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ひさね
2023-09-27 21:25:19
4811文字
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モラトリアムの最中で
マリィ誕生日SS。
自分は可哀想だったのかと自問する話。
わたしは可哀想だったのか、とたまに自問する。
皇族として生を受け、善き、とまでは言わないけれど中庸になれる程度の統治者になれるよう、日々を積み重ねてきた。朝は歴史や政治の理念だとか、一般教養
――
例えば数学だとか最低限押さえておくべき古典だとかの座学をやって、日中は午前の座学の他に乗馬やいざという時の護身のための鍛錬をして、夜も分厚い書物が常に傍らにいた。最中に公務が差し込まれるときもある。時間のズレは許されない。だから、何でも時間が決められていた。分単位で、もしかしたら秒単位というのが実質なのかもしれない。時間が来れば、全て打ち切られる。タスクが終わっていなくても、問答無用だった。それが成果として現れる。遅れたならその分だけ明日以降の計画が狂う。大幅に。だから、与えられたスケジュールは絶対だった。
いつでも時間に追われていた、と言っても差し支えはない、と思う。わたしは一般的な生活を知らない。だから断言はできない。でも、その「一般的な」生活との格差を埋めるために通わせてくれているのであろう学校の級友らを見れば、殆ど間違いがない筈だった。皆、当然のようにする放課後のクラブ活動も、委員会活動も会議も、体育祭や文化祭の準備や、ささやかな談話も、わたしにはできなかった。その後のスケジュールが決まっていたから。それだけのことだった。皆、そこはよく理解してくれていたから、揉めたことはなかった。わたし程、厳しい制限ではないとしても、皆あるものだった。貴族とはそういうものだった。
それでも、確か、去年の文化祭のときだっただろうか、当日に公務が入っていて参加できないからと、同輩の一緒に回ろうとささやかな誘いを断ったとき。彼女は気まずそうにはにかんで、小さく謝った、そのふとした瞬間に。「思った以上に不自由なんだね」と囁いた。ただ実感として漏れた言葉というには、憐れみが多すぎた。少なくとも、わたしにはそう思われた。
その後、どう切り抜けたのだろうか。記憶は朧気だ。多分、当たり障りのない言葉を発したのだろう。心あらずな言葉で返したのだろう。
ただ、今もあの言葉が脳裏に焼き付いて、離れない。
◇◇
雪山の国の夜は酷く静かだ。窓を隔てているはずの真っ暗な空に飲み込まれるような錯覚すら覚える。この感覚は、空恐ろしさを覚えることはあれど、案外嫌いではなかった。
食後のお茶を口につける。温かさが胃に貯まるのが心地よかった。
同室のソウさんは、窓辺の小さいソファに座って聖書を読んでいた。わたしもその目の前に座っている。
何を話す訳でもなかった。何かをする訳でもなかった。ただ時間だけを共有していた。
わたしは窓の外を眺めていた。食事が終わってから、ずっと。今日の食事は少しだけ特別だったと思いながら。
「
……
どうかしたの?」
ふと、声をかけられる。対面に目を向ければ、いつもの下がった眉で、いつの間にか本を閉じていたソウさんがいた。
「いいえ、ただありがたいなと思って。わたくしの誕生日を覚えて頂いていたこと」
「その割には、あんまり。浮かない顔をしているけれど」
白い瞳に見透かされていると思った。中々どうして、人をよく見ている。どうしたものか分からなくて、ぎこちなく笑った。
「誕生日だから、でしょうか」
自分の感情のきっかけを口にする。それが恐ろしいことのように思えてならない。その先を、核心を語りたくない。だから、恐れの垣根を分けて、冗長に話す。
「国のことを思っていました。夜空がとてもよく似ていましたから。この旅が終われば、帰るのだなと思って」
「時間制限はないんだ。成人を皮切りに、とか」
「手を出してしまった以上は、途中で抜けるわけにもいきませんから。印象にも、沽券にも関わる。そういう判断です。父も十分健康ですから、そういう心配事も余りありません。実質、仕事なんでしょうね」
「視座が高いというか、中々難しいね」
ソウさんは下がった眉はそのままに、口の端を持ち上げた。一方で言葉は、淡泊とも乾いているとも形容できるのかもしれない。ただ実感として漏れたというような、それだけのものだった。そこに一定以上の感情はない。恐らく、わざと共感しすぎないようにしているのだと思う。常にそういう、牧師らしい語り口だ。
だから、ほっと胸をなで下ろす自分がいた。
「じゃあ帰ったらもっと忙しくなるんだ」
「そうですね。色々な埋め合わせをしなくてはなりませんから」
「その埋め合わせ、嫌だったりしない? 休暇の終わりが大幅にずれたから」
「まさか。そんなことありませんよ。そこをどうにかするのが務めですから」
皇帝の責任とはそういうものだ、と父がよく言っていた。わたしも、それが正しいと確信している。皇帝は何もかもを民に与えるのだから。自由も生存権も、全てを。だから、第一にあるべき真理だ。
そう考える度に胸が痛む。頭の後ろの方で、あの時の言葉が蘇ってくる。
「でも帰りたそうには見えないね」
対面の双眸がまっすぐ見据えてくるのを、顔ごと躱す。それから、ああ実質的に認めているのと相違ないな、とぼんやり思った。冷静さが、足りない。内省が始まろうとするのを、呼吸に意識を向けては、何とか取りやめる。
「
……
逃げたい訳ではないんです。皇族の務めを放棄したい訳ではないんです。誰にも信じてもらえないけれど、本当に」
すかさず追求されたからだろうか。こんな経験はいくらでもあるのに、上手く躱せなかった。正直に口を開いた。バクバクと心拍数が急激に上がって、すこしだけ気分が悪くなりそうだった。
ふと、思い出した。この居心地の悪さが呼び水になったのだろう。前からずっと今みたいに心配されていたのを、思い出した。始めは、相手のそれを拭うために、少しだけでも理解してもらうために、良く言葉を尽くしていた。会話はそのためにあると思っていた。
それでも、この言葉は、何故か、いつも信じてもらえない。脳裏のあの言葉と同じような憐れみで、いつも切り捨てられる。「でも不自由で大変だね」とか「厳しすぎて嫌だね」とか、そういう言葉で。あるいは、言葉がなくともそういう柔和な目の奥で語られた。
だから、何時ぶりだっただろうか。自分の本心を言ったとき、どんな顔をすべきか分からなくて、俯く。
数秒の沈黙が、一分でも十分でも、無限に引き延ばされるような気がした。でも、物理的にあり得ない妄想だ。対面の彼が息を吸うのを聞く。どうか、その先を聞きたくないと、耳を塞ぎたくて堪らなかった。
「それはそうだろうね。仕事の話をしているときの方が楽しそうだし」
呆気にとられた。思わず顔を上げる。ぴた、と目が合って、きゅうと細くなった。
「
……
不自由だって言わないんですね。わたしの生活のこと。自由でないことは損だとか、罪だとか」
「それは宗教家としての意見を求めてる? それともおれ個人の意見?」
「後者です。国と宗教が交わるのは、不味いでしょう」
「なら良かった」
くっくとソウさんは笑う。話が見えないまま、ただ珍しいな、と思った。そうやって笑うところは、余り見たことがなかったから。
「そうだな。まずマリィはどう思ってるの、その生活について」
「どうって。
……
然るべきものだと思いますよ。ほしいままにするのは、上に立つ者として許されませんし。そもそも、誤解を恐れずに言うのなら自由を与える側です。全てに、平等に。恣意的な選別は許されないし、定義を変えるのだって許されない。その余地を与えるようなものは、わたしにはあるべきではない」
それに、と続けようとしたのを「ちょっと待って」と制止される。
はて、では何を聞きたいのか。首を傾げる。
「そういう責任論じゃなくて、もっと単純に。楽しいことはなかった?」
ソウさんはにこやかに問いを直す。それは分かった。
でもその内容に、ええと、と口ごもる。楽しいか、楽しくないか。その基準で考えるのは、ずいぶん久しぶりで、何からどう話せば良いのか分からなかった。漠然と困っては、何も言えないでいるこの状況が気まずい。気まずさで喉が塞がって、更に何も言えなくなる。
負の循環に陥りながら、せめて完全な沈黙だけは避けようと唸り声を上げていると、穏やかな声で助け船を出された。
「家でやってきたこと、勉強とか鍛錬とか。その中で好きなのは何だった?」
そうやって明確な問いになった途端、ピントが合うように、頭の中がすっきりとした。視界が開ける心地だった。
そんな簡単なことならば、と不思議なくらいするすると言葉が出てきた。
「乗馬が好きでした。あとは、護身術も。体を動かすのが好きだったので、それだけやっていたかった時期もありました。だから座学の時間もずっと厩にいようとしたことがあります」
「座学は嫌いだったんだ」
「ええ。幼い頃は座学はずっと嫌いでした。だから、いつも誰かに追われていましたよ。広い廊下や庭を縦横無尽に駆け回っていて。捕まるのは嫌だったけれど、逃げるのは楽しかった。スリリングだったし、誰かを振り回している、あの感覚。嫌いではなかったです。
……
あと、座学は座学でも古典は好きでした。軍記物や戦記物は面白かったから」
「うん。それじゃあ、家族との思い出は?」
「ありますよ。仕事ばかりだけれど、放っておかれた訳じゃないですから。初めて馬に乗せてくれたのは父でしたし、それに。それにわたしの誕生日には、よっぽどの重大な仕事がない限りは、わたしの部屋まで来てくれました。何をするでもなく、何を話すわけでもなくて、ただ時間を共有するだけですけれど。でも、それが一番心地よくて、幸せだった」
「だったら、それが答えだよ」
いつも以上に、穏やかな声で告げられた。
「幸せなら、それで良いんじゃない。幸せかどうかは自分で決めることだし、幸せだって言うなら、それ以上のことは自由がどうとか思ったって言えないよ」
それぐらいの内心の自由はあるでしょ、と彼は付け加える。
その言葉に目を見張る。
わたしは幸せだったのか、と自問する。
答えは淀みなく、すぐに出た。間違いなくそうだと頷けた。徹底的に管理されたスケジュールで自由がなかったとしても、とても「一般的な」生活からほど遠くても。
確かに幸福だった。わたしにとっては揺るぎのない事実だった。
「
……
そうですね。これぐらいのことならば。わたしが幸福だったか、それぐらいのことならば、わたしの一存で決めたいです」
結論を口にして、胸の痛みが引いていく。ずっと頭の裏にいて、ふとしたときに苛んできた言葉の存在感が段々と霞んでいく。
そこで、ようやくこれだけは誰にも否定されたくなかったのだと知る。
こんなに単純なことだったのかと驚いて、肩の力が抜ける。
「ありがとうございます。色々とすっきりしました」
「一助になったなら幸いだよ。
……
それはそれとして、ワーカホリックの気があって心配だけど」
「でも、幸せだと感じるならそれで良いんでしょう?」
気恥ずかしそうに頬を掻くソウさんにこう返せば、少しだけ困ったように視線が泳いだ。「それとこれは別というか」云々と口をもごもごとさせている。先ほどまでとは打って変わった様子に、くすりと笑みがこぼれる。
そして、言葉の続きを待つ傍ら、窓の空を見つめる。真っ黒な吸い込まれそうな空は、何度見ても故郷の空によく似ていた。この旅が終わって、帰国したら、どれだけ似ていたのか比べてみるのも楽しそうだと思う。空を見上げる程度の時間ならば、きっと十二分にある。
終わりが未だ見えない旅の中、初めて、そしてようやく。晴れ晴れした気持ちで、終わりの先を見据えていた。
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