ひさね
2023-11-25 21:20:40
1606文字
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嘔吐

⚠️嘔吐表現あり
ソウミカ嘔吐SS。大事な人の善意が辛いときもある。

 ジャアジャア水を流す。蛇口は回せるだけ回した。黄味がかった液体が渦を巻いて排水口へ流れていく。空の胃からはこれしか出ない。
 口の中が苦い。腹の違和感は拭えない。込み上げてきそうでせり上がって来ない嘔気。
 早朝から酷いことになった口元を洗って中をすすいだ。ジャアジャア、音が浴室に反響して、頭に響く。
 洗面台の脇に掛けてあるタオルを掴んで、その新品同然の白さに躊躇いを覚えた。
 結局タオルは戻して、服で水気を拭った。鏡の中に、胸元をグシャグシャにして、青白い顔した自分が立っている。惨めったらしい姿だった。
 反吐が出そうだ。冗談にならない。
 
 ベッドに戻るものの、目が妙に冴えて寝直せなくなった。隣のベッドではハチが物凄い寝相で静かに寝息を立てていた。枕に足を乗せていて、訳が分からない。
 情報量の多さから目をそらすと、閉じきったカーテンがいやでも目に入る。その僅かな隙間から差す光と、目の奥のジクジクした痛みにいつも以上の怒りを覚える。八つ当たりの自覚はあった。
 苦味の残滓も、部屋の空気もおれの精神衛生には良くないと判断して、廊下に出た。おぼつかない足取りで、重たい胃を引きずり歩く。
 
 取り敢えずキッチンに向かうことにした。水を飲むことぐらいしか思い付かなかった。
 後は、誰にもすれ違わないよう祈る。4時から起きる働き者も二人ほどいる。その中には一番会いたくない人もいた。
 しかも、キッチンに高確率でいる。今から公園にでも行ってやろうかと方向転換しようと思ったが、自分の服の惨状を見て止めた。どちらにせよ、惨めが過ぎる。
 なら、身内に留めるほうがマシだった。
 ふらふらと調理場のドアに寄りかかる。耳を当てる。包丁の音がした。後、ガスを使っているときの妙な音。下ごしらえでもしているのだろう。
 裏が駄目なら表から入ればまだいいものを、朝の血の巡らない頭で敗色濃厚の賭けに出ていた。
 ドアノブを回す。手の平がひやりとした。
 ガチャ、とドアを開く。
 
「ソウくん?」
 鈴の鳴るような声。案の定だった。
 ミカがいる。一番会いたくなかった人がいた。
 深く息を吐く度に、薄暗いキッチンの明度が下がっていく。
「大丈夫、ではないよね。座る?」
「別に良い」
「座ろっか」
 おれの言葉を気に留めず彼女は道具を置いて、こちらに駆け寄って肩を支えてくる。大体察されているようだった。こういうことは今回が初めてという訳ではない。
 だから嫌だった。
 意外と力強く引っ張られながら、そばの椅子に座らせられる。それから、ミカはテキパキと食器棚からマグカップを出して、コンロの火を止めた。やかんからカップにを注いで、おれに手渡す。
「少し冷めたら飲んでね。気休めにはなるんじゃないかな」
「いらねえ」
「飲んでね」
…………飲めたら飲む」
 笑顔の圧が凄かったので渋々受け取った。ここで押しが強いのが彼女らしい。
 温かいマグカップを持て余す。水面を見つめる。胃は重たいままだ。
 何も分からない、と思う。
「なんでこうも」
 善意を向けられるのか、尋ねていた。口を滑らしたと思ったが、今更どうでも良かった。
 ミカはキョトンとした顔で首を傾げる。そしてはにかむように笑った。
「大事な人の助けになりたいのは、当然だから。隣人を愛せとも言うなら尚更」
 ああ、そういうところが嫌いだった。
 明白に、確実に。
 何がどうという訳ではないのだ。誰にでも平等な隣人愛を憎む訳ではないのだ。別に、前提に神がいるからという訳でもない。憐憫に満ちた横顔が嫌いということでもない。
 ただただ、惨めになって嫌だった。きっと当然のように語る言葉を憎んでいた。
「そう」
「うん」
 えへへ、と無邪気に笑う彼女に、胃酸がこみ上げる心地がした。
 だから白湯に口をつけた。酷く熱くて、最悪だった。