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木綿子
2020-11-20 21:39:48
4258文字
Public
死印(真八)
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アンティークシルバー
九条館の付喪神的な、小さきなにか。多分八敷おじさんのことが大好き。
ぢんぢん
ぎんぎん
金属が軋むような、ぶつかり合うような、嫌な音がする。
中央ホールの真ん中に立つ八敷の周りには何もない。
何もないが、音だけはする。
ぢんぢん
ぎんぎん
がりがり
最初は幽かだった音は、次第に大きくなってくる。錆びたネジを無理やり回したときに似た音が混じり始める。
視界の端で暗い色の何かが蠢いた気がして目を凝らしてみても、そこにあるのは見慣れたホールの内装ばかり。動くものなど見えはしない。
ぢんぢん
ぎんぎん
がりがり
がちがち
耳障りな金属音は止まることがない。今や頭が割れそうな程の音量となり、八敷を苛む。耳をふさいでも意味がなく、頭蓋の中に錆びた釘の束を入れられたかのようだった。
見れば、いつの間にかホールにはうっすらとした影が立ち並ぶ。薄墨色の、尖った三角、あるいは丸く四角く、視認しようとするとたちまち煙のようにぼやけて消えてしまう、何かが。
「やめてくれ!」
自分自身の声に、八敷はぱちりと目を開いた。
目に映るのは自室の天井。中央ホールのそれではない。
夜明け前の薄青い空気の中、八敷はゆっくりと息を吸い、吐いた。
一週間ほど前から、似たような夢を見ている。夢の中で、八敷はいつも九条館のどこかに立っていて、ちきちきと金属がぶつかり合うような音を聞く。最初はごくごく小さな音だった。それが今では騒音もいいところだ。最早悪夢になりつつある。
「
……
俺にやらせたいことがあるなら、もっとはっきり言ってくれないか」
天井に向かって文句を呟いてみても、応えがあろうはずもない。しんと静まり返った自室では、己の深い溜息ばかりが酷く大きく響いた。
寝直す気にもなれず、八敷は身支度をして階下へ降りた。静まり返った館内はいつも通りでおかしなことは今は何も起きていない。夢の中で見た中央ホールも変わった様子はなく、天窓から薄く差し込む青い光の帯が、浮遊する埃をキラキラと照らしているだけだ。
夢の中と同じ場所に立ってみる。特に気になるものはなく、何かを瞬間的に閃きもしない。生き物を八敷しか抱えていない館は物音ひとつせず、ただただ静かなままだ。しばらくじっとホールに立ち尽くしてはみたものの、晩秋の朝の空気に足先からじわじわ冷えただけだった。
「もう少し具体的なヒントをくれればいいんだが
……
」
吐息交じりの独り言をこぼし、八敷は冷えた指先を握りしめながら厨房へ入った。
朝食をどうこうするよりもまず、温かいコーヒーが飲みたい。
今となっては無駄に広い厨房で湯を沸かし、慣れた手つきで道具を用意する。電子スケール、ケトル、ペーパーフィルターとドリッパー、コーヒーサーバ。それから、スプーン。
カトラリーが入っている引き出しに手を突っ込んで無作為に摘み上げたそれに、八敷は僅かに目を見開いた。
手の中にあるのは、小さく華奢なティースプーン。細かな意匠を施された上品なそれは、美しい曲線に不似合いな薄暗い暗褐色。ほぼ黒色と言ってもいい。
不意に、穏やかな海の潮騒のように、夢で聞いた金属音が脳裏に押し寄せてくる。
なるほど、と八敷は呟いた。
なるほど、わかった。だが、しかし。
できるだけ冷静に、正宗の記憶を掘り起こす。食器など全て把握しているはずもない。が、全く記憶にないとも言えない。少なくとも最低限の数値くらいは、目星を付けることはできる。
少し考えただけで、明らかに。
「
……
一人でやるには、重すぎるんだが」
呟きはやはり独り言で、湯沸かしケトルがぴーと鳴っただけだった。
「
……
貴様、いったいどういうつもりだ」
厨房の入り口からかけられた剣呑な低い声に、八敷は眼鏡を押し上げて瞬きをした。
真下を呼んだのは確かだ。早朝であったからさすがの八敷も一応の遠慮をして、電話ではなくショートメールを携帯電話から送った。やり慣れない動作にそれはそれは苦労しながら。
訳が分からずじっと見つめ返すだけの八敷を上から下まで眺め回し、真下は眉間の渓谷をより一層深くしながら、長々と肺腑から息を吐きだした。
「いいか、八敷」
声が優しい。とても優しい。
故に、背筋が凍るほど恐ろしい。
思わず居住まいを正した八敷に、穏やかな笑みまで見せてくる。
怖い。
「朝っぱらから電話で俺を叩き起こさないだけの配慮は認めてやる。だがな、この文面はなんだ。声に出して読んでみろ」
突きつけられる、携帯電話の液晶画面。それは八敷が送ったメッセージだ。
「『助けてくれ』」
「そうだな。そして他に何の説明もないわけだ。さて九条家のご当主様にはここで一つ想像力を働かせていただきたいのだが、こんな一言メッセージが常識はずれの時間帯に一つだけ届いていた場合、どんな事態を想定する? 聞いてやるから言ってみろ」
「
……
すまない、俺が悪かった」
通りで到着が異様に早かった、と八敷はここでやっと理解した。メッセージを見て即家を出たのだろう。真下の心中にようやく考えが及び、猛省する。もう少し、面倒くさがらずに補足すべきだった。
「次からは、ちゃんと書く」
「是非そうしてもらいたいものだ。でないとこちらの身が保たん。で、何がどうしてこうなっている」
もう一つ溜息をついて、真下は胡乱げに厨房を見渡している。
棚という棚を開け放ち、所狭しと並べられた木箱や段ボールで埋め尽くされた厨房は、雑然を通り越して引っ越し作業中と言われてもおかしくない状況だ。しかもこれはまだ序の口で、倉庫の方も同様に発掘作業をしなければならない。
「銀食器を探し出しているところだ」
目線で「意味がわからん」と問うてくる真下に、できるだけ丁寧に説明をする。八敷にも一応の学習能力は備わってしているのだ。
「そんなもの、業者に任せればいい話だろう」
「確かにそうなんだが、俺がやらなければならない、気がする。なんとなく」
「そうだったな、貴様の趣味はいらん苦労を背負いこむことだったな。まぁ『助けてくれ』と言いたくなる気持ちもわからんでもない。というか、これは無茶にもほどがある」
もう使われていない使用人室から八敷が探し出した食器類の目録に目を通し、真下はうんざりした表情を隠しもしない。
意匠は七種。それぞれ二十四人分のカトラリー、皿、ティーセット等に加え、大皿やピッチャーまで複数存在する。厨房に保管されていたのは三種。残りは倉庫にあるらしい。
厨房にあった銀食器はもれなく硫化していた。倉庫にあるものも同様である可能性が高い。
「厨房の銀食器はこれで全部か。ならとっとと倉庫へ行くぞ。すぐ応援も来るだろうしな」
「おうえん?」
「なに、最悪の事態を想定した対応に過ぎん。せいぜい誠意の伝わる土下座のやり方でも考えておけ」
真下の言う通り、「応援」はほどなくして九条館へやってきた。最悪の事態を想定した人選、即ち大門と広尾である。二人とも焦燥と少しばかりの緊張に顔をやや強張らせてホールに入ってきたが、元気に台車で食器を運ぶ八敷を上から下まで眺め回して安堵の息を吐き、結果八敷は中央ホールのど真ん中でお叱りを拝聴する羽目になった。
「どれもこれも硫化しすぎ。これ、銀食器専用保管箱でしょ? 放置してたとしてもここまで硫化が進むことって普通ある?」
「まぁここは怪異の首魁がいた館だし、非科学的ではあるが邪気を払うとされる銀製品に影響があったのかもしれないよ」
「
……
何らかの理由で全部温泉に突っ込んだに違いないわ。そうに決まってる」
人数が増え、厨房はにわかに賑やかになった。
大門と広尾が食器を中性洗剤で丁寧に洗い、それを真下が寸動鍋で煮上げ、八敷は煮上がったものをひたすら払拭する。実に効率的な流れ作業が捗った。
「ていうか、銀食器磨きなんか業者に頼めばいいじゃないの。一つ二つならいざ知らず、この物量を手でやろうなんて無謀すぎるでしょ」
「全く同感だけど、夢にまで出てこられては業者に預けるのは躊躇いがあったんじゃないかな。だろう?」
的確に心情を突いてくる大門にいささか居心地が悪くなりながらも「次からは業者に依頼する」と八敷は答えた。
「おい八敷、塩が足りない」
「ああ、ちょっと待ってくれ。新しいのを開ける」
「会話だけ聞いていると食事を作ってるみたいだね」
「銀とアルミの出汁だがな」
「隠し味は硫化銀と硫化アルミニウム。いいんじゃない。夕飯にあんたたち二人で食べたら。塩入ってるし」
払拭の終わった食器を几帳面にしまいながら、広尾が適当なことを言う。塩ついでに鍋の中身を確認しようとした八敷は真下に「邪魔だ」と追い払われ、元の払拭作業エリアに仕方なく戻った。大門と広尾に「お母さんと子供?」「いや保育士と園児かもしれない」などと目の前でひそひそされたが、聞こえないふりをしておいた。
作業は、日が暮れる前にあらかた終わった。
十五時過ぎに応援の二人はそれぞれの職場に戻り、残った払拭作業は八敷と真下の二人作業で終わらせた。食器を元あった場所に戻し、厨房をきれいに片付け、ようやく人心地つく。
「腹が減ったな」
換気扇の下で煙草をくゆらせながら零された言葉に、八敷はふとさっきまで銀とアルミのスープを煮ていた寸動鍋を見た。鍋は洗ったばかりでさかさまに置かれている。当然中身は既に下水の中だ。
「八敷、まさかとは思うが、あの煮汁を飲む気だったのか?」
「いや、飲むというか、電気分解後の溶液も塩味がするのかが気になっただけで
……
。そうだ、さっき馴染みの仕出し屋に料理を頼んだ。待ってれば、そのうち食事が来る」
「貴様にしては気が利くじゃないか」
「ああ。今日は本当に『助かった』」
厨房の、広い作業台に抱きつくようにもたれながら、感謝の言葉を述べてみる。真下は片眉を上げ、それから口元に皮肉な笑みを浮かべながら器用に瞳だけで優しく笑い、ふぅ、と薄い煙を吐き出した。
「『助けてくれ』と依頼されては仕方ない」
この日から、金属音の夢はぱたりと見なくなった。
ただ、八敷が最初に取り上げた華奢なティースプーンだけはどれだけ片付けてもいつの間にか普段使いのカトラリーの隙間に何食わぬ顔で収まり、時折コーヒーをかき混ぜるために使われている。
銀とガラスが奏でる音は、ちりんちりんと涼やかだった。
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