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わからん
2023-04-03 22:14:35
15376文字
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五夏
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【五夏】完璧な場所
百/鬼/夜/行/後、謎の光が見えるようになった五が硝と一緒に夏について語ったり失われた青春に思いを馳せたりするさ/し/すメインの五夏 ふわっとファンタジーです ※三人が手を繋いだりしてますがCPの意図はありません ※実質幻想小説・強力な幻覚 何でも許せる方向けです
硝子見て。そう言って五条が見せてきたのは、彼の周囲を舞う細かな光の粒だった。
「何だそれ。呪力か」
「綺麗でしょ」
昼間でもわかるほどに明るく煌めく金色の粒子。しかし息を吹きかければ消えてしまいそうなほどか細く、繊細な光ゆえに、豪快な術を行使する五条の呪力ではないと思った。では誰の呪力かといえば心当たりが無いわけでもない。答えはすぐ目の前に横たわっていた。発言を思い留まったのは、それが今の五条に聞かせる名前ではないと考えてしまったからだ。しかし、ここで私の悪い癖が出る。大抵の事柄に対して白黒付けたがる性格。躊躇するならば口に出すべきだとの結論が常に弾き出される私の脳。あらゆるリスクを避けたがる医者としての職業病なのかもしれない。理性と配慮の元に余分な言葉が濾過された私の唇は、必要最低限の文章のみ紡いでいる筈だが、余計な世話だったと後にひとり後悔に沈む時の方が多い。止めようと思っているがなかなかどうして矯正は叶わない。文字通りの悪癖。
つまり。五条と別れてから今日一日、私はどう足掻いても罪の意識に苛まれる。
「夏油のか」
数拍の間があった。五条は束の間黙り込み、そうだといいね、と呟いた。
矢張り五条は落ち込んでいた。そして私の気分も暗く淀んでいる。良いことなど何一つ無かった、そもそもこの業界で良い知らせなどあった試しが無いか、少なくとも根本的な要因は私ではないし。独りごちて自分を納得させるのも、ここ数年で編み出した自分なりのメンタルケアとも言うべき習慣だった。そういえば最近の五条も独り言が増えた気がする。少なくとも、サボりと称して医務室に居座る時は。私を真似ているのか、彼も私と同じ結論に辿り着いたのか。この件はこれ以上つついても何も出やしない。
綺麗だが誰の呪力か分からないと五条は言った。あの五条が。あらゆる呪力を見通す六眼が、肝心の分析を投げ出したのである。それは過去千年に渡る文献の中で一度も記録されていない、六眼の不調かもしれなかった。五条家の関係者が聞けば気を失ってしまう大事件だろう。或いはあれが呪力ではない可能性
——
その場合、粒子の正体の謎が深まる一方なのでより厄介な事態
——
本人も首を捻っていたが、少なくとも、彼の中で結論は出ているようだった。私もだ。五条と私は同じ答えに辿り着いている。
特級仮想呪霊・祈本里香が乙骨憂太の呪いから解き放たれた時、似たような粒子を見たと五条は言う。あれほど美しく、綺麗な呪いが存在するとは思わなかった。そう言ったのと同じ口で、呪われちゃったのか僕は、参った、と告げた声は私情を挟まず、乾ききっていた。呪いならおどろおどろしい見た目のままでいてほしいんだけど。私に関係は無いと一蹴すれば、五条はこめかみをかきながら医務室を出て行った。ああは言ったが綺麗な見た目であるに越した事は無いと思う。あいつの死に際がどんなものだったか、誰かから聞かずとも知っている。
五条は十分と経たずに戻ってきた。
「硝子は医者だよね」
まったく的外れなことを言い出した。
次に何かを言い出すのを先回りして断ると言った。五条は私の話を聞かなかった。
今度こそ五条を追い出すことに成功した。
夏油の奴が引き起こしたテロで負傷した術師の手当てに追われている私は忙しい。前線に出る五条ら術師に比べると事後処理が山積みだ。あいつを手にかけた直後だからと大目に見ていたがあまりにも目に余る発言だった。五条は私の逆鱗に触れたのだ。疲労や寝不足で説明がつかないほど荒れた。暴力に発展することは無かったものの、五条が医務室を出て行かなければそうなっていたであろう未来を想像するのは容易い。
ドアを閉める直前に見た五条は迷子のような顔をして廊下に立ち尽くしていた。
事実あいつは子どもっぽい。学生の頃の夏油のような振る舞いをして、かと思えばその仮面を剥がして生徒に絡んでうざがられている時なんか私と同い年だと思いたくない。それでもあいつは成長した。同い年の私が言うと変な話だが、五条はもう、夏油について回った十代の少年ではない。夏油を失い、自立することを覚えて、それから十年が過ぎた。子どもの教育に責任を持つ教師という立場もあいつを育てたのだろう。その事実はきっと人の命を預かる医者である私にも適用されることで、誰しもがあらゆるきっかけを経て子どもから大人へ成長していく。五条の場合はそれが顕著にあらわれたに過ぎない。
なのにあの言動、あの発言。憤慨し、失望せざるを得なかった。まさにガキの駄々で、こういう、激情に任せて暴力を奮いたくなるほどに私を苛々させたのは、夏油が高専を出て行った頃以来だった。そうだ、あの時の五条も、さっきみたいな表情をよく浮かべていた。親とはぐれて途方に暮れた子どもの顔。自分の手足が自分のためであることを知らないまま、一人きりで広い世界に放り出されたような。
あの頃の五条はよく夏油の名前を呼んだ。それは意図的だったり、無意識だったりした。夏油とよく行った場所に私を連れ出して、そういえばその時、私を夏油の代わりにするなと五条の顔を呪力混じりの拳で思いきり殴った。私と話している時、いないはずの夏油に同意や意見を求めるためにふと視線を彷徨わせたりして、曖昧な笑みを浮かべてはぐらかした。そのたびに例の悪癖が私の口をついて出る、お前それ気持ち悪いからやめろ
——
当時の私もなかなかきついことを言っている。五条は俯き、数秒の間黙り込むと、顔を上げて何事も無かったように話題を転換させた。
どんなに仲が良くても夏油は他人であって知らない側面があって当然。小学校や中学校で学ぶありふれた事実を、学校よりも閉鎖的な環境で育てられた五条は学んでこなかった。夏油のことは全部知りたいと思っていて、夏油にも自分の全部を知ってもらうことを望んでいた。全てをさらけ出して体当たりで夏油と向き合っていた。夏油との決別から割り切れない五条は他人の私から見ても悲惨で、哀れに思う一方煮え切らない態度に煩わしさも覚えた。五条は深く傷付き、時折自棄を起こした。私を際限なく苛つかせたそれらの言動がある時から突然なりを潜めて、いつしか夏油の口調を真似するようになった。無論私は戸惑いを覚え、それが痛々しく映った時期もあったのだが、こいつなりの立ち直り方なのだと納得した。
今日の五条は自棄を起こしていた頃によく似ている。傑を探す、呪術界の爺どもに直談判してくる。荒唐無稽なことを言い出して、本気で実行に移そうとしていた、深い傷を抱えていたガキの五条に。
ある種残酷な話ではあるが、こういう事態に最も有効なのは、時が傷を癒してくれるのを待つことだ。だから今回も、ともすれば十年前より倍以上の時間がかかるかもしれないが、いつか立ち直れるだろう。五条本人がその事実を一番よく知っている筈だ。
だから私もいい加減冷静に戻るべきだった。
だが冷静とは、平静とは何だ。
あいつの望み通りにしてやれば良かったのか。あらゆる現実から文字通り盲目にさせてやれば、五条は暗闇の中で自分と対話し続けて、折り合いをつけるのももっと早かったのだろうか。
こういう時
——
五条が破滅願望的な自棄を起こしたり私の悪癖が顔を覗くたび
——
夏油は凄かった、とふと思う。私があいつを思い出す瞬間は殆どが五条と結び付いている。こういう時夏油なら五条をうまく宥めて叱っただろう、ただ私は夏油ではないのだし、夏油の代わりではないし。あいつだって一人で悩んだ末に勝手に爆発し蒸発して十年何してたかは知らないが特大規模のテロなんか起こしやがって。昨日今日もしかしたら明日明後日の徹夜は全部お前のせいだ。
私が夏油に対して何も思っていないのかと聞かれれば必ずしもそうではなく、あれは起こるべきして起こったことで誰にも止められなかった。ただ、あいつがいた頃、三人でいた頃が一番賑やかだったと、もはや二度と戻らない過去の出来事なのだと振り返る時は、ある。
結局、あいつも私も五条もガキで、幼くて、同じくらいに愚かだった。
深夜に五条が再び医務室を訪れた。
昼間会った時に比べて若干くたびれた様子ではある。同様にげっそりとやつれた私を、奴は夜の散歩に誘い出した。たぶん昼間の愚行に対する五条なりの謝罪なのだろう。浮腫んだ足から脱いだパンプスをベランダに並べれば、五条は私の手を取って宙に飛び出した。
五条の手は冷たい。冷え性な私の手はもっと冷たい。そういえば夏油の手は私たち三人の中で唯一、夏でも冬でも温かくて、五条は冬になると夏油を大きな湯たんぽ扱いしていた。五条と夏油が私を挟んで片手ずつ取り夜空を飛んで、五条の手が冷たいと私は文句を言う。傑の手に触れてみたいと五条が言う。私たちはお互いが向かい合うように輪を作り、各々の手を握る。足元で煌めく夜景が遠ざかる速度に、このまま二度と地上へ戻れないんじゃないかと不意に夏油が怖気付く。らしからぬ態度に五条と私は笑って、五条が夏油の手を離す素振りを見せる。夏油は必死な形相で五条にしがみ付き、五条は大声で笑い転げながら片腕で夏油を抱き返してつむじに額を押し付けた。すぐるあったかい、そう言いながら、高所に怯えて震える珍しい姿の夏油を見つめる瞳は、第三者の私でも察せるほどに潤んで、穏やかな熱を孕んでいる。見てはいけないもの、身内にしか見せないであろう甘えきった態度を目にしてきまりが悪くなった
——
仲の良い友人が自分の両親をママやパパと呼んでいるのを知った時のあの感覚
——
私は目を伏せ、右手を握る五条の手が夏油と同じくらい温かくなっていることに今更気付く。
あの頃は楽しかった。私たちは呪術師である前に子どもで、世界が狭かった。それを幸福と見るか不幸と捉えるか、今更振り返ってみたところで、結局は当時の私が判断すべきことだ。今はそんな時間も相手も無く、たとえ揃っていたとしても、見下ろす夜景が綺麗だと思う時、それは現在でなく過去の景色だ。三人で平等な円や正三角形を築いていた頃の心象風景。
——
冷たいな、と私は言う。冬の空気は特に、外の空気も体の内側もどこもかしこが寒い。無言で首を縦に振って同意する五条の周囲を光の粒が舞っている。それは五条の空いた左手の周囲へ移動し、私の右手にも近付いてから、あの頃と違って目を隠したままの五条の顔の周りを漂った。
■■■
硝子が手を握り返してくる、その強さに僕は驚いた。誰かと手を握る機会なんて最近、いいやここ何年の間にあったっけ? 無かったと思う。もしかしたら最後に手を握った相手も硝子だったかもしれない。僕が成人を迎えて初めて二人で飲みに行った帰りの夜、ふらついた足取りで道路を歩くのは危ないと酔っ払った硝子が言い出して、酔いを覚ますために空を飛んだ。空の上では、居酒屋で仕事の愚痴や呪術界の行く末を語り明かしたことが嘘みたいに一言も交わさなかった。都会の上空を彷徨い、硝子や僕の体が寒さで震え出しても、どちらも戻ろうとは言い出さなかった。冷たくなった互いの手をきつく握り締めて、このまま二人で遠くまで逃げてしまえそうだとぼんやり考えていたのを覚えている。結局、沈黙に耐えかねて帰ろうと言い出したのは僕だった。帰ろう硝子、風邪引いちゃうよ。硝子は赤くなった鼻を啜りながら、真っ赤なマフラーに顔の下半分を埋めて頷いた。
「お前さ」
現実の硝子が口を開く。紅が引かれた赤い唇が月光を反射して鈍い光沢を帯びている。
「高専から呪具を無断で持ち出したことがあっただろ」
「
——
ああ、」
うん、と曖昧な答えを返す。会話の行き先が予測できなかった。いつの話だろうか。適当に受け流してしまったが自分がそんなことを仕出かした心当たりが無い。僕の反応からその辺りの事情を察したのだろう、硝子は口の端から白い靄を吐きながら手短に補足してくれた。
「三年の時。夏油が高専を出て少ししたくらいの頃」
「ああ、あれか」
思い当たった。今度の相槌は感情が入った。
「同時にお前が失踪してさ。絶対に犯人だろって高専総出で探したけど見つからずじまい、何日かしてひょっこり手ぶらで帰ってきて呪具壊しましたって、校長から大目玉食らったやつ」
予想外の方向、相手からあらぬ過去をほじくり返されている。僕は照れ笑いと相槌の中間のような、曖昧な笑みを零しながら頷いた。
「あの時は除籍されると思った」
「私もそうなったら仕方ないと思ってたよ」硝子が唇の片端を吊り上げて笑う。「で、あの時は何を盗んだの」
沈黙。片頬に注がれる硝子の視線が痛い。今夜の散策は彼女の機嫌取り
——
昼に僕がしでかした迷走に対する謝罪を兼ねていたので、無言の追及に耐えかねて口を開いた。
「鍵」
「鍵?」
「特定の記憶に閉じ籠もる。閉じ籠もるための部屋と、部屋の扉に鍵穴があれば成立する呪具」
今度は硝子が黙り込む番だった。たっぷり五秒間の沈黙を挟んで言われたのはある程度予想がついた言葉
——
「聞かない方が良かったか」。
「いいよ。今更気にしてないし」
「そっちの意味じゃない。後悔だよ。聞いて損した」
「えー、ごめん?」
「微塵も悪く思ってないな」
呆れた声だった。煙草が吸いたいと言い出した。火を点けてあげようかとふざけて言うと、硝子は白衣のポケットからケースとライターを取り出した。
「本当に吸うのかよ」
「お前も吸うか」
今度こそ冗談だと思った。
目の前に突き出され、ぽかんと見つめていると唇の隙間に押し込まれる。
差し出されたライターを反射的に受け取り、火を点けた。暗闇に灯る赤。僕と硝子の顔が明るく照らされる。点火を確認した硝子は先端が赤く色付いた煙草を咥え、僕の手からライターを奪った。唇のすぐ先で感じる灼熱、遅れて独特の苦味と臭みを知覚し、驚いた拍子に多量の煙が肺の奥へ流れ込んできた。
咽せる僕を眺めながら硝子は悠々と煙を吹かしている。呼吸を整えた僕が顔を上げると硝子の唇に淡い笑みが浮かんだ。
「むかし夏油が吸ってたやつ」
硝子の様子を横目で盗み見ながら煙草を吸った。途中から諦めて開き直った、硝子が煙草を咥えるタイミングで僕も煙草を唇で挟み、硝子の胸の動きに合わせてゆっくり、静かに息を吸う。足元や正面を眺めていた硝子は、僕が咳き込むたびに視線を一瞬こちらへ寄越すだけで、何も言わなかった。
生理的な涙に視界が滲む。一本ごとに何分寿命が縮むんだっけ。僕のひとりごとに硝子は答えない。喫煙者になんて質問をとその顰め顔は語っていた。答えを得られなかった僕はひとり思考に沈む。何分にせよそれは緩やかな自死。天国へ近付くもの。死、という単語に今夜の僕は敏感だ。それから、天国も。死後の世界なんて信じていないが、死んだあとも生前の苦しみが続くのはあんまりだと思う。ただ安らかであってほしい。それは僕たち生きている者たちが持つ共通の願いでいてほしい
——
曖昧な表現ばかりだ。思えば今日の僕は曖昧な態度を取り続けている。硝子にも怒られたし、普通の状態ではなくてぼんやりしていた自覚はある。硝子を散歩に誘ったのだって、罪滅ぼしの意図もあったが僕の意識が散漫に散ってどうしようもなかったからだ。硝子を誘って良かったと思う。ひとりでは煙草のお裾分けなんてされないし、煙草の吸い方もわからなかった。
すっかり短くなった吸殻を硝子の携帯灰皿に突っ込むともう一本押し付けられた。
「夏油に」
硝子の真似をして煙草を掲げる。立ち昇る紫煙はどこまで届くのだろう。当然天国には届かない、そもそもお前はきっと天国なんて綺麗な場所には好んで留まらないだろうが。
「傑に」
「二本で十一分」
今更すぎる答えが返ってきた。つまり、僕と硝子はこの短時間で十一分も(十一分しか?)寿命を縮めたらしい。お前のことを思って吸ったから、この十一分は死んだお前に捧げた時間になる。言えば怒るか。あるいは馬鹿だなと笑ってくれるだろうか。
笑うのかもしれない。
最期の笑顔。
目元の呪具を首まで引き下げ、星がまばらな都会の夜空を見上げて僕も笑う。灰が落ちるのも厭わずに上を向いたまま煙草を咥え、真上に吐き出した。
視線を感じた。虚ろに映るも実際はあらゆる事物を見透し知り得る聡明な硝子の目。真っ直ぐ見つめられていた僕はたじろぐ。
「下手くそ」
「
……
なにが」
鼻を啜る。誤魔化そうと偽の欠伸を漏らした。
「眠いなって思っただけ」
どうせばれている
——
知っている。硝子は鼻で笑った。火の消えた煙草を携帯灰皿に落とす。僕のはまだ消えていない。
「それ、どうするつもり」
顔の周りを漂い続ける光の粒。煙草の煙に突っ込み、抜け出ては不規則に動き回っている。
「別に、何も。無害だし」
「そう。
……
あのさ」
今日の硝子も僕と同じ、普段と様子が違うように見えた。見た目の話ではなく、柔らかな口調だったり、無論僕に煙草を勧めてきたことも。学生の頃の硝子を思い出した。僕たちがふざけたり喧嘩を繰り返したのを、呆れながらも止めずに見守ってくれていた。思えば硝子は僕たちをクズとか悪餓鬼どもとか罵ってきたけど、本気で軽蔑されたことは一度も無かった。
「来月の二十四日」
無理なら二月でもいいと硝子は言う。十分と少しでは全然足りない。あいつとの思い出を良き過去、二度と戻り得ない青い春の記憶として昇華させるには、全く。僕たちには膨大な時間が必要だ、そんな余裕など与えられないことは知っているけれど、ならば、少しだけでも。毎日は無理でも、時々。あいつのことを思い出してやれるなら。
曰く、僕は狐につままれたような顔をしていたらしい。硝子からこういう提案をされるとは予想だにしていなくて、催促の言葉を受けぎこちなく頷いた。
「予定空けておく」
「私も」硝子は答えて僕の手を握り直した。「そいつ連れて来いよ」
「
……
、どうだろう」
僕は忍び笑いを漏らしながらゆっくりと降下した。光の粒も僕たちを追って纏わり付く。
「傑は高い所が苦手みたいだし」
「いつの時か悲鳴上げてお前にしがみついてたよな」
「女子みたいな声で叫んでね。今思い出しても笑える」
「あれ、高い所から落ちる夢を直前まで見てたせいだってさ」
それは初耳だった。僕は片手で燻る煙草に口を付けながら相槌を打つ。
「何日も眠り続けて
——
」
「傑が?」
「取り込んだ呪霊の影響で寝込んでた時」
記憶を漁り、覚えていないと僕は答える。三人で夜空を飛んだ記憶はある。遠ざかっていくビル群に突然怯え始めた傑。血の気の引いた顔とは裏腹に温かかった傑の手。罵詈雑言の限りを叫びながら僕に縋りつく。
——
だからやめろって本気で怖いからふざけるな馬鹿。
絶対に私を離すなよ、悟。
——
離すわけがないだろ、と答えて一層強く抱き返した。
あの頃感じた熱はこの世界のどこにもいない。
繋いだ手を離したのは傑からだったのか、それとも僕が先だったのか?
「夏油が目覚めた記念に三人で飛ぼうって言い出したのはお前だろ」硝子の声が遠いところで響く。「楽しかったな。あいつも笑ってた、本気で怒ったけどお前が楽しそうだからもういいやって」
ひとりで夜空を飛んでいる。
硝子から譲り受けた煙草の箱を手の中で転がしてみる。開けて三本目
——
十六分と三十秒。吐く息も吸う息も何もかもが苦い。例の光は相も変わらず周りを漂い、僕が煙草を吸い始めてから忙しなく手と顔の周囲を行き来している。嫌なの、と声に出して聞いてみた。お前は煙草が嫌い? 光の挙動に変化は無く、僕の声はやはり届いていないのだと確信を持つ。
咳き込みながらも吸い終えた僕は高度を上げていく。硝子と飛んだ時よりも遥かに高い、更に上へ、僕の体はどこまで耐えられるのだろうか。骨が軋む気配は未だ無く、吐く息が凍り付いていくのに寒さは感じられない。頭上に広がる藍色、僕たちを等しく見下ろす空。普段は見上げるばかりの分厚い蒸気の中で上昇を止めると、蛍のような光が周囲を照らした。
「高い場所が苦手じゃないの」
当然、応えはない。ひとり大きな溜息をつきながら膝を抱える。そう、ここだ。ここが相応しい。僕の他には誰もいない、灰一色の世界。過去と今と未来、僕自身を振り返っては見つめ直して先を眺め、別の視点からは別の思考が入り組み、情報の洪水で飽和しきった脳のためにひとりきりの時間が欲しかった。
硝子の言葉。傑の言葉。風船のように緩く回りながら、煌めきに囲まれて流されていく僕の体。頰を撫でる風の感触は僕の心を騒がせる。あの頃と今。過去と今は繋がっている、混ざり合いながら未来を侵食していく
——
——
高所に怯える傑の姿を僕は愛おしく思った。今思えば本能的な恐怖に震える小動物を愛玩する気持ちに似ていたかもしれないが、僕はあの傑が大好きだった。恐怖とは生きている証だ。硝子の言った通り、傑は取り込んだ呪霊の影響で倒れ、何日も暗闇の世界を彷徨い続けたのだ。僕は一日の間に何度も傑の部屋に通い詰めた。お前は二度と目覚めないかもしれないと、昏々と眠り続ける傑の隣で不安に駆られて頰を濡らした孤独な夜もあった。だから目覚めた傑が僕の行動に反応を返し、喜怒哀楽をころころと切り替えていくさまを間近で眺められて嬉しかった。全身を包み込む体温、傑は確かに生きているのだとその体を抱き寄せて実感を現実に縫い止めた。
お前を好きだったと、あの頃の僕は一度でも声に出したことがあっただろうか?
きっと照れ臭くて一度も言ってやれなかった。感情の自覚すらしていなかったかもしれない。胸の内側で温かく輝いて跳ね回り、大切にしなければいけないものだとは思っていたけれど。いずれにせよ言語化など必要無い、大抵のことは口にしなくとも周りの人間が勘付いてくれると昔の僕は信じきっていて、過ちだと気付いたのはここ数年の間のことだった。だからあの美しい虹色の朝焼けに照らされて眠りゆくお前の肉体から、お前がいなくなりかけてようやく、本当の言葉を告げられたような気がするのだ。
伝えるのがあまりにも遅すぎた。
——
不可視の愛を語るより、遥かに簡単なことだったのに。
硝子と話していた時も堪えていたそれが再びこみ上げてきているようで眼球の下がむず痒い。
暗闇で蠢くこがね色の無数の粒。固く閉ざした目蓋の裏側からでもわかるほどに強い光を放っている。高さを増せば増すほど輝きは増しているようで、それは迷える僕たちの道標。羅針盤であり座標であり、遥か彼方から僕たちを導く灯台の明かり。
お前はここにいるべきではなかった。しがみ付くのは生者の特権だ。死者が行えばそれは妄執となり呪いへ転ずる。ここにいる光がお前なのか、あるいは僕が見る幻なのか、この六眼は見定めることを拒絶するがそれ自体がもう答えを示している、お前の存在を知覚した僕の魂は熱く燃え盛り、なあ、
——
絶対に私を離すなよ。お前はあの時確かに僕を呪ったのだ。誰が離すか、この俺が離すわけないだろ。幼い僕は嬉々として呪い返した。呪い呪われた僕も大概だが、だからこそ、いつかは終わらせなければいけないものだった筈だ。
すっかり遠くなった夜景を背負い、灰色の揺籃から抜け出せばしららかな月の光が瞳を焼く。細くたなびく白い吐息が煌めく結晶と成る。その輝きと隣り合うお前の光のどちらが美しいか考えて、無駄な問いであることを自嘲する。
月に伸ばした腕。
——
それを掴む、光の鱗に包まれた五指がある。
そういう優しいところは昔から変わらない。僕は微笑みを浮かべ、優しく振りほどいた。
唇から、指先から、目蓋の隙間で散る雫から手放されて上りゆくひかり。
雲や僕を眼下に置いてどんどん上がっていく。
お前が至るべき果てへと続く扉は、まだ僕に開かれていない。
■■■
部屋の天井。
私を見下ろす青い瞳。その正体を記憶から探り当てるより早く、白い影が覆いかぶさってきた。
「すぐる、傑、傑
……
!」
名を連呼しながら肩に顔を埋めてくるのは親友である五条悟で、私は彼の涙ぐむ声をこの瞬間まで聞いたことが無かった。寝惚けていた私は状況が把握できない。悟が泣いているのは異常事態に違いないので、宥めようと背中に腕を回した。するとますます彼の呼吸は荒くなり、嗚咽まで上げ始めたのでいよいよ対処に困り果てた。傑、よかった、本当によかった。悟は壊れた玩具のように同じ言葉を繰り返し、硝子が来るまで私を離そうとしなかった。
「一週間近く寝込んでたんだよ」悟を引き剥がしながら硝子が教えてくれた。「任務先でぶっ倒れたらしいから原因は不明だが、おそらく強力な呪霊を取り込んだ影響で。五条、夏油の呪力は安定しているか」
「してる」
ひどい鼻声だった。真っ赤に腫れた目を擦り、悟は大人しく椅子に腰掛けている。
「いつもの傑の呪力だ。もう問題ないと思う」
なら取り込んだ呪霊の登録をしなければと私は返す。悟と硝子が同時に顔を顰め、絶対安静だと声を揃えて咎められてしまった。私は元気だ。寝込んでいたせいで体の節々が軋んでおり、一刻も早く体を動かしたかった。しかし二人の気持ちも尊重したかったので、私は大人しくベッドの上に横たわった。
「じゃあさ」悟が良いことを思いついたようににやりと笑う。「走ったりしなければいいよな。今日の夜、三人で高専抜け出そうぜ」
硝子を真ん中に挟んで私たちは夜空を飛んだ。
彼女はこの配列に大いに不満があるようだった。お前らに挟まれて圧迫感がとんでもない、何より五条の手が冷たすぎる。私の手は温かいらしい。これでは夏油ではなく五条が病人のようだ
——
硝子の発言に、私と手を繋ぎたいと悟が言い出した。その頃には既にそこそこの高度まで上昇していて、硝子と場所を入れ替えるわけにはいかなかったので、輪を作るように私と悟の空いた手を繋いだ。
「ほんとだあったけえ。湯たんぽみたい」
「きみが冷たすぎるんだよ」
「毎日糖分摂ってるのにな」
「それ関係ある?」悟が唇を尖らせる。「別に手が冷たくて困ったことなんてねえし」
私と繋いだ手を悟が前後に揺らす。私の腕も揺れてされるがままにぶらぶら動く。子どもじみた戯れに私は笑う。悟も無邪気な笑い声を上げながら、私たちの体はどんどん高度を上げていく。先ほどとは比にならない速度だった。硝子が小さな歓声を上げる。
「絶景」
足元で遠ざかっていく夜景。近付いていく雲と月。ふと、この光景に既視感を抱いた。どこでだろう、つい最近も似た景色を見たような気がする。上昇、そして落下
——
落下。そうだ、私はどこかへ落ちていく。真っ逆さまに、助けを求めても虚しく、暗闇を切って一直線に。誰かに助けを求めて縋り付いたけれど、相手はあろうことか私の手を振り払い、突き飛ばした。
「傑」
悟の声に顔を上げる。二人が私を見ていた。
「夏油。顔色が悪い」
「いや
……
」視線から逃れて俯く。遥か足元に高層ビルの天辺で明滅する赤い光が見え、途方もない距離に背筋が凍り付き目を瞑った。「ちょっと、怖くて」
「へえ」悟の声があからさまに愉快げな響きを帯びた。「なになに傑クン、もしかしてビビってる?」
「お前こんなのにビビる奴だったっけ」
「背中に乗って空飛べる呪霊を手に入れたってこの前自慢されたばっかだけど」
二人が話している間も上昇は止まらない。上がれば落ちる、落ちる、落ちる
——
落ちた先には何もない、私たちの世界に戻れなくなる。恐怖に震えながら悟の手を握り直す、その瞬間汗で指が滑りかけて思わず悲鳴を上げた。奇異なものを見るような悟と硝子の視線が痛い。絶対に面白がられている。今の私が滑稽なさまを晒している自覚はあったから尚更だ。
「おっと手汗が」
「ふざけるな馬鹿
——
!」
今度こそ悲鳴を上げてなり振り構わず悟にしがみ付いた。悟が笑いながら私の背中に腕を回す。冗談だから、ごめんって傑。お前やめろよと硝子が悟を責めている。夏油に振り回されて肩が外れるかと思った
——
そもそも、悟が片手を離したところで、私の片手は悟と手を繋ぐ硝子と繋がれているから、落ちる心配は無いのだ。落ちたところで先日手に入れたばかりの呪霊もある。そんなことも思い出せないほど私の狼狽ぶりは些か常軌を逸していて、悟の胸元にしがみ付いたまま顔を上げることができなかった。悟が命綱だった、悟がいなければ私はここにいられない。
つむじに押し付けられる温もりがある。額を掠めた柔らかな感触の正体を、その時の私は考える余裕が無い。湿った吐息が耳を掠め、私を抱く腕に力がこめられた。
「すぐる、あったかい」
安心しきって舌足らずに紡がれたその言葉に、私は何と返すべきだったのだろうか。
ふとした瞬間に見せる無防備な表情。今の悟がその時と同じ顔を浮かべているのは容易に想像できた。甘えた声で私を呼び、裾を引いたり、腕や肩に擦り付けてくる髪の柔らかな感触。悟は時折、私が心配になるほど幼く見える時がある。術師としての悟はいつ見ても完璧だ。冷静に分析し的確な判断を下す眼と頭脳、それらを私の前ではいとも無防備に停止させ、子どものように戯れついて甘えてくる。
今はその気配を感じつつも、私を支える腕は力強い。
「目が覚めてよかった」
降ってきた声がまた泣いているように聞こえた。彼を安心させたい、させなければいけない。私を突き動かす感情、悟に向けられる衝動につけるべき名前を、私はまだ、知らない。知らないが、何をすべきかは、わかっている。
——
そういう優しいところ。
空のどこからか響く声を聞く、これはきみの声か? しかしきみは泣いている。私が無茶をしたせいで、私のせいで、傷付いてしまった。
ならばきっと
——
これは
——
等しく夢のなか。
泡のように弾けて、消える。
「私を離すなよ。悟」
間を置いて、誰が離すかと掠れた声で応えがあった。
過去と今は繋がっている。混ざり合いながら未来を侵食していく。
逆も然り。
何の呪霊を取り込んだのだったか。
今は私の中にいる筈なのに何も感じない。そもそもあれは呪霊だったのか?
——
こがね色の燐光を散らしながら現れたのは一匹の龍。全長は悟より一回りほど大きい。鱗も瞳も、宙にたなびく髭も淡い光を放ち、周囲を優しく照らし出す。龍は周囲を漂い、低く喉を鳴らすと悟の腰に頭を擦り付ける。
龍になる夢を見たのだ。
そして長らく悟の側にいたように思う。夢の内容は曖昧だ。記憶の糸を手繰り寄せるたび、端から砂のように崩れて指の隙間から零れ落ちていく。私は淡い光を放ちながら自らの長い胴体を、尾を、悟の体に絡ませて戯れた。悟はそんな私を眺めて微笑んでいた。黒いアイマスクにも似た呪具で目元を覆っていたが、彼を包む呪力の気配や私を見つめる瞳の温かさは変わらないのだと確信していた。途中で硝子にも出会い、同じように戯れつこうとしたが、彼女はあまり反応を示さなかった。
硝子と別れた悟は空を飛ぶ。高く、どこまでも高く。どこに行くのか問う私の声は光の粒となり、悟の頬に当たって砕け散る。悟はどこへ行くつもりなのだろう、嫌な予感ばかりが先走り、私は彼の体に巻き付き、全身の力を使って締め上げた。光の粒子でできた私の体では悟を止められない。悟は弾丸の如きスピードで空を駆け上り、鼠色の雲へ飛び込むと、初めて私を覗き込んだ。青の双眸が今にも涙を零しそうなほどに潤んでいたので驚いた。今の私は彼を慰めるすべを持たない。頬を擦り付けてみるが鱗の感触はさぞ硬いことだろう、それとも光でできているので痛くはないのか? 躊躇しているうちに悟は深い溜息をつきながら俯き、膝を抱え、石のように動かなくなってしまった。
懲りずに悟の周囲を飛び、鱗を押し付け、尾を巻き付けて気を引こうとした。彼はなぜ私を見てくれないのだろう。話しかけてくれないのだろう、なんだか、子どもっぽさはなりを潜めて、私たちの周囲にいる大人のひとりみたいだ。目の前にいる悟は心の底から笑わない。口先だけの笑みを浮かべていたり、吐息だけで笑うような、感情の全てを曝け出さずに他者と一線を引き続けている。それに、私の勘が正しいのなら、寂しそうだった。彼はひとりだった。私はこんな姿だし、悟と対等に向き合える存在に、会えていない。
やがて彼は私を伴って降下する。雲を抜け出たところで振り返り、私を見つめて微笑んだ。伸ばされた手を反射的に掴む私の手は鱗に包まれていたが、半ば人間の姿を取り戻しつつある。眩いばかりの月光に照らされた私の体からは鱗が剥がれ、煌めく粒子の欠片となり、夜風に連れ去られていく。
口の中で折れた牙が光となる。
月は私の仮の姿どころか、本来の姿までもを暴いていく。鱗が剥がれた次は皮膚が剥がれ、肉が骨が、細胞のすべてが夜空に還っていく。
——
何だこれは。
悟。
恐怖のままに彼の名前を口にした。
私であったものが吹き上げられて風塵のように飛び散る。やがて下半身の大部分を失った私の体も風に煽られ、浮き上がった。
——
悟。
握り締める彼の腕が私の命綱だった。悟がいなければ私はここにいられない。消え去ってしまう、遠くへ飛び去ってしまう。悟はひとりになってしまう。
——
私を、離すな。
絶対に離さないからと私は叫ぶ。金切り声は龍の咆哮を帯び、しかし風に紛れて瞬く間に掻き消される。
彼は首を振った。笑っていた。そういう優しいところ、と彼は呟く。細められた目蓋の隙間から散った涙が私の頰を弾き、次の瞬間、私の顔が鱗となって剥がれ崩壊を始めていく。
——
そういう優しいところ、昔から変わらないよな。
悟が指を離した。私の体は崩れながら遥か上空へ舞い上がっていく。悟の姿が遠ざかっていく
——
上がっていく、上がって、上がり続けて、落ちる、落ちる。空に落ちていく。ひとりきりの空に、ひとりきりの世界に、墜ちていく。
突風の中で私は叫んだ、崩れゆく黄金の龍は咆哮を轟かせて泣き叫ぶ、金色の涙を流しながら天へと駆け上る。一閃の稲妻と変じてもきみのいる地上にはまだ届かない。嗄れた喉で唯一無二の親友の名を呼び、崩壊と転落の果てに、夢から覚める。
部屋の天井、私を見下ろす青い瞳
——
■■■
三人のうち、彼だけが知っている。
彼だけが覚えている。
——
夜空の只中で恐怖が臨界点に達した彼は親友の腕の中で泣き崩れた。目蓋の裏に黄金の鱗と閃光、翻る銀の髪と空色の瞳を見る。それらの幻影が意味するものもわからないまま、落下に対する恐怖で、彼の精神は不安定に揺れ動く。とうとうちびったのかと彼を覗き込んだ親友は驚愕し、かつて見たことの無い己の親友の乱れ切った姿に狼狽する。何度も名前を呼び、謝り倒しても、彼は泣き止まない。途方に暮れた親友は顔を上げ、我関せずを決め込み明後日の方向を眺めていた彼女に助けを求める。
——
硝子、どうしよう、傑が壊れた。
——
お前がふざけるから。
——
違うって、確かにやり過ぎたとは思ってるけど、なんか、そういう感じの、泣き方じゃねえんだよ。
泣き続ける彼が唸りながら親友の肩に額を擦り付けた。それは犬のような、あるいは肉食の動物が戯れてくるような、野性的な力加減と仕草だったと後に親友は語る
——
親友はすっかり固まり、ぎこちない動きで彼を指差した。
——
ほら。
——
夏油のやつ、寂しいんじゃないの。
——
んな寂しんぼのガキみてえな。
——
さっきまで似たようなことやってた奴が何言ってる。
——
はあ? あのな、俺はな、そんなつもりは全くなくて、
——
いいから。抱き返してやりなよ。
親友は恐る恐る彼の背中に片腕を回した。居心地が悪そうに何度も身動ぎ、やがて再び彼女に視線を送る。彼女と繋いでいる手を上下に激しく振った。
——
硝子お
……
。
——
はいはい、仕方ないな。いいよ。
彼女は近付くと泣き続ける彼の背中に触れた。次に親友の手を離し、同じく背中へ回す。小さな細い腕は大柄な二人を抱きかかえるには些か短く、彼女は彼の背中に頰を押し付けて親友を見上げた。
——
これで大丈夫だろ。
——
うん。
自由になった両腕で親友は二人を思い切り抱き締めた。彼と親友の体を彼女の細い腕が包み込む。いつの間にか腕の中で親友は彼と一緒に泣き出していて、彼女は背中を摩りながら、彼らの体を温かいと思う。
三人でひとつの温もりを共有していた。
最強と謳われる二人の体が、あまりにも小さく、頼りなく感じられた。
あらゆる怪我を治す彼女の体はこんなにも小さかった。
誰かの支えがなければ真っ直ぐ立つことすらできない。
誰かの体を抱くことが、こんなにも安心するなんて、知らなかった。
誰かを、こんなにも強く抱き締めて、抱き締められる瞬間なんて、きっともう二度と訪れない。
——
夏油、頑張ったな。
——
もう大丈夫だから、傑。
大きな理由など必要なかった、ひとりで泣いているから、ひとりで泣くのは寂しいから。彼につられて泣いていた親友が嗚咽を上げて震えた。親友が抱く彼、その広い背中に顔を埋める彼女の目蓋の裏にも、熱いものがこみ上げつつある。
輝かしい記憶の中で、彼だけが覚えている。
あの頃の自分たちはちっぽけな子どもで、狭い世界の中で、互いのすべてを共有できると思っていた。
それぞれの行先が暗闇に覆われているなど考えたことがなく。
未来が光に満ちていると信じきっていた。
三人はひとつだった。
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