わからん
2022-05-21 08:57:16
5131文字
Public 五夏
 

【五夏】彼岸の数式4/エピローグ(改訂版)

転生現パロ五夏4話目&エピローグです。最後までお付き合いくださりありがとうございました。

 白。
 仰向けに寝そべる私を見下ろしていた。
 この色は知っている。悟が急遽泊まりに来たのだ。私は今度と言ったが、今日泊まりたいと言って、結局は私が折れ、病院から悟のアパートまで車で向かった。悟は着替えと大量のDVDを手に部屋から戻ってきた。途中のコンビニでポップコーンとジュースを買って、眠気が来るまで映画を見ていた——
——……悟?」
 空色の瞳が優しく笑む。
「そ。おはよう。すぐる」
 私を呼ぶ響きで、あの時以来の再会であることを確信する。間違えようがなかった。彼は雪森覚のもう一つの人格——と呼ぶべきかは悩み所だが——彼の脳内に潜む、五条悟の数式、だ。
「久しいね」
「うん。久しぶり」
 悟は私から離れると、窓際に移動してカーテンを開けた。陽光が部屋を白く満たす。次にがらがらと音を立てて窓も開けた。悟は目を細めて外を眺めたあと、ベッド脇まで戻り、床の上に胡座をかいた。
「遅かったじゃないか」
「反転術式を使い過ぎちゃって。体力が戻るまで時間がかかった」
 私もベッドの上で彼を真似て座り直した。
「ちょうどよかった。君に聞きたいことがあったから」
「僕もだよ」
 傑からどうぞと悟は首を傾けた。
「あの絵——私たちで捨ててしまった、影の絵のことだけど。あれは、君が書かせたな」悟は笑みを崩さない。否定の言葉は無かった。「私が見ていた影そのままだった。悟……彼は心当たりが無いと言っていたが、偶然にしてはできすぎていた」
「根拠は?」
「無いよ。消去法で考えた。悟のほうこそ、私に何を伝えたかったんだ」
 悟はおもむろに自身の目を指差した。六眼の証である青い双眸。雪森覚が持ち得ない、唯一無二の瞳。
「例の、脳を乗っ取る術式の実験に、雪森覚の趣味を使わせてもらった。彼は自分の意思であの絵を描いたと思ってくれていたかな」
「やっぱり。君には見えていたんだな」
「この六眼はほとんど見せかけだよ。本来の何百分の一程度しか力を引き出せていない。けど、傑の中で呪力が暴れ回っているのは、初めて会った時から見えてた」悟の顔から表情が消える。「傑。オマエ、どうしてあんな呪いを生み出したんだ」
 あの影は、確かに私が生み出したものだ。私の殺意が作り出した。物言わぬ影。最後には、過去の私が飲み込んだような球体に姿を変えてしまった、私の呪い。
「あれは私が」
「違う。あー、違うけど、違うのが、さらに違う。えっと」悟が頭をかいた。「純度百パーセントの傑に言ってる。だから、傑は、答えなくていい。オマエさ、まだ、非術師が憎いの。こいつの殺意を利用して、呪いを生み出したくらいには」
 彼が私に言った言葉を思い出す。
 ——いっそ人殺したい衝動も全部傑のせいにしてしまえ。
 何となく、悟の考えていることがわかってきた。
……あのさ、悟。私はそこまで割り切れていないよ。夏油傑の考えは私の考えだ」
 同時に、私の考えは、夏油傑の考えでもある。
 彼はあの影を見た時、その正体を見抜いていたのだろう。同時に、生み出された経緯も。
「傑は私。あの影は私が生み出した。私が楽になることを望んだためにね」
 私の本性から、目を逸らすために。
 無差別的な殺意を己から切り離そうとした私が生み出したのか、非術師を憎む夏油傑が私の殺意を利用して生み出したのか。過程はどうであれ、影がもたらした結果は明白だ。
「君の言う、純度百パーセントの夏油傑が私のどこかにいるのなら、きっとこう言うよ。余計なお世話だ。私たちでできると思ったから、やったんだ。私一人の責任で片付けようとするんじゃない」
 考え込み、悟は優しいね。と呟いた。彼が夏油傑を責めたのは、私が過剰に気を負う必要は無いという、気遣いの表れだと思う。私の影は殺人を犯し、親友すら手にかけた。私は間接的な人殺しに違いなかったが、社会は、私を裁けない。私が犯人である証拠どころか、私が殺人鬼ではない証拠ばかりが出揃っている。今後、この罪を贖う機会すら与えられないのだろう。
 私は諦めることを選んだ。だが、私の影が犯した罪、その結末を、忘れることは無い。
 忘れないことが、贖罪の代わりになるかは、わからないけれど。
 同じ過ちを繰り返さないことは、できる。
 悟はしばらくの間黙り込み、ぽつりと呟いた。優しいなんてそんな言葉、生まれて初めて言われたけど。なら有難く受け取れよ。悟は肯定とも否定とも取れない呻き声を上げた。
「それで、悟」この話は終わりだと切り上げる。「何か伝えたいことがあるんだろ」
「ばれてた?」
「バレバレだ。表情が固い」
 悟は曖昧に笑い、胡座を崩して足の裏同士を合わせると、足首を押さえて前後にゆらゆらと揺れた。昔、悟がよくしていた仕草だったことを思い出す。
 あのね。悟の声は震えていた。
——お別れを、言いに来た」
 うん、と私は答えた。それ以外に言葉が見つからなかったからだ。彼の姿が映った瞬間から、心の内側で重大な決心を抱えている気配を感じ取っていた。驚きと同時にやりきれない諦念が湧き上がり、複雑な感情を表には出すまいと押し殺す。
「お別れ?」
「二度と表には出ないと思う」
「どうして」
「術を回すのをやめるから」
 どうして。と私は同じ言葉を繰り返した。悟は口元に笑みを浮かべていたが、露骨に視線を逸らした。
「呪術が完成して傑に会えた。雪森覚は傑と一緒にいて楽しそうだ。雪森覚が楽しいってことは、僕も楽しくて、幸せ。それでね——」言葉を区切り、悟は深く息を吸った。「——僕の目的は達成された。これ以上、僕の存在で、雪森覚が苦しむ必要はない」
 だから、今は奪っているこの肉体も。
 彼を苦しめ続けた膨大な数式のデータも。
 雪森覚のために。全部。
「返す、つもり」
 私は腿の上に肘をついたまま、悟を見つめた。顔を上げた悟は私と目が合い、再び顔を伏せてしまう。
「僕は消えるわけじゃない。今まで行っていたことを止めて、休むだけ。表に出ないし、存在を主張しないだけで、雪森覚は五条悟だ。逆も然り。それは保証する。けど、こうして話す機会はたぶんおそらく絶対に二度と来ないから、そのことを話したかった」
「悟」
……ハイ」
「やっぱり君はばかだな。ありもしない気を回すなよ」
 悟の肩が強張る。
「君が五条悟だから友達になったわけじゃない」私は努めて穏やかな口調で言った。「君が、君だったから。私は君が好きだ。雪森覚とか、五条悟とか、個人の名前は関係なく」
……傑」
 怒られると思っているのだろうか。何が理由で? それが悟の選択なら、私に口を出す権利は無い。
「それは私にも言える。私が夏油傑だから、君を好きになったんじゃない。私は、私の意思で、君を選んだ。そんな程度で、君を見捨てない」
 前とか、今とか。
 悟であるとか、君だとか、私だとか。
 結局は地続きの出来事で、そうでないかもしれなくて、それこそありもしない神様を呪いたくなるほど、曖昧な土台の上に私たちは成り立っている。
 正解は無いけれど。私たちは幾多の道ですれ違い、時に肩を並べて、生きることを選択し続けている。
——うん。それを聞いて安心した」
 悟は顔を上げた。綺麗だけど、苦手だなと思う。青い瞳。真っ直ぐに見つめられると、あまりにも美しいから、少しだけ、照れる。
「本当は、完成させたくなかったのかも。所有者の肉体を乗っ取る術。僕が使い手に会った時、その術者は僕の大事な人を乗っ取っていた。その時を思い出すからあまり使いたくないっていうのも、本音の一つ」
「本人の同意無しに実行するからだ。もし私が乗っ取られたら、自分ごと殴り飛ばしてた」
 彼は私の冗談に笑った。少し、嬉しそうだった。
「だから、二度ととか言わないで、来たくなったらまた来なよ。私はいつでも構わないから。その代わり、本人の許可は必ず取れよ」
「いいの?」悟の口元に笑みが浮かぶ。「じゃあ、いつか、落ち着いた頃にそうする。幸い、数式で意思疎通は図れるし。二進法なら雪森クンも解読しやすいかも」
「私も手伝うから書き出しやすいモールス信号にしてくれ。彼、発狂するかもね。宇宙人からの信号を受信した! とか言い出しそうだ」
「ファーストコンタクト風? いいね。じゃあ、それっぽい文面で送るから、解読よろしく」
「わかった。——待ってる」
 最後の言葉が思いのほかしんみりとした響きを帯びていたことに、我ながら驚いた。気付かれていなければいい。悟が膝を立ててベッドの脇へ寄ってきた。
「傑。こっち来て」
「え? ああ、」
 シーツの上に手をついて近付くと同時に、うなじへ手が回される。
 悟の顔が目の前にあった。それと、私の姿を映す、青。
 接触はほんの数秒だった、と思う。一瞬にも、永遠にも思える長さだった。悟は笑っていて、私は今し方起きた出来事の処理に時間がかかっていた。
……前の私たちって」やっとの思いで絞り出した声は困惑で掠れている。「そういう関係だったっけ?」
「ヒミツ!」悟はいよいよ弾かれたように大声を上げて笑った。
 しきりに笑い転げて落ち着いた頃、彼はベッドの縁に左肘を載せ、腕の上に頰を預けた。伸びてきた右手が私の頰を撫で、滑り落ち、指先を握り締める。
「じゃあね。おやすみ、すぐる」
 目蓋が下ろされていく。
 彼は眠る。雪森覚に全てを明け渡し、脳のどこかの片隅で、彼と共に生きている。そこに私はいない。行くことはできないけれど、彼は雪森覚を通して私を見るし、私もきっと、雪森覚を通して、五条悟の面影を感じ取る。
 腕を伸ばし、彼の前髪をすくい上げた。目蓋の向こうに消えていく青を、目の奥に焼きつけるために。
……おやすみ」
 ——あるいは、彼そのものを。
「さとる」
 彼が選び取る未来の先に。
 私はきみを見出すのだろう。

 私の指を握り返し、悟が焦茶色の目を開いた。ぼんやりと虚空を見つめ、瞬きを数度。唇の隙間から吐息を零し、自らの状況に意識が向く。
「もしかして、寝落ちてた?」
「少しだけね。さっき起きてたけど、だいぶ寝惚けてたよ。おはよう」
 手が離れた。欠伸をした悟が口元を覆う。両腕を上へ伸ばした。
「眠そうだな」
「少しだけ。でも、頭ん中がすげえ軽い。こんなにスッキリ起きたの、久しぶりかも」
「それはよかった」
 私の顔を見た悟が、ぎょっと目を見開いた。
「傑。どうして泣いてんの」
「え」
 頰に手を当てると彼の言う通りだった。私は泣いていた。少しという話ではなく、既に何粒も涙を零していて、滂沱とか号泣とか、その言葉が当てはまるくらい、止め処なく涙が溢れ出た。私が目元を擦ると悟が手を掴み、代わりにティッシュを押し付けてきた。
「すぐるくーんどーして泣いてんのー」
 裏声で嘆く悟の声に笑いが込み上げた。笑うか泣くかどっちにしろと肩を叩かれ、嗚咽が漏れた。あーはいはい泣くのねと呆れた声で背中を擦られ、ベッドの上でうずくまり、子供のように大声を上げて泣いた。
 私が落ち着いてから朝食を作った。とは言えほとんどは悟が動き、私は皿を用意してリビングへ運ぶ程度のことしかできなかった。
 朝食を食べている間も、皿を洗っている間も、どうして泣いたの、と悟は理由を尋ねてきたが、その都度私はわからないと首を振った。
「悲しい夢でも見たんじゃないかな」
「覚えてない?」
「ああ」
「変なの。覚えてなくても泣くぐらいだから、余程悲しかったんだね」
 そうだね。悟の意見に同意した。私は悲しかったのかもしれない。思い切り泣いたから気分がすっきりしたよ。
「どこか出かける?」
 悟が遠慮がちに聞いてきた。私は頷き、どこか行きたいところはあるかと尋ね返した。彼はしばしの間唸ると、図書館か書店、あるいは古本屋がいいと答えた。
「珍しい。読みたい本でもあるのか」
「ちょっと調べ物がしたくて」
「何の?」
「モールス信号」
 私が押し黙ったので、変なことを言ったと焦ったらしい。悟は慌てて付け足した。
「ふと気になっただけ。なんでだろ、昨日見た映画で出てたかな」
……どうだっけ。でも、一度は憧れるよね。トン、ツー、トン、って」
「できたらカッコいいし」彼はふざけた調子で言った。「覚えてみようかな」
「いいんじゃないか。私も覚えるよ」
「じゃあどっちが早く覚えられるか勝負な」
「言ったな。後悔するなよ」
「負けねえから」悟は笑った。
 窓から差し込む朝日が、私たちを明るく照らしていた。