乙麻呂
2022-02-03 19:33:22
11579文字
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時つ風に成る

tgcf俳優パロの蛇足ネタです。
謝憐を掻っ攫う風信が個人的に好きポイントなので文にしときました。
あまり楽しい内容ではないので閲覧はご注意下さい。


謝憐が業界に復帰してから、一年が経とうとしていた。
それは喜ばしい。…………それを『喜ばしい』と思う程度の気持ちは、自分にもある。
ついでに、自分達の仕事がほんの少し減った事など些細な事だ。
お陰で……………………


お陰でせっかく増えたオフを楽しむでもなく、何故自分達はこんなクソ狭い1Kで、ムカつく奴らの顔を見ているのだろうか。
慕情と風信はそれぞれ無言で眉根を寄せた。
ムカつく奴らの中、ムカつきはしないがある意味全ての根源である謝憐が、にこにこと缶を差し出した。

「二人共、明日の夜は空いてないよな……?」
そう言われたからって、わざわざ仕事を早く切り上げてノコノコとアパートを訪れる必要など無かった筈なのに。

「ドラマ、第三期決定おめでとう」
慕情と風信は互いに謝憐とその缶以外視界に入れないようにしながらボソリと言った。
「はぁ、どうも」
「ありがとうございます」
カン、と謝憐と自分の缶を軽く打ちつける。それを見ていた紅いガキ………いや、もうガキじゃないんだった。
相変わらず人を食った笑みを浮かべた『紅いの』は、その手にチューハイを持って笑った。
「おめでとう」
「アリガトウ」
「お陰さまで」
全て棒読みである。心にも無い賛辞にも程があるが、それでも謝憐はにこにこと満足げにそれを眺めている。


まさかの、刑事ドラマ続編である。
第三期とは息が長いにも程がある。
それもこれも、映画が大ヒットしたせい…………引いては、その犯人役として異例の興行収入を叩き出した花城のせいだ。


「謝先輩も、最近忙しそうで何よりですね」
世間とは、本当に身勝手な物だ。
結局、星の数のタレントを有する芸能界に、謝憐に成り変われる俳優はいなかった。
謝憐の需要は留まる事を知らず、次から次へと仕事が入ってくる。

その要因が『やたらと懐いている慕情と風信』、『何故か謝憐にだけ優しい花城』にもある事は、気付かない事にしている。

…………前々から言おうと思ってたんですけど」
暫くチューハイやビールを傾けて惣菜を摘みながら取り留めのない話をしていたが、不意に風信が口を開いた。
「謝先輩は、このアパートを引っ越す気はないんですが?」
「え?」
「それは思ってました。と言うか、越すべきです。こんな防犯性は愚か、隣近所とのプライベートもつつ抜けなボロアパート、マスコミと同居しているような物です。いや、マスコミすら寄り付かないような過疎地なんですから、ある意味穴場なんでしょうが。物理的に穴が開いてからじゃ遅いんです」
ここぞとばかりに捲し立てる慕情に、謝憐はただ苦笑した。
もう何年も有名人が出入りしているのに、一度も話題になった事がないのだから相当な物件だろう。
他の住民が騒がないのは、他に住民が殆どいないからだ。
「もう、マンションを借りる程度の収入はあるでしょう?ここから越すのに、引っ越し業者もいらないでしょうし」
「あはは、また君が車を出してくれるのか?」
「ええ。そこの花城も、貴方の為ならワゴン車くらい引っ張ってくるでしょうし」
チューハイを傾けていた三郎は風信にぞんざいに指さされて眉を寄せたが、言葉自体は否定しなかった。
「そうだね。物も少ないし、車が3台もあれば引っ越しは問題ないよ」
数に数えられ、慕情がムッとするが、口から出たのは拒否では無かった。
「そうですね。この程度の荷物で呼ばれたら業者の方が迷惑です。と言うか、いっそ全部買い替えても良いでしょう?そこの何でもボロ雑巾にする脱水機に、焦げ臭い電子レンジ。やたら電気を食いそうな冷蔵庫に、異音のする掃除機!」
「そうは言うが、全部まだ使えるから」
「「使い物になってません!!」」
慕情と風信が声を揃えてピシャリと言った。
「まぁ………確かにその位の金銭的余裕はあるが…………引っ越し先も無いしな」
「だ・か・ら!探せって言ってるんです!」
目を吊り上げる慕情を風信が煩げに睨む。
謝憐の隣で、三郎がにこりと笑った。
「そんなの探す必要もないよ。コレをいつでも使って」
謝憐の首にかけられた皮のストラップに触れ、服の下に隠れていた白い皮細工を手に取りじっと謝憐を見つめる。
かぁ、と首筋が赤くなる謝憐とは反対に、風信と慕情は青ざめた。
「「冗談じゃない!!」」
「あ、いや、流石に三郎のあの立派なマンションに住むのは良く無いと思うんだ。私から、花城やグェイジェの事がマスコミにバレてしまっては申し訳が立たないし」
謝憐も慌てて手を振る。
三郎はつまらなそうに口を尖らせた。
「別に、構わないのに」
「むしろ、このクソガキの知らない場所に引っ越すべきだ。最初から言ってるでしょう」
慕情が唸ると、三郎の目がギロリと見返した。
「アンタに兄さんのプライベートを決める権利がある?」
「少なくともお前よりはあるな!」
「そんなの、私と同じマンションでいいでしょう。丁度何室か空きがありますし、事務所も近い。他にもタレントが何人か入居していて、マスコミも入ってこない。慣れた場所ならその分馴染むのも早いでしょうし」
「え………
嘆息する風信の言葉に。ぱちりと謝憐は目を瞬いた。予想外だと驚くと同時に、納得したような顔をする。
そして、ふっと笑った。

「風信のマンションか、懐かしいな」


◆◇◆◇


あれは、謝憐が俳優活動を休止して半年程の事だったろうか。



慕情の奴がたまに『嫌な予感がする』とほざいていたが、それは丁度こんな感覚なんだろう。



風信は、謝憐から「もう来るな」と言われてから直接顔を合わせていなかった。
ただ、週に2、3度マンションのドアノブにカップ麺だとか、トイレットペーパーだとかをかけて、それで『役に立っている気』になっていた。
本当に役に立っていたのか、それとも煩わしいと思われていたのかは知らない。でも、あの人は例え迷惑だったとしても、『迷惑だ』とは思えない人だ。
そんな生活が三ヶ月も続いたろうか。
風信は、事務所のカレンダーを見て謝憐のマンションの更新日が来月に迫っている事に、ふと気付いた。

何故知っているかと言うと、謝憐が今のマンションに越した時期が丁度謝憐の誕生日と同じ月だったのだ。
広いリビングで、空の段ボールをひっくり返したテーブルで男3人が並んでケーキを食べたのは、中々忘れられない思い出だ。
ついでに、段ボールのテーブルを謝憐がぶち破って差し入れのチキンをひっくり返し、さっそく真新しい床を油でベタベタにしたのも。
ああ、そうだ。人が掃除をしている側で、「まだ床はとても綺麗から大丈夫」と落としたチキンを食べようとして、自分と慕情に怒鳴られたのだ。
……………そんな昔話はともかく、『偶数の年齢はマンションの更新年』と言うのは風信の記憶に刻まれてしまっていた。
絶対に忘れそうなこの人をせっつかねばと思っていたが、まさかこんな形で役に立つとは思いもしなかった。

俳優としての仕事を失い自宅謹慎を続けている謝憐は、マンションを引き払うと言う。
なら、そろそろ引っ越す時期だろう。


そう思った瞬間、胸が嫌にざわついた。


むしろ、何故今まで思い至らなかったのだろう。
仕事に運転免許の取得にと、忙しかったと言ったらそれまでだ。
慕情の奴とも、謝憐の話題は一切話さない。
それでも、あの人の存在を忘れた事など無かったはずなのに。

わざわざ家族からの一切の援助を断ったあの頑固者が、実家に戻る事はないと断言できる。
既に人生の殆どを芸能活動に注いできた謝憐の貯金は、そこそこの額がある筈だ。
散財するような性格でも無いし、引っ越し費用くらいはある………だろう。当面の生活費も。
なのに、腹の底から湧き上がるこの嫌な気分は増すばかりだった。



いや、金の心配とは、多分違う。
例えば、今風信がせっせと食べ物や日用品を届けている理由と、似たような事だ。
自宅謹慎とは、生活に必要な買い出しもせずに野垂れ死ねなんて意味では断じて無い。
それを分かっていながら、あの馬鹿はあえてメシを買いにも行かずに、そのまま餓死しそうな所がある。
同じように、あの人がまともに引っ越し先を考えているとは思えなかった。

……………

一度気になってしまえば、もう忘れる事など出来なかった。
「霊文さん。その………ちょっと聞きたい事があるんですけど」
仕事の送迎で霊文の運転する社用車に乗った時、風信は歯切れ悪く切り出した。
「なんでしょう」
前を見たまま、霊文が静かに応じる。
………謝先輩、なんですけど。どこに引っ越すとか、聞いてます?」
バックミラー越しに、霊文の目が一度瞬きをしたのが分かった。
……マンションの退居は来週、とだけ。引っ越し先の世話は必要無いと言うので、こちらでは関与していません。引っ越し先が決まったら連絡するよう伝えてはいますが
まだ連絡は無いと、言外に言っていた。
霊文も気掛かりに思っているのだろう。
淡々とした口調には、長い付き合いだから分かる程度の困惑が浮かんでいた。




丁度その時期、風信は運転免許の取得に合わせて車を買っていた。
車の納車はほんの数日後だ。
当然、納車日に仕事を入れるわけには行かず、午後からオフだった。
その日、納車が済むと、風信はまだ新車の匂いがするカーキ色のjeepに乗り込み、謝憐のマンションへと向かった。
インターホンを押したのは、久々だった。いつも、黙ってドアノブにビニール袋を引っ提げていたから。
謝憐も意外だったのだろう。インターホンで応対する事も無く、なんとも不用心にドアを開けた。
………………………風信」
風信を見上げ目を丸くした謝憐は、ポツリと呟いた。
居留守を使われなくて良かった、と言うべきなのかも知れないが、風信の眉にはシワが深く刻まれた。
「私がマスコミや厄介なファンだったらどうするんです」
唸ると、謝憐は眉を下げて苦笑した。
「ここには来ないよ」
霊文の管理能力は素晴らしく、未成年で一人暮らしを始めた謝憐や風信、慕情のマンションの所在はメディアに露呈してはいなかった。
そうで無ければ、とっくにマンションにマスコミが詰め掛け、更新日を待たずに追い出されていただろう。
…………風信も、忙しいだろう?私が言うことでは無いが。気にかけてくれるのは嬉しいが、ここには来なくて………
やんわりと追い返そうとする謝憐の背後………ドアの隙間から見えるマンションの部屋は、ひどくスッキリとしていた。
風信の眉間にもう一本シワが寄る。
「先輩。少し話が」
………………必要な事なら、霊文さんに……
ここに慕情がいれば、「先輩と話すのにマネージャーを通さないといけないんですか?流石は話題沸騰中の国民的俳優様だ」とか笑っていただろう。
しかし、風信はそんな皮肉を口にするような性格はしておらず、どちらかと言うと力に訴えるタイプだった。
風信はドアを鷲掴みにして、そのまま強引に開いた。
「入りますよ」
「おい、待て。風信…………!!」
謝憐がギョッとして慌てて閉めようとする。
意外に力の強い謝憐なら、風信を押し出す事も出来たかも知れない。
しかし、風信は意地でも手を離さない。無理やり閉めれば、風信の手を鉄のドアで挟んでしまうだろう。
役者は体が生命だ。痣のひとつもうっかり作れない。手を無惨に骨折などしたら、どれだけ仕事に影響するか分からない。
暫しの攻防の末、謝憐は風信の手を物理的に折るくらいなら、自分が諦めと言う意味で折れる事を選んだ。
閉めようとする力が弱まると、風信はドアを開け放ってズカズカと謝憐のマンションに上がり込んだ。
「お邪魔します」
形だけの挨拶と共に靴を脱ぎ捨て、真っ先に何度か訪れた事のあるリビングへ向かう。

そこには、半ば予感していた光景が広がっていた。

風信は何も言わず、踵を返すと、他の部屋を見て回った。
「一応、私にもプライベートと言う物があるんだがな」
「どこに私物があるんですか?」
渋い顔で苦言を寄越す謝憐に、風信は吐き捨てる。
どの部屋も、見事に空っぽだった。カーテンすらかかっていない。
あるのは、せいぜい段ボールが数箱だ。
「家財はどうしたんです?」
………処分した。売れる物は売った。このマンションは引き払うからな」
憮然とした顔のまま謝憐が答えた。
そんな謝憐を睨み、風信は尋ねた。
「引っ越しなら、家財を処分する必要は無い筈だ。……………ここを出たら、どこに行く気ですか?」
謝憐は答えなかった。
…………………それが“答え”だった。
「この…………………………ッッ!!」
怒鳴りかけ、風信は言葉を呑み込んだ。こうと決めた以上、この馬鹿には、何を言っても無駄だ。考えを改める訳がない。
風信は咄嗟に振り上げそうになった拳を乱暴に下ろし、リビングに向かうと、積まれた段ボールを二つ纏めて抱え上げた。
「風信?なにを……
目を見開く謝憐を睨み付け、風信は低い声で吐き捨てた。
「何、だと?私の車に運ぶんです!!貴方も惚けてないで手伝って下さい!!」
苛立ちのままリビングのドアを蹴り開ける。謝憐は唖然とした。
「は?なんで……
「なんでもクソもあるか!!ホームレスにでもなるつもりか??」
「そんなの、君に関係………
ない、と言わせる前に、風信は段ボールを床に落とすと謝憐の腕を掴んでいた。
ダンッと重い音がするが、壊れるような音はしなかった。中身は衣服か何かなんだろう。
しかし、風信には持ち物の心配をしてやるだけの余裕は無かった。
触ってみるとよく分かる。謝憐の見た目以上に硬かった筈の腕から、筋肉が削げ落ちていた。
「風……っっ!!」
痛みに顔を歪める謝憐を睨み付け、風信は腹の底から怒鳴りつけていた。

「病み上がりが何を言ってんだ!こんなに痩せて、それで次は野垂れ死ぬか?
いい加減にしろ!!お前の命の心配なんか、一度すれば充分だ!!!」

…………ッッ!!」
謝憐が小さく息を呑んだ。顔から険しさが薄れ、子どものようなバツの悪い顔が覗く。
風信は歯を食い縛り、謝憐の手を掴んだまま低い声で言った。
「貴方が………火事に巻き込まれたと知った時の私達の気持ちも考えて下さい。あの慕情さえ、真っ白になった。………………それとも、貴方には私達が……『仕事で迷惑を被ったから怒っている』ように、見えましたか?」
自分達の事を、そこまで薄情に思っているのか。そう考えるといっそ笑えてくる。
そりゃ、自分達は世間的が思い描くような……謝憐が求めるような、仲良しこよしではない。
子役として、昔から人目を気にして『仲良し』を演じてきたのは否定しない。現に、決して覆らない敬語と言う口調が、立場の違いを表している。
謝憐の引き立て役だ、貧乏くじだと散々陰口も叩かれてきた。
仕事を取り合うライバル関係でもあり、互いの仕事を心から「おめでとう」と祝えるような綺麗な友情も育んでいない。
そもそも、自分達が『友人』なのかも分からない。
それでも、物心つく頃から……それこそ親よりも長く一緒に過ごしてきたのだ。
誰よりも、この馬鹿の無謀を止めてきた。
その関係を何と言うかは知らないが、その役目を放棄したつもりは無い。
風信は謝憐の顔を睨みつけた。
謝憐は唖然として、まん丸な目で風信を見返した。
……………いや………
やがて、ポツリと謝憐が言った。
感情の抜けた声は、笑おうとして笑い損ねたように震えていた。
らしくなくて、風信の眉にぎゅっとチカラが篭もる。傍目から見れば、さぞかしガラの悪い顔をしているだろう。
謝憐は眉を下げ、ゆるく首を振った。
「君が………君達がそんな人間じゃない事くらい、知ってる」
謝憐の腕から力が抜けたのを感じ、風信は手を離した。
掴んだ腕には、くっきりと赤い手形が付いていた。
風信は勝手知ったる動きでクローゼットを覗くが、勿論何も入っていない。
嘆息すると、俯いた謝憐に変装用に身に付けていた自分の上着と帽子を被せた。
少し大きいが、体格や顔を隠すには十分だろう。
謝憐の手に段ボールを二つ押し付けると、風信も段ボールを抱えながら顎で玄関を指した。
「とにかく、ウチに来て下さい。今後の事はそこでじっくり考えれば良いでしょう」
「ああ……
謝憐は頷くと、大人しく後に付いて来た。
駐車場に停めていた新車の助手席に乗り込んでも、謝憐は何も言わなかった。
風信も黙ってトランクと後部座席に段ボールを詰め込み、発車した。
謝憐のマンションから、風信のマンションはそう離れてはいない。
見慣れている筈の景色を無表情に眺めていた謝憐が、何を思ったかは知らない。
風信のマンションが見えて来た頃、謝憐はポツリと呟いた。
…………すまない」
風信は答えなかった。
何の謝罪か、問う気にもならなかった。


客間、と言うよりも『今まで使用目的が無かった空き部屋』に段ボールを運び込む。少し埃っぽいが、仕方あるまい。こうなると分かっていたら、掃除機くらいはかけたんだが。
「とりあえず、この部屋使って下さい。リビングとか台所も適当に。この家にある物は勝手に使って良いんで。大体の物の場所は分かりますね?」
謝憐もこの部屋に来た事は何度もあるし、今更謝憐に見られて困るような私物も無い。
考えた末、風信はとりあえずそれだけ言った。
「ああ。ありがとう」
謝憐は感情の読めない困ったような笑みを浮かべ、あてがわれた部屋をじっと見つめた。
それから何を思ったか、リビングに向かう。

あまり褒められた物では無いのは分かっている。
ぱっと見片付いて見えるのは、単純に物が少ないからだ。
寝巻きと部屋着兼用のTシャツとジャージは脱ぎ捨てられているし、テーブルには台本が積まれている。
ソファーに積まれた座布団とブランケットは、そのままここで寝落ちする事が多いからだ。
レトルト食品やらコンビニ弁当の詰まったゴミ袋が部屋の隅に二つも置いてあるし、台所には洗い損ねた食器が残っている。
しかも、これでもマシな方だ。
慕情に見られたら、軽蔑するような目で見られる事請け合いだろう。アイツはあれで綺麗好きなのだ。
ロケで一緒の部屋になった時など、いちいち人の行動に文句をつけてきて地獄だった。
三人で集まるとなると必然的に謝憐のマンションになっていたのは、そう言う理由だった。その部屋も、もう無くなってしまったわけだが。
…………忙しそうだな」
ポツリと謝憐が呟いた。風信は頬を掻く。
………まぁ、それなりに。だから安心して下さい。私はどうせ、大して家にいない。気楽なもんでしょう」
謝憐は曖昧に笑っただけだった。
「とりあえず、荷解きして下さい。足りない物があったら買ってきます」
「ありがとう、風信」
謝憐は頷くと、あてがった部屋に入って行った。中からゴソゴソと音がするから、一応荷解きはしてるらしい。
正直、あの意固地が荷解きせずに明日にでも出て行こうとする可能性も考えたから、ホッと息を吐く。
歯ブラシやシャンプーといった日用品に拘りが無いのは知っているから、とりあえず自分の予備を与えておけば良い。
布団を買う所から始めないといけないだろうか。一応、客用布団はあるにはあるが、暫く暮らすなら本人用の物があった方が良いだろう。
………いや、ベッドの方が良いか?
「謝先輩、布団とベッドどっちが良いですか?」
聞くだけ無駄な気もしたが、ドアをノックしてドア越しに聞いてみる。
少し間があって、「枕と毛布があれば十分だ」と答えが返ってくる。ほらな、こう言う奴だ。
「ここで雑魚寝をされる方が迷惑です」
唸ると、謝憐も低い声で言った。
…………ある物で充分だ」
謝憐も、この家に客用布団がある事は知っている。
まぁ、客用布団を謝憐にやっても良いんだが。ここに泊まりに来るような奴など元から謝憐くらいしかおらず、既に謝憐専用布団のような物だったし。
しかし、連泊するならマットレスくらいはあった方が……………
「あ」
そう言えば、良い物があった。

謝憐にも手伝わせてリビングのソファーを運び込むと、風信はソファーの背もたれの横にあるレバーを倒した。
軋んだ音をたて、背もたれが後ろに倒れる。
ソファーがフラットな簡易ベットに早変わりし、謝憐は目を丸くした。
「すごいな」
「まぁ、無いよりはマシでしょう」
使い古した物ではあるが、除菌スプレーを撒いたし、上に布団を乗せるし問題ないだろう。
慕情なら「死んでも寝ない」と言うだろうが、謝憐は特に気にする様子も無い。
「でも良いのか?使ってるだろう?」
「そろそろ買い替えようと思ってましたから。丁度良いです」
風信は肩を竦める。これは本当の事だった。
悲しい事に本物のベッドよりも寝る頻度が高いので、せめてもっと大きくて柔らかい物にしようと思っていた。
謝憐はくすりと笑った。
「ありがたい」
簡易とは言えベッドが入ると、途端に部屋らしくなった。
暫く寝泊まりするのに、不自由はしないだろう。
まだどこか線を引いたような笑みに目を眇め、風信は無言で頭を掻いた。


風信も疲れていたので、その日はピザを取った。
慕情がいたら「こんなの邪道だ」と喚きそうな、オーソドックスな味が一つも無い、プルコギ、ポテト&ベーコン、ガーリックシュリンプ、パイナップルのクォーターピザである。
言葉少なにピザを頬張りながら、謝憐はポツリと呟いた。
………美味しい」
その硬い表情を見やり、風信は眉を顰めた。
「いつからまともに食べて無かったんですか」
…………食べてた」
にしては含んだような物言いに、風信はピンときた。
「では聞き方を変えます。私が差し入れた物以外、何を食べてましたか?」
睨むと、謝憐は無言でピザを頬張った。
どうやら、しつこく差し入れを押し付けて正解だったらしい。
「まったく………体が資本でしょう?」
ボヤきながら、風信はじっと無言で俯く謝憐を見つめる。
あの天真爛漫と呼ばれた『謝憐』とは思えないようなムスッとした態度だが、風信にしてみればコイツは昔から意固地で、自分が納得していない事で態度を改める奴では無い。


そして、人の為に生きるのが好きなお人好しのくせに、自分の事で人を頼るのが、下手な事も。


風信もそれ以上何も言わず、ピザを口に詰め込んだ。



◆◇◆◇


それから、あっという間にひと月が経った。


世間では謝憐の話題は存在ごと忘れられて行く。
メディアは別の俳優のスキャンダルを追いかけ、『業界のカオ』もその時一番話題の俳優へと移った。

その『話題の俳優』にのしあがった風信は、同じく『話題の俳優』の一人に数えられる慕情と、局の廊下で久々に出会った。
久々と言っても数日ぶりだ。
確か、この前同じ雑誌の撮影で顔を合わせた。ただ、一時期毎日顔を合わせていたので、数日見ないと長い間会って無かった気になるのだ。

風信は助演で出ているドラマの収録が終わって帰る所だった。
慕情も仕事が終わったのか、私服を着ていた。
他人の目もないのに「お疲れ」なんて挨拶を交わす間柄ではなく、互いにチラリと相手を見ると、無言で顔を逸らす。
別に無視をした訳ではなく、単に言葉を交わす必要を感じないだけだ。
風信も慕情も、朝から晩まで仕事仕事仕事である。
笑わなければならないし、無理矢理会話を広げなければならない。
つまり、出来る事ならこれ以上一ミリたりとも表情筋を使いたくないし、相槌ひとつ打ちたく無い。
それが許されないのが芸能界で、そんな不躾な本音が合致したのが慕情だ。
慕情の目が風信の持った買い物袋を捉え、眉を寄せた。
物好きめ、と嘲るようで、それでいてどこかバツが悪そうな顔だ。
また謝憐のマンションに食べ物を届けるのか。甲斐甲斐しい事だな、と


まだコイツには謝憐が風信のマンションにいる事を言っていない。
最後に謝憐の事を伝えたのは、謝憐が退院した時だった。
コイツは返事もせず、こっちを見もしないで、ただ黙って聞いていた。
………タイミングは、悪かったと思う。
丁度、慕情の余計な一言が元で謝憐の悪評が週刊誌に載った直後だった。
昔、公園であの子どもを撮影現場に入れた一件をマイナスに書き立てられたのだ。
記事の内容が根も歯もない悪辣なでっち上げだったら、鼻で笑っていただろう。
…………残念ながら、書き方こそ悪辣だったが記事の内容自体は大きく外れてはいなかった。
業界からすればアレは確かに有り得ない事だったし、風信と慕情がどんなに言っても謝憐は聞く耳ももたなかった。
風信や慕情が間に入って、撮影スタッフや監督を説得し、頭を下げもした。
迷惑か迷惑じゃ無かったかと言えば、どう考えても迷惑だった。
それでも。


「あのガキ、多分家出とかじゃないです。家に居れないんだ」
初めて会ったその帰り、ロケバスの中でボソリと言ったのは慕情だった。
「明日も来てくれるかな」とウキウキ顔で笑っていた謝憐を暫く何とも言えない顔で見つめ、散々渋った末に出た言葉だった。
「家にいれない?」
家族からも世間からも愛され、ぬくぬくと育った謝憐はポカンとした。
「孤児ってことか?」
……………子どもを無条件に愛せる親ばかりじゃ無いって事です」
慕情は窓の外を見ながら、何の感慨も無く言った。
14かそこらで稼ぎたかった慕情の家庭環境を、自分達は知らない。
人付き合いが苦手で愛想笑いが苦手で、誰に対しても皮肉を返す慕情はどう考えても芸能界向きでは無かった。
それでも、早く活動したいと養成所で一人で必死にレッスンをしていた姿を知っている。だから、謝憐も慕情に目を止めて同じ事務所に所属が決まったのだ。
謝憐は戸惑った顔で風信を見た。
風信は頬を掻き、言った。
…………あの怪我と痩せ方は、どう考えてもまともじゃない。家が無い、とまでは言いませんが、食事の世話はされてないでしょうね」
ハッと慕情が声も無く笑った。
風信と慕情の頭の中にはそれより数段悲惨な予測があったが、謝憐には言わなかった。
あまり言えば、あの子どもを養うと言いかねない。
…………弁当か何か、買って行こうかな」
暫く考えた末、謝憐はそう言った。
………パンとか、腐らない物にしましょう。明日もあそこに居るとは限りませんから」
「どうせなら、包帯や薬も持っていった方が良いですね。あんな裂いた布じゃ不恰好です。余計に苛められかねない」
慕情と風信は心底仕方無さそうな顔で言った。
それでも、口元は緩んでいた。
それから帰り道、三人でドラッグストアに寄った。


謝憐は確かに軽率で自分勝手だったかも知れないが、謝憐が悪いと言うなら風信と慕情は共犯者だった。




あの事を、よりにもよって自分が貶した形でゴシップ誌に書き立てられた。
見た瞬間の慕情の蒼白な顔を、今でも覚えている。
丁度謝憐が退院したタイミングだったのも悪かった。
慕情には言っていないが、慕情の『嫌な予感』は当たっていて、謝憐もあの記事を知っている。
無表情でそれを見て、風信の視線に気づくとへらりと笑った。

『分かってる』

謝憐はそれだけ言って、記事の事も慕情の事も何も言わなかった。
何を『分かってる』のか、それを尋ねはしなかった。
迷惑をかけた事は『分かってる』かも知れないし、慕情の本意じゃ無いことは『分かってる』かも知れない。
あるいは両方かも知れない。
全く違う事を考えていたのかも知れない。
ただ確かな事は、謝憐は慕情を責めないと言う事だ。


…………言いたい事があるなら言え」
慕情が怪訝な顔をする。どうやらじっと見ていたらしい。
風信は視線を逸らした。
………いや」
別に、慕情に謝憐の事を隠しているわけでは無い。
もし、慕情が一言何か言ったら、自分は正直に謝憐を匿っていると言っただろう。
「最近、どうしてる」「元気なのか」。
そんな事を風信に問うわけが無いと分かっているが、気になってないわけが無い。
けれど、現実的に慕情は甲斐甲斐しく謝憐の元に通う風信に何も言わないし、風信は自ら慕情に何かを言わない。


大衆向けの、作られた笑顔と当たり障りのない会話ばかりが積み重なっていく。