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乙麻呂
2022-03-25 23:09:27
10543文字
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仙楽トリオ(慕と謝)が酔っ払う話
俳優パロの仙楽トリオで、面倒くさい酔い方をした謝憐と慕情にひたすら絡まれる風信が見たかっただけのネタです。
深く考えずに読んでください。
「なぁ、聞いてるか!?」
常より三倍ねっとりと絡む声に、風信はただ眉間の皺を深くして缶ビールを傾けた。
アルコールがゆっくりと巡り、思考がぼんやりとしてこの煩い状況からほんの僅かに現実逃避出来る。
そんな風信の肩に無遠慮に肘を乗せ、慕情は赤く染まった顔で至近距離から風信の顔を覗き込む。
「おまえはなぁ、そんな短絡的なセーカクしてるから短いのばっかりなんだ」
もう一方の手で摘んだ枝豆をぷらぷら振って見せ付けてきながら、苦情を申し立ててくる。
「ほら、枝豆がどれも二つしか入ってない。三つのが一つも無いじゃないか」
眼前に突き付けられた枝豆は、近過ぎてぼやけて見える。むしろ、慕情の指先しか見えない。
すらりと長い白い指先の先の、淡く色づいた爪。手元の撮影にも難なく対応出来る、何とも美しい手だ。風信の無骨な物とはまるで違う。
中身は到底業界人向きとは言えないが、見栄えだけは無駄に良いのだ。コイツは。
…………
いや、コイツらは。
「あははは、風信気にするな!私なんて枝豆をむいたら中身が入って無かったりな、こーーんなちっさかったりするんだ!」
慕情の腕が乗って無い方の肩を、謝憐が真っ赤な顔で笑い転げながらバシバシ叩く。
力加減を忘れた酔っ払いの力は洒落にならず、風信の体ドスッと揺れた。思わずウッと声が漏れ、手に持った缶からもビールが溢れる。
明日は肩を出すような撮影が無くて本当に良かった。これは赤くなってるなと冷めてきた頭で考える。
「なぁ、聞いてるのか?お前はどうせ俺の話など聞く価値もないと思ってるんだろう?だがな、俺はおまえの人生を思って忠告してやってるんだ。お前はこれ以上気が短くなったら、その内一つしか入ってない枝豆ばっかり食う羽目になるぞ!」
慕情は据わった目で風信を睨み、苦情だか皮肉だか嫌味だか分からない事をグチグチ零している。
ハァ、とこれ見よがしに漏らした吐息はアルコール臭いかと言うとそこまでの酒臭さは感じず、チューハイの柑橘類系の爽やかな香りがふわっと香る。
量はそんなに飲んで無いはずなのだ。
風信の人生において、枝豆のサヤに入った豆の数が一つだろうが二つだろうが三つだろうが、なんら影響は無い。
むしろ、今この酔っ払いの戯言を聞き流している状況は、相当に気が長いと思う。
慕情の、酔って醜態を晒しても無駄に良い顔を見ないようにしながら、風信は喉の奥で「わかったわかった」と適当に答える。
風信のやる事なす事気に食わない事だけは変わらず、普段なら絶対に近付いて来ない近距離で慕情がブツブツ言う。
枝豆で風信の頬を突きながら、切長の目が睨む。
「お前、枝豆ふたつで満足してるんだろう?みっつも無くて良いと思ってる。ハッ、お前はいつだってそうだ。口では何と言おうが、謝憐さえ居れば俺がいつ居なくなっても気にもしない。そーゆー奴だよお前は」
「おい、いつから俺たちが枝豆になったんだ?」
隣を見ないまま思わずボヤけば、反対側で謝憐が声を上げて笑った。
「あははははは、私たちが!えだまめだって!!次の仕事は枝豆の農家がいいな!!」
相槌のつもりなのか、謝憐の手がバシバシと風信の背を叩く。
その衝撃に舌を噛みそうになって思わず黙り込む風信の段々丸まってきた背にゆったりと寄りかかり、慕情が軽薄に笑った。
「良くないですよ。泥に塗れるのはコイツがお似合いだ」
慕情まで風信の背を叩く。段ボールを叩くような杜撰な叩き方だった。いや、杜撰とか丁寧とか、力が強いとか弱いとか全てどうでもいい。
そんな事より
……
「叩くな!!お前ら何なんだ!?叩かなくても聞こえてる!せめて叩くならテーブルを叩け!!」
ガバッと身を起こして風信が吠えると、謝憐と慕情はぱちくりと目を瞬いた。
びっくりした顔をするな。
「真ん中の枝豆の反乱だ
…
」
俺が真ん中なのか。
「ほら、言ったでしょう?コイツは俺たちと同じサヤにおさまっておく事も出来ない豆つぶみたいな奴なんです」
誰が豆粒だ。あと協調性の無さはお前にだけは言われたく無い。
二人の間から抜け出し、風信は改めて床に胡座を組んでビールを飲み直す。
しかし、所詮は謝憐の1DKのアパートだ。移動と言ってもほんのごく僅かな距離で、二人は床に座り込んでじっとこっちを見ている。謝憐が真顔で呟いた。
「風信は豆粒と言うには大きすぎるな」
「豆粒でなくて結構です」
「大体、風信も慕情もおおきくなりすぎだと思わないか?」
「同意を求めないでください」
「コイツは頭が成長しなかったから、ガタイが大きくなったんだ。そうだよな?」
慕情が薄ら笑いながら擦り寄ってきた。風信はそれを横目で見る。
相手は酔っ払いだ。怒るだけ無駄だし、こんな正気かも分からない奴を蹴り飛ばす気には流石にならない。
「わざわざこっちに来るな!」
「ハァ?お前の側なんかたのまれたって近寄らない。思い上がるな」
「今近寄って来てるのはお前だ!」
思わず怒鳴る。風信も案外酔っていて、声の調節が出来なかった。
日頃鍛えている喉で怒鳴れば、慕情の顔が煩そうに歪んだ。
「お前が『俺から離れるな』って命令したんだろう?自分の言った台詞も覚えて無いのか?頭大丈夫か?これだから脳筋は」
「それは役柄だ!演技だ!お前それに対して何て言った?」
「『死んだら取り憑いてやる』」
「おっ
……
おお
………
」
酔っているとは思えない鋭い目で、恨むように言われた言葉に思わず舌を巻く。
実際は「離れるなよ」「安心しろ。死んだとしても取り憑いてやるよ」と軽口を叩いて凶悪犯と対峙する話で、風信はその後ビルから落ちかけるのだが(酷い脚本だと思う)、慕情扮する刑事が風信の扮する刑事の腕を掴んで「お前が離れるなって言ったんだろうが!」と怒鳴り、何とか難を逃れるのだ。
ここ数年圧倒的人気を誇る風信と慕情のW主演、バディ物の刑事ドラマの役だが、日常生活と慕情の人格に変な影響を及ぼすようなら、そろそろ役を降りる事を考えなければならないかも知れない。
「それはドラマの話だ。俺の意志じゃない」
お前だってそうだろうと、近寄ってくる慕情を押し退けると、慕情は心底不快そうな顔をした。
「お前は俺と仕事だから一緒にいるんだろう。つまり、《玄真》とは仕事だから一緒にいるが、慕情としての俺とは居たくないわけだ」
「そんな事一言も言ってないだろう!?どうやったらそんな歪んだ思考が出来るんだ!?」
唖然とする風信の肩を、謝憐がポンポンと叩いた。
真顔でじっと何かを考えこんでいる。
「なぁ、風信」
「アナタはなんですか?」
「こんなに大きいのに、枝豆を名乗っていいんだろうか。イメージキャラクターとして」
まだ枝豆について考えてた。
「枝豆のイメージキャラクターになる予定はありません!!」
「しかし、すくすく育つと言う意味ではとても良い。それに、三つも豆が入ってる所もピッタリだ」
「ピッタリじゃない。コイツは所詮二つしか豆が無い枝豆なんです」
慕情が恨みがましげに言う。
「ふむ、しかし知ってるか?世の中にはマメが四つ入った枝豆もあるんだ。私はお目にかかった事が無いんだが
……
」
真顔で呟き、謝憐は一口ビールを口にする。そんな、まさかさやに豆が4つ入ってた程度のささやかな幸運からもこの人は見放されていると言うのか。
思わず愕然とし、風信はハッと我に返った。
「って、飲むな!!」
慌てて謝憐の手からビールを取り上げる。しかも風信の飲みかけだ。
しかし、謝憐は抵抗する事もなく、くるりと振り返った。
「もちろん4つめの豆は君だな、三郎。君はいちばんスクスクと育った。良い子だ
………
」
しかし、返事は無い。謝憐のとろんとした目が見開かれた。
「風信!!大変だ!!三郎がいない!!」
「最初からいない!」
「三郎
………
大変だ
………
君達が怒鳴るから逃げてしまったんだ
………
三郎
…………
さんらん
…………
」
そんな繊細な性格をしていたらどんなに楽だったか。
しかし、謝憐は聞いていない。ふらふらと体を揺らしながら、ソファの後ろやブランケット、箪笥の中まで探し始める。
どうやら謝憐の中で、あの紅ガキは出会った時の正真正銘の子どもに戻っているらしい。
床に這いつくばって幼い自分を探す謝憐の姿をあの紅ガキが見たらどんな顔をするかと思うと笑いそうになるが、謝憐はいたって真面目だ。
謝憐は風信の横に座り込むと、へなりと眉を下げた。
「風信、どうしよう。拐われてしまったんだ
……
あんなに賢くて可愛らしいから
………
」
「大丈夫です。あんなデカくて可愛げもない鬼王を拐う奴はいません」
「三郎
…………
私がちゃんと構ってやらなかったから
………
いなくなってしまった
…………
」
そんなきまぐれなペットみたいに思ってたのか。
「アレこそ《取り憑いてでも離れない》でしょう」
風信が言うと、謝憐は驚愕を浮かべた。
「三郎
………
まさか幽霊に
………
」
「なってないです」
しかし、謝憐の表情がゆっくりと悲痛に染まる。伏せた目にかかった長く黒いまつ毛から一粒の滴が流れた。
「三郎
…………
どうしよう風信。三郎がいないんだ。昨日失敗作のおにぎりを食べさせたから怒ったんだ」
そんな事で怒るとは思えない。いや、むしろ、謝憐が失敗だと言うおにぎりを食べさせたのなら、安否の心配の方が合っている。
ほろり、ほろりとまた謝憐の頬を涙が伝う。
謝憐は滅多に涙を流さない。それは、幼い頃から一緒にいる風信が誰よりも知っている。
涙を流す時は、泣く演技をする時だけだ。つまり、これは嘘泣きだ。
子役として持て囃された謝憐は、我を通す為に嘘泣きをする事があった。世間が気付いていないだけで、それはもう自分の才能を有効活用していた。
それを分かっていても、昨年の『涙が印象的だったタレント』のランキング堂々の一位に君臨する、国民的俳優の涙は見る者の心を容赦なく揺さぶった。
酔っていても、天才俳優なのだ。
風信は思わず喉を鳴らす。慕情が風信を蔑んだ目で見た。
「お前、謝憐を泣かせるとは何様のつもりだ?」
「さんらん
……
」
「分かった、呼ぶ!呼べばいいんだろ!」
風信はぐしゃぐしゃと頭を掻き、床に転がっていた謝憐のスマホを手に取った。
単純な語呂合わせのロック番号を打ち込むと、無料通信アプリから銀色の蝶のアイコンを選ぶ。
《三郎》と書かれたアカウントとのトーク画面は目に入れないようにしながら(可愛らしいスタンプと長めのメッセージが沢山送られてきていた。謝憐の返事はスタンプか短文ばかりだ)通話ボタンを押した。
謝憐かと思って出たあの紅ガキが、相手が自分だと知った時にどんな反応をするのか怖いが、仕方ない。
風信はあの紅ガキと連絡先を交換していないのだ。
謝憐がへなりとした顔で風信を見つめている。正直この顔が演技と知っているが、いかんせん風信はこのカオに弱い。
慕情なら鼻で笑うだろうが、その慕情は背後でさっきから風信の背を殴って満足げにしている。何が満たされたのか聞きたくも無いが、コイツも大概屈折しているから仕方がない。
恐ろしいことに、僅かワンコールするかしないかで電話が通じた。
しかし、それに呆れや関心を覚える余裕は無かった。
『誰』
スピーカーから聞こえたのは、背筋が凍るような温度が無い声だった。
冷ややかで無感情な“鬼王”の声に、脳の奥に僅かに残っていた酔いが吹き飛ぶのを感じる。
その問いかけは明らかに謝憐へ向けた物ではない。
思わず画面を確かめるが、間違いなく自分は《謝憐》のアカウントから電話をかけている。
「
………
風信だが」
慎重に名乗ると、スピーカーの向こうで嘆息するのが聞こえた。
『そう。何の用?』
納得はしないが、殺す前に事情を聞く余地はあると声が言っている。
しかし、風信は思わず問い返した。
「お前、何で謝憐からの電話じゃないと分かった?」
純粋な驚きだった。エスパーでもあるまいし。
花城は素気なく言った。
『あの人からこのアプリで電話をしてくる事は無い』
「成る程」
確かにそうだ。謝憐はこのメッセージアプリでメッセージを送る事すら危うい。
思わず頷く風信の耳に、花城の冷めた声が刺さる。
『あの人は?』
「ああ、そうだ。実は
………
「さんらぁん」」
しかし、用件を言おうとした風信の腕に縋り、謝憐が嬉しげに声を上げた。
「三郎の声がする。さんらぁん?どこに隠れたんだ?おーい」
僅かに舌ったらずな声と脈絡の無い内容に、花城が数秒黙り込んだ。
成る程、と呟くのが聞こえて、スピーカーから温度差の激しい甘い声がする。
『兄さん、待ってて。10分で行くから』
「ああ、待ってる!」
元気にソファに向かって返事をする謝憐は、きっと花城がソファに隠れていると思っているに違いなかった。
「悪いな」
風信が呟くと、花城がまた温度の無い
……
しかし幾分和らいだ声で言った。
『あの人のアパートでいい?』
「ああ」
さて、本当に花城は10分でやって来た。
狭いアパートの床に転がった幾つもの空き缶と、皿に山盛りになった枝豆の皮。
床にへたり込んで風信の頭を撫でている謝憐。風信の背にもたれかかって押し潰そうと躍起になっている慕情。
地獄絵図に、さしもの鬼王も驚きを見せた。風信の髪をぐるぐる撫でてつむじを増やしていた謝憐は、来訪者の姿に表情を輝かせた。
「あー、風信、三郎がこんなにおっきくなった。もう枝豆の中には入りきれないな」
最初から枝豆に成れるポテンシャルを持った奴はこの場にいない。
返事をする気力も無い風信を見て一瞬笑い
………
笑いやがったなこのクソガキ。三郎は上着を脱ぎながら一転、優しく笑う。
「はい、三郎です。兄さん、僕を探してくれたの?」
やけに手慣れた手つきで風信から謝憐を引き剥がすと、三郎は謝憐を抱き寄せる。
謝憐はくすくす笑いながらその首筋に抱き付き、迷子の子どもを見つけたように頭をなでる。
「探した。風信と慕情がいじめるから
…
どっか行ったんじゃないかって」
「大丈夫。コイツらにいじめられた位じゃ僕はどこにも行かないよ」
「三郎、三郎ならいつも4つ豆が入った枝豆だ」
「
………
よく分からないけど、兄さんは枝豆よりも先に水を飲もうか。と言うかどれだけ飲んだの?」
首を傾げながらも、片手に謝憐を抱き寄せたまま三郎はコップに水を注いで謝憐に飲ませる。
「ふふ、いっぱい」
「そっかぁ、いっぱいねぇ」
ふふ、と笑った三郎の目が、不意にこっちを見た。
胡乱な目に、思わず仰け反りそうになる。
「これは
………
」
しかし、三郎は意外にももう一つコップに水を注ぐと差し出してきた。
「これ、そっちのに飲ませて。ソレも相当出来上がってるでしょ」
淡々とした物言いと共に顎で指したのは、風信の背をボクシングの的と定めたらしい慕情だ。
ブツブツと苦情だから嫌味だかを言っている。
何やってんのソイツ?と笑われた方がまだマシな、鬼王らしからぬまともな反応に、風信は眉を寄せる。
「
………
お前も酔ってるのか?」
「酔ってるわけ無いでしょ。バイクで来たのに」
「三郎のバイクはかっこいいな。花城の車と同じくらい好きだ」
三郎に抱きついたままはしゃいだ声を上げる謝憐の背をトントンと叩きながら三郎は笑う。
「うん、ありがとう。どっちでも、兄さんが好きな時に乗せるよ」
謝憐は話を聞いているのか、今度は三郎の黒髪を雑に三つ編みにし始めた。
艶やかな黒髪がみるみる長年雨風に晒された荒縄のようになっていくが、三郎は好きなようにさせている。
コイツ、酔っ払いの相手慣れてるなと思わず感心していると、慕情が後ろから風信の髪を引っ張った。
「おい」
「ッッッ!!」
首がグキッと鳴る。風信は思わず罵倒しそうになるが、慕情は構わず何度も髪を引っ張りながら責めるような声で唸る。
「俺のいない間に随分とアイツと仲良くなったじゃないか」
「引っ張るな!!呼び鈴じゃない!!それに仲良くも無い!!」
「ふん、どうだか」
何で俺は裏切り者でも見るような蔑んだ目で見られなければならないんだろう。
「お前は薄情だ。鈍感だ。馬鹿だ」
ボスッ、ボスッと背中を殴りながら慕情が唸る。
何がそんなに気に食わないのか知らないが、コイツが何かを“気に食う”事の方が稀なので、風信は気にせずその鼻面にコップを突き付けた。
「飲め」
「何で俺がお前に指図されなきゃいけないんだ?」
「の・め」
「
……………
フン」
風信に睨み付けられ、慕情は不満げにコップを手に取った。
口を付けてウゲェといかにも不味そうな顔をする。
「あじがしない
……
」
「当たり前だ。水だからな」
「酒」
「これ以上は面倒見ないぞ」
「俺がいつお前に面倒を見られた?」
「今見てるだろうが!」
「さんらん
……
さんらんも飲もう」
「今日はもう十分ソイツらと楽しんだでしょう?僕とはまた今度飲もうか。そっちの方が楽しいよ」
「そっか、楽しい方が良いな」
謝憐は三郎の膝に座ってニコニコと水の入ったコップを差し出している。それを受け取りながら三郎は穏やかに応じていた。
その仕草一つ一つが慈しむような、鬼王らしからぬ物で。
……………
と思ったら、不意にその目が温度を無くした。
「何」
感情の抜けた声が自分に向けられた物だと、数秒気付かなかった。
ようやく、自分が三郎をじっと見ていた事に気付く。
「ああ
…………
いや
………
」
虚を突かれた、何とも間の抜けた声が出た。
「
…………
何も言わないんだな」
正直、謝憐をベロベロに酔わせた事を責められるかと思っていた。
ポツリと呟けば、三郎は眉を上げて当たり前のように肩をすくめた。
「深酒した理由は分かってる。僕も抹消してやろうかと思った」
「
………
!見てたのか?」
「こう見えて情報網は広い方なんだ」
答えになっているようでなっていない返事を寄越し、三郎は謝憐の髪をさらりと撫でた。謝憐は眠いのか、三郎にもたれかかったままとろんとした目をしていた。完全に気の抜けた様子は、ほんの数時間前まで、触れたら切れそうな怒りを纏っていたとは思えない。
「
…………
報復するのか?」
昔、謝憐を陥れた業界人を根こそぎ失脚させた事を思い出し恐る恐る問いかけると、三郎は眉を上げた。
どう見ても“報復していいならするけど?”と顔に書いてあるが、その口から出たのは驚く程客観的な言葉だった。
「兄さんが耐えたのに、僕が引っ掻き回して台無しになんかしない。喧嘩を売られたのはアンタらだ。もし、兄さんが手を貸して欲しいと言うなら喜んで貸すよ。でも
………
」
謝憐はそれを望まないだろう。
勝手な憶測や価値の押し付け、批判、蔑視、そんなものこの業界にいくらでもある。
その全てに噛み付いていては成り立たない。慕情も風信も、謝憐ですら怒り、そしてそれを呑み込んだ。
代わりにハメを外すまで飲んで、気持ちを切り替えて。
暫く、風信も花城も何も言わなかった。
謝憐は三郎の腕に身を預けたまま糸が切れたように眠り始め、慕情はブチブチと枝豆のサヤを千切っては風信に投げつけている。お陰で辺りは豆のカスだらけだ。そろそろ頭から水をぶっかけた方が良いだろうか。
「おい、そろそろ
………
」
いい加減にしろ!と振り返って怒鳴ろうとした時、背中に慕情が顔を埋めた。
抱きつかれるとは思わず思わず硬直した風信の背に顔を押し付け、慕情は掠れた声で言った。
「
………
く
…………
はく
……
」
「
…………
」
無言になる風信の側で、見ていた三郎が他人事にぷっと小さく笑った。
「我慢しろ!!!」
風信は慌てて慕情の首根っこを掴んでトイレに放り込んだ。
風信の苦労などどこ吹く風で、謝憐と慕情は床に転がって何とも平和に眠っていた。
激しい戦いだった。主に風信のみが苦労する形で。
これで、明日には二人とも記憶が無いのだろうから怒る気にもなれない。暖房も無いアパートだが、真冬では無いし、コイツらは大概丈夫だから問題ないだろう。そこまで世話は見きれない。
三郎はどこからかふっくらとした如何にも高級そうな黒い毛布を引っ張り出して来ると、謝憐のみにかけてやった。
慕情は寒いのか、身を縮めて険しい顔をしている。
風信はなけなしの優しさでもって、自分の上着をかけてやった。
慕情の手がすかさず払い除ける。
「
…………
好きにしろ!」
吐き捨て、風信は静かになったアパートの床に座り込んだ。
辺りには空き缶が散乱し、慕情が千切っては投げた枝豆の皮がそこかしこに落ちている。
中々の惨状だ。これをやった当人達は、無責任にも呑気に寝ている。つまり、風信一人で片付けると言う事だ。
「ハァ
………
」
深く息を吐き、まだ空いて無かった缶を適当に手にする。
慕情が選んだだろうハイボールだ。こんなのを飲んでるから馬鹿みたいに酔うんだ。
風信は缶を開けると、一気に喉に流し込んだ。
風信の好みでは無いが、冷たさと炭酸が渇いた喉に心地よく染みた。
「
…………
ほら」
謝憐の側に座り込み、じっと謝憐の寝顔を眺めていた三郎にも、適当に缶を投げて寄越す。
三郎は目を軽く見張りながらも、危なげなく受け止めた。
その目が風信を非難するように見据える。
「当たったらどうするの」
「お前が受け止め損ねるとは思えない」
「ふん」
三郎は受け取った缶を弄びながら鼻を鳴らした。
「
……
バイクだって言ったよね」
「お前が泥酔した謝憐をこのままにして帰るとも思えない。それにもう深夜だ。この前までガキだった奴が出歩くな。どうせなら付き合え」
「
…………
」
三郎は不審げに風信を見ていたが、素直に缶を開けた。
風信一推しのアルコール度数10%超えの一品だが、三郎はそれを難なく半分近く煽る。
「やっぱりザルじゃないか」
呟けば、三郎は冷ややかに言った。
「弱いとは一言も言ってない。でも、特に好きでも無いよ。仕方ないから飲んでただけ」
それから互いに黙って缶を傾ける。
時折、謝憐がもぞりと動く度に三郎が髪を直し、毛布をかけ直す。
慕情はやっぱり寒いのか、唸りながら手を彷徨わせ、風信の足に触れた瞬間に変なものでも触ったような顰めっ面を浮かべた。
寝てても一貫して可愛げのないやつだ。
でも、不思議と心は穏やかだった。
アルコールのせいかも知れないが。
「今度はお前も誘ってやる。どうせ謝憐が誘いたがるんだからな」
ふと、そんな事を口にする位には。
風信の言葉に、三郎はチラリとこっちを見た。
「
……
別にアンタらがこの人と宅飲みしてた事も、泊まる事も、何とも思って無いけど」
「そうなのか?お前、そう言うのやたらと気にしてたじゃないか」
いつになく大人しい少年に、何となくかつての幼い面影を重ねて思わず揶揄うように笑うと、三郎は心外そうに眉を上げた。
「僕が兄さんと居たい気持ちも、泊まるのを避けてたのも、理由はアンタらとは天と地ほども違う。
………
心底邪魔だけど、兄さんにとってあんたらは“大切な友だち”だ。交流するのにいちいち首を突っ込んだりしないよ」
“大切な友だち”の一言をやたらと皮肉げに口にし、三郎はせせら笑った。
風信もまともな返事は期待していなかったから、ただ「それはどうも」とだけ返した。
そして、ゆっくりと夜は更けていく。
「三郎!?なんで君が!?」
朝、隣に三郎が寝ているのを見つけて謝憐は素っ頓狂な声を上げた。
「ふふ、おはよう。兄さん。兄さんが僕を探してるって、そこのに聞いて」
顎で自分を指すのを、風信は硬い床の上で聞いた。
頭がガンガンする。
「うー
………
あたまがいたい
………
」
すぐ傍で地を這うような声がした。見やれば、風信と背中合わせに慕情が体を丸めていた。
暖を求めてくっついて来たらしい。背に触れたら体温に気付き、慕情が振り返る気配がする。
「
…………………
うわ、さいあくなめざめだ」
「最悪なのは俺の方だ!散々迷惑かけやがって!」
「うるさい
………
あたまにひびく
………
」
慕情は耳を押さえて苦しげに唸った。
人の言う事を聞かずに好き勝手するからだ。
謝憐は二日酔いを免れたらしく、すっかり片付いた部屋を見渡すと額を掌で覆った。
「
………
三郎と風信が片付けてくれたのか?すまない」
「兄さん、覚えてるの?」
「いいや、慕情が枝豆をひたすら食べていた事しか覚えてない」
「へんな事だけおぼえてないでくださいよ」
慕情が唸るが、いつもの皮肉のキレと勢いが無い。
「今日は午後から仕事だぞ」
風信が揶揄うように笑えば、慕情は憎々しげに言った。
「収録と雑誌の撮影だろ。お前一人で行け」
「ふざけるな」
「兄さん、酔い覚ましに味噌汁作ったよ。あと薬一応あるから飲んどいて」
三郎は清々しまでに謝憐のみ、甲斐甲斐しく世話を焼き始める。
「俺にもくれ」
風信が手を出すと、ゴミでも見るような目を向けられた。
「アンタの分は無い」
「さんらん
………
意地悪するな
………
」
まだ眠気が強いのか、謝憐が唸るように嗜めると、三郎は舌打ちして箱ごと薬を投げてよこした。
「さて
………
今日も頑張るか」
風信が床に雑魚寝してすっかり強張った体を解していたら、その服の裾を白い手が掴んだ。
いつにも増して青白い顔で慕情が呟く。
「いや
………
無理だ
…………
はく」
「だから何で俺に言うんだ!?」
「大きな声を出すな
……………
っっ!」
「兄さん、あの馬鹿は放っておこう。仕事でしょう?僕が送るよ」
「え、いいのか?三郎」
「勿論」
「おい待て。この状態の慕情と二人きりにするな!!」
「アンタら、二人は慣れてるでしょう?」
「慣れてたまるか!
………
っオイ、なんでおぶさろうとするんだ?」
「
……………
しぬほどムカつくが、運ばれてやる
…………
」
「自分の足で歩けぇぇぇ!!」
狭いアパートに、また賑やかな声が響き渡る。
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