ひさね
2023-05-27 21:36:53
2117文字
Public
 

要領を得ない話

抽象の上を滑る。

 カツン、カツン、と金属同士がぶつかるような音が部屋を満たす。天井から聞こえてくるようにも思えるし、床の下から聞こえて来るようにも思う。あるいは壁の中か、窓の外からか。どこからでも鳴っている気がする。
 しかし生憎、この部屋にはケントとわたししかいない。ケントはよく伸びた銀髪を鬱陶しそうに結び直しているし、わたしはただぼうっとベッドに横たわっている。金属類のものなんか持っていない。誰も鳴らせやしない音が、ずっとずっと響いている。
「事の元凶くん、なんとかして」
「ええ、面倒くさいな」
 露骨に嫌そうな声だった。その割に――天井ばかり見ているから実際はわからないが――きっといつもと大して変わらない表情なのだろう。これが自然だと言いたげな顔。他の可能性を全く認知していないような超然とした態度。それらを隠しもしないひとだ。
 器質的にそういうものを引きつけると分かっていて、採れるものでは中々ない。
「対処できるのにそれは誠意がないでしょ」
「別に放置しても死なないぞ。しばらくうるさいだけで」
「それが嫌なんだよな〜。考え事の妨げになる」
 この手のポルターガイストも、皆慣れたもので、何も言わなくなった。精々店主が時折聞いてくるぐらいだ。このひとの性質の副産物にかなり感化されてしまっている。
「大体、きみの考え事は具体的な話がないだろ」
「そりゃあね〜。きみと二人で具体的な話なんかしたことないから」
「ヘイトがエグいな」
 はは、と笑っている。無造作で、大して興味もないという風に。
 無関心なんだろう。傲慢で自分本位だとつくづく思う。自分の尺度だけで対象を切り捨てる。だからといって、自己保存の目的の下だと、単純に非難できるものでもないけれど。それに、全てに興味を持てる程のリソースは誰も持ち合わせていない。そこには限界がある。
「冷淡が過ぎるからだよ」
「だって、自由とか選択とかがないって話だろ。何遍聞いたと思ってるんだ」
 カツン、カツン。音は鳴り止まない。気にも留めていない。わたしたちにとっては分かりきった現象。それが自然だとずっと思っている。
「そんな直観で分かることに理屈を付ける理由がわからない」
 確実に心の底から出る言葉だ。呆れるほど素直に単純明快だと、このひとはそう思っている。
「感覚や直観は、言葉にしないと不明瞭なままだから。それに、自由感という様に一般的にあるとされる概念が漂っていて、それに反する直観なら、なおのこと明確にしないと」
「なんで?」
「何があって何がなくて、何が残ったのか把握するため」
「へえ、元々曖昧なものを明らかにしないと気が済まないのか。語り切れないことはとっくに分かっていて」
「不明瞭な部分は錯覚とも切って捨てられるでしょ。全部が全部、錯覚になり得るのは心許ない。明瞭にしても問題がない部分は拾い上げたい」
「語れば語るほど歪むのに?」
 ガタンガタンと窓が殴られる。ああ、あそこから鳴っていたんだとぼんやり思った。全体への影響が一部の原因に収束する感覚。一切の歪みが否定できない、あの不安。
 視線をつと傾ける。
 何かしらがいた。でも何が叩いていたかは知らない。
 ただそこに在った。それしか語れない。
 語る必要がない。
……言葉の限界に触れるのには意義があるよ」
 実質的な降伏だ。決まり文句だった。
 結局、わたしも同じように思っているのだ。語れば語るほど直観から遠ざかって、明快な事物が歪んでいく。
 わたしは分岐の起点であり得ないのだ。可能な選択があったとしても、それが本当に選択可能であったとしても、わたしの行為が分岐点になることはない。なぜならわたしの選択はいつでも、分岐した後の行為になるから。そしてわたしが分岐点にならないのなら、可能な選択の存在があり得るかもわからない。選択という言葉が比喩になり得る。云々。
 予め決まっているか、全くの偶然による分岐しかない。自由は、わたしを必然と偶然のゆらぎの間に置かなければ、認められない。
 そんな直観を、理屈をつけようと語れば語るほど、言葉が比喩になって難解になってぼやけていく。交わらないはずの別種の概念が混同されて、癒着して肥大化して何も見えなくなる。
 ただ、抽象の上を滑っていく。
 ガタガタガタガタ、そろそろ騒がしさにも腹が立ってきて、もう自分で片を付けようかとシーツごとベッドを蹴って、ボードに頭を引っ掛ければ。
 ぴたりと、全て止んだ。
 ケントがわたしを見下ろしている。いつの間にかそこにいた。結局髪は結ばなかったらしい。
 それだけだった。
……対応がおそ〜い」
「きみが語り過ぎるからだろ」
「そんなに語られたくないの?」
 ケントはそれに答えるように、何も言わないで、目を細くして口の端を吊り上げた。瞳がほの暗く光る。
 本当に何もかも面倒臭い奴だと思っているんだろう。わたしも時折、このひとにそう思うように。大概、感性が似通っている。
 ふと、真理性の悪霊とはこういうものなのかと思ったが、口にはしないでおいた。多分、酷い言い合いか殴り合いにでもなるだろうから。