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ひさね
2023-09-28 00:38:10
1735文字
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ワンライ「偽り」
ワンライと銘打っているものの完成までに大体3時間ぐらいかかった。
誰かの幼少期の話。
最低限でしか開かないドアに手を伸ばすのを止めてどれほど経ったのかわからない。誰もいない、何もない部屋の隅でじっと座っている。
かろうじてある窓を見つめる。白々とした月が微かに浮かんでいた。日によってふくらんだり、欠けたりするそうだ。誰も教えてはくれなかったから、最近まで知らないでいた。
ぐるり。視線を正面に戻す、と。
人型がぶら下がっていた。
天井から逆さになっている。黒い髪と、腕がないから機能しない白いシャツの袖がゆらゆらと揺れていた。
相変わらずどこから出てくるのか、と閉じたままの窓を思いながら、真正面のひとを見つめる。
「わあ。ずっと辛気くさい顔してるな」
いつもと変わりはないだろう、と思う。
「そういうことじゃなくて、昔はもう少し驚いたりとかしてたよなって意味だぞ」
そして、ぬるりと当然のように思考を読んで返しては、ケラケラと笑っている。その様は未だにおぞましいものはあるが、毎度のやりとりでもあるからか、最近は取り立てて何か思うようなこともなかった。要は、少し慣れてきたのだろう。明らかに人間でない存在とのコミュニケーションが自然になっていることに、複雑な気持ちにはなるが。
「で、今日も喋れないんだな。早く治れば良いのにな」
まるで心配するかのような口ぶりに、ぐっと目と目の間に力が入る。
「睨まないんでほしいんだぞ。嘘ではないし、きみにとっても悪くはないことだろ。言葉にさえすれば、きみのこと幽閉してるこの家のこと、好きなようにできるんだし」
それはそうだとしても、と言葉に詰まる。それでも、これを言葉にしなければいけない理由が分からない。思うだけではだめなのかと何度聞いても、目の前の存在は、意思を外に明確に出さないと都合が悪いのだと、よく分からない理屈を同じように語っては、のらくらと話を変えていく。もう、そういう儀式なのだと無理矢理納得するしかないのだろう。
「字が書ければそれでもいいんだけど、きみ、産まれたときからここにいるからな。文字は書けないだろ」
痛いところを突かれて、こくん、と頷くしかない。
「だったら早く喋れるようになると良いな。ぼくの悲願も果たせるようになるし」
逆さ吊りの赤い目をじっとのぞき込む。
何を考えているのかは、こちらには全く流れてこない。その赤さが、この前手首を切られたときに流れた血に似ていると思った。それしかわからなかった。
一方的におれの思考を読む瞳はずっと不気味だ。
「だったら、何でよくこんな訳分からない奴に頼る気になったんだ? 何が本当かも分からないのに」
と、きょとんとした顔で首を傾げる。
さっきまで乗り気なことを言っておいて、突然、ただの感想にそう食いつくから、戸惑った。尋ねた張本人はにまにまとこっちを覗いている。
何を考えているのかますます分からない。本人の言うとおり、何が真意か全く分からない。
何もかも偽りなのかもしれない、と考えたこともあった。それか、全部自分の幻覚で、人間でない存在は全く存在しないでずっと一人なのか、とも。
でも、それでもいいと思う。偽りでも、いい。これが全部現実じゃないことが分かっても、結局何が真実か分からないのなら、縋れるのは目の前の存在しかない。
だから縋っている。その結果が絞りかすのようなものでも、致し方ないと思いながら。
「人間って変なこと、考えるんだな。偽りでも良いって」
変なの、と呆れたように呟く一方で、目はきゅうと細くなっていく。どう言えば良いのか分からないが、でも悪意はないのはわかった。悪意よりも、むしろ善意の側にある笑みのような気がする。この返答で、その表情をするのかがずっとわからない。
こわごわ見ていると、するり、と黒い手が頬をなでてくる。さっきまで何もなかったはずなのに、と肩が跳ねると、くつくつと笑われた。むっとしつつ、腕に当たる部分をたどっていくと、いつの間にか天井から生えていたようだった。どうにも、このひとは、このよくわからないものを腕代わりにしているらしかった。
頬をなでる手はひやりと冷たくて、気色が悪い。これだけは、ずっと慣れそうにないから、やめてほしかった。
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