木綿子
2021-12-24 20:08:56
5373文字
Public 👹(こい紅)(義炭)
 

#17

バイク便配達員の義勇さんと、パン屋さんの炭治郎のお話です。 義炭です。終わりです。

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#16 https://privatter.me/page/65937b3a2c0a9

 やりすぎた。
 台所で一人、コンロの横に手をついて、義勇は眉間に皺を寄せ、静かに反省した。
 体格も体力も違う相手にやらかしてしまったと気付いたのは、全てが終わった後だった。腕の中で、炭治郎が骨をなくしたようにくたくたと崩れ声もなく息をするだけになって初めて、快楽にけぶっていた脳内が冷水を浴びたように醒めた。辛うじて意識は飛ばしておらず、義勇が後始末をしている間も夕焼け色を潤ませてじっとこちらを見ていたが、濡らしたタオルで身体を拭いてやっている最中に嬉しそうに微笑んだままかくりと寝落ちた。朝、義勇が起きた時に一度目覚めたものの、ぽやんとしたままこちらを見上げて眠そうに瞬きし、一言「おれの」と呟いてまた寝落ちた。最高にかわいかった。
……いや、かわいいのは置いておいて)
 もう少し己を律することを覚えなければならない。できるだけ早く。
 少し認識を間違えていた。自分はもっと性的に淡白だと思い込んでいた。事実、今まではそうだったのだ。普通に欲はあるし、そのときに相手がいれば抱きもしたが、ただの発散であり義務のようなものであり一度すればそれで充分で、まさか最初の閨事で抱き潰す寸前まで貪ることになるなんて、夢想だにしていなかった。
 どうも、想像以上に炭治郎に飢えていたらしい。なるべく直接的な欲を直視しないように抑制していたのもよくなかったと思われる。触れるのを許された瞬間に、箍も外れようというものだ。
 炭治郎は本当にかわいかった。義勇の何もかもを駄目にするくらいかわいかった。思い出すだけでどうしたらいいのかわからなくなる。何度も「好きです」と言ってくれて、どこに触れても気持ちよさそうに身悶えてしがみついてくるのが堪らなかった。小柄で細身の身体は柔軟でどこもかしこも柔らかく、従順に義勇を受け入れては濡れた。全てがよすぎて、ちゃんと優しくできていたか大分怪しい。炭治郎が起きたら、確認しておかなければならない。
 幸せな気分のまま反省に浸る義勇の背後で、炊飯器の電子音が響く。
 さっき様子を見に行ったとき、炭治郎はベッドの上でぼうっと瞳を開けていた。微睡と覚醒の中間にいたようで、ともすればすぐに寝てしまいそうなところを頭を撫でて頬を撫でてなんとか留めて、「腹は減っていないか、何か食べられそうか」と訊いたのだ。ぼんやりしながらもにこりと微笑んだ炭治郎は、義勇を見上げながらしばらく無言だった。時間にして三分ほどだろうか。柔らかな頬を手のひらに包んでじっと答えを待っていると、ゆっくり瞬きした炭治郎が「おにぎり食べたいです」と掠れた声でほろりと零した。
 故の、炊飯器である。
 既に時間は大きく昼を回っている。さんざん体力を消耗させてしまったのだ、何も食べさせないわけにはいかない。買いに出掛けてもよかったが、なんとなく家から離れ難く、そうなると選択肢は「自分で作る」以外にない。少ないよりは多い方がよかろうと、みっちり四合炊いた。余ったら余ったで冷凍でもしておけばいい。
 炭治郎ほど手際はよくないが、料理自体は普通にできる。握り飯も然り。昔、道場の合宿で錆兎と真菰にしこたま仕込まれた。一日に三十個、三日間も作っていれば、身体が自然と覚えるものだ。なお、義勇は小数点以下のグラム単位でレシピを遵守する性質なので、一番最初に「用意する塩水は濃度何パーセントで作るべきか」と尋ねたら、二人から異口同音に「考えるな感じろ」と教えられたのだが、未だに納得がいっていない。
 具材はある。炭治郎が家に来てから、それまでは飲料と冷凍食品くらいしか収納されていなかった冷蔵庫に、ごく一般的な家庭の食材が常備されるようになった。今日は開けてみたら鮭フレークと佃煮昆布とチーズがあったから、これを使うことにする。
 炊飯器の保温を止めて、塩をきっちり七グラム測って入れる。ざくざく混ぜて大き目のボウルに移し、少し冷ます。全部は入りきらないからある半分終わったらまた移す。米は一個につき百グラム。目分量で握っているとどんどん大きくなってしまうのは経験上よく知っている。分量は電子スケールで常に確認しないといけない。四合で十四個作れる換算である。最初の七個は佃煮昆布とチーズを入れて、残りの七個は鮭フレークを混ぜ込んだ。少し見た目が華やかになった。海苔はあっただろうか。義勇が買った記憶は勿論ないが、もしかしたら炭治郎が買ってどこかに保管しているかもしれない。几帳面に分類分けして収納しているのは知っている。乾物の類があったらきっとそこだ。あちこち開けて探し、昆布と一緒に挟まっているのを発見できた。
 炭治郎が食べられるかどうかわからないが、一応味噌汁も用意したから、それなりに食事としての体裁は整えられているだろう。海苔を切って炙っておくかと鋏を取り出したところで、廊下へ続く引き戸がからりと開いた。
……おはようございます」
 炭治郎はまだ眠たそうな顔だった。でもちゃんと真っ直ぐ立っている。手には空のペットボトル。さっき義勇が枕元に置いてきたものだ。
「お水、ありがとうございます……
「うん。……気分は?」
……すごくいいです」
 顔色はいい。本人の言う通り、気分は悪くなさそうに見える。少し安心して息を吐くと、炭治郎がふにゃりと笑った。機嫌もとてもいいらしい。綿菓子みたいだ。
 夕焼け色が義勇を見て、それからゆっくりと皿に乗せた握り飯を見る。ぱちりぱちりと瞬きをする。動作もなんだか綿菓子めいてふわふわしていた。
「おにぎり……
 そのふわふわ綿菓子は一言ほやん、と呟いて、裸足の足でひたひたと近付いてきたかと思うと、ひし、と腰に抱き着いてきた。
……うわぁ)
 およそこれまでの人生で、記憶にある限り声に出しても内心でも「うわぁ」などと叫んだことはない。しかし今、「うわぁ」以外に何も出てこない。一応上辺の体裁は取り繕ったものの、義勇は鋏を片手に完全に固まった。
 甘えられている。炭治郎に。かわいい。
 炭治郎は駄目押しのように頭を胸の辺りにぐりぐりと押し付けてくる。髪がまだ寝乱れていて、少し跳ねているのが息苦しくなるほどかわいい。
 なんだこのかわいすぎる生き物は。新種だろうか。
 愛くるしくて、愛おしい。
「おれの、おにぎりですか?」
「ああ、そうだ」
「作ってくれたんですか?」
「うん」
「具は鮭と、なんですか?」
「昆布チーズ。……食べるか?」
「はい」
……味噌汁は?」
「食べます」
 そう言いつつも、炭治郎はちっとも離れない。仕方がないので新種のかわいい生き物を身体に張り付かせたまま海苔を炙り、味噌汁をついだ。その間、炭治郎はじっと義勇の手つきを見つめていて、時折顔を見上げてきて、まるで幼い子供のようだった。「椅子に座れ」と促せば素直に「はい」と応えて、義勇が海苔を巻いてやった握り飯をこの世で一番美味しい食べ物であるかのようにきらきらした夕焼け色で見つめ、やっぱり子供のように「えへ」と笑った。
「義勇さんの、おにぎり……
……口に合うか?」
「はい。すごく美味しいです」
 「義勇さんも食べてください」と言われて、一緒に食卓に着いた。一口齧った瞬間に急に腹が減ってくる。そういえば炭治郎と同じく、朝から何も食べていなかった。
 料理は食事として普通の味だが、目の前の炭治郎があまりにも美味しそうに食べるものだから、なんだか義勇の方もとても美味しいものを食べている気がしてくる。それきり互いに無言ではあったが居心地はよく、ただただ簡単な食事をしているだけなのに、胃袋以外も満たされていく。
 炭治郎が嬉しそうだ。ふわふわもしている。かわいい。以前からかわいかったが、今日は輪をかけてかわいい。
 この世の春が、来たのだろうか。
……幸せだ)
 不意に、すとんと言葉も胃の腑に落ちた。きっと今、自分は幸せの欠片を食べている。少しずつ形になって、満ちてきている。温かくて、柔らかくて、身の内がいっぱいになってしまったらどこからか溢れ出してしまいそうだ。
 夕焼け色がじっとこちらを見つめている。丸い虹彩は本物の空よりもなお美しく、透き通って深い。義勇だけを映して潤み、微笑む。朝陽を浴びた花が咲くように。
「義勇さん」
……ん?」
「なんだか、幸せな味がしますね」
 炭治郎の言葉に少し驚いて、でもそんな風に心情を読まれてしまうのも当たり前のような気がした。何か匂いを嗅ぎ取っているのかもしれない。常人にはわからない匂いを嗅ぎ取るくらいの嗅覚なのだから。今の義勇からはきっと、幸福の匂いでもしているのだろう。「うん」と応えれば炭治郎も幸せそうな顔をして、両手で持った握り飯を少しずつゆっくり口に運ぶ。なくなるのを惜しむかのようにもぐもぐして、それでいて次々に手を伸ばしては食べていくから、腹は減っていたのだろう。それなりの量を用意しておいてよかった。
 結局、握り飯は四つしか余らなかった。それを炭治郎は大切な宝物のように丁寧にラップで包み、冷蔵庫に仕舞いこんだ。「後でおれが食べます」と言うので、黙って頷いた。全部食べてもらって構わないが、そんなに気に入ったのだろうか。普通の握り飯が。
 炭治郎はまだ少し眠そうだ。いつもの溌溂さが形を潜め、ぼうっとしている。「眠いか」と問えば「ちょっとだけ」と答え、でも自分から「寝ます」とは言い出さない。義勇が食事の片付けをしている間もじっとダイニングテーブルに座ったままだ。ずっと視線だけが義勇を追いかけてきている。
「炭治郎」
「はい」
…………一緒に寝るか?」
 その様子にもしやと思って恐る恐る発した言葉は、どうやら正解だったようだ。ふにゃりと笑んだ炭治郎はすぐに「はい」と答え、義勇に連れられるまま大人しくベッドに収まった。
(本当に一緒に寝たかったのか……
 不思議な感じがする。こういうことは本来不得手だったはすだ。他人がしたいことを察するなんて高等技術は会得していない。他から見ればどんなにわかりやすいことだって、気付けないことの方が圧倒的に多かったのに。たぶんそれは炭治郎も同居が始まった早々に気が付いていて、義勇に対しては些細なことでもいつも具体的に言葉にしてくれていたように思う。
……ああ、そうか)
 ずっと潤んだままの夕焼け色を見つめながら、急激に理解した。
 甘えられている。炭治郎に。恐らく間違いじゃない。
 はっきり言葉にしなくても、肌に触れる空気で伝わる何かがある。炭治郎に対してだけ、過敏になっている。沁みるように、わかる。意識が全部炭治郎に向いているからだろうか。それとももう、義勇の全部が炭治郎のものになったからだろうか。自覚した途端、何やら皮膚の表面がそわそわした。なるほど、「空気を読む」とはよく言ったものだ。
 ベッドに一緒に寝転がってそっと抱き寄せると、さっきと同じように胸の辺りに頭を擦り寄せてくる。わかりやすい、甘える仕草。やはり間違えなかったようだ。嬉しくなる。
……炭治郎」
……はい?」
「昨日、俺はちゃんと、優しくできてたか?」
 背骨に沿って、背中を撫でる。ゆっくりと、猫の背を撫でるように。
 炭治郎はほんの少し身体を揺らして身を委ね、気持ちよさそうに深く息を吐いた。
……すごく、優しかったですよ」
「そうか」
「今も……優しいです」
「うん」
「不思議な、感じで……
 擦り寄る炭治郎の首が伸びあがり、顎の辺りに頬ずりしてくる。その頬をそっと捉えて、軽く唇を吸った。優しく舐めて、舌は入れずに触れるだけで、やわやわと表皮を食む。「んふ」と満足そうな吐息が零れた。また、間違えなかった。触れ合わせた唇のやわさが甘い。とても嬉しい。
「あの、おれ……身体の中が全部、いっぱい幸せで、気持ちよくて……昨夜寝る前からずっとそうで……これ、なんなんでしょう……?」
 さすがにそれはわからない。
……いっぱい?」
「はい。いっぱい。溢れそう……
 言いつつ炭治郎は深く息をした。匂いを嗅いでいるのだろうか。
 今は、どんな匂いがしているのだろうか。喜びと幸せと愛しさを、嗅ぎ取ってくれているのだろうか。
 「……あ」とかわいい声が呟く。にこりと笑ってこちらを見上げる。夕焼け色が。一番最初のあの雨の日から、義勇を捉えて離さない夕焼け色が、甘く甘く溶けて、柔らかく溶けて、視線を優しく包み込んでくれる。
「おれの」
……ん?」
「おれの義勇さんが、いっぱいで、溢れそうです……
 そんなことを言って、また口付けを強請る。ちゅ、と小さく音を立てながら吸ってやっているうちに、炭治郎はゆっくり眠りに落ちていく。昨夜のように、微笑みながら。
 かわいい。なんてかわいい。
 堪らなくなって、赤味の強い炭治郎の髪に鼻先を埋めた。いい匂いがする。意図せず身体が震えた。炭治郎ほどの嗅覚はないが、わかる。きっとこのいい匂いが、幸せの匂いだ。

……俺も、溢れそうだ」
 呟いた、顎の先から溢れて落ちる。静かに幸せの匂いの隙間へと溶けて、染み入るように消えて行った。