかったのだ。
風信は三口でコロッケパンを食べきり、慕情もあっという間に半分平らげた。
「
…………
」
「
…………
」
多分、同時に同じ事を考えた。
風信と慕情の視線が交差し、互いにパンを頬張ったまま片手を出す。
二人はリズムを合わせるために拳を数回振り、同時に手の形を変えた。
慕情はチョキで、風信はパーだ。
にやぁ、と慕情が笑う。
「紅茶」
「っクソ!!」
風信は財布を引っ掴み、楽屋を飛び出した。
◆◇◆◇
それから、風信と慕情の元には三日に一度パンが届けられた。
毎日だったらとっくに顔面にパンを投げ付けていた。何なら冷凍庫で凍らせたパンをクーラーボックスごと投げていたかも知れない。
必然的に、風信と慕情の食事はロケ弁以外全てパンになった。
仕事の合間に、自分達の宣伝している会社のパンを食べる姿は感心を呼び、ちょっとした話題になった。
具体的には何度かインタビューのネタにされたし、それを耳にしたパンメーカーからは感謝され、また起用したいと言って貰った。
「他のタレントのチャンスを奪うわけにはいきませんからお気持ちだけ頂きます」
オブラートでぐるぐる巻きにして笑顔で返せた自分達は、まごう事なく一線で活躍している俳優だった。
謝憐も似たような生活をしていたが、謝憐には花城お手製のパンに合うおかずが毎日届けられていて、大層嬉しそうだった。
「それでは、《風信と》」
「《慕情の》」
「「《夜里廣播》始めます」」
深夜。
お馴染みのラジオブースに座り、風信と慕情はメインパーソナリティをしているラジオの配信をしていた。
向かいのテーブルには、謝憐と花城も座っている。
にこにこと謝憐を見つめている紅ガキを見ないようにしながら、風信はマイクに向かって淡々と言う。
「今日はゲストとして、謝憐と花城が来ています」
「どうも、謝憐だ」
「花城です」
何でコイツは謝憐の前だとこんなににこやかに挨拶出来るんだろうと呆れるが、考えるのすら馬鹿らしくなって止めた。
不穏な空気をバラ撒かれるよりは余程良い。
隣で、慕情がタブレットに表示されたメール画面を読み上げる。
「『風信さん、慕情さん、こんばんは。二人のパンのCM見ました。絶対ブロマイド当てます。お陰でここ一週間、毎日パン生活です』
………
私達も最近はもうずっとパン尽くしですね。メーカーのパンは全て食べたと思います。お陰で、過去最高の売り上げだとメーカーから感謝されました」
慕情の貼り付けたような笑みが、チラッと花城を見やる。
嫌味を込めたそれを察する気も無い鬼王はこちらを見もしないが、空気を読まない謝憐がにこにこと反応した。
「花城も頑張ってシール集めてくれてるんだよな」
「勿論。兄さんのブロマイドは全て手に入れないと」
おぞましい程の変わり身で、にこやかに花城が応じた。
ラジオ限定の花城の甘い声に、ラジオへのコメントが一気に沸き立つ。
目で追いきれない程のスピードで送られて来るが、どうせ『きゃー』とか『流石花城』とかそんな内容なのだから追えなくても問題は無い。
しかし
………
「お前なら、ここまでしなくてもブロマイドの一枚や二枚当たるだろう?」
今も、風信の車には紙袋いっぱいのパンが積まれている。もう一週間だ。思わず風信はボヤいた。
花城は運が良い。何なら一発で謝憐のサイン入りブロマイドを当てるんじゃないかと思っている。
そうで無くても、既に応募しきれない程にシールが集まっている筈だ。
謝憐くらい運が悪い人間でない限り、もはや確実と言って良い確率で当選するだろう。
花城は、こちらを無感情に見ると当たり前のように言った。
「百枚分だ。まだまだ足りないな」
聞き間違いかと思った。いや、間違っているのは花城の認識だ。流石に哀れになり、慕情は引き攣った笑みで、優しく訂正してやった。
あまりの優しい声に、隣で風信が寒気に身を震わせる。
「あのな、これは百通送ったら謝先輩のブロマイドが百枚届くわけじゃないんだぞ?」
花城は眉を上げた。そんな事も言わなきゃ分からないのか?とでも言いたそうな冷ややかな目をこちらに向ける。
「知ってる。だからどれだけ集めようが“足りない”んだ」
風信は目を見開き、心の底から言った。
「馬鹿なのか?」
「何千通送ろうが、一個人に百枚当てるわけないだろ」
慕情がひくりと頬を引き攣らせる。しかし、花城は表情筋ひとつ動かさない。
「他に送る奴がいなければ、そうとも限らない」
風信と慕情は思わず顔を見合わせた。
ラジオのマイクに拾われないよう、囁きを交わす。
「狂信者に磨きがかかってる。これ以上悪化する前に縁を切らせるべきだ」
「むしろパンメーカーに言って、コイツにだけは当てないように進言すべきでは」
「お前ら、私がどんな名前でどの住所を使って応募するのか知っているのか?」
小声をしっかりと聞き取っていた花城が、せせら笑った。
確かに、そのプロフィールから連絡先まであらゆる個人情報が謎とされる『花城』の名前で大量に応募があったら、それはもうあらゆる失敗談を集めた特番の《やっちまった大賞》入賞間違い無しである。
「
…………
どんな偽名だろうと、同じ名前で狂った数の応募があったら、どんな鈍い奴でも気付くだろ」
慕情が軽笑するが、いつもの勢いが無い。
花城はただフフンと笑った。
策がありそうな笑みだった。どんな策かは知らないが、ラジオの電波に乗せてはいけない事だけは確かなので、風信と慕情はただ苦い顔を浮かべた。代わりに、微塵も動じた様子の無い鈍そうな先輩に向けて口を開く。
「
…………
謝先輩的にはどうなんです?こんな事を面と向かって言われて」
「え?」
謝憐は目をぱちりと瞬いたが、どこか嬉しげに苦笑した。聞くんじゃなかった。
「そうだな。やはり、自分の関わったキャンペーンが盛り上がるのは嬉しいよ。全て手に入れようと思う程気合が入ってるのは良い事じゃないか?」
いや、洒落や物の例えじゃ無くて、本気でコイツは百枚全てを手に入れる気だ。
風信と慕情は思ったが、それを口に出すのはぎりぎり堪えた。
「何百枚あろうが、写真は三種類しか無いがな」
嘆息混じりに風信が言えば、花城は艶やかに笑った。
ラジオのリスナーには見える筈も無いのだが、それはもう美しく笑い、言った。
「百枚全て同じ写真でも関係無い。あんなに可愛らしい兄さんの写真をこの世の有象無象の目に触れさせる訳にはいかない」
風信と慕情には放送事故レベルの悪態にしか聞こえないのに、ラジオを聴いている“有象無象”は何故喜べるんだろう。
『きゃー熱烈!』『花城の暴言久々に聞いた!』『愛がデカすぎる
……
』
そんなコメントの羅列に、とうとう慕情が白目を剥いた。
辛辣な物言いや無愛想な対応が嫌な人はそもそも風信と慕情のファンにはならないし、ラジオを聴いたりもしないのだが、自分のファン層にあまり興味がない二人は気付かないままだった。
◆◇◆◇
ドアを適当に叩く音にも、すっかり慣れてしまった。
コチラの都合も返事も気にせず楽屋のドアを開けたのは、案の定紅い服に身を包んだ黒い眼帯姿の鬼王様だ。
しかし、その手に大きな紙袋が無い事に、風信と慕情は思わず目を丸くした。
「
…………
パンは?」
「何だ、期待してたの?」
「するか!二度と持って来るな!じゃなくて、シールは良いのか?」
諦めたりするような奴だっただろうか。風信の怪訝な問いに、花城は意味ありげに笑んだ。
「ん?ああ、シールはもう集めなくて」
「
……
流石に飽きたのか?」
「ハッ、流石の鬼王もコンプリートは諦めたか?」
慕情の軽薄な笑いにも、花城はにこにこと笑っている。
「んーいや、そうじゃないかな」
詳しく聞きたくも無いのに、こうも手のひらを返されると逆に気になってしまう。風信と慕情は鬼王をジトッと睨みつけた。
「じゃあ、どう言う事だ?」
「ファンからたくさん送られてきたそうだ」
花城の背後から、ひょっこりと謝憐が現れた。
居たのか、と思うと同時に、花城の機嫌がやけに良い事に納得する。
しかし、それは今はどうでも良い。
「「は?!」」
思わず唖然とする風信と慕情の反応をじっくりと楽しみ、花城が笑った。
「いやぁ、二人のファンは優秀だね」
「ついさっき、パンメーカーの方からうちの事務所に連絡があったんだ。ブロマイドの申し込み用紙の過半数に、『もし謝憐のブロマイドが当たったら花城にあげて下さい』と書かれているんだって」
ちなみに、残る半分の申し込み用紙は『引玉』と言う名前で申し込まれていた。
後で謝憐に聞いた所、花城のマネージャーだか付き人だからしい。その苦労を思えば泣けて来る。
キャンペーン期間にも関わらず、風信と慕情の物も含めて当選枠三百に対し、既に数千もの応募があったと言う。
抽選をした所で、その当選者が全て花城への譲渡を望んでいるのなら意味が無い。
正直企画倒れも良い所だが、パンメーカーは歴代最高の売り上げを叩き出した。何ならパンの生産が追いつかず、シールの入手そのものが困難になった。
かくして、全てのブロマイドは花城へと寄贈される事となった。
鬼王が狙っていると知って“自分が謝憐のブロマイドを欲しいです”と名乗り出る度胸がある一般人はいなかったに違いないと、風信と慕情は確信した。
得意げな花城と感心した顔の謝憐に、風信と慕情は白目を剥きそうになりながら内心吐き捨てた。
(こういう時だけファンに頼るのか!!)
こうして、風信と慕情のブロマイドは当初の予定通り、抽選により当選者の元に送られたが、謝憐のブロマイドは一枚残らず花城が手に入れた。
そのブロマイドをどうするのかは、決して聞きたくも無い話である。
余談だが、花城の仲間に自分の代わりに別の会社のパンのシール集めを頼んだと言う謝憐は、白い皿を5枚も手に入れて幸せそうだった。
グェイジェには狂った奴しかいないと、密かに確信を深めた風信と慕情だった。
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