木綿子
2018-08-27 21:05:27
2159文字
Public P5(主明)
 

甘く苦い、口の中

Nキャミィさんに漫画化していただいた主明SSです。
漫画が神すぎてえらい出世を遂げました。ありがとうございますありがとうございます。

 水の味がする。
 出されたガラスのコップに満たされた透明な液体。本来それは、俺にとって無味無臭の液体だった。ただ単に喉の渇きを潤すだけの。「水の味」なんてものは無縁の存在だった。
 この店はおかしい。
 古ぼけて、少し埃っぽくて、衛生管理も若干不安があるような調理場がある喫茶店。目的があって来るようになった場所。最初はコーヒーすら飲む気はなかった。オーダーはしても全部残していた。
 それなのに、いつからか気づいてしまった。
 この店で口にするものには、味がある。
 味覚障害だという自覚はあった。巷で噂のスイーツも、連れていかれる接待先での豪華な食事も、俺にとっては等しくただの栄養素でしかない。いわゆるこれが「美味しいもの」であるように見せかけ、食べるだけ。例えそれが実は何の味付けもされていない食事だったとしても気が付かない自信はある。
 それがどうだ。
 今目の前にあるグラス一つ取っても、中身の味がわかる。水の味が、わかる。
 この店は、おかしい。
「明智、コーヒーの製法って何種類かあるの知ってるか?」
 問われて密かにハッとした。グラスを見つめている場合じゃない。目の前の人物に集中すべきだ。
「知っているさ。大きく分けると水洗処理方式、非水洗処理方法だよね」
「意外に知ってるな」
「気になることはとりあえず調べる、そういう癖が付いてるんだ。これでも探偵の端くれだからね」
 カウンターに立つ来栖暁はいつも通りだ。
 いつも通り、特に変わった様子もなく、喫茶店の店員をしている。怪盗団のリーダーが、だ。
 腹が立つ。イラっとする。その余裕のある顔を殴りつけてしまいたくなる。
 多分ヤツは俺がこんな風に思っていることなど、今この瞬間もわからないだろう。
 わからないようにしているのだから。
「ふぅん。じゃあ味の違いは?」
「それは……
 余計に胸の内がささくれだった。やけに突っ込んだ質問をしてくる。そんなもの、知るわけがない。飲み物など同じ無味だ。違いなどない。そもそも「味」と言うものに興味なんかこれっぽっちも持ち合わせていない。
 とはいえ、そんな本音はこのタイミングでは不要だ。ここは下手に言葉を連ねない方がよさそうだ。そうすれば勝手に話が進むだろう。
「だと思った。じゃ、今日は飲み比べしてみてくれ。全然違って、面白いから。同じ農園の同じ豆、惣治郎が製法違いで仕入れてきたんだ」
「へえ、それは興味深いね」
 笑って建前を述べるのは慣れている。いかにも興味津々な様子を作ることくらい造作もない。今までもそうしてきて、見破られたことはなかった。
 だいたい、ハンドドリップの動作など面白みなど一つもないものだ。ただ豆と湯を用意して上から流し込み抽出する、それだけの動作でしかなじゃないか。
 そもそもコーヒーのことなんて、調べたくて調べた訳じゃない。ただ懐に入り込むため、必要そうな情報を集めただけに過ぎない。別にコーヒーなんて好きじゃない。全然、好きじゃない。
 好きであるはずがない。この俺が。
 白いカップに注がれた黒い液体が二つ用意された。目の前に差し出される。
「右がウォッシュド、左がナチュラル。右から飲んでみてくれ。その方が顕著だから」
「いただくよ」
 勧めに逆らわず、あくまで穏やかに右のカップを手に取った。
 味がする。
 匂いがする。
 不思議に爽やかな苦みと、苦みの奥にある酸味。飲み込んだ後に、厚みのある香ばしい匂いが鼻腔を抜けていく。
 コーヒーの、味だ。この店で、初めて知った、コーヒーの味だ。
 目線で促され、おとなしく左のカップも手に取り、口を付けて少し驚いた。
 まるで違う。
 今となっては何の変哲もないコーヒーだった右のカップとは、匂いも味も全く違った。苦みは弱くどこか甘やかで、フルーツめいた酸味が広がる。香りは何故だか葡萄に似ていた。
 やはりこの店はおかしい。甘いコーヒーなんて、普通じゃない。
……本当だ、全然違うね。ナチュラルの方は、なんだか甘い」
「ここまで違うのは不思議だよな。元は同じ豆なのに」
「そうだね……
 過程が違えば結果が違う、当然のことだ。結果が出てしまっている以上、これ以上変化することなどない。それなのに、どうしてここだと味がする。水も、コーヒーも、同じ味だったはずなのに。
 おかしい。この店はおかしい。
 黒々とした瞳がこちらを見ている。動揺している場合じゃない。何か、言わなければ。気の利いたことを何か。
「僕はウォッシュドの方が好みかな。爽やかな苦みがいい。ナチュラルは少し、甘すぎるような気がするよ」
「その辺は好みだから。よかった、味、ちゃんとわかるんだな。出した甲斐があった」
 カップを取り落としそうになった。
 目の前の男は、嬉しそうに笑っている。
 どうして。
 なんでそんな風に笑う?
 意味が分からない。
 お前はいずれ、俺が。この俺が。この手で。
 どうして。
 これから抹消するものに、執着なんてしたくない。したくないのに、どうして、味がするんだ。
 感情の、味が。
 こんなもの、いらない。
 早く殺してしまいたい。

 そうでなければ、こちらが先に、壊れてしまう。