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ひさね
2022-05-26 00:34:02
1308文字
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わたしから私へ
シオンの誕生日SS。
いつかの私へ
時候の挨拶とかは面倒なので省きます。そもそも自分に宛てた手紙にそういう堅苦しいものも必要ないだろうし。
わたしは今、と続けても、今のことはきっと忘れられない鮮烈な思い出になって、全部分かっているだろうからこれも書きません。
じゃあなぜこれを書いたのかって言うと、今日が誕生日だからです。人間はこういう節目に将来の自分に向けて手紙を書く人もいるそうです。書かない人もまあまあいるけど。
要は単純な便乗です。
それにここで聞きたいことを書いておこうとも思いました。全部覚えていられるとはいえ、目に見える方が分かりやすいしね。手紙というよりかは端書きみたいなものです。
閑話休題。
単刀直入に言うと、今でも不安はありますか?
あの本の内容を全て理解しても、仮に自由意志がないと結論づけてもなお、生きる不安があるのでしょうか?
ないのならば、と考えるととても不安になります。あるのならば、とても理想的なことだと思います。
だって、不安は生きる上で絶対に付き纏うものですから。漠然としていても、個別具体的であっても。
生きている以上、何かの選択に迫られる。何かを得て、何かを取り零さなければならない。全てを抱えていくには容量が小さすぎるから。
自由意志がないとするなら、主観的には何かを捨てるかを選べているような気がする、そんな錯覚があると言い換えても良い。
とにかく、そういう仕組みで生きているから、不安という不快なものが絶えずあるのだと思います。
そして、不安があるからこそ、良く考えて、善くあろうとして、足掻いていく。結果がどうであれ、生きている以上はそれをずっと繰り返していく。
そこに、生きる実感があるのだと思っています。
不安の連続と、少しの喜びや悲しみが生を象っているんじゃあないか。そんな、我ながらかなり詩的なことも考えます。
つまり、わたしが生きていることの実感を、その証左を不安に置いているという話です。だから、あの本を理解するまでの道はまだまだ長いかもしれませんね。まあ、不老不死とかいう無駄に長い時間を持っている以上、答えを急がなくても良い。そんな心理的な弊害もあるのかもしれないけれど。
でもいずれ理解するときが来る。私を外に連れ出してくれた旅人のように、自分が何者かを理解するときが。寧ろ、来なくちゃ困る。
わたしはそのために生きている。不安も喜びも、生きる実感として愛しながら、その中でいつかの私を探り続けている。
その上で、あの本を理解できたとき、わたしは私に還ってくる。ずっと閉じこもっていたところの私に、これからを生きていくところの私に、漸く戻ってくる。
そうして、何を感じるんでしょうか。生きる実感をどう定義づけるんでしょうか。その時をわたしは楽しみにしています。
色々長々と書いたけれど、そろそろ終わりにします。丁度飽きてきたところでもあるし。
でも最後にひとつだけ。分かっているとは思うけれど、念の為。
還る折には、わたしが愛した沢山の不安と喜びを持ち込むつもりなので、その時は何卒よろしく。
現在のわたしより
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