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ひさね
2022-11-05 13:24:47
2725文字
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執着
ソウとシオンの会話メイン。本と言葉の価値について。
「本に価値なんかないよ」
と、言いながらシオンは本を閉じた。
大層な言葉を吐いた彼女の足元には、小さな古書の山が幾つも幾つも乱立している。自分のベッドの隣、地べたに座り込んでは何時までも、本当にこの旅を始めてからずっとここに積み上げているせいで、この部屋にはすっかり紙の匂いが染み付いてしまっていた。
「いつも思うけど、古本屋で散財する奴の言う事じゃないでしょ」
言動の不一致に呆れて口を出せば、
「ぐうの音も出ない」
と、存外あっさりと彼女は小さく呟いた。そして、小さく伸びをしながら、手にあった本をおれに差し出した。
「ソウも読む?」
「何の本」
「神学書。最後まで御言葉たっぷり」
「うわ、すこぶるいらない」
「仮にも僧侶が言う事じゃないでしょ」
くすりと笑うのを見て、やり返してきたな、と気がついた。成る程、確かに返す言葉もない。大きく息を吐きつつ、渋々受け取った。
表紙をちらっと見て、そのまま背後のベッドに置く。
「読んでくれないの〜?」
「普通に読んだことあったから」
「あー、それは仕方ない。他に何か読みたいのある?」
「自分で漁るから良いよ」
積み木のように容易く山々を崩そうとする彼女を止めつつ、床の惨状を改めて見ては肩をすくめる。
「良い加減片付けた方が良いんじゃない? 価値がないって言うなら尚更」
「
……
耳が痛いな〜」
思う所があるのか、苦笑しながら彼女は山の一つをつつ、と指先でなぞった。実に名残惜しそうに。
ああ、何だかなあと視界が窄んで、冷めていく。
「盲滅法で阿漕な収集家でもないだろ、きみは。何センチメンタルぶってんの」
まろび出た悪態にも、相変わらず彼女は顔色一つ変えないどころか、寧ろ重たそうな瞼を持ち上げて、
「随分わたしのことを買っているね」
と薄く笑う始末だ。吐き出すため息も自然と長くなる。
「別に撤回しても良いけど」
「そんな〜。それだけ薄い言葉だったってこと?」
「聞き手次第でしょ、そんなの」
「
……
それもそうだね。解釈次第だ。よく知ってたね、仕事の賜物?」
「だろうね。言葉は使いこなせるようにしたよ、自分から進んで」
「言葉は神だから?」
「万物が言葉から成ることだけは正しいと思っているから」
「あはは、よく言うねえ」
さっきと同じように笑っているはずなのに。先ほどとは打って変わった湿っぽい声音に、古書の中で一人蹲ってこちらへ向ける目線に。普段のシオンとは一切噛み合わない姿に、得も言われぬ後ろめたさがあった。
「大体、どうして本を扱き下ろすの」
罪悪を誤魔化すように吐いた疑問も、きっと見透かした上で、彼女は目線をゆっくりとそらした。
「扱き下ろしてるわけじゃないよ。ただ単に本自体は、引いては言葉単体に、価値がないなって思うだけ」
そして淡々と語り始める。
「言葉が上辺を繕うための飾りじゃ価値がない。アクセサリじゃ、ないんだから。実がなくっちゃね、意味すら成り立たないよ。そして、肝心の実に気が付かなければ、何も伝わらない。意味も価値も見いだせないなら、それはきっと何にも成らない」
「
……
それは語り手と聞き手、どっちの話?」
「どっちでもいいよ。人間が入っていれば、何でも」
不明瞭な回答に胸をじりじりと焦がされる。そういうことではない。歯痒くて、仕方がない。
理屈は別にどうでも良いのだ。結論を一所に落としていく為だけの道具でしかない。彼女が言うところの、実のない言葉そのものだ。
分からないのは、指先に現れる程に執着している本を、大層な理論武装をしてまで扱き下ろす理由だった。人や他の物への執着や愛着は隠さないくせに、本に対するそれだけは誤魔化そうとする。その本質が何なのか分からなかった。
傍で語りは熱を持っていく。
「本だって何ら変わりないでしょ。言葉の寄せ集めなんだから。本はその中に自分の断片を、実を見出さなきゃいけない。それができなければ、ただの言葉のカタログだ。すぐに陳腐化する。本の価値は読者に全く依存しているんだ。読者が主体で、本や言葉はただそこに在るだけで。姿見みたいなものだ、本当に」
ぴたり、とここで語りを止めたかと思えば、彼女はちらりとこちらを仰ぎ見た。緑色の瞳が微かに揺れている。
先を続けるのを躊躇っていた。確かに躊躇っていた。沈黙が何よりの証拠だった。
言うべきか言わざるべきか。
それを見えない壁の前で吟味する、その臆病には酷く覚えがあった。沈黙でどこまでも膨れ上がって、喉を蓋するそれを良く知っていた。
それでも、彼女は薄く口を開いて、吐き出した。
「何より、人間の言葉は人間にしか分からない」
白い瞼が落ちる。蹲る姿が寂しい子どものようだった。
これが、彼女なりの恨み言なんだろう。勘付いて、何となく癪に障った。
「きみ自身が吸血鬼、だからってこと? それは」
「ソウは聖書を初めて読んだときのこと、覚えてる?」
「
……
勿論」
「世の中にはどうしても理解できないことがある。そうは思わない?」
おれの声に重ねるように、そう持ち出されては頷く他なかった。
きゅうと細くなる緑色の目から逃れようと、視線が勝手に落ちていく。
古書の山に、ふと目が留まる。背表紙をなぞって見れば、文学と哲学書ばかりが積み重なっていた。よりにもよって、人間の言葉そのものが詰まっているものばかりだった。
それに囲まれて、独り座る彼女が忌々しかった。
飛び出そうになった舌打ちを噛み殺す。
ぐるりぐるり、胸中を渦巻く熱が、最後まで矛盾ばかりの彼女自身に向けた反発なのか。それとも、もっぱら同族嫌悪だったのか。自分でも良く分からなかった。分からないことにした。
「
……
それでも、本を積んでる様な人に言われても。説得力が皆無」
「ソウだって背教者らしく、搾り滓みたいな御言葉を口にするでしょ〜。習慣ってそういうものじゃない?」
「それはそうだけど。その滓を食い散らかしてる自覚がない紙魚に言われるのが腹立つな」
「はは、手厳しいね」
未練がましい悪態も、シオンはからりといつも通りに笑って受け流していった。
おれもそれ以上は何も言わなかった。
背後に放った神学書を古書の山の中に戻す。
「漁らなくて良いの〜?」
「いいや。なんか、そういう気分じゃないから」
「そっか、じゃあ仕方ないね」
何ともなしにそう言って、彼女は次の本を手に取る。わからない事々に嘆きながら、人間の言葉に取り囲まれていく。
その、理解できないものに執着する、人間らしさ。彼女がそれに気が付くことはないのだろう。多分、一生。
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