ひさね
2023-07-25 22:55:46
3097文字
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真には程遠く

人生は不条理だ。
3つめの場面転換(◇の記号のやつ)部分に自殺未遂表現があります。

 もう具体的な時間の記憶はありません。どんな時季だったのか、天気はどうだったか、当時の感情はどんなものだったか、そんなもの、全部知りません。
 でも、覚えている範囲で記述しようと思うのです。なるべく客観的でありたいと思うのです。だから、変な書き方をすることをお許し下さい。
   ◇◇
 少し治安の悪い地域の貧乏な家で産まれました。父は幼い頃に水難事故で亡くなっており、母は病気がちでした。幼いときから働きに出なければなりませんでした。
 しかし、子供が就ける仕事もたかが知れていて、賃金も到底二人分に足りる訳がありません。それに子供のときから目つきの悪さと不器用な性格が災いして、「無愛想」だなんだと言いがかりをつけられて、ただでさえ少ない賃金をさらに引かれることもありました。
 そんな雀の涙ほどの賃金では食事もままならなりませんが、母が自分を優先してくれました。青白い手がどんどん細くなっていくのをよく覚えていました。
 どうにかもっと稼げる仕事に就けるようにならないかと考えていたところ、ひょんな事から処刑人を家業にする人に出会いました。きっかけが何か、覚えていません。でもその人はどうやら子どもに恵まれなかったらしく、弟子を探しているようでした。それを何かで知りました。
 そこで弟子に志願しました。何度も断られましたが、毎日通いつめました。とうとう向こうが折れて、漸く弟子入りすることになりました。
 処刑人が何をするのか、それを聞いたら母がどう思うかをよく分かっていたので、母には伝えませんでした。兵士になるためだとだけ伝えました。心優しい母は少しだけ寂しそうに微笑んで頷きました。今思えば、もう分かっていたのだと思います。師匠は責任感のある人でしたから、子供より早く動いたのでしょう。
 弟子入りしてからは、師匠がよく家を訪問しつつ、生活の手伝いもしてくれました。絵に描いたような幸せでした。本当の幸せとはこういうことなのだと思いました。
 嘘に裏打ちされたそれに、多少の後ろめたさはありましたが。
   ◇
 漸く人並み程度に生活が上向き始めたところに、どこから噂を聞きつけてきたのか唐突に叔父がやってきて母とよく揉めるようになりました。
 子どもには手が負えない問題でした。そこで信頼できる大人である師匠に相談しました。彼はすぐに助けてくれました。釘を一回さしたら、今度は師匠の家に正式な跡継ぎがいないことで強請られ、立場が危うくなってしまいました。
 というのも、処刑人の正式な跡継ぎになる要件として年齢要件がありました。当時はまだ12歳でしたから、正式な跡継ぎではありませんでした。あくまで候補でしかありません。
 師匠は自分の生活をも背負っている以上、不安定な現状は好ましくありません。それに、年齢要件を満たさない、他人の子どもに稽古をつけることが、世間にどう見られるのか、よくわかっておりました。
 自分自身も恩に報いたかったこと、こんな状況を引き起こしてしまった罪悪感と責任感から、二人で苦悩した末、自分の年齢の偽装をすることにしました。ほぼほぼ強行した形でありました。
 これがとんでもない悪であることも、自分にとって一生ものの嘘になることも、二人ともよく理解していました。でも二人にとっては、愛すべき生活を守るにはそうするしかないと思っていました。視野狭窄に陥っていました。
 年齢の偽装は案外とんとん拍子に進みました。というのも、処刑人という職自体が国王との距離が近かったこと、師匠が国王の腹心の友とも言える人だったこと、諸々の外的事情が味方しましたが、なにより大きかったのは自分が子供らしくはなかったことでしょう。
 背は高く、体の細さは最悪服を着ればごまかせる程度でした。そして幸か不幸か、精神も大人の悪意に早々から揉まれていたせいでもうすっかり大人びていて、年不相応に用心深かったのです。
 そうして上手くいきました。それはもう、面白いぐらい。一生ものの嘘がついてまわるというのに! 後々、師匠はこのことを一生悔やむことなったそうですが、それは自分の知る所ではありません。
 偽証を乗り切って、つかの間の平穏がまた訪れました。しかし、ずっと後ろめたさがありました。偽装のことも、なにより自分の仕事のことを母に打ち明けられずにいました。
 毎日毎日、悩み続け、とうとう覚悟を決めました。丁度その日は母の誕生日でした。今では記憶がぼやけて、ふやけて、月日もわからなくなっていまいましたが、でも確かに母の誕生日だったはずです。
 母への日頃の感謝と自分の懺悔のために、リンゴを買いました。母はそのまま噛り付くのが好きでしたし、自分はそれを見るのがずっと好きでした。それだけでは味気ないと思い、そぞろに見物しつつ、追加の贈り物を見繕いました。
 はやる気持ちをおさえながら帰りました。
 閉めたはずの鍵が開いておりました。
 あれ、と動揺したのも束の間、青白い顔をした叔父が部屋の真ん中でぼうっと突っ立っているのがわかりました。寂れたベッドを見つめております。静かに目線の先を辿りました。
 母が死んでいました。
   ◇◇
 母は叔父に殺されたそうです。その後警察が来て叔父は逮捕されました。迅速に裁判は進んでいるようです。
 その間ずっと師匠の家にいました。
 そういえば師匠も、事件の数日前から帰って来ないと聞きました。今も帰ってきません。
 食事が喉を通りません。眠ることもできません。でも後継ぎとしての仕事はあります。
 働きました。何も考えずにそうすることしかできませんでした。
 そうして、いつの間にか家を継いでいました。
 叔父への判決が出たらしいです。死刑だそうです。どうやら自分が担当するそうです。偶然か配慮かは知りません。知ることはありません。これが初めての仕事です。
 緻密な計画を立てました。断頭台に上がりました。叔父がいました。そして万事上手く行きました。美しい太刀筋に拍手が鳴ります。断頭台から降りました。
 家に帰りました。
 母はいません。師匠も帰ってきません。叔父は死にました。殺しました。
 寸分の狂い無く、万事上手くいきました。
 でも一生ものの嘘と惨い仕事しか残りませんでした。
 あーあ。何のためにやってきたんだろうね。
 どうしようもない虚無感が襲ってきて首を括りました。椅子を蹴って、薄れる意識に身体ごと任せようと思いました。走馬灯だって、あの時なら、まだ見れたものでしょう。
 足場を蹴った次の瞬間、背中に痛みが走りました。それからドスンと音が聞こえた気がしました。倒れた椅子と、横たわる自分。首には短くなった縄がありました。
 間抜けだと思いました。笑いすらこみ上げませんでした。
 畢竟、上手くいきませんでした。五体満足、健康体そのものでした。仕事のための身体でありました。
 まともに生きることもできなければ、自由に死ぬこともできないのだと知りました。
 人生は不平等です。不条理です。個人の意思など、些事なのでしょう。
 もう、何にも考えたくないです。だから考えないようにしました。
 記憶はぼやけていきますが、もうどうでもいいです。
 今は仕事の惨さだけを見つめています。それすら手放したときが、多分おわりなのだと思います。そう信じています。
 これが、首を括った後の、どうしようもない自分の遺書です。死にきれやしない自分のための書き置きです。
 もう、これで、締めたいと思います。さようなら。