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木綿子
2018-02-19 20:23:34
3409文字
Public
P5(岩主)
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カップにとろかす、ふつうで特別
ほのぼの目指しました。岩井家です。
ぺご主の名前は蓮くんにしました。お名前慣らし運転です。コープ10、ED後ぺごくん大学生設定です。
「もうすぐバレンタインなので、本日はホットココアを作ります」
玄関のドアを開けるなり、真顔のまま開口一番そう宣言した蓮の手には黒いトートバッグ(白黒の猫入り)があった。
日曜日の午前中。店休日にして息子と二人こたつに埋まり気怠い時間を過ごしていたところに、「今からお邪魔する」と決定事項が送られてきたのはついさっき。一時間も経っていない。
「蓮さんが作ってくれるの?」
「うん、そう」
嬉々として出迎えた薫と入れ違いに、トートバッグからにゅるっと猫が飛び出てあっという間にこたつへ突入してきた。即座に中央争いの戦闘が勃発したが、「お父さんこたつで暴れないで」という息子の一声で敗戦を迎えた。引っかかれた親指に舌打ちし、岩井は仕方なく足を折り曲げる。
蓮の猫は、岩井に対してはいつも手加減なしなのだ。
「てめえはなんか俺に恨みでもあんのか」と声をかけても、返答はない。こたつ布団をめくってみると白黒毛玉は早くも入眠していた。
「チョコレートじゃないんだ」
「うん。バレンタインだけど」
狭い台所に並んだ蓮と薫は楽しそうだ。
二人の背中に隠れて手元は見えないが、シンクに取り出された材料はそう多くないようだった。
「本当はちゃんとチョコレート作ろうかなって考えはしたんだけど、惣治郎にチョコ作るからキッチン貸してってお願いした途端、ショコラティエばりにカカオの産地から農場に始まり焙煎温度と時間の話に飛躍したから諦めた」
「ば、焙煎温度
……
?」
「惣治郎は凝るとこものすごく凝るから。カカオはコーヒーと少し分類が似ているところあるらしくて、凝り性が全面的に出てきました。とてもありがたくないプロの意見でした」
「それでココア」
「せっかくバレンタインだし、普通のチョコ緩めて固めるだけじゃ味気ないから。こうなったらココアで行こうかと。素材は似てるし特殊技能は必要ないし、よく作るから結構得意。安心安全。失敗リスクなし」
「完璧なリスクヘッジ」
「恐れ入ります。というわけで助手の薫くん、お湯沸かして片手鍋出してください」
「はい、先生」
何やら料理番組風になってきている。
一人で手持ち無沙汰もつまらなく、猫に占拠されたこたつを出て岩井もその背後から蓮の手元を肩越しに覗き込んだ。レンズの向こう側でちらりと岩井を見た大きな瞳が、少しだけ微笑んだ。
「今日はお手軽にスーパーで買える有名メーカーの純ココアを用意しました。三人分なので三十グラム、砂糖も三十グラム、牛乳三百六十ミリリットルで作ります」
「先生、うち秤がありません!」
「大匙一杯でだいたい十グラムだから。計量スプーンは一応あったよな?」
「大匙だけはあるよ。牛乳は?」
「こっちのマグになみなみ入れてだいたい三百。あとは目分量にする。まずはココアと砂糖鍋に入れて」
薫が計り、鍋にざくざく放り込む。簡単にそれを混ぜて、蓮が火にかけたままの薬缶を手に取った。
「まだ沸いてないけど大丈夫?」
「ちょっとあったまってれば大丈夫。ここからココア練ります」
「ココアを練る」
「そう。ココアは練りが命」
手慣れた様子でほんの少しだけ湯を加えた片手鍋の中身を猛然と木べらで練り始める。さくさくしていた粉がにわかに粘り気を帯び、少しずつダマが消えて滑らかになる様は塗料を溶かすときとちょっと似ていた。
「練りに練ったら牛乳入れて火にかけます。泡だて器あったっけ」
「こないだ百均で買ったのが」
「じゃ、それ貸して。鍋を火にかけて泡立てながら沸騰直前まで温めます」
シャキシャキと鍋と泡だて器が擦れる音がリズミカルだ。本当に作り慣れているらしく、蓮の手際は見ていて小気味いい。部屋がココアと温まりつつある牛乳の優しい匂いにだんだんと包まれていく。
「もうすぐできるから、こたつで待ってて」
マグカップをお湯で温め始めたところでそう言われ、親子そろって素直に再び猫入りこたつに足を入れた。岩井家は、基本的に蓮の言葉には逆らわない。
この間買ったばかりのマグカップは三つとも色違いのお揃いだ。赤が蓮、黄色が薫、緑が岩井。それぞれココアがなみなみと注がれて目の前に置かれた。
「フライングはっぴーばれんたいーん」
「ハッピーバレンタインー!」
真顔で棒読みする眼鏡の大学生とやたら嬉しそうな息子にじっと見つめられ、無言の圧力に岩井も「ハッピーバレンタイン」と言わされてからの乾杯である。こういうことは嫌いではないが、いつも背骨がこそばゆくなる。
「なんかこれバターの匂いがする」
「薫のはバター入れた」
「ココアってバター入れても美味しいんだ。すごい」
どうもココアには何かしら足されているようだ。緑色のカップはバターの匂いはしないが、代わりに何か甘いシロップのような香りが立っていた。一口啜るとその香りとカカオの香りが交じり合って鼻に抜ける。ほんの少しアルコール交じりの甘い味わいが口の中に広がった。おそらく何かの洋酒が入っているのだろう。
甘いが、悪くない。
ふとカップから顔を上げると、両手でマグを持ったままこちらを窺う蓮と目が合った。やはり真顔のまま、岩井が何か言うのを待っている。
「美味いな」
味の表現のボキャブラリーなどミジンコほども持ち合わせていない岩井のごく短くありきたりな感想に、薄い色の唇がほんの少しだけふわんと緩んだ。
「入ってんの酒か?」
「うん。岩井のはラム酒」
「へえ。洋酒は飲みつけてねえけど、いい匂いだ。結構好きだな、これ」
蓮の、緩んだ口元が珍しく半開きになった。少し慌てたようにカップを置き、今度は両手で眼鏡のフレームを押さえている。
「
……
すき?」
「あ? あァ、そうだな。好きだ」
「
……
そ。よかった」
眼鏡を押さえた両手のひらに隠れるように少しうつむいた耳の当たりが少し赤い。
時々この不思議な生き物はよくわからない反応をする。
「なんで急に照れてんだ、お前」
「いや、別に
……
美味しいなら、嬉しいから。気にするな」
蓮の、自分よりも一回り細い手指の隙間から見えるレンズ越しの瞳が、心なしか潤んでいた。ほんのり染まった頬の色合いと相まって、岩井が一番外でしてほしくない表情に極めて近い。
そういう顔は、是非とも他に誰もいない二人だけの空間でしてほしいものだ。
思わず衝動的にふわふわした黒髪をいつもの調子で撫でかけたところで横からじっと見つめてくる息子に寸前で気づき、子供にするようにぐしゃぐしゃとかき混ぜる方向へ辛うじて転換できたもののあまり意味はなかったかもしれない。
「ちょっと」「なに」「髪の毛跳ねる」と文句を言う蓮を横目に、薫の視線が痛い。そう他人の心情に敏感ではない岩井にもわかる。言葉にするならば、「なんだこのバカップル」だ。間違いない。
しかしこの出来た息子は素晴らしく大人だった。
すなわち、「見て見ぬふり」という高等技術をいつの間にか取得していたらしい。
「蓮さんのココアはなに入れたの?」
「俺? 俺のは黒胡椒」
「こ、ココアに黒胡椒
……
?」
「それ美味いのか
……
?」
「美味いよ。飲んでみる?」
手渡された赤いマグカップの中身には、確かに黒い粗挽き胡椒が浮かんでいる。恐る恐る一口含んでみると、思いがけず胡椒のスパイシーな香りがココアと喧嘩せず混在していた。特有の辛みはあまりない。
「
……
割と悪くねえな」
「うそでしょ」という顔をしながら薫が岩井の手からマグカップを奪っていく。同じように一口飲み、何とも言えない表情に変わった。
「あ、ほんとだ
……
なにこれ不思議。胡椒の匂いするのに美味しい」
「だろ? それから、ココアはカレー粉入れても美味しいから」
「あ、それはいいです」
「俺もさすがにそいつは試したくねえな」
「なんだよ、美味しいのに。食わず嫌いはよくないと思う。胡椒が大丈夫ならカレー粉だっていけるいける」
「「いやそれはナシで」」
親子で言葉が揃ってしまった。
少しの沈黙の後、初めに蓮が肩を震わせ、こたつ越しに笑いが伝播してくる。
猫入りの温かいこたつに、甘い匂いのするマグカップ。楽しそうに笑う息子と、それから。
蓮がいる。
これは確かに「ハッピーバレンタイン」だ。
手のひらに収まるカップの中は、幸せで満ちている。
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