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木綿子
2021-05-24 23:21:36
5992文字
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👹(義炭)
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花は、静寂で開くもの
タイトルは「はなは、しじまでひらくもの」と読んでください。
京都旅行で摩訶不思議殺人事件に巻き込まれている前提です。(CoC二次創作セッション)
旅館で一緒にお風呂に入りました。が、義勇さんのPOWが高すぎて何も起きませんでした。鉄壁過ぎて逆に私が困りました。
冨岡義勇は片付け魔である。
病的なものではない。散らかっているのが気になって仕方ないだとか、片付けしないと気が済まないだとか、そんな気質では決してない。例えば会社のデスクなど、片付けたとしてもすぐ雑然とする。これは職務上の特性でもあるが、別に雑然としていても特に思うところはない。そもそも職場ではやることも多く、片付けなどは優先順位が低くなるのが当たり前だ。片付けたくて堪らない、とは絶対にならない。
義勇が片付けるのは主に自宅。実施トリガーは「考え事をしているとき」と「心を落ち着かせたいとき」。
掃除も片付けもすべて完了してしまった台所で、義勇は板張りの床に正座したまま天井を仰いだ。
築二十年の自宅ではあるが、台所は両親の趣味でかなり先進的なデザインになっていた。当時はまだ一般家庭では珍しかったアイランドキッチンで、白を基調に明るい木目調でまとめられている。シンク上に釣り下がる涙型の電灯を義勇も気に入っていて、今でも交換するときは同じ型の電球だ。変わったのは、電球の中身がLEDになった程度だろうか。
上から下まで掃除した部屋は電灯の笠に至るまで塵一つなく清められ、心なしかつやつやしている。一時的に隅に置いたダイニングテーブルセットも足の裏まで払拭した。これ以上、何もすることはない。
天井の木目を意味もなく視線で追いながら、「困った」と独り言つ。
とても困ったことに、片付けする場所がなくなってしまった。
自室はとうの昔に片付けた。両親の部屋は片付けずに掃除のみで現状維持すると、以前姉と取り決めた。その姉の部屋は、本人は海の向こうにいるものの、残された私物を義勇の一存でどうこうするのは憚られる。となると、残りは所謂共用部分、居間台所その他になるのだが、義勇の手によって片付けし尽くされてしまっており、まるで業者が入った後のようだ。
ここのところ、片付けをしたくなる頻度が高い。自覚はある。
何もせずにぼんやりしていると、精神がざわつき始めて落ち着かない。ふわふわ浮ついては、かと思うとどん底まで落ち込み、深海と海面を行き来する鯨のようになってしまう。
理由はわかっている。
わかっているのに、どうしたらいいのかがわからない。
ともすれば、脳裏に焼き付いてしまった映像を反芻しそうになり、「うう」とも「ぐう」ともつかぬ呻きを漏らしながら仰ぎ見た天井から反転、床に額を打ち付ける。ごん、と鈍い音がしたが構いはしない。初冬も終わりかけの季節。床はそれなりに冷たいが、今はこのくらいで丁度いい。
土下座スタイルでじっと額を冷やし、義勇は再び静かに「困った
……
」と呟いた。
京都旅行の後からずっとこんな調子だ。原因は主に、年下の友人にある。否、突き詰めれば本当の原因は己自身であるのだから、彼のせいばかりとは言いきれない。
義勇ににとって竈門炭治郎とは、親しいご近所さんであり、通っている空手道場の弟弟子である。
初めて出会ったのは義勇が十四歳、炭治郎が八歳の頃。「仲良くしてやれ」と師範に連れられてきた子供は、大きな目を更に大きくして義勇を見ていた。
初対面の人間は、大抵皆同じ反応をする。義勇の顔を凝視し、その後必ず距離を置く。理由を聞いてもはぐらかされる。それでいて遠巻きに、視線ばかりを寄越される。
己の造作がそういう反応を引き起こしているのだと、理解はしていた。時には「お高くとまっている」だとか「自分は周囲とは違うと思ってそう」だとか、そんな陰口を漏れ聞くこともあった。そう言われても、どうにもできない。せめて実姉の十分の一でも愛嬌があればまた違っていただろうが、持ち得ないものに思いを馳せても不毛である。
炭治郎とは仲良くするまでもない。どのみち親しくなることはないだろう。そんな風にさえ思っていた。
当時、義勇には実姉以外の人付き合いというものがなかった。同期の門下生に極めて貴重な気の置けない友人がいたが、二人とも中学校へ上がる前に引っ越してしまい、メールや電話はできても気軽に会える距離ではなくなっていた。最早諦観の域に達していたこともあり、積極的に他者と関わろうという気持ちは毛の先ほども持ち合わせてはいなかった。
ところがどういうわけか、炭治郎は義勇になついた。
切欠など全くわからない。いつの間にか道場で挨拶されるようになり、共に稽古するようになり、更には家を行き来するようにもなり、あまりの急展開に困惑し尽くして思考停止に陥ったことも、今や懐かしい思い出である。
道場の庭先でぼうっとしているときに、にこにこしながら駆け寄ってくる炭治郎を何度見たことだろう。子供特有のまろぶような足取りで義勇の傍らに駆けて来て、嬉しそうにふんふんと小さく鼻を鳴らすのだ。正しく群れに出会えた子犬のようで、思わず頭を撫でてしまったのも一度や二度ではない。
炭治郎はかわいい。昔から、今もずっと。
全体的に丸みのある顔立ちは、成長してもあまり変わっていない。あの日、まん丸になって義勇を見ていた目は今でもやはり大きく、澄み切った紅茶の色をしている。表情が豊かでくるくると変わり、見ているだけで目に楽しい。
赤味が強い赤銅色の髪は、見た目よりもずっと柔らかく、意外と指通りがいい。撫でつけてやるととても嬉しそうにするから、今でもつい昔と同じように手を伸ばしてしまうことがある。ただ、最近は油断ができない。うっかりしてしまうと、逆に心臓に悪い。薄く笑んで目を細め、もっとと言うようにこちらの手のひらに頭を擦り付けようとする仕草がどうにも艶めかしく感じられ、死にそうな気持ちになるのだ。
炭治郎に向ける、己の感情。かわいい。大切にしたい。常に幸福であってほしい。例え自分が傍らにいなくとも、炭治郎が幸せであればそれでいい。
その裏側に隠れたものを知覚せず、決して炭治郎に悟らせるわけにはいかない。常に己を戒めていたつもりであったのに。
予感はあった。具体的に自覚したのは二年前。丁度、自衛官を辞めて帰ってきたときだ。やはり変わらずにこにこしながら「おかえりなさい」と言ってくれた炭治郎はまだ真新しい制服の高校生だった。だから大丈夫だった。隠しきれた。
しかし、今は違う。
「義勇さん、最近時々お花みたいな匂いがしますよね」
そう言われたときに、綻びかけているのだと、自覚せざるを得なかった。
静かな凪の水に沈め、時折ちかちかと光るさまを眺めるだけだったものが、いつの間にか奥深くにまで根を張り生長し続けている。
加速度的に。
顔を合わせる機会があればあるほど、心が波打ち浮いては沈む。
あの、「殺人事件」などというとんでもない非日常に巻き込まれた旅行の後から、炭治郎が自宅に来る頻度が上がった。土日のどちらかなど特に用事がなくとも午前中からやってきて、義勇の傍らで課題をやったり本を読んだり、時折家事を手伝ったりしてくれながら、夕飯を食べて帰っていく。義勇としてはそれが楽しいのかどうかよくわからないのだが、聞けばきょとんとした顔で「楽しいですよ?」と返ってくる。
「おれは、義勇さんと一緒にいるだけで楽しいですから」
子供の頃と変わらぬ笑顔でそんなことを言われて、どうやって抗えばいいのだろう。
真っすぐ向けられる好意が、うれしくて苦しくて、揺らぐ。揺らいだ先から浮つく精神を何とか戒めようとするたびに、目の当たりにしてしまった湯に揺蕩うもう少年とは言えない骨格を思い出してしまい、炭治郎と相対するときにはそれなりの胆力が必要なのである。
長らく「触れてはいけないもの」と強固に認識していただけに、惑乱がことのほか激しい。
そんな義勇を知ってか知らずか、本人は無邪気にこちらへ擦り寄って、時折匂いを嗅いだりしてくるのだ。これはもう精神強化訓練の類である。最近新たに分かったのは、自分にとっては脳内で唱えるのは素数よりも般若心経の方が効果が高いということである。さすがは大乗仏教、煩悩に強い。
とは言え、その強さにも限度というものがある。そう、何事にも限界は存在するのが世の常である。何も対策をせずに限界を迎えてしまうのは何としても避けたい。しかしどうしたらいいのかがわからない。堂々巡りなのである。
人間関係に対する経験値が低すぎる。まったくもって不甲斐ない。鯨に例えるなどおこがましいにも程がある。もうこれは深海魚だ。陸に上がったら破裂して死ぬ。
死ぬなら死ぬで、いっそのこと炭治郎に釣りあげられて死を迎えるのが、一番幸福かもしれない。
悲壮な無表情でひとまずそう結論付けて、義勇はようやく顔を上げた。
知らず、ごんごんと床に打ち付けていたせいで、若干額が痛い。傍から見れば完全な奇行である。こういう時に己を客観視してはいけない。
すっかりぬるまった床から立ち上がる。どうにかして心を落ち着けるタスクを探さなければ。何か没頭できるもの、無心になれるもの、いっそのこと写経でもすべきか、とかなり真面目に考え始めたところで、インターホンが軽やかに鳴った。
「あっ義勇さん、今日のお昼
……
って、おでこどうしたんですか?」
玄関には炭治郎が立っていた。連絡なしに突然やってくるのは珍しい。何やら荷物を抱えていて、視線は完全に動揺して固まった義勇の額に向いている。
「ああ、いや、別に
……
ちょっとした事故だ。問題ない」
「
……
すごく痛そうに見えるんですが」
「そんなにか」
「そんなにです」
まさか「土下座スタイルでの自傷行為です」と言うわけにもいかず、決まり悪く額に前髪を撫でつけて隠す。心配そうな視線がいたたまれない。
「それで、昼がどうした?」
「あ、はい。今日はサンドイッチをいっぱい作ったので、義勇さんのお昼にどうかなって思って。今日は花子が友達とお弁当持ってピクニックするらしくって、朝ついでに家族分作ったんです。ご飯もう食べちゃいましたか?」
「食べてない
……
もう昼か」
「もう昼です」
義勇の朝が老人並みに早いことを知っているくせに、「何時から起きてたんですか」と炭治郎が笑う。この弟弟子は本当に、深海魚にも優しい。
午前中にきれいにしたばかりの台所は、実のところ炭治郎の方が使用に長けている。今も元に戻したダイニングテーブルに荷物を置いて、早速電気ケトルでお湯を沸かしにかかっていた。一人で家にいるときに、義勇が料理その他をすることはまずない。理由は簡単で、面倒くさいからである。以前、少しも料理はしないのかと聞かれた際に「野外炊具で五百人分ならまぁまぁ得意」と答えたら、何故か腹を抱えて爆笑された。
「あっ、義勇さん今日はこっちにもしっぽが付いてるんですね」
とりあえず皿だけでも出そうと引き出しに手をかけた瞬間、少しだけ服を引っ張られる感触。背面の何かを掴んで炭治郎がくすくす笑っている。振り返った視線の先、義勇の服の腰のあたりから伸びた何かを掴んでいた。
「ただの紐じゃなかったのか」
「ライオンさんのしっぽですよ。ふわもこしててかわいいです」
「ライオン
……
」
はて、と記憶を探り、つい一週間ほど前に実姉蔦子が「これあなたによく似合うと思うの」と送ってきたURLの服を、そのまま何も考えずにカート投入したものの一つであることを思い出した。そういえば、商品名にタイトルにライオンの何某かと書かれていたような気がする。服を買うという意識のない義勇のためにか、姉は時折「似合うと思うの」の一文とショッピングサイトのアドレスを送ってくるのだ。
「顔の方はすっごいリアルですけど。でもこれはこれでかわいいかなぁ。やっぱりふわもこしてますし」
義勇の前面に回り込んで、矯めつ眇めつ服を眺める炭治郎は楽しそうだ。「耳も付いてるんですね」と伸ばされた手を、視線で追う。胸のあたりに縫い付けられた丸い生地を、本物の動物にするようにそっと指に挟んで撫でている。見え隠れする爪が、健康的な桜色だ。ただ服の布地を触られているだけなのに、まるで自分の耳まで弄られているようで、奇妙な錯覚に義勇は少しだけ息を吐いた。
「あれ
……
義勇さん、今日はすごくいい匂いがしますね」
すぐ近くにある、炭治郎の瞳。透き通った紅茶の色が、見つめるうちに僅かに色を変え、星の入った紅玉になる。瞬くような虹彩が、涙の膜の向こう側でくっきりと義勇の青を映している。
楽しげで、きれいで、眩しくて、義勇はほんの少しだけ目を細めた。
嗚呼、なんて、いとおしい。
「
……
どんな匂いがする?」
「えっ? ええと、お花の蜜みたいな、すごく甘い水、みたいな
……
?」
「そうか」
少しだけ躊躇い、ゆっくりと炭治郎の背中に手を這わせる。抱き寄せるのではなく寄りかかるように。丁度ライオンの耳辺りに、炭治郎の顔が当たった。
柔らかくて、温かい。
「俺はそういう、匂いか」
「え、あの、あの、ぎゆ、さん」
焦ったような炭治郎の声音は、どこか上擦って舌足らずだ。逃げ出す様子はなく、酷く安心する。鼻先に触れる赤銅色の髪は、炭治郎の実家の匂いだ。バターと小麦粉が焼ける匂い。その奥に、微かに炭治郎の匂いがする。深く息を吸うと、呼応するように炭治郎の白い喉から「ひぇえええぇえ」とよくわからないか細い音がした。
「なん、なに、あの、ぎゆさん、なにこれ?」
「ああ、お前はどういう匂いがするのかと」
今度から俺も匂いを確認する、と言えば、胸元でまた不可思議な悲鳴が上がる。途端、弾かれたように炭治郎が飛び退き、何故か両腕で自分を抱きしめるような仕草で、これまた何故か奇妙な眼力がある涙目で、ふにゃりと睨まれた。
「な、ん、なんなんなんなんですか急に!」
「いや
……
解脱するには修行が足りなくて」
「意味がわかんないんですけど!?」
「すまん。嫌なら二度としない」
「いやじゃないですけど!?」
嫌じゃないのか、と反復すると、「きぃ」とも「いー」ともつかぬ小さな叫びを上げて、今度は両手で顔を覆ってしまう。いつも着けている耳飾りが小刻みに揺れるのがなんともかわいらしい。
「炭治郎」
「
……
なんですか」
嫌じゃないとの申告の通り、義勇がそっと近づいていつものように髪を撫でても、少しも逃げる素振りは見せなかった。ただ単に「嫌じゃない」だけでないのも、さしもの義勇にも理解ができた。薄紅色に染まりきった首から上の地肌が全てを物語るようだ。
すきだ。いとしい。
水面を探り取り出した根っこの先は、実に単純なことばで形成されていた。どうやら蜜の匂いがするらしい。
青く無音の水底で、深海魚は花になる。
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